正直言って、巻き込まれてる方です
入学式の翌日は土曜日であったが、海上女子養成学校――海校では土曜授業が実施されていた。
土曜に出てまで何をするかと言えば、それは船員の基礎中の基礎と言えるものである。
「二列横隊! 組め!」
宮古教官の号令に従い、帽子を被り、水色の作業服姿の少女たちが慌てて整列を始める。
ある者はぶつかり、ある者は躓き、それでも何とか整列を終え、気を付けの姿勢を取る。
そして一列目の端から、順番に番号を言っていく。
「一!」
一番端にいた真帆が声を上げ、その隣にいた女子から続き、十七の番号まで体育館中に響き渡る。
「……十七!」
「満! 総員三十四名、現在員三十四名、欠員零名、他異常なし!」
敬礼を互いに交わしながら、真帆が報告する。
「休め!」
宮古の号令に、直立不動の姿勢を取っていた全員が、休めの姿勢を取った。手を後ろに組み、股を少し広げる。
緊張した面持ちを見せる生徒たちを見渡し、宮古は容赦のない一刀を捧げる。
「全然駄目だ。まず岬生徒、四はヨンではなくシ、だ。波方生徒もジュウナナではなくジュウシチ。七番を聞いていなかったのか? その前に整列までの流れが全然なっていない! もっとキビキビと動きなさい!」
「はい!」
「次! 今度は清水生徒が号令を掛けなさい。欠員一名の状態で行え!」
「はい!」
もう一度バラバラになり、今度は宮古が立っていた位置に真帆が立ち、息を吸い込む。
そして宮古に似せるように、真帆が号令を叫ぶ。
「二列横隊! 組め!」
各所にわざと散らばっていた生徒たちが、再び整列しようと集まってくる。
今度は汐里が一番の端に立った。
「点呼!」
真帆の号令に従い、番号を順番に言っていく。そして最後の十七を言った直後、十六番目の後ろに立っていた生徒が一寸遅れて「欠!」と叫ぶ。
これを聞いた汐里が、真帆に敬礼しながら報告する。
「総員三十四名、現在員三十三名、欠員一名。他異常なし!」
「了解。ワカレ!」
ワカレ、を最後に一連の行動を終える。ちなみに本当に分かれはしない。練習なので。
端から見守っていた宮古が、真帆の隣に立つ。
「先程よりはマシになったが、それだけね。それより波方生徒、敬礼の仕方はさっき教えたが、手のひらを見せるな! 脇はもっと締めて、肘を前に出せ。船内だと肘がぶつかるぞ?」
その時、船の中ってどんだけ狭いんだよ……と感想を抱いた者が何人いただろうか。
そんな思考を察するように、宮古が全員を見渡しながら口を開く。
「良いか。整列点呼で使う二列横隊、防火操練などで使用する縦隊での人数確認方法、そして敬礼。特に人員確認は学校生活の基本中の基本だ。敬礼は船員としての基礎中の基礎。徹底的に体に叩き込まないといけない」
「はい!」
「よし、今度は二人の欠員で行う。波方生徒は出ろ。他はもう一度ワカレ!」
またバラバラと、ある者はひぃひぃ言いながら、同じ事を繰り返す。
体育館にはいつまでも、生徒たちの声と足音が響いていた。
「ふぁー。疲れたぁー」
学校の敷地内にある草原で、真帆が大の字で寝転んだ。
その隣に腰を下ろしたのは、汐里だ。
「でも真帆ちゃん、皆の中で一番よく出来てたよね。昨日も挨拶を褒められてたし、すごいなぁ」
「私はこの学校に入りたくて、入学する前からここのルールを学んで練習してたからね。ちょっと反則かもしれないけど」
「ううん、すごいよ。他の人には真似できない事だよ」
「えへへ。そうかな~」
素直に親友の賞賛には照れを隠さない真帆だった。
「でも整列って難しいんだね。私、上手になれるかなぁ……」
「練習さえすれば誰だってすぐにできるようになるよ。頑張ろう、汐ちゃん!」
親指を立てる真帆に、汐里はうん、と微笑む。
そんな二人の背後から、忍び寄る人影があった。
「……ああああ~~~」
「ひっ!? 何?」
突然忍び寄ってきた不気味な声に、汐里が青ざめた顔で振り返る。
仰向けに倒れていた真帆も顔を仰ぐように向けると、そこにはユラリと揺れた禍々しい幽霊が居た。
「ひぃー! お化け!?」
「誰がお化けじゃぁ~」
汐里の悲鳴に、幽霊のようなソレは、抗議をぶつける。
そして彼女は、二人の間に割って入るように、バターンとうつ伏せに倒れた。
「わっ! 誰?」
「あれ? 貴女、確か……」
真帆が驚き、汐里が彼女の見覚えのある顔を思い出す。
整列の時、一緒に注意された、彼女の貧血気味な表情を思い出す。
「岬さん……?」
「うう~~~」
返事かどうかわからないような声を発しながら、岬という名の二人の同級生は、草原に顔を埋めながら倒れていた。
そこでようやく真帆も思い出していた。いつも体調が悪そうな顔をしていたので、声を掛けた事もあった。しかしこれが常だと返され、整列の時も陰ながら心配していた記憶がある。
「本当に大丈夫? 岬さん」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ~。私、いつもこんなのだから~」
そう言うが、二人にはやはり大丈夫そうには見えない。
困り果てた二人の傍に、新たな声が加わった。
「朱璃~! お前、またそんな汚い所に寝て~!」
声の主は、すぐに二人の目の前に現れた。体育館の方から走り寄ってきたのは、作業服を着た同じ同級生。ポニーテールを揺らしながら、彼女は真帆と汐里の間で倒れている岬に声を上げた。
「そんな草っ原に顔を付けるな! 顔や服が汚れるだろうが」
「うう~」
駆け寄ってきたポニーテールの少女は、うつ伏せで倒れていた岬を無理矢理引っ張り起こす。地面から引き剥がされた岬の鼻の上には、土が付いていた。
全く、と溜息を吐いた少女は、ぽかんとその状況を傍観していた二人に気付き、慌てて謝罪した。
「あっ! ご迷惑をかけて申し訳ない! こいつは私が責任を持って連れて行くから」
「ううん、迷惑なんかじゃ。えーっと、口之津さん……だっけ?」
「ああ。口之津海友だ。二人は確か、清水さんと波方さんだったか」
「うん。憶えていてくれたんだ」
「それはこっちの台詞だ。それに、二人は入学式から特に印象に残っているからな。名前もすぐに憶えてしまったさ」
「……私まで、そんな印象に残るような?」
喜ぶ真帆の隣で、汐里が恥ずかしそうにポツリと何かを呟いていた。
「口之津さん……海友ちゃんは、岬さんと仲が良いんだね」
「こいつは腐れ縁だ。……って、海友ちゃん?」
「口之津海友ちゃんだから、海友ちゃんだよ。駄目かな?」
「いや、別に駄目なんかでは……」
そう返す海友は、頬を赤く染めていた。明らかに下の名前で呼ばれるのは慣れていない様子だった。
「私の事も真帆で良いよ!」
「……う。その……」
「ほらほら、真帆ちゃん。口之津さん、困ってるじゃない」
「……海友ちゃ~ん」
「朱璃!?」
いつの間にか、会話に参加した岬朱璃が、からかうような笑みを携えて海友を呼んでいた。どうやら海友と朱璃の関係では、海友が彼女に下の名前で呼ばれる事は無いらしい。
「お、お前! お前まで私を下の名前で呼びおって!」
「え~、良いじゃない。海友ちゃ~……イタタタッ!!」
「き~さ~ま~」
朱璃のツインテールを容赦なく引っ張る海友の攻撃に、朱璃が涙を浮かべながら白旗を振る。
「痛い痛い! ごめんなさい調子乗ってました!」
「ふん」
謝罪を受け入れ、パッと手を放す。引っ張られてバネのように巻かれてしまった二つの髪を、朱璃が大事そうに擦るのであった。
「ふざけるからだ。全く……」
「うう、ひどいよ~」
「……ほら、顔を向けろ。鼻に土が付いているぞ」
「ん」
作業服の胸ポケットから出した可愛らしいハンカチで、海友が朱璃の鼻を拭き取る。桃色のハンカチに土が付いたが、全く気にしないようにそれをまた胸ポケットに仕舞った。
「本当に二人は仲が良いんだね」
真帆の発言に、今度は海友が顔全体を真っ赤にさせる。
「そ、そんな事はない! さっきも言っただろう。腐れ縁なだけだ!」
「二人は昔から知る仲なの?」
「そうだよ~。口之津とは幼稚園の頃から一緒~」
真帆の質問に答えたのは朱璃だった。
海友はその隣で顔を赤くしたまま、黙り込むだけだ。
「そうなんだ。私と汐ちゃんも幼馴染なんだ。ね~」
「うん」
「そうなんだ~」
微笑ましく顔を見合わせる真帆と汐里を見、朱璃がチラリと隣にいる顔を火照らせた海友を一瞥する。
「……口之津、ね~」
「またそのドリル頭を引っ張るぞ」
「……まだ何も言ってないじゃ~ん」
禍々しいオーラを放つ海友に、ビクビクと後ろに引く朱璃のやり取りに、真帆と汐里は顔を見合わせ、笑った。
「二人とも、これからよろしくね」
「よろしくお願いします」
真帆と汐里が差し出した手を、海友は一瞬驚いたように目を見開き、朱璃は瞼が重そうな瞳でジッと見下ろすと。
四人の手は、何の戸惑いもなく、重なった。