一人、KYがいる
桜が咲き誇る季節である。山だけでなく、海の傍にも桜の木が並んでいるのは、そこが学校であるからだった。
更に言えば、今日は入学式である。
校門の前には両側に国旗、校旗が掲げられている。
ちなみにこの学校は一応高校と同じ位置にある学校なのだが、特定の国の教育機関の下にある学校なので、全国に点在する他の同列校と共有した校旗を使用している。
その校旗は真ん中に星のようなコンパスのマークが描かれ、更にそのコンパスの中央には桜のマークが描かれている。
それがこの学校――国立北道海上女子養成学校の誇り高い校旗。それを眺めると、本当に入学したのだと実感させられる。
そして今正にその校旗を目の前にして、噛み締めている者が一人いた。
「わー。かっこいい~」
校門の片側に掲げられた校旗を見詰め、真帆はぐっと拳を握り締める。
「私、遂にこの『海校』に入学するんだ」
ぐぐぐ、と。まるで飛び出す前のバネのように、震え出した真帆の周りを、他の入学生たちが訝しるように眺める。
「よーし、頑張るぞぉ~!」
周りの視線も構わず、真帆は校門の前でガッツポーズを掲げるのだった。
そんな真帆に、声を掛ける人物がいた。
「おはよう、真帆ちゃん」
「汐ちゃん!」
同じ海校のセーラー服を着た幼馴染が、はにかんだ表情で真帆に手を振っていた。
真帆は彼女を目の前にするや、まるで愛犬のように飛びついた。
「汐ちゃん、いよいよだね!」
「うん。今日から私達も、船乗りの卵だね」
「えへへ。そうだね。船乗りの卵って響きも、なんかイイな~」
「真帆ちゃん、この学校でもよろしくね」
「うん!」
普通、こういう場合。仲の良い友達同士が同じ高校に入学したらまず、「一緒のクラスになれたら良いね」と言うのが定番であるが、この学校では違う。
何故なら。
「でも、汐ちゃんと一緒に合格できて本当に良かったよ。倍率、どれくらいだったんだろうね?」
「一クラスしかないから、三十人ぐらいしか入れないもんね」
そう。この海校なる学校に、普通の高校のようなクラス分けは存在しない。
入学生は毎年、三十余名の人数で定められているからだ。
それも全国に点在しているものの数は少なく、地方の各都市で試験が行われているぐらいなので、希望者はずっと多い。
昨今、女性の社会進出が活発になるに連れて船乗りになろうとする女性も増えているので、海上女子養成学校は人気の高い学校となっている。
本当に入学できたのだと、目の前の親友と実感を噛み締めるが、もうそんな時間はないようだった。
チャイムが鳴り始めた。二人は慌てて校門に向かう。
入学初日から遅刻とは笑えない話だ。船乗りに遅刻は、絶対に許されないのだから。
なんとか遅刻せず、二人は入学式に出る事ができた。
新入生の席には三十人ほどが並んでおり、その周囲を教職員などが囲み、新入生たちの後ろには在校生が揃っている。
壇上に校長が上がり、式辞を読み上げた。
「新入生諸君、入学おめでとう。ご家族の皆様も、ご息女のご入学に心よりお祝い申し上げます。さて、本校は新入生の皆さんがご存じの通り、女性の船員を養成・教育するための学校です。我が国の本格的な商船教育は、明治八年に創設された商船学校にその源流を見る事が出来ます。その後、国内には複数の船員養成機関が設立されました。商船教育発祥当初から、情熱と厳格な教育訓練を通して、シーマンシップというものが伝承され、多くの優秀な船員たちを輩出していきました」
校長の挨拶とはかくも眠くなるものだが、少なくとも真帆はギンギンとした瞳を見開いたまま、その式辞を全て頭の中に入れる事ができていた。
そんな真帆の様子を、チラリと見た汐里は、クスリと笑った。
「これから男性と一緒に社会で活躍していく女性に広く門出を開く事への貢献として、この海上女子養成学校は創設されました。その歴史はまだ浅いですが、確かに明治より受け継がれてきたシーマンシップを継承していると断言できます。この学校が根付く大地にも古来よりお互いを助け合う精神、つまり、開拓精神がその風土として培われています。貴女方は、将来の我が国を支える船員として、そして淑女として、この学校で様々な事を学んでいってください」
校長の式辞が終わると、今度は教職員の紹介がされる。
生徒は女しかいないが、教職員のほとんどは男の人ばかりだ。事務職員は女の人ばかりだが、教職員に女性が一人いるだけだった。
整列した教職員が次々と名前を紹介され、遂にその女性教員の順番が来た。
「宮古教官です。宮古教官は今年入学される27期生の担当教員となります」
担当が女性だと知り、新入生たちから心なしか安堵感が漂う。
だが、紹介を聞いた時の違和感に、この時既にほとんどの者が気付いていた。
入学式が終わり、教室に集まった新入生たちの前には先程紹介された女性教員が立っていた。
「入学おめでとう。先程も紹介されたが、改めて、私は宮古と言う。貴女達の担任となります」
新入生たちが抱いた感想は次の通りだった。
他の教職員はオッサンばかりだったが、この人はその中でも一番若く見える。
しかも美人だ。
だが、どことなくクールな雰囲気を醸し出していて、油断ができない。
実際、この心の隅に引っかかる違和感は拭えないままだ。
「……ああ、私達教員の事は『教官』と呼ぶように。中学までは先生だったろうが、この学校では貴女達を教育・指導するのは私達教官です。よろしく」
よろしくお願いします、と。おっかなびっくりの空気が微かに漂う中、生徒たちが声を上げる。
だが、その空気を物ともしない者が一人。
「では、まずは級長。号令を」
「はい!」
それに応え、ガタンと音を立てて立ち上がったのは、真帆であった。
「起立! 気を付け! 礼!」
ハキハキと一連の号令をやり遂げる真帆の姿に、他の生徒は付いてこれず動揺気味だ。
そんな真帆に、宮古が言葉を投げかける。
「……貴女、この学校の礼をわかっていますね。号令自体は今までの普通校と変わりませんが、中身は大きく変わっていきます。まず、気を付け。これは直立不動の姿勢です。五本の指はピシッと閉じ、ズボンの線……いえ、貴女方はスカートなので、その中央に当てるように揃えます。そして礼。礼は敬礼。脱帽時は10度、頭を下げる。それと、起立だがこれは絶対に椅子の音などを立てないように。清水生徒?」
「はい! すみません!」
「まぁ、号令に関する指導は後日やらせて頂きます。今日は入学初日と言う事で、教科書の配布や本校の基礎的な説明のみとなりますが、ここは全寮制なので寮の説明も行います」
「はい! よろしくお願いします!」
「………………」
何故、彼女はここまでハイテンションなのだろう。
生徒たちの疑問は一人を除いて一致していた。
「……では級長、教科書を配るので手伝ってください」
「はい!」
ちなみに級長とは、つまり学級委員長の事だ。正式な委員は後日決められる事になるが、真帆は新入生代表として入学式にも登壇したので、仮に級長の座も継いでいる。
「う、重……!」
真帆は両手に掛かるズシリとした重みに思わず声を漏らした。
「やはり一人では荷が重いですね。他の方も手伝ってください」
「大丈夫? 真帆ちゃん」
「ありがと~。汐ちゃん」
汐里が名乗りを上げ、他の何人かの生徒もそれに続く。
生徒たちに配られた教科書は、正に山の如しとなった。机の上に積み重ねられた教科書、辞書などを含め、全科目は25に及んだ。
「貴女達はこの学校を卒業すると、船員だけでなく普通高校と同程度の卒業資格を得られます。したがって、授業も普通校と同じ数に加え、そこに船員に必要な知識を蓄えるため専門科目が付加されます。教科の数だけ試験も大変になるかと思いますが頑張ってください」
膨大な量の教科書を前に、先が思いやられるように暗くなる生徒たち。
しかしその中でもやはり、真帆だけは違う空気を纏っていた。
専門科目の教科書を早速めくり、楽しそうに瞳を輝かせている。
その様子を、宮古はジッと眺めていた。
「……本校には、『五つの羅針盤』というものがあります。この教室にも飾られています」
そう言って、宮古は黒板の横に飾られた訓示を生徒たちに指し示す。
五つの羅針盤
1.規律厳正
2.5Sの推進
3.知識・技術の習得
4.団体生活への適応
5.連帯感・一体感の養成
「この五項目を、私達は、そしてこれからは貴女達も、羅針盤として掲げる事になります。船員として社会に貢献し、海洋国家であるこの国と国民の生活を支えるために、貴女達にはこの学校を卒業してもらいます」
この学校は、本当に船乗りの学校だ――
真帆は胸の内が、期待で溢れそうになる程に膨らみを感じていた。
国立北道海上女子養成学校の校訓――
海を往き、海に学び、海に生きる。 -Learn the Seamanship-