八話 『大賢者たちの夜』
「くぁああ……」
意識が覚醒し、ロイドは目を開けて上体を起こし、両手を真上へ伸ばす。
それから窓の外を窺った。
「何だよ、誰も起こしてくれなかったのか」
外は既に真っ暗で、ロイドは不満そうにボソリと呟く。
それからポキポキと体を鳴らしてローブを羽織り、杖を手に取って部屋を出た。
階段を降りながら、いやに静かだなとロイドは不思議に思い、首を傾げる。
食堂に顔を出しても誰もおらず、リビングには明かりがついていない。
もしかして……と思い、ロイドは応接間へ足を運んだ。
応接間のドアの隙間から、案の定光が漏れだしている。
ドアを開けると、ソファにレティーシャが座っているのを見つけて口を開いた。
「おい、レティ。どうして起こして――」
くれなかったんだ、と言おうとして、彼女が唇に人差し指を当ててシーッと優しく言ったので、ロイドは反射的に口を噤んだ。
そしてすぐに彼女のその行動の理由を知る。
「……たくっ、こんなところで寝るとは。風邪を引いても知らねえぞ」
ソファで眠るフィルとアイラの二人を捉えて、ロイドは苦笑交じりに優しく呟く。
それを受けてレティーシャも笑った。
「まあまあ。私に緊張して疲れたんでしょ? フィルも、こういう所でのんびりしたことはあまりなかったから。それに、寝顔なんて可愛いじゃない?」
「……まあ、な」
アイラの顔を覗き込んで、ロイドは頷く。
「これでもうちょっと俺を師匠として敬ってくれたら、可愛げがあるんだがな」
「ふふ、そう言う割に十分大切に思っているくせに」
「……さあ、何を言ってるんだか」
照れくさくなったのか視線を逸らすロイドに、レティーシャは微笑む。
「しっかし、お前に緊張するってどういうことだよ。俺だって同じ大賢者だってのに」
「そりゃあ、私が今も魔人を倒して回ってるからでしょ?」
「はっ、違いない」
レティーシャの正論にロイドは笑う。
もし自分もレティーシャたちと同様に魔人討伐を今も行っていたら、アイラは自分に敬意を表してくれていただろう。
「さて、とりあえずこいつらを運ぶか。このままだと風邪を引くからな。レティーシャはフィルを運んでやってくれ」
「わかった」
杖を壁に立てかけ、アイラを起こさないように両腕でそっと抱きかかえるロイドを見て、レティーシャは嬉しそうに笑いながら口を開く。
「やっぱり、大切に思っているじゃない」
「…………」
彼女のその言葉をロイドは無視して応接間をでていく。
慌ててレティーシャはフィルを抱えると、彼の後を追った。
◆ ◆
「なんか食べるか? といっても、アイラがいなかったらろくなものはだせないが」
「そうね。結局夕食は食べそびれちゃったし」
アイラとフィルをそれぞれベッドに寝かせ終え、再び一階に降りてきた二人。
リビングのソファに座るレティーシャに、食堂を挟んでキッチンに立つロイドが聞く。
その問いに対する返答を受けてロイドは何かないかと漁り始めた。
基本的にキッチン周りの管理は普段からアイラが行っているので、何がどこにあるかなどロイドはあずかり知らない。
数分後、適当に見つかったものを抱えてリビングにやってきたロイドに、レティーシャは苦笑した。
「本当にろくなものじゃないね。これ、ご飯のつもりなの?」
「仕方ないだろ。何もなかったんだから」
そう言いながら、ロイドは「ほら」と丸い氷が入ったグラスを二つレティーシャに渡す。
レティーシャはそれを受け取ると、目の前のガラスのテーブルにそっと置いた。
「ほら、いくらでも食べていいぞ」
「流石にこれだけだとお腹は膨れないと思うけどなぁ。こういうことが適当なのは相変わらずなんだから」
ロイドに苦笑しながら、レティーシャは彼が渡してきた干し肉を受け取った。
彼女の言葉にロイドは肩をすくめながら、手に持っていた瓶の口をグラスに傾ける。
琥珀色の液体が音を立てながらグラスへと注がれていく。
「ま、取りあえず久しぶりの再会に」
「ん、乾杯」
レティーシャの横に座ると同時に、グラスを合わせてチンッと鳴らし、そのままグイッと飲む。
それから深く息を吐き、ロイドは天井から下げられた照明にグラスを照らしながら呟いた。
「しっかし、俺だけじゃなくてお前も弟子を取るとはな……師匠が知ったらなんていうか」
「未熟者の分際で図に乗りおって! ……って、叱るんじゃないかな」
「ははっ、だろうな」
実際そう言うだろうと、ロイドは笑う。
そしてどちらも悲しそうに目を伏せた。
「そういえば、その杖ちゃんと使ってるんだね」
ソファに立てかけているロイドの杖に目をやり、レティーシャが小さく吐き出すように言う。
「当たり前だろ? なんだ、欲しいのか」
「いや、いいよ。それはロイドが貰ったものだからね」
そうか、と返してロイドはまた呷る。
一気に一杯飲み干した。
「さっき、ロイドの工房を借りたよ。変わらず散らかっていて安心したよ」
「なんだそれ。俺は喜んだらいいのか?」
「もちろん。……それでさ、テーブルに置かれていた紙の束を見つけたんだけど、『魔人と接触した者が魔人化する現象』。こんな古い文書、どうしてまだ置いてあるの?」
「――! ……別に深い理由はねえよ。引き篭もり生活を続けていると時間が余ってな。昔読んだ文書を引っ張り出してるだけだよ」
レティーシャの指摘に、ロイドは固まってからすぐさま言葉を返す。
それを疑惑に満ちた瞳で見つめながら、レティーシャは続けた。
「今日ここに来た理由はもう一つあるんだ。それがロイドの様子を見に来ること。どうして、ロイドは魔王討伐以来引き篭もっているの? 他の人は皆戦うのが怖くなったとか言っているけど、一緒に戦った私はわかるよ。そんなはずがないって」
「なんだ、そのことか」
「そのことって……これでも結構心配してるんだよ?」
「別に大した理由じゃねえよ。ただ大きな戦いが終わったときに襲ってきた達成感で、戦う日々に疲れたんだよ。それだけの話だ」
「……ねえ、ロイド。魔王との戦いで何があったの?」
「――――」
魔王を討つべくディアクトロ大陸に乗り込んだ三人の大賢者たち。
実際、魔王自体も三人で倒したことになっている。
だが事実は違う。
レティーシャともう一人は魔王に至るまでの道を切り開き、実際に魔王を倒したのはロイド一人だ。
そしてレティーシャたちは、ロイドと魔王の間でどのような戦いが、やり取りが行われたのかを知らない。
だからこそ、ロイドが戦うことを止めたその理由が魔王との一戦にあるのではと思った。
しかし、レティーシャのその問いにロイドは薄く笑い、グラスを傾ける。
「レティの考えすぎだ。俺はこの程度の男だったってことだよ。あの時は若かっただけだ」
「…………」
ロイドのか細い呟きに、レティーシャは押し黙る。
そして暫く、酒を飲んでは干し肉を齧り、酒を飲んでは……を繰り返した。
「そういや、フィルはアイラと同い年だったんだな」
「うん、本当偶然だよね」
ロイドの唐突な話題転換に、このまま重い空気というのも嫌だったのか、レティーシャがのっかかる。
「私たちの時とは違って師匠は違うけど、二人には私たちみたいな関係になってほしいと思うよ。まあフィルの場合、ロイドを嫌ってるみたいだから難しいと思うけど……」
「おい、ならなんで俺のところに連れてきたんだよ」
「あはは、まあロイドのことを知ったら絶対好きになってくれるって」
「お前は昔から俺を過大評価しすぎなんだよ……」
レティーシャの根拠のない信頼にロイドは頬を掻く。
それから真剣な表情でそっとグラスをテーブルに置いて両手を組んだ。
「なあ、今回のこと、借りを返してくれるって言ったよな?」
「う、うん」
「じゃあ一つ、頼みたいことがあるんだが聞いてくれるか」
ロイドの声色がかつての戦場にいた時と同じように真剣なことに気付き、レティーシャもまたグラスをテーブルに置いて表情を引き締める。
そして真っ直ぐロイドを見つめて頷いた。
「……もし、これはもしもの話なんだが、俺にもしものことがあった時、その時はアイラの師匠になってやってくれないか」
「――! それはどういう……」
「いや、もしもの話だって。ほら、俺だって一応大賢者の一人だろ? 気が変わって魔人の討伐やらを始めるかもしれない。そうしたら死ぬ可能性だってでてくるんだ。今回、お前もそういう理由で俺のところにフィルを預けに来たんだろ?」
「それはそうだけど……」
「だからホントに仮の話だ。代わりに、あって欲しくはないがお前にもしものことがあったときもフィルの面倒は見る。どうだ?」
彼の提案に、レティーシャは黙り込む。
それからどこか重たい口調で答える。
「そうだね、その方がお互いのためになる。――わかった、ロイドにもしものことがあったらアイラちゃんの面倒は見るよ。その代わり、私にもしものことがあったらフィルのことは頼んだよ」
「ああ、任せた」
「――――」
ロイドの頷きに言葉にできない不安を感じ、レティーシャは俯く。
だが、彼はといえば酒を呷りながら新しい、明るい話題を提示してきた。
結局レティーシャは酒を飲んでいたこともあってか、胸中に渦巻いた不安を忘れながらロイドと酒を酌み交わした。