第三章・深淵 (1_1)
(第三章・深淵)
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「1週間連絡が取れない!?」
雷也は素っ頓狂な声をあげ、口元のグラスをテーブルに置いた。閑静で言ってみれば厳かな雰囲気のあるバーの空間において、その声は場違いに響いた。
「ええ――」
それに対して、凜はぼそりと応えた。雷也はさらに訊いた。
「今までにもこんなことあったのか。付き合い始めて、まだ3ヶ月程度だろ?」
「いえ、初めてのことです」
愛稀と連絡が取れなくなり、1週間が過ぎようとしていた。これまでは、むしろ愛稀の方から、まめにメールや電話は来ていたのだ。それが、ここまで連絡が来ず、こちらから連絡も取れずというのは、付き合ってからこのかたないことであった。
「お前、心配じゃねえのかよ。よく酒なんか飲んでいられるな」
「それは、響さんが誘ったから……」
と、雷也の指摘に凜はすぐに反論した。
「人のせいにすんなよ、馬鹿」
雷也はそう言いつつも、再びロックグラスを手に取りバーボンを煽る。凜も、目の前の2本のストローに口を近づけ、モヒートを飲んだ。爽やかなミントの香りが鼻を抜ける。凜はストローから口を離し、後ろに身体を反らせた。椅子に背もたれはなく、背筋が緊張する。
「……心配じゃないわけはありませんよ」
凜はぽつりと言った。普段はあまり頓着なくとも、ここまで連絡が来なければ、さすがに何かあったのではという気にもなる。雷也はそんな凜の様子を、カウンターテーブルに頬杖をつきながら眺めていたが、やがて口を開いた。
「連絡が取れなくなったことに関して、考えられる理由はふたつある。ひとつはお前がついにその女に愛想を尽かされた。もうひとつは、その女が何かしらの理由でお前と連絡を取りたくても取れない状態になった」
「はぁ――」
凜は軽く相槌を打った。雷也は続ける。
「前者なら俺は笑ってすませる。酒を飲みながら女心をもっと学べと説教し、その後お前にナンパのテクニックでも教えてやるところだ。だが、後者なら、お前はその女に何があったのか追求しなければならない。もし必要なら、俺が手助けしてやってもいい。どうだ、お前はどっちだと思う」
凜はしばし考えた。そして、ゆっくりと言葉を切り出す。
「――後者だと思います」
「それは当てずっぽうか? それとも、そう答えるだけの根拠があんのか」
「根拠と言えるほどではありませんが――」
凜が気になっているのは、以前愛稀と迎えた「困難」に関することであった。その出来事によってふたりは出逢い、また恋人として結ばれることにもなったのだが、それが故に、また愛稀が事態に見舞われているのでは、という一抹の不安が拭えないのだ。
「お前がそう思う理由を話してくれねえか」
雷也は言ったが、凜はゆっくりと首を横に振った。
「多分、話しても信じてくれませんよ」
凜と愛稀が見舞われた事態は、一見非科学的なものであり、ましてやサイエンスに身を置く者に話すのははばかられるのだった。しかし、雷也はこう言った。
「いいから話してみろ。信じる信じないは、その上で俺が決めることだ」
「そうですか。それじゃあ――」
凜は話し始めた。当時、彼と愛稀との間に起こった顛末を。




