第三章・深淵 (3_2)
案内されたのは、無味乾燥な部屋だった。中に数人の子供がいたが、その辺に座っていたり、せわしなく動き回ったりと、それぞれの行動はばらばらで、誰か管理をしている人がいるわけでもない。
「――ここでこの子たちは何をしているのですか」
凜は訊いた。それに対する白馬の答えは、
「特に何も」
というものだった。
「この子たちは何もしなくていいのです。ここに来てもらっているのは、別な理由がありますから」
「どんな理由です?」
「この世にはびこる悪魔から、離すためですよ」
「……悪魔?」
凜は怪訝そうな顔で訊き返した。白馬は平然とした様子で続ける。
「ええ。残念ですが、この世に生きる人々の心には、醜さやあさましさも存在します。そんな人々の醜さが、この世に悪魔を生み出すのです。我々はそれを“悪意の化身”と呼んでいますが――」
「悪意の化身?」
凜は彼の言葉を反芻した。白馬は話を続けた。
「ここにいる子供たちは、とても純粋で、その影響を受けやすい。ですから、世間から離すことでそれに魅入られてしまわないようにしなければならないのです」
「それって言い換えれば隔離してるってことですよね」
凜は率直に言った。
「この子たちが、社会で生きていけるように導く。それが本来望ましいことなんじゃないですか」
「――それは理想論です。悪意の化身に魅入られた人間は、世間に対して猛威をふるうようになります。それは人の世にとっても、当人にとってもマイナスです。それに、この世はこのような子供たちを手放しで受け入れてくれるほど、優しくはありません」
凜は何も応えなかった。白馬の言葉には腹が立ったが、これ以上の議論は不毛だと思えた。もともと価値観の違う人間とどれだけ話しても、話は平行線をたどるだけだ。
そこへ、部屋にひとりの中年くらいの女性が入ってきた。どうやら、いずれかの子供の母親らしい。
「こんにちは。……あの、その方たちは?」
女性は、凜と雷也を交互に見ながら言った。白馬は女性に対して笑顔を向けた。
「この教団に関心があって、見学に来た方々ですよ」
「――はあ」
女性は凜と雷也に会釈をした。ふたりもそれに返す。それからも女性は、おどおどとした目で彼らの方を眺めていた。顔立ちはそれなりに整っているが、化粧っ気はなく、服装も地味でぱっとしない女性だった。
「ひとつ訊いていいかい?」
ふいに雷也が言った。おそらく年齢は彼よりひとまわり近く上だろうが、それでも彼の口調は相変わらずである。
「あ、はい。何でしょう――」
女性は少し慌てたように返した。
「この教団についてどう思う?」
「どう思うとは……?」
「どんなことでもいい。自分がこの教団に入ったきっかけや、入ってみてどうだったか、あんたなりの感想を聞きたいんだ」
「そうですね――」
女性はしばし考えた後、話し始めた。
「とても素晴らしいところだと思います。入信のきっかけは、息子のことで悩んでいた時に、このデイサービスを知ったことでした。息子をここに通わせるうち、別の利用者さんから実はここが世の中の真理を追究する場所だと知ったんです。お祈りをしたり、他の利用者さんたちと修行をしたりするうち、私の心からは迷いが消えていきました。悩める人に本当の救いをもたらしてくれるところです。――息子も、ここに通い続ければきっと救われることでしょう」
これまでとは想像もつかないような饒舌さだった。
「救われるとは――?」
凜が訊いた。女性は部屋の向かいに視線をやった。視線の先には、ひとりの少年の姿があった。おそらく、女性の息子であろう。その子は、壁際に腰を下ろし、能面のように表情のない顔でたたずんでいる。女性は声のトーンを少し落として言った。
「うちの子は悪いものに取り憑かれているんです。だから、あんなふうになってしまったんです。ここはあの子をあんな状態から解き放てる、最後の場所なんです」
「お前、そんなこと本気で言ってんのか?」
そう言ったのは雷也だった。
「――どういうことですか?」
女性はキョトンとした顔をした。彼が何を言いたいのか理解できないふうであった。
「もういい、行こうぜ」
彼は凜を促し、さっさとその場を後にした。
「響さん!?」
凜は咄嗟に彼の後を追った。すたすたと歩いていく雷也の後ろにつき、後ろを振り返る。白馬が出てくる気配は未だなかった。
「いいんですか、あんなこと言って」
「いいんだよ。俺、ああいうアホは嫌いなんだ」
雷也はすぐに返した。
「物事の本質を見ようともせず、他人の言葉を鵜呑みにしているだけじゃねえか。――いや、本当はアイツも分かっているのかも知れねえな。ただ認めたくないんだ」
「目をそらさずに前を見ろ、ということですか」
雷也はこくりと頷いた。
「世の中には間違ったことも多い。だが、そこから目をそらしてばかりじゃ、真実は見えてこないんだぜ。子供のことを考えるのなら、なおさらだろうが」
雷也はそれからもすたすたと歩いてゆき、凜もその後についていった。デイサービスの部屋からみるみる離れてゆく。そこへ――、
「おや、そこを行くのは鳥須さんではありませんか?」
背後から声を掛けられた。振り返ると、そこにいたのは四華 良哉であった。
「やはりそうだ。そろそろ現れるのではないかと思っていましたよ」
彼はニンマリと笑ってみせた。




