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NYARLATHOTEP#5

 アメリカ政府の依頼によりモンタナの閉鎖された池とその畔の廃屋で調査を続けるナイルズ。じめじめとした室内に残されていた日記から明らかとなる怪事件の経緯、そして現代の行方不明者に関する慄然たる手掛かりとは…。

『名状しがたい』注意報――この話は冒頭から文体がけばけばしく、改行が極端に少ない。


登場人物

―ナイルズ…ジャマイカ人風の男。



【名状しがたいゾーン】

午前十二時二五分:モンタナ州、某所山中


 胸のむかつくようなじめじめとした家屋の中に、絶えて久しい日の光が差し込んだ。信じられないような古い時代、かつてヤディスの高名な魔術師が腐れ果てた粘液(まみ)れの飽食獣ドールへ向けて異界の凍てつく業火を(はな)ったがごとく、この不快な墓所じみた湿気の漂う場所に太陽光が差すと、じゅうじゅうという(いとわ)しい異音と納骨堂めいた悪臭とが立ち込めたが、一見何も見えなかった――しかしナイルズには、異界的な色合いのスペクトラムが苦悶の舞を舞っている様子がはっきりと見えていた。こうした現象は日が当たった部分だけに発生し、弱々しい曇天の光さえ嫌うなれば、明らかに尋常の沙汰ではない。そして猛烈な黴の匂いを霞ませる悪臭は、ある意味では何かの血肉か、もしくは外縁部に伸ばされた名状しがたい触覚が燃やされたという事なのかも知れない。


 PDFファイルにも書かれていたが、ここで行方不明者が出たという事は予定よりも早く貯水池の水による封印が破られたという事であろう。ならば何らかの実体が池から上がってくるのか。ジャマイカ人風の男は懐から奇妙な彫刻の箱を取り出し、蓋を開けると、その中にある不揃いな面を持つ多面体を取り出して、掌に乗せた。しかし彼の望んだ効果は発生せず、肌寒い風が嘲笑うかのように吹くのみであった。何かが妙であり、ナイルズは目付きを鋭くして入り口の向こうに広がる池を睨め付けた。あの護法善神じみた黒々とした木々は、単なる比喩のみならず本当にこの地を外周と切り離している守護者なのではないか? だがいずれにしても、彼はまず情報を集めなければならなかった。

 改めて室内を見渡すと、テーブルや戸棚は原型を留めているようだが、木で作られたそれらはどれも湿っており、その不快さを思えば再度の使用には耐えられそうもない。壁際の机の上には元が何なのかもわからない木片が積まれており、それも厭わしく湿っていた。

 ナイルズはファイルの内容を思い返していた――隕石は井戸の近くに落下後収縮し始め、やがて消えてしまった。未知の物質で構成されていたとされ、どうにも既存の物理法則に従わない振る舞いが見られたという。そして二五年のあの日、この家で惨劇が起き、後にラヴクラフトやシェイがこの事件を元にしたと思われる怪奇小説を書いている。だがシェイが作中で示唆したように、それが実在の事件であった事を知る者は、今ではほとんど存在しない。

 普通であれば咽返るであろう黴の悪臭と納骨堂めいた名状しがたい悪臭の中で、ナイルズは部屋に何かもっとましな手掛かりがないかと見渡したが、この家で一番広いであろう区切りの無い一階の居間には、何もまともな物が無さそうに見えた。二階に行くと何かあるかと思ったが、寝室に入ると壊れたベッドの近くに、あの水辺にあったのと同じ灰らしきものが薄く積もっていて、その灰の中に比較的状態の新しい服らしきものが落ちていた。周囲を見渡すと、ところどころ屋根板が外れ壊れた窓も外に通じているから、灰は外から風で飛ばされてきたのであろうか。だが服は行方不明者の所持品であったかも知れない。灰と服とを見ていると、ナイルズは一瞬だけとある予測が頭を掠めたが、確固たる証拠無くして結論付けるにはまだ早いとして、ひとまずその考えを脇に置いた。PDFによれば結局アメリカ政府は灰の正体を今も掴めていないらしいが、隕石に関連するなんらかの副産物――動物実験で摂取させたマウスが死んだらしいが解剖でも原因はわからず、危険性を考慮し即刻焼却した――と考えているようだ。その正体を突き止めなければ。

 まともな手掛かりは何も無いのかと落胆しつつ降りてきたが、ふと思い立って一階壁際の机に積もった木片を取り除くと、べっとりと湿った本が出てきた。厚さや表紙からするに何者かが書いていた日記であろう。子供がどぎまぎしながら側溝から拾い上げる成人誌のように湿った日記を、ナイルズは破らないよう苦労しながらめくった。濡れた紙の匂いは一面に漂う異様な匂いをごく僅かに紛らわせたが、その内容を読み始めると嫌な予感がし始めた。最初の方は特に異変もない――家畜の出産に立ち会っただとか、子供が学校で遊んでいて転んだだとか、日々の気付いた事が不定期に綴られていた。そしてナイルズはひとまず例の隕石が落下した日まで読み飛ばした。


――十月二日、今日はとんでもない日だった。朝方に空から降ってきやがった隕石は幸いにも井戸を逸れたが、びっくりして何人か近所の連中も見に来た。こっちだって驚いたよ。子供達はすっかり怯えてるし、嫁も不安そうだ。家畜の馬や豚も妙に怯えてる。さっさとどっかに撤去したいがああも熱々じゃあどうしようもねぇ。警察も困ってるみたいだ。それにしても、熱々の石ころってのは変な音がするんだな。風が吹いてるみたいな音だ…。


――十月三日、大学かどっかの研究所かわからんが、警官と一緒に学者の先生方が五人やって来た。サンプルが欲しいってんで、隕石の一部を削ってたが、ハンマーで叩いた時の音や様子が不気味で忘れられねぇ…あれは石ころじゃなくてむしろもっと別の…風が吹いてるみたいな音はハンマーで叩かれると大きくなって、先生方もびっくりしてた。しかも切り取った時なんかはまるで突風みたいな音だった。まあ結局よくわかんねぇが隕石はどっか遠い所からやって来たらしい。そりゃそうだろうと思ったが、俺達の住んでる太陽系の外から来たとか何とか。想像もできねぇような何億何兆マイルも向こうから遥々飛んで来やがったのか? それはそうと、あの隕石昨日より小さく見えるが…。


――十月四日、またありえねぇ事が起きた。今日起きて見に行くと隕石は無くなってやがった。やっぱり昨日も隕石の野郎どんどん縮んでたんじゃねぇか。隕石のあった辺りは残骸らしき灰の滓が溜まってる。なんだか気持ち悪いな。幾ら縮んだとしても、隕石の大きさと灰の量が合ってねぇぞ。


――十月七日、また先生方が来たんで俺は隕石が消えた事を話した。どうやら持ち帰った欠片も消えて灰になっちまったらしいが。あの隕石に足が生えてるわけじゃねぇだろうから、縮んで消えちまったんだと思うが、どうにも気になる。あの石ころは何故か凄く嫌な感じがする…。

〈中略〉

――十二月十日、鶏が二羽死んじまってた。ここ数日体調が悪そうだったが…変な病気かも知れないんで死体を燃やしたが、何故だか最近異様にいらいらする。森の方からは『でゅわんでゅわん』とでも言うか、言いようのない音が微かに聴こえる時がある。

〈中略〉

――一月二一日、なんで隕石の周りは雪が積もらないんだ? 薄気味悪い。お陰で隕石と井戸を中心に丸く地面が露出してる。しかも昨晩は、外で風が吹いてねぇのに木の枝が揺れてるだとかなんとか子供達が言ってたな。多分気のせいだと言って聞かせたが、何だか不気味だ。本当に揺れてるか窓の外を見たがよく見えなかったが、一部の木々はぼんやりと浮かび上がって見えたような気がした。最近は疲れて幻覚でも見てんのかも…外からはどんどんという音が聴こえる。あのでゅわんでゅわんという音に似てやがる。一体何なんだ。

〈中略〉

――六月二四日、隕石をどうこう言ってたのが自分でも信じられねぇ。隕石様々だ。子供達には今度美味いもん食わしてやると約束したし、嫁にも何か買ってやりたい。色々苦難はあったけど、あの隕石のお陰なのか今年は豊作だ! あのどんどんという音はしてるがいらいらはしない。音に慣れたのかもな。

〈中略〉

――ああ畜生め。俺は神様を怒らせたのか? 作物はどれも金属みたいな味がしやがる。金属なんか食った事ねぇけど、匂いと味ってのは時々一致する。あれじゃ売りもんにならんし、今年はどうすれば…去年の負債も帳消しにするつもりだったってのに。いらいらする。またあのでゅわんでゅわんという音が聴こえる。やっぱりあの音のせいでいらいらが増しやがる。

〈中略〉

――あの不味い作物は放置してると灰みたいにぼろぼろと崩れやすくなる事に気が付いた。一体どうなってんだ? 気持ち悪いから全部埋めた。どんどんという音がまた鳴ってるし、ここらは何がどうなっちまったんだ?

〈中略〉

――嫁と喧嘩になって頬を叩いた。ガキどもは物陰でそれを見て泣いてやがった! うるさいから黙らせようとしたが、嫁が縋り付いてきて余計に腹が立った。いらいらする。うんざりだ、あの外から(しき)りに漂ってくるでゅわんでゅわん音には。

〈中略〉

――仕事から帰るとガキが三人とも死んでた。これで夜はぐっすり眠れるな。嫁はどこに行った? いらいらする。ああ畜生、でゅわんでゅわんとうるせぇな。

〈中略〉

――どうして愛する娘と息子達が死んじまったんだろうか…俺はなんで埋葬してやらなかったのか? 家の中でそのままだった死体が灰になってやがった。あの隕石のせいだ、それだけは何故か確信できる。俺は精神的におかしくなってたみたいで、作物はもちろん、家畜も奇形の化け物に変わってたのに全然気が付かなかった。いつの間にか正気と狂気の境が曖昧に…今じゃ夜になって外を見ると、木々が風も無しに揺れてるじゃねぇか。やっぱ子供達は本当の事を…全部手遅れになる前に、嫁を探さないと。だが夜は駄目だ。今だってどんどん音が鳴ってるしな…何かがいるぞ。

〈中略〉

――俺は嫁を…仕方無かった。日中に森で見付けた時点で呻いてて、体は作物や家畜と同じくおかしくなってた。触るだけでぱらぱらと表面が崩れるなんて。だから俺は…あの感触は忘れられない。帰って嫁と一緒に、全滅した家畜達も葬ろうとしたが、家畜小屋には灰の山が…まだ昼間だしあの不気味な音は聴こえないが…。

〈中略〉

――どうしてもっと早く気付かなかったんだ。全部あのぐにゃぐにゃする隕石と同じじゃねぇか。作物、愛する子供達、家畜達、そして愛する妻…みんな死ぬと灰になっちまった…待てよ、じゃああの隕石から聴こえた風が吹いてるみたいな音は一体何だったんだ? それに隕石も消えたら灰になっちまったぞ? って事はあの隕石も…いやまさか…だけどもしそう(・・)なら…つまり隕石さえ全ての元凶じゃねぇって事か? それにしても外が騒がしい。でゅわんでゅわん、どんどんとあの音がいつもより大きく聴こえてる。そんで誰もいなくなった我が家で、俺は恐らく人生最後の日記を書いてる最中だ。誰かがやって来た時にこの日記を見てもらうために、どっかに隠しておこう。俺の直感だが、外にいやがる怪物は多分頭がいい。どっちにしてもずっとここで暮らしてた俺は、恐らく逃げても助からん。俺はもう何度もここで育ったイカれた食い物を食ったし、よく考えれば隕石の間近にあった井戸から水をずっと飲んでた。水はともかく、ここで取れる食い物については、正気の時は食わないよう自制してたんだが、狂ってる時は沢山くたんだろう。おかしいな、食った(ate)って書きたいのに(attu)って書いちま。そとは変な色の光がかやいてる。家のながにもあるがおる。ああ、光が飛び立つのが見える! 狂った色合いの光が天に!


 恐るべき真相であった。PDFと日記の情報を纏めると、灰は実験動物を死に至らしめ、そして土地や作物に染み込んだ隕石由来の有害物質は摂取したあらゆる生物を緩やかな死に至らしめ――ならば隕石の正体にもぞっとする――死体はその恐ろしい灰となる。そして日記を書いたであろうマッケンジー家の父親は晩年かなり精神的に不安定だったようだ。精神がぶれて、調子の高低差が激しい事は見て取れた。

「日記が示唆する灰の正体はやはり…」

 灰になる死体。ならばあの比較的最近のものらしい服の周囲に積もった灰はつまり…ナイルズはそこまで考えてから、急いで階段を登った。

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