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かいこう!  作者: 伊東椋
6/8

酔わない人は馬鹿みたいに楽しんでる人

 校門、校舎、学生寮とこれまでは普通の学校にもあるが、北道海上女子養成学校にはこの学校にしかない設備・施設も備えている。

 それが、学校の端にある岸壁だ。学校の敷地内にある岸壁には、授業や部活動、訓練などで使用する短艇カッターの他、ヨットやボートが収められた艇庫、そしてその中でもよく目立っているのが、この船の実習船。

 岸壁に繋留された実習船の横には、既に初の実習となる一年生が背を向けて整列していた。

 「今日は貴女達にとって初めての実習を行います。その前に、我が校の船を紹介します」

 正に航海士といった制服を着用した宮古教官が、整列する作業服姿の生徒たちに後ろを振り向くように指示する。

 生徒たちが振り返った先には、小さくも堂々とした佇まいをした一隻の船が、ロープで繋がれていた。真っ白な船体に、所々に黄土色の錆付きが目立ち、船首には船名が書かれている。

 「校内練習船、『美雪丸』です。我が校最大の練習船として建造されました。貴女達には週に一度、この実習の授業で乗船する事になります」

 この時ばかりは、生徒たちの顔は素直に驚きや期待で満ち溢れていた。初めて目の前にする船。自分達がこれに乗って、実際に運航するのである。

 「わ~」

 中でもやはり一番目を輝かせているのが真帆であった。その隣にいた汐里も感心したような表情で船を見ている。

 「意外と小さいんだね~」

 「私達が乗る船としては、むしろ丁度良い大きさだろう」

 素直な感想を吐露する朱璃に、海友が最もな発言を加える。

 校内練習船、『美雪丸みゆきまる』。総トン数44トン。長さ21メートル。主機出力600馬力。北道海上女子養成学校の練習船として、生徒たちの運航に関する実習に活用されている。

 船内には航海用レーダー、自動操舵装置を始め、GPSから自動船舶識別装置(AIS)、シリングラダーなど、大型船とほぼ同様の設備を備えている。

 「この船は船舶運航の基本的動作を身につける実務者養成のための重要な教材です。貴女達には実際に機関を動かし、舵を取り、運航してもらいます」

 生徒たちの顔に緊張が走る。

 その雰囲気を見届けた宮古は、全く変化を見せない表情で、号令をかけた。

 「では、かかれ!」

 「かかります!」

 号令に復唱し、生徒たちが一斉に船へと乗り込んだ。



 生徒たちはあらかじめ分担した持ち場に基づいて、各々の作業を始める。

 真帆と汐里は船橋ブリッジ。朱璃と海友は機関室エンジンルームへ。

 まず船を出航させる前に、エンジンを始動しなければならない。しかしエンジンを始動するにしても、車のようにはいかない。

 まずは点検。異音が無いか確認したり、温度や圧力計などのゲージを見たり、オイルの状況も見る。

 「うう、臭い~」

 「我慢しろ」

 オイル棒の先端に着けた油を見、朱璃は鼻を摘まみたい衝動に駆られた。それを海友が戒め、全ての点検を終了する。

 今度は監視室内に戻って、発電機の切り替えだ。

 繋留している船は、陸上とケーブルを繋いで電気を賄っているので、出航する際は船内の発電機へと切り替えなければならない。

 「えーっと、どこを押すんだっけ?」

 配電盤はまだ見慣れない生徒たちにとっては複雑怪奇だ。何処をどうすれば良いのかわからなくなる。

 しかし発電機は複雑にして単調なので、誤りは許されない。

 「そのT字のスイッチを引っ張るんだ」

 海友の指摘に、朱璃は面倒臭そうにそのスイッチを手に取る。

 「それを右に回せ」

 「こう~?」

 「――って、逆だろ! それは左だ!」

 持ち手の部分が下を向いているので、「右」と言われて思わずその下の部分を右に向けるように回してしまった。しかしそれでは左である。朱璃の間違いに、海友が慌てて右に切り替えようとするが、無情にもピーッと言う警告音が鳴った。

 「ほら見ろ、止まったじゃないか! もう一度やり直しだ」

 「え~」

 機関室ではちょっとした(?)トラブルが起こったが、発電機はすぐに陸上から船内電源へと切り替えられた。

 そしていよいよエンジン始動。ディーゼルエンジンが唸りを上げて回り出した。

 「うるさい~」

 「我慢しろ」

 ブリッジに、エンジン始動の報告が上がった。



 ブリッジは船の頭脳と言える部分である。ブリッジから発せられる命令、そしてブリッジに届く報告。ブリッジを介して、船は出航へと動き出すのだ。

 「これより舵テストを行います」

 「了解。清水生徒、準備はよろしいですね?」

 「はい!」

 船内に命令や報告を伝達する連絡役の汐里が口を開き、宮古が応え、真帆が舵を握る。

 出航前の、舵の試運転である。舵が正常に動くかどうか、見定めないといけない。

 真帆は、その手に伝わる感触を噛み締めるように、舵を握った。

 「(私、いよいよ……)」

 この船を動かすんだ――

 真帆の胸の内は、まるで膨張する御菓子のようにパチパチと弾けながら、期待と喜びで膨らんでいた。

 「スタポード10!」

 「スタポード10!」

 宮古の号令に従い、真帆は舵を右に回した。スターポードとは、右舷の事。つまり面舵である。

 一般の認識では、「面舵一杯」「取舵」などという日本語が定着していると思うが、実際の民間船舶では英語で呼称されている。

 舵角器が、10度を指した。

 「スターポード10、サー!」

 指示された角度になった時は、最後に「サー」を付けて報告する。

 宮古が頷き、次の指示を出す。

 「ポート30」

 「ポート30!」

 今度は取舵だ。10度に回していた舵を、今度は左に回す。

 舵角器を確認。左舷30度になった。

 「ポート30サー」

 「よし。ミジップ」

 「ミジップ!」

 ミジップ――これは英語表記すると、midship。一般的な発音としてはミッドシップであるが、ミジップは「舵中央」、すなわち「舵を両舷の中央に戻すこと」を指示する正式な号令であり、海事英語独特の表現となる。

 元来midshipsは「船の中央に(=amidships)」の意味の副詞である。英語としては、「舵中央の」の意味の名詞・形容詞であるmidshipと区別される。

 「ミジップ、サー」

 一連の動作を終え、舵の正常を確認する。

 「舵テスト終了しました。異常ありません!」

 「はい」

 敬礼を交わし、報告を終える。

 二人は同時に、船首が見える前を向いた。

 いよいよ、出航である。

 「出航用意!」

 真帆の号令が、連絡役の汐里を通じて各部署に伝達される。

 煌めく太陽の下、マストに校旗が掲げられた。

 「船尾トモ船首オモテ、オールライン・レッコ!」

 岸壁とを繋いでいた舫い(ロープ)を、生徒たちが外しに掛かる。レッコとは海の用語で「捨てる」「放す」などを意味する。

 全ての係船策が解かれ、船は岸壁から分離される。

 「デッド・スロー・アスターン!」

 極微速後進。船が亀のように、ゆっくりと岸壁から離れていく。

 「スローアスターン!」

 徐々に速度を上げ、船は出航する。

 岸壁から十分に離れた距離を見計らい――

 「エンジンストップ!」

 そして続け様に。

 「ハード・ア・スタポード!」

 面舵一杯。岸壁から離れた船は、右に舵を取り、その船首を海の方へ向ける。

 「デッド・スロー・アヘッド!」

 前進。そのまま流れるように、船は陸から海へと向かった。

 矢継ぎ早の指示に、生徒たちは的確に応えなければならない。船首では舫いを放した生徒たちが残り、障害物や他の船がいないか見張りをしていた。

 「こちらオモテ。前方、異常ありません」

 「了解。ミジップ!」

 「ミジップ! ……ミジップ、サー!」

 「ステディ(そのまま)」

 「ステディ、サー」

 舵中央に戻った船が、遂に出航を果たす。

 真帆は、待ち焦がれていたその言葉を口にした。

 「フルアヘッド!」

 船は全速前進、白い波を引きながら水平線の彼方へと一直線に向かった。


 

 船は出航後、学校のある北美市から隣の弥一市へと向かう航路を進んでいた。

 舵は交代で生徒が握り、真帆は出航時にもう済ませたので、今は外に出て潮風を浴びていた。

 「うーん、気持ち良い~」

 海上を駆ける船の上で浴びる潮風は、真帆の機嫌を上々にした。

 ずっと舵を握りたいと思った事もあったが、こうして外で風を浴びるのも悪くない。

 真帆は隣にいた幼馴染に問いかけた。

 「隣の弥一まで、どれくらいかかるんだっけ?」

 「確か、一時間だったと思うよ」

 実習ノートを捲りながら、汐里が答える。

 生徒たちの手元にある実習ノートには航海中に片付けなければならない課題が含まれている。自分達は乗客ではなく実習生として乗り込んでいるのだから当然だった。

 既に課題をやり始めている優等生の汐里と異なり、真帆は自由気侭に船上を楽しんでいる。

 しかし真帆とは違う理由で、課題に手を付けられない者がいた。

 「うぉえ~。気持ち悪~」

 真帆とは正反対の事を言っているのは、今にも倒れそうな顔色をした朱璃であった。

 普段から貧血気味な色をしているのもあって、その顔色の悪さは更に際立っている。

 44トンの小柄な船は結構揺れる。朱璃のように船酔いに苦しむ生徒も少なくなかった。

 「大丈夫か? しっかりしろ」

 船酔いに苦しむ朱璃を、海友が面倒を見ていた。

 「朱璃ちゃん、大丈夫?」

 「うう~。大丈夫じゃない~」

 「苦しそうだね……」

 汐里の言う通り、朱璃の苦しみ様は半端ではなかった。他の生徒たちよりもずっと酷い酔い方をしている朱璃を傍に、海友は言いにくそうに口にした。

 「実は……こいつは、乗り物にめっぽう弱いんだ。特に船はご覧の有様でな」

 「そうなの!?」

 乗り物自体に弱いという告白に、二人は驚きを隠せなかった。

 「でも、それなのにどうして船に乗ろうと思ったの?」

 「それは私にもわからん。ただ、こいつは船に弱いだけで嫌いではないんだ」

 首を傾げる汐里に、海友が呆れたような優しい微笑を浮かべながら答える。

 呻き声を上げている朱璃を、優しく擦る海友の表情もまた、どこか優しげだった。

 これを聞いた真帆が、ウルウルと瞳を潤ませる。

 「偉い! 偉いよ、朱璃ちゃん! よっぽど、船が大好きなんだね!」

 「ま、真帆ちゃん……?」

 「私、感動したよ! 一緒に立派な船乗りになろうね!」

 「うう~~~。気持ち悪い~~~~」

 「ま、真帆ちゃん。岬さん苦しんでるから、そっとしておいてあげようよ……」

 目的地の弥一に着くまで、朱璃の船酔いは続いたのだった。

船酔いしない人が本当に羨ましいです……。

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