第一章・星夜 (5_1)
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愛稀は素直に喜びを表せなかった。昨日凜と話した際、愛稀には「別れる」という言葉が頭をよぎるくらい不満に思えた場面があった。しかし、彼はその直後、いい人を紹介すると、その場でその人に電話をし、翌日に面会の約束まで取りつけてくれたのだ。愛稀は果たして凜が自分のことを想ってくれているのかどうなのか、分からなくなった。
とにかく、彼女は今凜に連れられ、市内のカフェにいた。テーブル席である人を待っている。
待っている間特にやることもなく、暇を持て余していた。ふと隣を見ると、凜は一心不乱に論文に目を通している。
(恋人が隣にいるのに勉強してるなんて――)
愛稀は凜の横顔を見ながら口を尖らせた。彼にそういうところがあるのは以前から分かっていたが、気にしだすとやっぱり面白くはない。彼女は、ムスッとした顔を目の前のグラスに近づけ、ストローを咥えて液体をひと口飲んだ。案外、ここのキャラメルラテは美味しかった。
「よぉ、待たせたな」
ふいに声が聞こえた。ふたりはその方をぱっと見た。そこに立っていた人の風貌に愛稀は驚いた。その男は、夏だというのに白い革のロングコートを着て、金色に染まった髪をツンツンに逆立てていた。しかも、耳にはいくつもピアスをし、カラーコンタクトを入れているのかその瞳は青い。
「わざわざ来てもらってすいません」
凜は男に言った。男は愛稀たちの向かいに座り、コートを脱いだ。
「いいってことよ。俺とお前の仲じゃねえか、気にすんな」
男はへらへらと笑ってみせた。
(何この人……)
愛稀は唖然となった。こんなチャラチャラした人が、凜の知り合いだなんて信じられない。
「愛稀?」
凜に呼ばれはっとなり、愛稀は自己紹介をした。
「は、はじめまして。日下 愛稀です」
「おぅ、俺は響 雷也だ、よろしくな。でもよ、俺とあんた、実は初対面じゃねえんだぜ」
「え、そうなんですか?」
「そうよ。あんた、俺んとこの研究室に来たことあったろう」
「――あっ、あの時の!」
思い返してみれば、確かに覚えがあった。愛稀は以前、K大理学研究科教授だったの石山 満男に、実験の被験者として選ばれたことがあった。研究の助手をしていた凜と出逢ったのもその時である。彼女は、研究の一環で脳の活性を調べることになり、同大学の医学研究棟に赴いたが、その時研究室にひときわ派手な学生がいたことを思い出した。その学生こそ、目の前にいる響 雷也であったのだ。
「思い出したみてえだな――。へぇ、近くで見ると、案外可愛いじゃねえか」
雷也はテーブルに身を乗り出すようにして、愛稀の顔をまじまじと眺めた。そこへ、ウエイトレスが雷也に注文を訊きに来た。雷也はアイスコーヒーを頼んだ。ウエイトレスが去っていったところで、凜が口を開いた。
「響さんは、見た目はこんなんだけど、とても優秀な人なんだ。特に、専門分野に関しては、ここまで真面目に取り組んでいる人はいないと思う」
「『見た目はこんなん』って、ひでーこと言うよなぁ――」
雷也はケラケラと笑い声をあげた。せわしなく身体が動く。その振舞いは、“優秀”という言葉も“真面目”という言葉も似つかわしくない。
(こんな人から、本当にいい話が聞けるのかな……)
愛稀はついそんな疑いを抱いてしまう。
やがて、雷也の方から話を切り出した。
「まあ、お互いの自己紹介が済んだところで本題だ。お嬢ちゃん、発達障害について興味があるんだってな」
「あっ、はい」
愛稀は無意識のうち、背筋をピンと伸ばした。
「なぜ興味を持った。知り合いにそういう人がいるとかか?」
「まあ、そんなところです」
「そんなことだろうと思ったぜ。身近な人が発達障害だったというのがきっかけで興味を持つケースは結構多いんだ。家族や会社の同僚、自分自身が実はそうだったということも少なくない。で――あんたの場合はどうだったんだ?」
「私の場合――?」
「そうだ。どういういきさつで、このことに興味をもったのか、ということだ」
「それは――」