わかめ or ハゲ ―彼は如何にして神になったのか―
突然だが、俺には髪がない。
二十代半ばごろから徐々に髪の毛が散っていき、三十路でツルツル。
あまりに早すぎる髪とのお別れを素直に受け入れられるはずもなく、俺は様々な治療を自らに施した。
東に良く効く育毛剤があれば行って購入し頭にふりかけ、西に話題のワカメがあれば買ってみそ汁に入れた。こうして給料の大半を育毛につぎ込んだがなかなか効果は現れない。
そこまでするならいっそのことカツラを買えば良いじゃないかと思う人もいるかもしれないが、お坊さんも真っ青になるほどのツルツル具合であるのに、次の日にはフサフサというのは恥ずかし過ぎる。つまり、カツラを被っているというのをみんなに知られるのは嫌なのだ。そこはプライドが許さない。
そんなこんなで育毛に力を注ぎ続けて幾年、とうとう頭に変化が現れた。
頭皮にうっすらと黒っぽいものが生えてきたのである!
俺は歓喜し、頭に生えてきた若芽をそれはそれは大事に育てた。
しかし若芽が成長していくにつれ俺の中で小さな疑惑が生まれた。その疑惑は若芽が成長していくほどに大きくなっていく。
まず、なにやらヌメッとしているのだ。いくらシャンプーしてもすぐにぬめりが湧いてくる。そして本来黒色であるはずのそれが緑がかっているのも気になった。形も、本来の髪のそれとだいぶ違う。なにより、飼っている猫が隙を見ては俺の髪を齧っていくのが不思議でならなかった。
俺はできる限りその事実から目を逸らして生きていたが、とうとう認めざるをえなくなるほどそれはハッキリと俺の頭に圧し掛かってしまった。
そしてそれは他の人間にもそう見えてしまうようである。
「課長、なんで頭にワカメ乗せてるんスか」
そう、俺の頭から生えてきたそれは若芽というか、ワカメであった。
「は、はぁ? なんだよワカメって。お前面白いこと言うなぁ、はは。さぁ仕事仕事!」
「……うっす」
無理矢理に誤魔化すと、彼は怪訝な顔をしながらもそれ以上の追及はしないでくれた。
俺は彼のフサフサの髪を遠くから眺め、そして大きくため息を吐く。
「俺の苦しみはお前には分かるまい」
ハゲかワカメか。まさに究極の選択。
俺はどちらを選ぶか決めかねていた。せっかく生えてきたこの髪を引っこ抜いてしまえば、俺の頭は一生禿山かもしれない。しかしこのままでいれば俺はワカメを頭に被っている変質者である。
進むも地獄、戻るも地獄。
そしてある日、俺に追い打ちをかけるような悲劇が降り注いだ。
「葉迎課長、ちょっと」
俺は部長に手招きされ、誰もいない会議室へと連れて行かれた。
課長は二言三言挨拶代りの世間話をした後、意を決したように口を開いた。
「あのね、実は社員の数名から苦情が上がっていてね。その髪についてなんだが」
「……! え、えっとその」
「最近忙しかったからね、少し疲れているんじゃないか。上には話を通しておいたから、しばらく休みなさい」
こうして俺は図らずもワカメヘアと共に休みも手に入れた。
長い長い時間の中で、俺は髪の事についてじっくりと考えた。どうすれば俺にとって最もベストなのか。
休みを貰ってしまった以上、ワカメヘアで会社に行くわけにはいかない。つまり俺はワカメヘアの無職になるかサラリーマンのハゲになるか選ばなければならないというわけだ。これはまさしく人生の分かれ道。選択を誤るわけにはいかない。
「どうしたら良いんだよ……お前はどう思う?」
ベッドの上で丸くなっている猫にそう問いかける。もちろん猫が答えてくれるはずもない。俺は猫を撫でながらため息をついた。
そのとき、なにかぬめっとしたものが手に触れるのに気付いた。
見ると、ワカメが猫の背中にくっついている。
「はは、俺の抜け毛かな」
猫の背中についたワカメを指でつまむ。しかしワカメは、まるで猫の背中に接着剤でくっつけたように離れることがない。無理に引っ張ると皮膚まで伸びてしまう。
これはくっついていると言うより……生えている。
そのうち、猫は不機嫌そうな顔をしてベッドから降りていってしまった。
俺は混乱のあまり動くことができなかった。
まさか。そんな。
ワカメヘアは伝染する――
猫はしょっちゅう俺の髪をかじっていた。恐らく、ワカメを経口摂取することで体毛がワカメとなるのだろう。
思わぬ発見に鳥肌が立った。
……本当に俺の選択肢は「ワカメの無職」か「ハゲのサラリーマン」しかないのだろうか。
この力をなにかに生かせないのだろうか。
俺はあることを思いつき、パスポートを手に日本を発った。
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とある紛争地域にて、ある男の噂がまことしやかに囁かれた。
それは長い緑の髪をした男で、お腹を空かせた子供たちに自らの髪を喰わせて周っているのだという。その髪は不思議な事に大変おいしく、またその髪を喰うと自らの髪も美味なる緑の髪になるという。
貧しい人々に食べ物を与えるその姿はキリストを彷彿とさせ、彼らはその男を「緑の美味なる髪の神」と呼び恐れ敬ったという――
その髪の正体がワカメであり、日本人以外には消化できず大した栄養にならないと知られるようになるのはもう少し後の話である。




