第四章・回想 (2_2)
「嬢ちゃん、あんたは分かるか」
「えっ、わ、分かんない……」
愛稀はそう応えたが、ふいに星夜の言っていたことを思い出した。真実の深淵で、彼と別れる直前に言われた言葉である。
『……あなたの恋人という人は、そんなに素晴らしい人なんですか』
愛稀ははっとなった。もしかして――という思いが電気のように背筋を走る。
「いや――でも――星夜くんは、寂しかったっていうだけで、私と凜くんとのことをどうこういうつもりは……」
焦った様子の愛稀に対し、雷也は落ち着いた口調で返した。
「本当にそう思うか。あのガキにとって、あんたは親以外で自分に深く関わり、優しく接してくれた存在――もしかしたら初めての人物だったかもな。しかもそれがそこそこ容姿もいい異性となっちゃ、好意を持つようになっても不思議じゃねえ」
「まさか……」
にわかには信じられなかった。面と向かって容姿を褒められるのにも抵抗はあるが、それ以上に星夜が自分に好意を持っているなど、考えもしなかったのだ。
「あり得ねえ話じゃないだろ。好きになった相手にはすでに彼氏がいて、あのガキにとってはそれが面白くなかった。それでその彼氏に敵意とまではいかないが、対抗心を抱いた。もともと人を惹きつける性質を持っているから、逆に相手に自分を意識させないように仕向けることで、その気持ちを示したんだ」
雷也の言葉に、凜は首を傾げた。
「でも、それに何のメリットがあるんだろう」
という彼の呟きを、雷也は鼻で笑った。
「お前はどうも合理性ばかりで話そうとするふしがある。理屈ではカタがつけられない部分もあるんだよ、人間の心ってのはな。そういう意味で考えれば、あのガキも普通の人間だってことさ」
「特別視する必要はないってことですか」
「もちろんだ。地位や立場ってのは後付けされたものであって、そいつ自身の代名詞じゃねえ。それ以前に、同じ人間であるっていう真実が存在するんだ」
(まさか――勘ぐりすぎだよね?)
ふたりの会話を聞きながら、愛稀は心で呟いていた。星夜の自分に対する気持ちは、好感ではあっても好意ではなく、つまり恋愛感情のようなものではないだろう。自分は誰かに好かれるような人間じゃない、過度な期待をするのは止めよう――と、彼女は自分に言い聞かせた。あまり傲慢な考えを持っても、足元をすくわれるのがオチだ。
けれどそれでも、もし本当に彼が自分のことを好きと思っていてくれたのだとしたら――と考えてみると、それは素直に嬉しいことだと思えるのだった。
(でも、やっぱり私は……)
愛稀は思う。他者の気持ちを意識することで、自分の本当の気持ちと向き合うことができた。仮に誰に好意を抱かれたとしても、自分が心から好きで、また相手にも自分を好きになって欲しいと願う人物は、たったひとりしかいないのだった。彼女はその男の横顔を眺めた。不器用で、自分を表現することさえ苦手な男だが、実はまっすぐで熱いものをその胸に宿している。そして、彼女のピンチに駆けつけ、身体を張って助けてくれた。愛稀は、そんな彼だからこそ、好きになったのだ。なのに、そんな気持ちをここしばらくは忘れてしまっていた。
(もう迷わない――)
愛稀は強く心に誓った。自分の真実の心にやっと気づくことができたのだ。




