第三章・深淵 (9_1)
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光代は愛稀たちをじっと睨みつけていた。
「光代さん、あなたも一緒に、早くここから――」
「何の権利があって、あなたは星夜をここから連れ出すんですか」
愛稀の言葉は光代の言葉によって消された。
「……え?」
光代は震える声で続けた。
「勝手なことしないでください。ここは、この子に必要なところなんです。悪魔に取り憑かれたその子の魂を浄化し、救ってやれる唯一の場所なんです」
「――光代さん、この教団はもう潰れます。早く一緒に逃げないと」
焦りのためか、愛稀は早口で言った。光代は、悲しい表情をした。
「どうして……、どうして憩いの場を私たちから奪っていくんですか。これまでもそうだった。星夜が生まれてから、私は世間から批難の目を浴びながら、追われるように、隠れるように暮らしてきた。この子のために私はどれだけ苦労してきたことか。それがようやく、安住の地を見つけられたと思ったのに……」
ふいに、「チェッ」と舌を打つ音が聞こえた。全員がその方へと注目した。
「――ああすまねえ。ついイラッとしてよ」
舌打ちをしたのは雷也だった。
「救ってやるだとか、安住の地だとか、都合のいい言葉だな。現実を直視できない臆病者のくせしてよ」
「何ですって――」
光代の言葉には険があった。しかし、雷也は飽くまで平然とした口調で言ってのけるのだった。
「あんた、自分の息子のために本当に必要なことを、本当に分かってないのか? 宗教が子供のためになると、本当に信じてるのか? 今、あんたの子供はどんな現状にあるのか、分かってんだろ。世間や社会に、どんなふうに見做されているのか――」
「やめてください! もう聞きたくない――」
光代はヒステリックな声をあげた。だが、雷也はひるまない。
「いや、黙らねえよ。ハンディキャップをもつ人間に対して、世間は甘くねえ。仮に、ここの連中の言うように、あんたの息子が本当に特別な能力をもっていたとしても、世間の対応は変わらねえだろう。誤解、偏見、無関心――あんたたちは、そんなもので埋め尽くされた現実に切りこんでいかなきゃいけねえんだ。現実は厳しいだろ。理不尽なことも、間違ったこともいっぱいあるだろ。だが、それも含め現実として受け止め、自ら動き出さなきゃ、何も変わらねえんだ。国や行政も牛歩の歩みだが動き出してる。だが、肝心の当事者やその周囲がぼーっとしててどうするんだ。目を背けるな、自分たちを不当に蔑む現実と戦え。本当の安住の地はその先にある」
光代は打ちひしがれたように頭を垂れていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「……そんなの理想論です。星夜を生んでから、私の周囲がどれだけ変わったか分かりますか。家族には見放され、知人には疎まれ、夫は家庭を省みず出ていってしまいました。こんな世の中で、私たちどうしたらいいんですか。どう戦えというのですか?」
光代の問いに、雷也はすぐに答えた。
「辛いのは自分だけだと思うか。障害をもちながら生まれてきた当事者はどうだ」
「あの子は何も感じていないわ。そんなことができるわけがないもの」
光代はきっぱりと言った。“あの子”とは星夜のことだろう。彼女は、自分の息子がそんなことを感じる心さえ持っていないと思っているのだろうか――。




