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栄光の日々

作者: 倉名 東

 直前のスマッシュによりコートの中心やや後ろ寄りに甘く返されたシャトル。そのふんわりと上がった羽球を、頭上に掲げた左手が捕捉。半身になり右腕を引き絞り力を溜め、その全てをシャトルにぶち込む。打ち抜かれたシャトルは矢のように鋭い勢いで飛んでいき、ネットの上端をかすめ、相手選手が反応する間もなく右のアウトライン上に決まる。

「っシャア!」

 ショットを決めた相沢あいざわとおるは自分を奮い立たせると同時に相手にプレッシャーを与える。これで点差は22-22で同点。次のラリーは自分のサーブから始まる。

 息を整え、手の震えを無視し、バックサーブを放つ。

 優しく放たれたそれは、緊張のせいか何千回と繰り返してきたというのにネットに引っかかる。22-23。そして今は三ゲーム目。つまり、次につまらないミスを一回でもしたらそこで試合は終了。準決勝戦敗北で関東大会へは出られない。

 サーブが打たれる。レシーブは相棒の亀山。

 そして――




 入社一年目の五月第三週の日曜日。会社にも徐々に慣れてきた透は、なにかスポーツをやりたいと思い、中学時代にやっていたバドミントン、それの地域サークルに参加した。そして今日がサークル活動、それの初参加日だ。 活動場所である大きくも小さくもない市民体育館に入り、受付で入館手続きを行い更衣室を目指す。

 練習開始時間より大幅に早く来たからだろうか、廊下にも更衣室内にも人はいない。

 更衣室はそれなりに広く、ロッカーも縦長のものが百台程度あるようだ。隅が好きだとかいうわけでもないが、なんとはなしにその広大な更衣室の角を陣取り着替えを始める。

 手早く練習着に着替え、ラケットやスポーツタオル、補給飲料など必要なものを持って静寂に包まれた更衣室を後にする。

 コート部分と、表彰時等に使う演壇、ひな壇状の観客席……至って普通の競技場に入り、ごく普通のその空間を見て、しかし違和感を覚える。…………ああ、僕が最初に体育館へ来たということは、競技場に来るのも一番だというわけで。勿論競技場は綺麗なもので、物一つ置かれていない。うん。つまりは、だ。僕がこの広い体育館にネット(およそ八コート分)を一人で張らなくてはいけないわけなのか……、と。

 悟りの境地に至りそうになりながらもネットを張り終えた透は、無心(だと自分では思っているが、ネットを一人で張ったことへの愚痴で心の中は満たされている)で準備体操を始める。

 一人だけの競技場内で屈伸をし、伸脚をして……、ひと通り身体をほぐした透は、壁際にまとめて置いた荷物類の中からラケットを取り。





 2015年七月下旬。地面からはゆらゆらと陽炎が立ち上り、セミの大合唱がうるさいくらいな季節。天気は雲ひとつない快晴。そんな中、窓を全て閉め切り、カーテンでそれを多い、空調さえも付けずに密閉された空間がある。

 体育館、もう少し詳しく言えば、栃木県中学校総合体育大会バドミントン大会、その大会の会場である。個人戦団体戦と二日ある日程の内、今日は初日、団体戦の日だ。個人戦でも県大会出場を果たしているが、団体メンバ全員ではない。

 負けたら県大会に出ていない三年とはバドミントンが出来なくなる。

 そんなことを考えながら、透は蒸し暑い体育館でアップをする。コートの中を動き回るフットワーク。一つ一つのショットを正確に丁寧に打ち込む基礎打ち。

 アップ中にかかる、開会式開始の号令。来賓の話や優勝杯返還、選手宣誓が終り、開会式が閉式する。

 そして。

 遂に始まる。

 相沢透の中学最後のバドミントンが。


 第一回戦の相手校は無名中学であった。県大会まで上り詰めたのだから弱くはないのだろうが、そこまで強くもないのであろう。監督は特別な指示もせず、試合開始前の作戦会議時にもメンバーには

「気負うなよ」

 と笑って言うだけだった。

 実際、一回戦は圧勝だった。

 団体戦のルールは二複一単、ダブルス二つのシングルス一つで、ダブルス、シングルス、ダブルスという順番で試合を行い、二本先取で試合に勝利。

 そして今回の結果はダブルス一つ、シングルス一つを取って、一ゲームも取られないストレート勝利。出だしから好調だといえる。

 しかし、透には不安な要素が二つあった。

 一つは自分自身の緊張。先の一回戦では相手がかなりの格下であったから問題になるほどではなかったが、足が震えて硬くなって、まるで自分のものではないのかと思ってしまったほどだ。

 もう一つは、先ほどダブルを組んだ、個人戦でもペアとして出場している二年の亀山。その後輩のミスが異様に目立った。ラケットスポーツであるのだからミスはして当然だが、普段の練習では決してしないようなミスを繰り返し、一度はゲームを取られるのではないだろうかと透が心配になったほどだ。三年に比べると経験が少なく、先輩を引退させられないというプレッシャーもあり、極度に緊張するのは仕方のないことだが。

 次の二回戦は、透も亀山も1回戦よりリラックスして迎えることができ、シングルを取られたがダブルを二つ取り危なげなく勝利。


 そして迎える運命の第三回戦、準決勝である。相手は四つあるシードの中の一角、第二シードだ。ここで勝つことができれば関東大会出場。個人戦で決勝まで勝ち残るのはほぼ不可能だから、負ければ中学でのバドミントンは終了。

 緊張はもちろんある。しかし、そこで緊張に負けるほど透は弱くなかった。

 試合の戦略はシングルを捨て、ダブルで勝ちにいくという、二回戦と同じものである。透が出るのは二つ目のダブルス。相手が正直に挑んでくれば、間違いなく勝てるはず、であった。

 しかし、現実はそう甘くなかった。相手方の監督のほうが一歩上をいってしまった。透たちが当たるはずだった相手の弱いのダブルはこちらの一ダブと当たり、強いほうのダブルと自分らが試合をすることに。

 もちろん、一ダブは相手を寄せ付けることなく勝利したが、透たちは。

 賞賛すべき、なのだろう。一球一球を死ぬ気で追いかけ、明らかな格上相手に必死に喰らいつき、なんとか三ゲーム目までもつれこませ、デュースになっても粘る。

 スコアは22-23。つまり、次につまらないミスを一回でもしたらそこで試合は終了。

 チームの皆の準決勝戦叫びともとれ敗北でる応援も今は聞こ関東はえない。今ここに大会へはあるのは自分と亀山と出られ相手とシャトル、ただそれないだけ。

 ……余計なものは要らない。集中しろ、負けた時のことなんて考えるな。

 サーブが打たれる。レシーブは相棒の亀山。

 そして、そのサーブを、ラケットを掬うようにして、迎え打った、亀山は、かつん、と、フレームに、当て、……

 透の時が止まる。すべてがスローモーションに。ラケットのフレームに当たったシャトルの軌道がこれまでにないほどよく視えた。ゆっくりとふらふら頼りなく飛んでいったソレは、ネットの高さをなんとか越え、しかし、サーブを打った、驚くほど遅く動く相手選手に捉えられ、真下に叩きつけられ。

 時が動き出す。音が戻る。わーっ! と歓声が鳴っている。その意味を理解するまでに恥ずかしながら数秒かかった。







 結局、個人戦も自分の予想を覆さず、ベストエイト止まりで終った。その後高校に入り、大学に進学して今――こうしてまたラケットを握っている。

 あの時ほど熱中できるとも思えないが、それでも別にいい。こうしてたまにでも昔のことを思い出せるのなら。あの青々しく瑞々しかった頃のことを思い出せるのならば。

 透に懐古趣味があるわけでもないが、久々にラケットを握ったら過ぎ去りし日々を想い出し、そんなことを考えてしまった。

 そして思う。

 サークルの人達は未だ来ないのかなあ、と。

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