三話 『潜む魔獣』
グルルルゥ……と唸り声を上げながらロイドたちを取り囲むのは黒いオーラ――瘴気を纏った獣たち、すなわち魔獣だ。
人が住むオルレアン大陸からテルミヌス海を挟んだ東側。魔族に支配されし呪われた大陸ディアクトロ大陸の最東端にそびえ立つ魔界樹が放つ瘴素。
それを取り込んだ動物たちは瘴素によって遺伝子そのものが破壊され、変質し、凶暴化する。
その凶暴化した動物が俗に魔獣と呼ばれる存在だ。
魔獣に理性はない。残されたものは唯一、破壊という本能だけだ。
故に、魔獣は人を見つけると殺すまで追ってくる。
「まだ変質して間もない魔獣か。なら、そう手こずることもないな」
崖を背に、アイラの前に立ち、ロイドは元狼の魔獣を見てそう断ずる。
ロイドの言葉を理解していなくとも、彼が言葉を発したことで魔獣の興奮が高まる。
そして――、一体の魔獣が瘴素によって変質した異常な膂力を以って、一跳びでロイドの首元へと襲い掛かる。
「おっと、これはまた威勢のいい魔獣だ」
ロイドは落ち着いた声色で魔獣の行動をそう評し、焦ることなく杖の先端から魔法陣を展開して魔獣の牙から己を護る。
そして――
「《其は世界の理を示すもの、摂理を司り、万物を支配するもの。我は請う、理を外れしものに、裁きの理を》」
詠唱と共に天から稲妻が降り注ぐ。その光は一瞬にして魔獣を灰に帰した。
「すごい……」
思わず後ろから見ていたアイラは感嘆の声を漏らす。
ロイドの放った魔法は、近距離にいた魔獣だけを正確に貫いた。
これほどの制御はアイラなどには到底できない。
もし今のを自分もしたなら、稲妻は己までもを焼き尽くしたに違いない。
「ふっふっふ……、どうだ、これが俺の実力だ」
「――っ、気持ちの悪い笑顔を浮かべていないで、魔獣に集中してください!」
「へいへい。たくっ、可愛くねえなあ」
アイラの呟きを拾ったロイドが振り返りながらニマニマとした笑みを送ってきた。
思わずアイラは顔を真っ赤にして、魔獣との戦闘に集中するように叫ぶ。
そんな弟子の態度にロイドは肩をすくめながら、言われた通り残る魔獣に視線を向けた。
「さて、じゃあまあさっさと終わらせるか」
その呟きの後、幾本もの稲妻がグランデ大森林に降り注いだ。
◆ ◆
「だぁ~、動いた動いた」
現れた魔獣を一掃し、ロイドは達成感に満ちた言葉を漏らしながら両腕を伸ばしていた。
そんなロイドをジト目で見つめながら、しかし先ほど戦っていた彼の姿を思い浮かべてアイラは悶々とする。
「しっかし、世界樹からそう遠くないこの場所にこんだけの魔獣が出現するとはな。今まで潜伏していたってことか。そう考えると、アイラがバカやったのも結果オーライだったかもな」
「バカやったって……事実ですけど……」
ロイドの口振りにアイラは不満そうに頬を膨らます。
それから彼の言葉が気になり、小首を傾げた。
「ところで、結果オーライというのはどういう意味なんです?」
「……ん、おやぁ、知りたいか? んん?」
「別にいいです!」
「おいおい、冗談だっつの。そう拗ねるな」
膨れっ面でそっぽを向くアイラをロイドは慰める。
そうしてから、アイラの問いに答え始めた。
「世界樹のことはもう知ってるよな」
「もちろんです。魔法を行使する際に必要な魔力。それを生成するために不可欠な魔素。それを大気中に放出する大樹のことですよね?」
「そうだ。アイラはまだ見たことがなかったか。世界樹はグランデ村から南下したところにあるんだが……世界樹からそう遠くないこの辺りは魔界樹が放つ瘴素より魔素の方が大気中には多いだろ」
「そうですね」
ロイドの説明にアイラは頷く。
「だからこそこの辺りには瘴素によって魔獣となった動物は少ないはずだ。でも今現れた魔獣の数は明らかに異常だった。ほら、これで意味がわかっただろ?」
「――――」
ロイドの問いにアイラは考え込む。
わからないと返してロイドにさらに説明を乞うてもよかったが、彼が「これでわからなかったらバカだ」と挑発してくるような笑みを浮かべていたので、自分で答えに辿り着いてやると意地になる。
そうして暫く考えてから、
「……潜伏」
「ん?」
「つまり、今までわずかながらの瘴素を取り込んで魔獣となった動物たちが森の奥に隠れてその数を増やしていた。それが今回の私の……その、失態で存在を露わにすることになった。このまま潜伏していればさらに凶暴化していたであろう魔獣たちを早期に発見することができたから、結果オーライと言ったんですね!」
「まあそういうこった。いやぁ、今回はホントお前の失態に感謝だな」
「失態を強調しなくていいです!」
ロイドの意地悪に顔を羞恥で赤く染めながらアイラは彼の胸をポカポカと叩く。
それを笑いながらロイドは受け入れた。
「さて、ということで俺からの講義はこれで終わりだ。お前は引き続き修行に励め。――いいか、失敗から学べよ。今回の失敗からお前が学ぶべきことはふたつ。魔法の威力をきちんと制御する。不測の事態に陥ったときに頭を働かせる。いいな」
「はい! ――って、また寝るんですかっ」
「疲れたんだよ。大丈夫だ、ちゃんと見てるから」
ヒラヒラと手を振って再び地面に横になるロイドを見て、アイラはため息を吐く。
だが、その後に小さく笑みを浮かべる。
普段はどうしようもないほどにダメ人間だけれど、彼はきちんと弟子である自分を見守ってくれている。
そのことを再認識し、アイラは胸の前でギュッと強く手を握り、それから再び魔法の修業を始めた。