七話 『理想の存在』
「ここがロイドの工房かぁ。相変わらず散らかってるな~」
ロイドが自室に戻った後、お茶を飲み終えたレティーシャはアイラに工房へと案内してもらう。
地下へと通ずる階段を下りて突き当たりのドアを開けた直後、レティーシャはそんな感想を漏らした。
「す、すみません。ロイドには片付けるように言っているんですが……」
それを聞いてアイラは羞恥で頬を染めながら申し訳なさそうに頭を下げる。
アイラのその態度が面白かったのか、レティーシャはくすりと微笑んだ。
「いや、逆に綺麗な工房だったら違和感があって作業に集中できなかったかもしれないよ。ロイドはこれでいいんだ」
「……?」
レティーシャの言っている意味がわからず、アイラは首を傾げる。
そんなアイラにふっと小さく笑いながら、レティーシャは近くのテーブルにそっと手を触れさせながらどこか懐かしむように呟いた。
「それに、私たちの師匠も工房を散らかしていたしね……」
「私、たち? レティーシャ様とロイドって同じ師匠の下で修業していたんですか?」
「あれ、聞いていなかったの? うん、私たちは同じ師匠の下で魔法を習っていたよ。私がロイドの妹弟子」
「大賢者を二人生み出した師匠……すごい人ですね」
「そうだね、本当にすごい人だったよ……」
アイラの何気ない呟きに、レティーシャは目を細める。
そうして暫くの間沈黙が訪れた。
その沈黙を切り裂いたのは、アイラの呟きだった。
「そういえば、ロイドとレティーシャ様ってどっちが強いんですか?」
「ん? 私とロイド?」
「はい! 同じ師匠の下で修業をしていたと聞いて、どうしても気になってしまって」
「私とロイド、どっちが強いか。そうだなぁ……」
現在世界に存在する三人の大賢者。
彼らの中で誰が一番強いかというのは、当人を除けば誰も知らないことだ。
だから、アイラが気になったのも仕方がないだろう。
アイラの問いに、レティーシャは顎に指を当てて天井を見上げ、考える。
その最中、これまでずっと黙っていたフィルが声を発した。
「そんなの、お師匠様の方が強いに決まっている。お師匠様が臆病者に負けるはずがない」
「――!」
フィルはアイラに対して、侮蔑を含んだ声でそう言い放つ。
あまりの言い草にアイラは思わずむっと表情を険しくしてフィルを睨み返す。
その二人に、レティーシャは割り込んだ。
「こ、こら、フィル! そんなこと言わない!」
「……ごめんなさい」
「まったく……ごめんね、アイラちゃん。フィルは、私のことになると張り合うことが多くて。悪い子じゃないんだけど」
「こちらこそすみませんっ、私もつい……」
レティーシャの謝罪に、アイラもまた頭を下げる。
自分もロイドをバカにされて少し頭に来たのだ。そういう意味ではフィルと一緒だ。
平素からロイドをバカにしている自分が、他人にバカにされたぐらいで何を怒っているのだと思いもしたが、やはりロイドのことを何も知らない人にバカにされると胸がざわめく。
ロイドがどしようもなく自堕落な生活を送っている落ちこぼれ大賢者であることは、一緒に暮らしているアイラ自身も認めるところではあるが。
「そうだなぁ、私とロイドのどっちが強いかは考えるまでもないんだけど……私も弟子の手前意地があるからね~」
「……?」
「ま、気になるならロイドに聞くといいよ!」
「わかり、ました……」
レティーシャはそうはぐらかせ、アイラはそれに曖昧に頷く。
「ん? これは……」
いよいよ魔力水を作成する作業に入ろうと水を入れるための小瓶を探し出したレティーシャが、ふとテーブルの上に置かれている紙の束に目を向ける。
それを手に取ると、彼女は碧眼を細めてそこに綴られている文字を読んでいく。
そして、首を傾げた。
「どうしてロイドはこんなものを……」
「あの、どうかされましたか?」
「ううん、なんでもないよ。これってアイラちゃんのものじゃないよね?」
アイラが声をかけると、レティーシャは首を振り、それから手に持っている紙の束の持ち主を聞く。
「はい。この工房にあるのは基本的にロイドのものですから……」
「そっか、ありがと。さて、いい加減作業にとりかかろうかな」
そう呟きながら、レティーシャはフードのポケットからごそごそと一本の棒を取り出す。
それはただの棒ではなく、先端には小さな赤い鉱石が取り付けられている。
「それが、レティーシャ様の杖……」
ロイドのものとは違い、二本の指で持つことのできる小さな棒を見て、アイラはそう零した。
レティーシャはアイラに微笑み返すと、小瓶に水を入れ、杖を向けて魔力を流し込んだ。
◆ ◆
「アイラちゃんはこの家のことを全部してるんだね」
魔力水の作成を終えて、再び応接間にてお茶と共にだされた焼き菓子に舌鼓を打ちながら、レティーシャは対面に座るアイラにそう声をかけた。
「見ての通り、ロイドが何もしないので自然に……。そういうレティーシャ様はどうしているんですか?」
「私たちはそもそもどこかに定住することがないからね。いつもどこかの宿に泊まるか野宿だからそういうことをする必要がないんだ~」
「た、確かに……」
レティーシャの返事で、アイラは頷く。
大賢者のみならず、力のある殆どの賢者たちは魔人を倒す日々を送っている。
だというのに、大賢者であるロイドが一つの家に三年間も定住していることの方が特殊だろう。
「そういえばアイラちゃんっていくつ?」
「十七、です」
「あ、フィルと同い年なんだ。そっかー……、うん、フィルもそろそろアイラちゃんみたいに家事をできるようにならないとね」
「フィルはお師匠様みたいに強くなりたいだけ。……家事なんて、そんなものは強さを捨てた人がすればいい」
「もう、フィル! ……こほん。ロイドはいつもどんなことをしているの?」
フィルが先ほどと同様にアイラを挑発するような返事をする。
そんな彼女を諌めながら、レティーシャはわざとらしく咳をついてから話を変えた。
その話題を受けてアイラは「そうですねー」と視線を上にあげて振り返る。
「いつもはずっとダラダラしています。今みたいに寝ていたり」
「ずっと? 昔はロイド、そんなにダラダラすることはなかったけどな~」
「でも、時々私と一緒に近くの森まで行って魔法の修行をしたりします」
「そっかぁ。うん、ロイドもちゃんと師匠をしてるんだね~、感心感心」
あれを師匠と言えるのかどうか……と、アイラは苦笑いを交えながら零す。
「そういえば昔はって言いましたけど、ロイドって昔はどんな人だったんですか?」
「どんな人……そうだね、うん、一言で言い表すなら理想だったかな」
「理想……?」
「そう、理想。大賢者として、英雄として、まさに人々の理想の存在で、在り方だったよ。敵を倒しては次の敵を追い求め、また倒しては次の敵へ。休むことなくあらゆる所へ人々を救いに奔走してた。まぁ、だからこそ大賢者という称号を得ることができたんだけどね」
嘘だ、と言いかけた口をアイラは閉じた。
彼が自堕落な生活を送るのを三年も見ていたせいか、たった今レティーシャが口にしたかつての彼を否定しそうになったが、他でもないアイラ自身が人々を救うために戦うロイドの姿を目にしたのだ。そして、彼に命を救われもした。
複雑な表情を浮かべるアイラを見て、彼女の心情を察したのか。レティーシャもまた悩まし気に呟く。
「だから私も、各所を回っていて耳にするロイドの噂に疑問を抱いてたんだよ。私の知るロイドは決して臆病者なんかじゃないから」
師匠であるレティーシャの呟きを聞いて、隣で座っているフィルは顔を顰めた。
「ま、それもあって今日この家に来たんだけどね。肝心のロイドは寝ちゃってるけど」
「起こしてきましょうか?」
「いや、いいよ。どうせ夜になったら起きるでしょ? それまでもうちょっとだけアイラちゃんと話をしていたいな」
大賢者の一人にそう言われて、アイラは断る言葉を持ち合わせていなかった。