わんちゃんといっしょ ~本当に犬かもしれない~
「なんか噛み付きてぇ」
突然クロが言ったのでドキッとした。
やっと暑い夏が終わって、外の気温が気持ちよくなってきた頃だ。僕は青ざめて言った。
「……発情期にはまだ早いんじゃないかなぁ」
「そうだけどよ。最近歯ごたえのねぇ物ばっか食ってるような気がする」
言われてみてから気が付いた。そういえば僕の好物は茶碗蒸しとかオムライスとか、なんだか柔らかいものが好きだ。なので自然と作るものも食感が似通ってくるのかもしれない。
「えっと……そう言われてもな……あ、ガム食べる?」
僕は通学に使っているカバンから、常備しているシトラス味のガムを一粒クロに手渡した。
「……?」
クロはガムを食べた事がないらしく、物珍しそうに眺めていた。が、僕の顔を見て食べ物だと悟ったようだ、ためらわずに口の中へ放り込んだ。しかし……三回くらい噛むと、いきなりペッとフローリングに吐き捨てた。
「ああっ、ちょ……!」
クロは僕を上から脅すように言う。
「俺の牙をナメてんのか? ああ?」
「ひぇ、なんかゴメン」
「何をしているのですか!?」
その会話を聞いていたのか、シロが洗面所から怒ったような表情でリビングへ入ってくる。
「クロ! あなたはまたマスターを困らせて」
そう言った瞬間にシロは「きゃああ!」と飛び上がった。今まさに、クロが吐き捨てたガムを踏んでしまったのだ。足の裏にねばっとした物体がついてしまったシロは、途端にパニック状態になった。
「なんですかコレ!! なんなんですか!? いやあぁぁ!!」
「し、シロ落ち着いて! 今取ってあげるから!!」
尻もちをついて慌てているシロに、ティッシュで足の裏を拭いてあげた。
「ほら取れた。もう大丈夫だからね」
「はぅ……ありがとうございます」
シロは涙目で言う。
「なんだったのですか、今の……」
「ああ、ガムだよ。今クロにあげたんだけど、気に入らなかったみたいで」
「ひどいですクロ!! マスターからいただいたものを!!」
「そうだよ、せめてゴミ箱に捨ててよ!」
僕たち二人の攻撃にも、クロは強気で嘲笑する。
「はっ、俺は噛み付きたいって言ったんだぞ。あんなヤワいもんで満足できるか」
僕は背伸びしてクロに迫った。
「それにしても酷いよ!! ごみはゴミ箱に捨てて!!」
強く言うと、さすがにクロは不満そうに言う。
「わ……わかったよ。ちょっとイライラしただけだ」
「まったくもう……」
僕はふと窓の外を眺めた。夕陽が綺麗で、風も心地よさそうだ。
「スーパーに行こうか」
クロは意外そうな表情をする。
「スーパー?」
「うん。固いものが食べたいんでしょ? ついでに夕飯の買い出し」
「わかった」
「シロはどうする?」
シロは床にへたり込んだままだった。僕をすがるような目で見上げる。
「ええと……お外はまだ暑いのでしょうか?」
暑さに弱いシロは真夏の間、ずっと留守番をしていたのだ。
「無理しなくてもいいよ、すぐに帰ってくるからね」
頭をナデナデしてあげると、シロは心地よさそうに目を閉じる。
「……一緒に行きたいです」
「じゃあおいで」
「はいマスター」
シロは喜々として立ち上がった。クロはつまらなそうに言う。
「はん、来なくていいのによ」
「どうしてですか!?」
「別にぃ? 暑いの嫌なんだろ? 留守番してろよ」
「嫌です、一緒に行きます!」
「ち、面倒くせぇなぁ。倒れたら置いてくからな」
「倒れません!」
「二人とも、ケンカしないの」
僕は呆れながらポケットにお財布と携帯を入れた。
僕はお酒コーナーの隣で「うーん」と唸った。目の前にはおつまみがたくさん並んでいる。
固い物かぁ……クロの事だからきっと、噛み付くというより、食い千切る感じなんだろうな。
するめイカ……とか。
堅焼きせんべいととか、ビーフジャーキーとか。
思い付く限り、固そうな物をカゴに入れていると、二人は例によってドックフードを持って来た。色んな味があるらしく、小さい袋を何個も。
「こんなに食べるの?」
「色々味があるんだよ」
「あの……ダメでしたら返してきます」
シロは申し訳なさそうに言ったが、クロはなぜか偉そうだ。仕方なくため息をついた。
「ま、いいよ別に。ちゃんと食べるならね」
「いつも食ってるじゃねぇか。メシの後に」
「どうしてご飯食べた後に、更に食べるのかがわからないんだけど」
「デザートってそういうモンだろ?」
「……」
ドックフードがデザートだったとは初耳だ。つまりクロにとってその程度のものなのだろう。僕はじっとドックフードのパッケージを見つめた。ふと思い出したからだ。
そういえば、犬用のガムっていうのがあったような……いやいや、まさかね。
家に帰ってくると、僕はさっそく料理に取り掛かる事にした。なぜなら未だに料理に慣れず、時間がかかってしまうからだ。いちいちレシピを見ていると二時間くらいはかかる。今から作っても、できあがる頃には、いつもクロがしびれを切らしていた。
しかし今日は違う。ちゃんとおやつがある。
僕は台所からリビングを覗いて言った。
「時間かかりそうだから、おやつ食べてていいよ」
「お、やったぜ」
「私も食べていいですか?」
シロはなぜか興奮気味だ。
「いいよ。特に君はたくさん食べてね」
「はい!」
嬉しそうなシロを尻目に、クロはすでにガサガサと堅焼きせんべいを開けていた。
台所にいても聞こえるようなボリボリと噛み砕く音。しかしすぐに舌打ちが聞こえる。
「ちっ……歯ごたえ足りねぇ」
「これ、おいしいですよ。ビーフジャーキー? ドックフードみたいな味です」
「どれだよ」
「これです。どうぞ」
「……やわっけぇよ」
「そうですか? 十分固いと思いますが」
「もっと固てぇのはないか」
「イカさんはどうですか?」
「なんかクセェよ、それ」
「食べてみるとおいしいのですが」
「ああ、ほんとだ。でもやわらけぇな。もっとガッとこいよ。ガッと!」
僕は恐る恐るリビングを覗いた。
二人は牙を出してガリガリと齧っている。シロはビーフジャーキーが気に入ったようだが、クロは堅焼きせんべいを食べている……というより牙を研いでいるように見える。しかしすぐに飽きたようだった。
「なぁマスター、もっと固てぇのはねぇのかよ」
ごろっと仰向けに倒れてつまらなそうに言う。僕はふと不安になった。
「椅子とか机とかは齧らないでよ?」
「なんだよそれ。俺はネズミじゃねぇんだよ」
ふてくされたように横を向くクロに、僕は仕方なく最終兵器を出す事にした。
「しょうがないなぁ……クロ、これ見て」
僕はそーっと犬用のガムをちらつかせた。骨のような形をしている。
「!」
クロは仰向けに寝っ転がっていたのに、ばっと飛び起きた。
「ほーらほらほら、すっごく固いよ~?」
右に左にと、焦らすように動かしていると、クロは物欲しそうな顔でじーっと見つめている。
「ほーら取ってこーい」
廊下の方へぽいっと投げると、ダッと走って追いかけて行った。廊下に落ちている犬用ガムを拾うと、しゃがみ込んだまま、その場で齧った。ここからでは背中しか見えないが、ボリボリ、ゴリゴリとすごい音がする。薄暗い廊下でしゃがんだまま何かを食べているクロは、それなりに怖い画だった。
「あの……クロ」
「あん?」
クロは骨の形をした先端を牙でガリガリとやりながら振り返った。もちろん手で反対側の先端を掴んでいるが、本当に犬のようだ。
「き、気に入った?」
「わりと」
そう言いながら立ち上がって、スタスタと歩いて来る。手には骨を握ったままだ。
「そ、そう。良かった」
「これくらい歯ごたえがねぇとな」
牙をむき出しに噛み付いているクロを見て、僕はほっとしながらも、ちょっと怖くなった。
「クロばかりずるいです! 私のは!?」
「ご、ごめん。まさか本当に食べるとは思わなくて」
僕が焦っているとクロは口に銜えたまま、シロに顎で示した。
「反対側、食うか?」
シロは骨の形になっている反対側の匂いをクンクンと嗅ぎ、ペロっと舐めた。
「味がよくわかりませんねぇ」
と呟くと、カプッと牙で噛み付いた。しかし、その逆ではクロがゴリゴリと噛んでいるので、すぐに口を離した。
「私には固すぎます。この繊細な牙が傷付いてしまいます」
クロは意地悪く笑った。
「じゃ、俺ので文句ねぇよな」
「いいですよ別に。私はこっちの方が好きですから」
シロは細長いビーフジャーキーを牙でカミカミしている。その隣でクロは犬用ガムに夢中になった。まるで競い合うようにしてガリガリ、ゴリゴリと固い物を食べている二人を見て、やっぱり本当は犬なのかな……と僕は思った。