001 ダンヒ女王国(3)
それからというもの、私は宿屋探しに奔走したが結果は芳しくなかった。
観光地ということもあって、宿屋の数自体は十分すぎるほどあったのだが、男性単身客が宿泊可能という条件が付くと、途端にその数は激減するのである。
宿泊したいと思うような宿屋はすべて『女性専用』か、女性同伴でなければ宿泊できないのだ。
残った男性単身客も宿泊可能な宿屋といえば、メインストリートからは大きく離れた街の外れにある今にも壊れそうなおんぼろ屋敷か、独房かと見間違うほどの質素な旅館くらいのものだった。
仕方なく夜間外出可能なおんぼろ屋敷の方を選択したが、あまりの待遇の悪さに怒りを通り越して呆れてしまう。
逆差別国家とはよく言ったものだ。
ここでの男性単身者の地位はそこらの野良犬にすら劣るだろう。
女王国へ訪れた男性たちがあそこまで辛辣な評価を下した理由が身に染みてわかった。
とはいえ、ここまで来て何もしないということはできない。
私は王の命を受けてこの地にいるのだ、任務を放棄して逃げ出すような真似はできない。
それに、この数時間の滞在の中で『烈火』と『漆黒』の行方を尋ねるだけなら、この街の状態でも十分に可能だという手ごたえも感じていた。
これは宿屋探しの中で気付いたことだが、住民たち自身に男性に対する偏見の目はない。
極端に男性に厳しいルールや慣習があるだけで、それに従ってさえいれば彼らはこちらに危害を加えることもないのだ。
当然、普通の会話の範囲内であれば、彼らは同性と同じように接してくれる。
決して達成不可能な任務ではないということに一筋の希望を感じながら、今後の計画を頭の中で反芻する。
まずは、情報収集を行う。
どちらの勇者も変装をしていなければ、かなり目立つ格好だ、目撃情報も多いだろう。
『烈火』は、かなり砕けた性格で人当たりもいいが、女好きで有名らしいから、歓楽街を中心に聞き込みを行うべきか。
逆に『漆黒』は、『烈火』とは対照的に人付き合いが苦手で寡黙、趣味は異国の武器収集ということだから、武器屋や闇市を中心に調査を行うべきだろう。
いずれにしても、夜間の調査がメインになりそうだ。
そして、ある程度情報が集まったら、それをもとに次の目的地を決める。
計画と呼んでもいいかわからないほど大雑把な指針だが、情報が圧倒的に不足している今できることはこれくらいしかない。
部屋の窓から外の様子を見渡すと、ちらほらと灯りが消える民家も出てき始めていた。
日付が変わるまでにはまだ数時間も残っているが、健全な生活を送る者にとってはもう寝る時間というのも事実。
逆に言えば、不健全な生活を送るもの、すなわち酒場や歓楽街にとっては今からが最も盛り上がる時間帯である。
私にとっても、もっとも都合のいい時間帯であることはいうまでもない。
宿屋の主人である老婆に外出する旨を伝え、私は街へと繰り出した。
とりあえずは、メインストリートの酒場へと向かうことにする。
もちろん、路地裏にある店の方がより詳しい情報が手に入る可能性は高い。
しかし、十分な下調べを行ったうえでないと路地裏へ踏み込むのは危険だ。
裏特有のルールや、裏の力関係、合言葉などなど、これらを知らずに踏み込もうなど自殺行為といっても過言ではない。
まずは、こういった情報を手に入れることから始める必要がある。
経験上、この手の情報はオモテの酒場で取引されていることが多い。
客の動きや店主の様子に気を配っていれば、自ずと手がかりをつかむことができるだろう。
そんな風に今後の展開に思いをはせながら歩を進めていると、突如奇妙な違和感に襲われた。
もう宿屋からかなり歩いたというのに、一向にメインストリートへと出る気配がしないのである。
慌てて周りを見渡しても全く知らない景色が広がっているばかりで、どうしようもない。
「もしかして、迷ったか・・・?」
確かに、おんぼろ屋敷がメインストリートから大きく離れた位置にあることに加え、夜で見通しも悪く、土地感がないという悪条件は揃っていた。
しかし、このような悪条件に見舞われたのは、なにも今回がはじめてではない。
魔界軍との戦争の中で、今回以上にひどい条件の中で進まなければならないこともあった。
にもかかわらず、どうして今回に限って道に迷ってしまったのだろう。
あまりに自国とかけ離れた女王国での生活に、自分でも気づかないうちに精神的な疲れがたまっていたのか。
ともかく、迷ってしまった以上はどうにかして道を探るよりほかはない。
しかし、時間も時間ということもあって人通りはほとんどなく、かと言って民家を訪ねるわけにもいかない。
運よく通行人が現れてくれればいいが、そうでなければ来た道を逆行するか、最悪朝まで待つしかないだろう。
一縷の望みをかけてもう一度周囲を見渡すと、幸いにも前方に人影が見えた。
これを逃せば、今夜中にメインストリートへと向かうことは難しくなる。
街灯にぼんやりと照らし出される後姿を見失うまいと、必死に追いかけて背後から肩をたたいた。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
突如、目の前の人影から悲鳴にも似た奇声が発せられた。
用件を伝えようと口を開きかけていた私は、慌てて目の前の人物に大丈夫かと問いかける。
すると、目の前の人物は素早くこちらに振り返り、乱暴に私の手を振り払うと鋭くこう言い放った。
「近づかないでっ!この変態!」
涙をためてこちらを憎々しげに見つめるそれは、彼女というべきか彼というべきか、そもそも人なのか魔族なのかも怪しいほど醜悪な顔をしていた。
そんな化け物にいわれのない変態呼ばわりをされては、こちらとしても困惑せざるを得ない。
そうこうしているうちにも、彼女?の奇声を聞き付けた付近の住民が何事かと続々と駆け付けてくる。
瞬く間に、私と化け物の周囲は野次馬たちでいっぱいになった。
集まった野次馬たちの中からリーダー格と思われる人物が前に出て、化け物に何があったのかと問いかける。
すると、化け物は突然泣きわめきだし、嗚咽交じりの声でとんでもないことを言いだした。
「ひっぐ、あ、あの男に、ち、痴漢されたんですぅ。」
化け物が痴漢という単語を出した途端、野次馬たちが一斉にざわつきだした。
あちこちから、こちらを罵るような声が聞こえてくる。
冗談ではない、誰があんな化け物に痴漢行為など働くものか。
王に痴漢しろと命令されたとしても、私には痴漢行為をやり遂げる自信はない。
当然、自分自身の名誉にかけて「これは冤罪だ!」という旨を主張するが、リーダー格の女に黙っていろと一蹴されてしまう。
その間も、化け物は被害妄想を膨らませた妄言を周囲に向かって垂れ流す。
「ひっぐ、あの男が、突然、私の体に触ってきてぇ。ひっぐ、さ、さっきもいやらしい目つきで私のことを見てきてぇ。わたしぃ、こんなことされたらお婿さんもらえないぃ。」
怯えたように両肩を抱える化け物に、周囲の人間はしきりに励ましの言葉を投げかける。
一方、私の周りでは罵詈雑言の嵐が吹き荒れ、石や瓶などの凶器すらも投げつけられるようになっていた。
すでに、あちらがかわいそうな被害者で、こちらが悪者の加害者という構図が出来上がりつつあった。
こうなってしまっては、もはや私が何を言っても意味をなさない。
あんな醜い見た目でありながら悲劇のヒロインを気取っている化け物に対する憎悪の念がどんどんと膨らんでいく。
何よりもこんな化け物に痴漢冤罪を着せられ、志半ばで任務を降りなければならないかもしれないということが悔しくて情けなかった。
「おいおい、こんな夜中に何の騒ぎだね。」
あまりの自分のふがいなさに絶望していると、いつの間にここに現れたのか、警吏の制服をまとった老人が輪の中心に加わっていた。
気付けば、あれほど怒り狂っていた野次馬たちも落ち着きを取り戻し、罵詈雑言と凶器の嵐もやんでいる。
もしかして、この老人があの暴動をたった一人で鎮めたというのか。
この超女性優位の社会で女性たちから支持を集めている男性がいるという事実に驚きを隠せない。
老人は現在、リーダー格の女から事情を聴いているようだった。
制服から大体の想像はついていたが、どうやら化け物を不憫に思った野次馬の誰かが連れてきた警吏らしい。
やがて、話を聞き終えたらしい老人は、周囲の野次馬たちに向けて言葉を発した。
「大体の事情はわかりました。そして、皆さんのお気持ちもよく分かりました。しかし、もう夜も遅い。明日も朝早くから仕事がある方がほとんどでしょう。この男は、私が責任をもって署まで連れていきますから、関係のない皆さんは早く帰って休まれた方がいい。あと、申し訳ないが、あなたは彼女が落ち着いてから中央署まで連れて行ってくださいますか。被害にあわれたばかりでまだ不安でしょうから。」
老人の言葉を聞いた野次馬たちは、これまでの喧騒が嘘のように素直に老人の言葉を聞き入れ、次々と帰っていった。
いまだにワンワンと泣きわめく化け物の後始末を任されたリーダー格の女も、いやそうな表情一つせずに介抱をしている。
老人の見事な手腕に驚くとともに、彼ならばもしかすると自分の冤罪を晴らしてくれるのではないかと淡い希望が生まれる。
ほとんどの野次馬がいなくなったころ、それまで野次馬たちの様子を見守っていた老人が、はじめてこちらに視線を向けてきた。
その表情には、犯罪者に対する怒りや侮蔑の感情は一切なく、穏やかな笑顔が浮かんでいるだけだった。
「あんた、外から来た人だろう。いろいろと災難だったね。立ち話もなんだから、ちょっと署までついて来なよ。」
「私の話を聞いてくださるのですか?」
「ああ、もちろん。それがおれの仕事だからな。」
あいかわらず、穏やかそうな表情を浮かべたまま老人が答える。
少なくとも、野次馬たちよりもよっぽど話が分かる御仁のようだ。
彼ならば、化け物に欲情した変態という汚名をそそぐことができるかもしれない、先ほど抱いた淡い希望の光がより強く鮮明になったような気がした。