六話 『レティーシャの頼み』
「あー、すまん。もう一度言ってくれるか」
応接間の真ん中に、テーブルを挟んで向かい合うように置かれた二つのソファ。
その片方のソファにロイドとアイラが、そしてもう片方にレティーシャとフィルが座る。
アイラが淹れた紅茶の入ったカップを持ちながら、ロイドはたった今レティーシャが口にしたことを眉を寄せながらもう一度言うように頼む。
それを聞いてレティーシャは仕方がないなあといった様子で同じことを繰り返した。
「だから――少しの間だけ私の弟子のフィルをこの家で預かっていてくれないかな?」
「なるほど聞き間違いじゃなかったか……」
ティーカップを置いて眉間の皺を指で摘まむと、ロイドはうな垂れるようにソファの背もたれに体重を預ける。
それから呆れを含んだ眼差しをレティーシャに向ける。
「取りあえずお前がわざわざ俺のところまできた理由はわかったよ。けどな、なんだって俺がお前の弟子を預からないといけないんだよ」
「うん。実は少しマグニド共和国に行くことになったんだけど……あ、マグニドってわかるよね」
「ああ。ユナイレジス連邦の南にある国だろ?」
ロイドの返答にレティーシャは「そうそう!」と頷く。
今ロイドたちがいるアイデル王国の東側に隣接しているユナイレジス連邦。その下にはマグニド共和国という大陸最小の国家が存在する。
とはいえ、魔族との争いの果てに統合に統合を繰り返したことで、人が作る国はこれらを除けばオルレアン大陸東部に位置するビルカニア帝国しかないが。
「で、どうしてお前がそのマグニド共和国に行くことになったんだよ」
「それが、マグニド共和国の放棄されたとある要塞に魔人が立て籠もっているみたいなんだよ。私はその増援に行くってわけ。今まではそういうところにもフィルを連れて行っていたんだけど、今回は少し手強いみたいなんだよ」
「はー、なるほどなるほど。いや、ご苦労様です!」
魔人の討伐を行うレティーシャに、ロイドは手を合わせて拝む。
それをレティーシャは「うむ、苦しゅうない!」と胸を張っておどけ返すが、それを傍らから見ていたアイラは唇を尖らせる。
「でも弟子のことが心配なら、マグニドに入ってすぐのところに宿でも借りておいたらいいだろ? ここからマグニドまで片道十五日ぐらいはかかるだろ? 何もわざわざ俺のところに預けに来なくても」
「いや~、だってほら、相手も中々の手練れみたいだからね。万が一のことがあると宿に預けておくだけでは心配でしょ?」
「――――」
彼女が言わんとしていることは、その言葉で十分に理解する。
大賢者であるレティーシャのことだ。最早魔人如きに後れを取ることはないだろうが不測の事態を考慮して誰か頼れる人に預けておこうという算段らしい。
「でも別に俺じゃなくてもいいだろ。お前は俺なんかよりも人脈があるだろうし、えーっとフィルだったか。フィルの知っているところに預けてあげた方がよかっただろ。こんな初対面のやつの家になんてお前も嫌だろ?」
レティーシャの隣で静かに話を聞いていたフィルにロイドは視線を向ける。
言葉を振られて一瞬驚いた彼女は水色のツインテールを揺らしながら、答える。
「別にフィルは気にしていません。お師匠様がそうしろというのなら、従うだけです」
「な、なんて素直な子なんだ! レティ、いい弟子をもったなぁ!」
「でしょ~! 自慢の弟子よ」
ロイドの言葉にレティーシャはフィルの頭を優しく撫でながら胸を張る。
撫でられたフィルは嬉しそうに表情を緩めた。
「ちょっとロイド、今何気に私のことをバカにしませんでしたか……」
「へ? いや、してないしてない。ホントホント」
隣からジト目で睨んでくるアイラの視線を、明後日の方向を向いて口笛を吹くことで躱す。
ロイドのその態度にアイラは「む~」と唸りながら腰をつつく。
「やめ、やめろっ! くすぐってえ!」
「私は素直な子じゃないですから!」
「悪かった、悪かったから拗ねるな!」
その時、突然応接間にクスクスと笑う声が響き、アイラとロイドは諍いをやめて声がした方をみる。
するとレティーシャがお腹を押さえて笑っていた。
「仲良いね、二人とも。特にロイドは昔っからまったく変わらないんだから」
「……昔のことを引き合いに出すなよ。取りあえず話を戻すと、フィルを一月ほど預かっておけばいいんだな」
「うん、そう。良い子だから迷惑をかけることはないと思うよ? 魔法の修行は私がいない間はロイドが教えて置いてくれてもいいし」
「たくっ、わかったよ。この借りは返してもらうからな」
「ありがと。期待しておいてくれていいよ」
ロイドの快諾に、レティーシャは両手を顔の前で合わせて片目を瞑る。
幼馴染の変わらぬ態度にロイドは思わず頬を緩めた。
「今日は泊まっていくのか?」
「泊まっていこうかな。色々とつもる話もあるしね。明日の朝に発つことにするよ」
「そうか……、アイラ、客間は空いてたよな?」
「は、はい! 後でベッドのシーツも敷いておきます」
ロイドはアイラに「頼んだ」とだけ言葉を告げて、ソファから立ち上がる。
そんなロイドに、思い出したようにレティーシャは声をかけた。
「そうだ、魔力水の補充をしておきたいんだけど、工房を貸してくれないかな?」
「魔力水? 俺たちには必要ないだろ?」
「私用じゃないってば。要塞にいる人たちの分だよ」
レティーシャに苦笑気味に言われて、ロイドは「なるほど」と頷く。
魔王を討伐してからというもの三年間も引き篭もっていたロイドは、つい戦場にいる他の仲間の存在を忘れていた。
「そうか、そういうことなら好きに使ってくれていいぜ。工房は後でアイラに案内してもらってくれ。――じゃ、俺は」
「うん? 寝るの?」
「おう。あ、そうだレティ。俺を起こしに来ないようにアイラを拘束しといてくれ。幼馴染からの頼みだ」
「ふふっ、りょーかい。じゃあアイラちゃんとは色々とお話ししとこっと」
「色々ってなんか怖いな。……ま、それじゃ後のことは任せた」
アイラに視線を送ってロイドは応接間をでようとする。
そんな彼の背中にレティーシャは真剣な声を投げた。
「――大丈夫?」
「……! ああ、大丈夫だよ」
レティーシャの発した言葉にロイドは目を見開く。それから小さな笑みを浮かべて一言呟き、今度こそ応接間をでた。
そんな彼を、レティーシャは眉を寄せて見つめていた。