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第一章・星夜 (1)


 1



 梅雨が明ければ、本格的な夏が訪れる。じりじりと焼けつくような日差しが降り注ぎ、蝉の声もうるさく響きだす頃だ。


 ある街角に『プレシャス・ブレイク』という名のカフェがあった。店がまえや内装はシックで高級感漂うが、コーヒーや紅茶など扱っている商品の値段は比較的リーズナブルで、庶民でも気軽に利用できる。そんな店のコンセプトが功を成したのか、それなりに繁盛しているようで、店内は多くの客でにぎわっていた。


 その一角に、大学生くらいの年格好と思える、ふたりの女子の姿があった。


「でもさぁ、考えれば考えるほど、分からなくなるんだよぉ――」


 そのうちのひとり、日下 愛稀はぼやくように言った。テーブルに肘をつき、くりくりとした目が印象的な童顔を手のひらで支える。栗色に染まった髪は、前は眉のあたりで切り揃えられ、後ろは肩をすっぽりと覆うくらいに伸びていた。春の頃より、ずいぶん髪型は変わったようである。身を包むベージュの色のワンピースはだぼっとしていて、胸元にリボンがあしらってあり、幼さをよりアピールしているようであった。


「そうねぇ――」


 愛稀の話が途切れるのをきっかけに、間宮 遙は相槌を打った。こちらも愛稀と負けず劣らずの美人であるが、その様相は愛稀の子供っぽさとは正反対であった。ショートの黒髪と眼鏡が知的さをアピールし、黒色のトップスはぴしっと身体にマッチしていて、大人っぽく見える。はたから見れば、このふたりが同い年だとは夢にも思わないだろう。


 彼女は手元のグラスをとり、ロイヤルミルクティーを口に含んだ。愛稀の話をずっと聞いていたために、氷はいくぶんか溶け、グラスの上に溜まり味が水っぽくなっていた。


「私も人のことは言えたきりじゃないけど、確かに愛稀、恋愛経験はこれまで一切なかったからね……」


「そうなんだよねー。今までそんな気さえ起こらなかったもん。幼すぎたのかな――」


 ふたりの会話からも推察できるように、愛稀は今、恋愛についての悩みを遙に打ち明けているのだった。愛稀が遙の通う国立K大学の院生、鳥須 凜と付き合ってそろそろ3ヶ月になる。大学が違うにもかかわらず、愛稀は毎日のようにキャンパスに来てはストーカーまがいの行為をし (もっとも彼はそれに気づいてさえいなかったが) 、その末に結ばれたふたりであった。だが、付き合えば付き合うほどに、愛稀は凜のことが分からなくなってくるのだった。ささいな気持ちのずれや、価値観の違いが積み重なり、恋人としてどう付き合えばいいのか分からなくなる。本当に彼のことが好きだったのだろうか、という疑問まで湧き上がってくるのだった。


「でも、あなたの言うこと、何となく分かる気がするわ。あの人、常にわが道って感じだもんね」


 遙は以前、凜の在籍するゲノム高次機能研究室に出入りしていたことがあり、彼の人となりもそれなりには知っていた。彼は研究室の仲間たちと輪を作るようなタイプではなく、むしろ真逆の性格といってもよかった。ひとりで行動することを好み、誰かに干渉されることを好まない。


「そうなんだよ。私が会いたいって言っても、実験があるとか何とか言ってなかなか会ってくれないし、私がそれに対して不満を言うと、理屈攻めにされるし――」


「うん、そんな感じする」


 遙は愛稀に同調した。


「あの人、真面目すぎて融通が利かなさそうなところあるもん。正直、異性に対してもさほど興味なさそう」


「ううん、彼、結構エッチだよ?」


 愛稀はあっけらかんとした口調で言ってのける。


「え、そうなの?」


「うん、ボディータッチとかよくしてくるし」


「へぇ、意外――」


 正直な感想であった。彼の思わぬ側面が見られた気がする。まあ、知ったからといってどうにもならない情報ではあったが――。


「まあ、そのこと自体は嫌じゃないんだけど、最近そういう興味の対象としか見られてないのかなって、ふと思ったりもするんだよね」


 そんなことはないだろうけどね――と遙は思った。凜は他人とのつながりが希薄な人間だが、人の気持ちを踏みにじるような身勝手な性格でもないだろう。けれども、愛稀の焦りも友人として分かるような気がした。


「うーん……」


 遙は小さく唸った。そして、言葉を選びながら続ける。


「別に鳥須さんもそんなに悪い人ではないと思うけれどね。でも、恋のかけひきみたいなのは苦手かも。――だから、もし愛稀が彼と恋人どうしでいることに疑問を覚えるのだったら、別れるのもアリかなって気もするけどね」


「別れる……?」


 愛稀はぽつりと言った。そこまでは考えていなかった、といった感じだ。

「もちろん、別れた方がいいって意味じゃないわよ。そういう選択肢もあるっていうこと。物事は広い視野で見た方が、よりよい生き方ができるからね。ま、自分なりにじっくり考えてみたらいいんじゃない? 自分の人生において、彼がどれほど大切な存在なのか」


「そっか――」


 愛稀は呟いて、手元のアイスラテを手にとり、ひとくち飲んだ。グラスを置き、しばらく考える素振りを見せた後、おもむろに笑顔になった。


「分かった、考えてみる。ありがとう遙ちゃん」


 愛稀は遙に向かってそう言った。


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