第一章・星夜 (4)
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市バスの停留所で待っていると、やがて1台のバスが止まった。乗降口が開き、降りてくる人々の中に凜の姿があった。腕を折り、鞄を肩にかけるようにして歩いてくる。
「よぉ」
凜は愛稀の姿を発見するなり、無表情のまま言った。
「や」
と、愛稀も手をあげて応える。
「これからどうする?」
「夕飯は食べたか?」
「まだだけど」
「それじゃあ、食事にでも行かないか」
凜はそう提案して歩きだした。愛稀も一緒に歩き、ふたりは近くのファミリーレストランへと赴いた。
注文を済ませ、料理が来るのを待っている間、凜と愛稀が交わした言葉はほんの2, 3言であった。料理が運ばれ、いざ食事が始まると、凜はなおのこと話さなくなった。
食事の最中、愛稀はふと凜の方をうかがってみた。彼はナイフとフォークを動かし、切り分けたハンバーグステーキを黙々と口に運んでいる。だが、ふと愛稀の視線に気づき、彼女と目を合わせた。
「……あんまり喋らないね」
愛稀の言葉に、凜は「ああ――」と応えた。
「あんまり話すことがないんだよ。実験もうまくいかなかったし」
(それじゃあどうして私を誘ったのよ)
愛稀は内心思った。けれども、直接不満をぶちまけることはしないようにした。
「もしよかったら、何か喋って欲しいな。なんか寂しいもん」
「……ああ、ごめんごめん。そうだよな――」
凜はそう応えたものの、再度黙ってしまった。本当に話題がないようだった。はぁ――と愛稀はため息をつく。
「もういいよ。話題がないんだったら、私の話を聞いてくれる?」
凜に遠慮していたが、むしろ愛稀の方が話したいことがあったのだ。凜は観念したように両手をあげてみせた。
「悪い。その方が助かる」
「実はさ、今日とある子に出逢ったんだけど――」
愛稀はことのいきさつを話した。彼女が話したかったこと――それは、もちろん河原で出逢ったあの少年のことであった。その間に料理は食べ終わり、食後のドリンクが運ばれてきたところで、自分が発達障害についてインターネットで調べたところまで話し終わった。
「ね、どう思う?」
と話の最後に、愛稀は凜に意見を求めた。凜は腕組みをしたまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「正直なところ、君がどうしたいのだろうと思ったな」
「どういうこと……?」
愛稀は訊いた。凜の言葉の意味するものがよく分からなかった。
「いや、単にそういう子がいたっていう、世間話だったならそれでもいいんだ。でも、君の話を聞く限りでは、そうだとは思えない。その子の母親と話しただけでなく、名前まで訊き、おまけにインターネットでその子の障害について調べもしたんだろう。君はどうしてそこまでその子に執着するんだ?」
「どうしてと言われても……」
それは、彼女自身にもよく分からなかった。
「安易な気持ちでそういうことに首は突っこむのは、よくないんじゃないか」
「ちょっと――、私がそんなに安易な気持ちでいると思っているわけ?」
愛稀はむっとした。どうしてそういう心境になったのか、理由は分からないまでも、愛稀は本気で星夜という少年のことを考えているつもりだった。だが、凜は淡々とした様子ですぐに反論した。
「どうして真剣でいられるんだ。その場限りの出逢いで、しかもその子の住所も連絡先も所属も聞いてないんだろう。今後会える見込みもない」
「そんなこと、分からないじゃない。またどこかで会えるかも――」
「希望的観測で話しているんじゃないんだ。たとえこれから先会えたとしても、中途半端な想いでそういうデリケートな部分に介入するのは、むしろ相手の迷惑にもなりかねないってことさ」
「分かった。もういいよ――」
愛稀はぶっきらぼうに言った。
(私の気持ちなんか全然分かってないんだ……。やっぱり私、この人とは合わないのかも)
愛稀は一瞬そう思った。けれど、凜の話にはまだ続きがあったのだった。
「まあでも、もし今回のことがきっかけで、真剣にそういうものについて学びたいと思ったのだったら――」
「……え?」
「僕の知り合いに医学研究科の人がいる。専攻は精神医学で博士課程に在籍する人だ。おそらく、その子が抱えている障害についてもテリトリーじゃないかと思う。相当クセのある人だけど、それでもよかったら紹介しようか?」