四話 『早朝の来訪者』
早朝、玄関が叩かれる音でロイドは目を開いた。
下の階からアイラが玄関へ駆けつける足音と声が聞こえ、ロイドは来訪者の応対を彼女に任せて再び寝ることにした。が――
「ロイドー、お客様です」
「……俺は今家にいない」
「バカなことを言わないでください。お客様をお待たせしたら失礼ですよっ」
「こんな朝早く訪問してくる方が失礼だろ……、たくっ」
階段を上がり、部屋に入ってきたアイラにロイドは無気力な声で返す。
そしてやれやれといった調子でのそりと起き上がった。
最近は暖かくなってきたとはいえ、朝はまだ肌寒い。
ベッドのすぐ横にある窓から半開きの目で外を見ると、ちょうど朝日が昇り、小鳥たちがちゅんちゅんと鳴いていた。
「……で、お客ってのは?」
寝間着を脱ぎ、ベッドに乱雑に放りながら適当な服を着る。
それからフード付きの黒いローブを手に取り、ドアの近くで静かにロイドが支度を終えるのを待っていたアイラに聞く。
「いつもの勧誘です。今日はアイデル王国の方みたいですよ?」
「またかよ、ご苦労なこった。……ていうか、アイデル王国は一昨日断ったばかりじゃないか?」
「何度も足を運べば折れると思っているんじゃないですか?」
「折れない折れない。俺の鋼の意思を舐めるなよ。絶対にこの家をでないぞ」
「誇らないでくださいよ……」
相変わらずの調子のロイドにアイラはため息を吐く。
「あ、ちょっと待ってください」
「ん……?」
ようやく着替え終わったロイドが部屋をでようとして、アイラはそれをとめる。
疑問の声を漏らしながら振り返ったロイドに、アイラが頭を下げるように言ったので大人しくそれに従う。
「お客様はこの国の宰相様なんですから、身だしなみには気を遣ってくださいよ」
「俺としては嫌われた方がいいんだが」
「そういう問題ではありません!」
寝癖のついたままの髪を、アイラが手で整える。
それから少しして、「よし!」と笑みを浮かべた。
そしてすぐさま「はい、行きましょう!」とロイドの背中を押す。
「だーっ、逃げねえから押すな、押すなっつの」
弟子の甲斐甲斐しい世話を鬱陶しそうにしながら、そのままロイドはアイラと共に一階へと降りて行った。
◆ ◆
「っ、いやぁロイド様、早朝から申し訳ありませんな」
「そう思うならこんな時間に来るな、いでっ……、おい何すんだ」
一階にある応接間にロイドが顔を出すと、室内に通されソファに腰掛けていた一人の壮年の男性が立ち上がりながら笑みを張りつけて頭を下げてきた。
それに対してロイドは思ったことをそのまま返すが、後ろにいたアイラに背中を摘ままれて振り返り、彼女を睨む。
そんなロイドの視線をアイラはそっぽを向くことで躱す。
「いやはや、そう言われれば返す言葉もありませんな。しかし私も昼間は色々と立て込んでおりまして、どうしてもこの時間にしか顔を出せんのです」
男の弁明を聞きながら、ロイドはテーブルを挟んで彼の対面のソファに深く腰掛けた。
目の前の男は、アイデル王国の国王の側近、宰相を勤めるマウリス・ド・ファリドール公爵だ。
白髪の混じった茶髪は丁寧にオールバックで整えられている。
歳の割に顔に刻まれた皺などから日々の苦労や激務が見てとれるが、紅い瞳には若々しさがある。
「そんなに多忙なら尚のこと、なんの成果も生み出さないことに時間を使わない方がいいと思うけどな」
「成果が生まれるか否かはあなた様のご返答次第です。できれば私の時間を有意義なものにしていただけるといいのですが」
「それは無理な話だな。――っと、サンキュ」
話しながら、アイラがテーブルに乗せた紅茶の入ったカップを礼を言いながら手に取る。
先日とまったく変わらないロイドの弁に、マウリスは疲れたように大きくため息を吐いて肩をすくめた。
「私には理解できませんな。この話はあなた様にとって悪い話ではないと思うのですが……」
「良いか悪いかを決めるのは俺だ」
「……やれやれ、どうしてもお受けいただけませんか。――我がアイデル王国公爵位の叙爵を」
「しつこいぞ」
ロイドの明確な拒絶の言葉に、マウリスはため息を吐きながら小さく首を横に振る。
「何故そこまで執拗に叙爵を断られるのですか。領地を治めるのが面倒だということであれば、別の者に統治を任せてもよいのですよ?」
「そういう問題じゃないんだよ。なあ、あんただって俺が拒む理由をわかって言ってんだろ?」
「――! ……仰っている意味がわかりかねますな」
「そうか、あくまでしらを切るんだな。まあいい。とにかく俺は叙爵の話は受けない。別にアイデル王国を嫌ってるってわけじゃない。俺はどこの国からの誘いにも乗らねえから、まあその点は安心してくれてかまわないさ」
「…………」
飄々とした口調ながらも、ロイドは真っ直ぐとマウリスを見つめて言い放つ。
その言葉に宿った強い語気から、最早返事は変わりそうにないと察したらしい。マウリスはゆっくりと腰を上げる。
「また来ます」
「来なくていいって。結果は万が一にも変わらねえんだから」
部屋をでて玄関まで向かおうとするマウリスの案内をアイラが務める。
二人がでて静かになった応接間で、ロイドは深く息を吐いてソファに全身を預けた。
「たくっ、人間ってのはどうしてこうも強欲なんだか……」
その呟きには怒りよりも哀しみと虚しさが含まれていた。
暫く天井を見上げていると、応接間のドアが再び開かれる音と共に、アイラの声が響いた。
「本当によかったんですか?」
「あー? 何が」
「折角のお話を断って、です。だって公爵ですよ、公爵! すごいじゃないですか!」
「はぁ……これだからガキは」
「私はガキじゃないです、十七です!」
「あー、はいはい。わかったわかった」
アイラの言い分をロイドは面倒くさそうに躱すと、ソファから立ち上がって歩き出す。
そのまま応接間をでようとする彼の背中をアイラは追う。
「いいか、どうしてアイデル王国だけじゃなくて他の国も俺に爵位を与えようと躍起になってるかわかるか?」
「それは、大賢者だからじゃないですか?」
「ま、半分正解ってとこだな。いいか、爵位を貰うってことはつまりはその国の臣下になるわけだ。例えば俺がアイデル王国の公爵位を受け取ったなら、アイデル王国は俺を所有したということになる」
階段に差し掛かり、ロイドは少しだけ振り返る。
「自分で言うのも恥ずかしいが、俺はそこらの賢者よりは腕に覚えがある」
「……否定はしません」
「でだ、そんな俺を所有している国に他国が喧嘩を売れると思うか?」
「! なるほど、それでロイドは宰相様にあんなことを聞いたんですね」
「そういうこった。向こうも俺が爵位を受け取るのを断る理由なんてとっくに検討ついてるだろうさ。まったく、魔王がいなくなった途端これだからな」
争いはなくならねえなあと他人事のように呟きながら、ロイドは自室のドアノブに触れる。
「じゃっ、俺は寝るから後は任せた」
振り返り、後ろについてきていたアイラに満面の笑みでそう告げてドアを開ける。
そして一目散にベッドにダイブした。
「……! 折角起きたんですから、動いてください!」
直後、ベッドで丸くなったロイドの上にアイラは覆いかぶさった。
肺から無理やり空気を押し出されたロイドは、堪らずベッドから転げ落ちることとなった。