プロローグ 『とある少女の追憶』
ご閲覧いただきありがとうございます。
「……ぁ」
押し潰された家屋の下敷きになりながら、少女は瓦礫の隙間から僅かに見える真っ赤な空へと手を伸ばした。
頭から流れる血で染まった視界には、空へと昇っていく黒煙が見える。
この日、この瞬間、少女の日常はあまりにも唐突に奪われた。
家も、家族も、友人も、村も、そして今、唯一残った少女の命さえも――。
「おーっとー? まだ生き残りがいやがったか。見逃すところだったぜ、あぶねえあぶねえ」
少女の視界を、全身から黒いオーラを放つ男の姿が覆う。
男は瓦礫の隙間から伸びた手を見て、少女の存在に気付いた。
そして、命の灯火が消えようとしている少女の姿を見て、嗜虐的な笑みを浮かべて舌で唇を濡らす。
この男こそ、少女が暮らすこの村を一瞬で破壊した張本人。災厄の原因。人類の敵――魔人だ。
魔人は今の今までなんとか生き残っていた少女に手を伸ばす。
その手には一層どす黒いオーラが纏わりついていて、誰の目から見ても魔人が少女の命を奪わんとしているのは明らかであった。
「っ、ぅぁ……」
だが、それを前にして無力な少女は苦悶の声をあげることしかできない。
抵抗する力など、彼女には一切残されていなかった。
そして、魔人の手が少女に触れようとしたとき――
「ぐがぁ……ッ!!」
魔人が突然、地面に押しつぶされた。
魔人の立つ地面に突如として出現した白く光る魔法陣。
光は増していき、それに比例して魔人はさらに地面にめり込む。
そしてその力に耐えられず地面が割れていく。
「そこまでにしておけよ、ド畜生が」
その光景を怒りに満ちた瞳で見つめながら、一人の青年が空から魔人にそう言い放った。
「き、貴様ぁ……! 人間風情が、俺の邪魔をするなど……!」
青年の声でその存在に気付いた魔人は、怒りをあらわにして青年を睨み返す。
そして右手から黒いオーラを放出し、魔法陣に触れた。
突如、白く発光していた魔法陣はガラスの割れるような音を立て、白い燐光となって辺りに霧散する。ようやく拘束から解放された魔人は立ち上がり、空から自分を見下ろす人間へ吼える。
「《消えろ、朽ちろ、滅びよ》、――死ねぇ!」
強烈な呪詛と共に、魔人は咆哮する。
直後、魔人の全身から放たれる黒いオーラが膨れ上がり、空を舞う男へ黒い光の束が放たれた――。
だが、それを、
「うるせえ、お前の相手をしている暇なんかねえんだよ」
青年はその脅威をどうでもいいと切り捨て、身に纏う黒いローブを靡かせながら右手に持つ杖の先端を黒い光の束へと向ける。
瞬間、杖の先端から先ほどと似た魔法陣が出現し、盾となって魔人の放った攻撃から青年を護る。
「ッ、バカなッ、あり得ない……!」
自らの放った一撃がいともたやすく無力化され、魔人は驚愕のあまり硬直する。
そしてその一瞬の硬直の間に――勝敗は決していた。
「《其は世界の理を示すもの、摂理を司り、万物を支配するもの》」
「――!」
「《我は請う、理を外れしものに、裁きの理を》!!」
青年が憎しみの籠った声色で詠唱を言い放つと同時に、魔人の上空に黒雲が現れ、そこから稲妻が降り注ぐ。魔人はそれを防ぐべく両手を天に掲げた。
「《消えろ、朽ちろ、滅びよ》!」
稲妻を相殺せんと、黒い光の束を放つ。だがそれはいともたやすく猛烈な光の奔流に飲み込まれ――稲妻は魔人に降り注いだ。
「ぐ、ぐぁぁぁあああッッ!! バカなッ、何故人間如きに、この俺がぁッ!」
魔人とは人を超えた超常の力を持つ者。魔人一体を倒そうものなら国が動くレベルのものだ。それを単独で倒し得るものがいるとすれば――
「ッ!」
全身を稲妻で焼かれながら、魔人は何かに気付いたようにハッとした表情で己を見下ろす青年を睨みつける。
「この、魔力……そう、か、貴様が、貴様があの大賢者かぁッ!! ――後悔するぞ、きっと、我らが王が貴様を呪いこ――」
魔人の最後の咆哮は降り注ぐ轟音の中でかき消され、魔人もまた塵となって消え失せる。
村一つを破壊し尽くした脅威は、こうして一人の青年の手によって一掃された。
「――――」
魔人が消えると同時に、青年がすぐさま地に降り立ち、家屋の下敷きになっている少女の下へと歩み寄る。
そうして瓦礫の中から少女を救い出すと、少女の体の至る所にそう浅くない傷があり、そこから血が流れ出ているのに気付いて青年はそこにソッと手を当てて呟いた。
「《其は世界の理を示すもの、摂理を司り、万物を支配するもの。我は請う、理に従いしものに、慈悲の理を》」
「……!」
不明瞭な意識の中で、少女は思わず目を見開いた。
自分を温かな光が包み込んだと思うと、今まで抱いていた猛烈な痛みが一瞬で消え去ったからだ。
そのことに驚き、それを為したであろう青年を見て再度驚いた。
「……すまない」
青年が自分に頭を下げながら涙を流し、悔しさの入り混じった謝罪の言葉を自分に向けて口にしたからだ。
「あり、がとう……」
血と体力を失ったからか、あるいは助かったことに安堵してか。
薄れゆく意識の中で、少女は掠れた声で男に感謝の言葉を告げた。
その言葉を耳にした青年はハッと頭を上げて少女の顔を見る。それから何かに堪えるような表情を浮かべると、同時に少女を強く抱き寄せた。
そしてまた、謝罪の言葉を口にし始める。
すまない、すまない、すまない――と、
永遠とも思えるほどに繰り返されるその言葉を聞きながら、少女はついに意識を手放した。