第三話 フランケンシュタイナー
第三話 フランケンシュタイナー
一時間ほどお茶をして、ユーリスはオレンジジュースをことのほか好むということだけが分かった。
中華料理そっくりの別世界線料理の店サジョウは夕暮れからちらほらと早い夕食にありつこうとする人々がテーブルにやってきた折りだ。
「平民、いいえ、ミスタマツドは働くことに何の恐れもないのね」
自嘲的な笑みを浮かべたユーリスは、早くも料理を運んでオーダーを取っている良太郎を目で追っていた。
「あいつ順応はえーな」
トレイを抱えた歩き姿はなかなか堂に入っていて、急いでいるのに走らないという慣れないとできないことを平然とこなしている。人間種の女性客など露骨に良太郎を見ている者もいて、イケメンはやはり得だ。
「わたくしが口を開けば、皆が少し驚きます。わたくしの言葉づかいは、皆様とは違うのでしょう。瞬時に頂いた異国の言葉でも、それは分かります」
「キミが聡いからじゃないか」
「キミ、ですか」
「わが君、なんて使い方は平民はしないのさ」
「それは、少し寂しいですわね」
コーラをすすると、やはり故郷のものとは少し違う。高野の知るコーラは、コカ・コーラ、ペプシ、チェリオ、ジョルトコーラ、そのどれともこの世界のコーラは似て非なるものだ。
「寂しさだけが人生さ、ってね」
さよならだけが、だったか。
誰の言葉だっただろう。高野は思い出そうとするが、受験勉強の日々の記憶しか思い出せない。模試の帰りにゲームセンターでデートしたあの娘は今何をしているだろう。
「寂しさを背負っているのは我が身だけと思っていました。ミスタタカノも寂しいのですね」
「なあに、この街はいつだって賑やかだよ。さて、良太郎くんは問題ないみたいだし、ちょいとユーリスさんの仕事先候補でも見に行くかな」
「よしなに」
ユーリスと目が合うと、その瞳に吸い込まれそうになる。イケメンは得なだけだが、美女と美少女は魔性を秘めている。対魅了用護符を財布に入れているというのに、役だったためしがない。
良太郎を店の親父に任せて、高野とユーリスは外に出た。
蒸し暑いさ中の正装は失敗だが、後悔はしない。という決意はドアをくぐってすぐに折れた。
外に出るからには恥ずかしくない格好を、なんて思った自分をユーリスは恨みたくなった。この世界の湯浴みの習慣は嬉しい限りだが、清潔の概念を切り替えねば臭い女と思われかねない。毎日湯浴みなど贅沢、という考えは捨てるべきなのだ。
「さ、車はひどいことになってるぜ。エアコンが効くまで我慢な」
「よしなに」
街ゆく人々はあんなに肌を晒して、恥じらいはないのかしら?
暑さは恥じらいに勝る。
高野は小さく笑ってスーツの内ポケットに突っ込んでいた扇子をユーリスに渡した。この手のモノはどの世界にだってあるのだけど、礼を言って風を送ると彼女は驚いた顔になった。
「あら、風が」
「涼しいだろ。骨のとこに氷だか冷気だかの魔術付与がされてるんだそうだ。貰いモンで申し訳ないけど、あげるよ」
「嘘でもわたくしのために用意したと言えないのかしら。でも、この絵は素敵ね」
皮肉ではなく本音でユーリスは言ったのだろう。
開かれた扇子には『護法少女ルリコVS風車男』というよく分からない映画の宣伝イラストが描かれている。
「出入りの業者から貰ったんだけどな。出先で買ったりで、ほらたくさんある」
スーツの中には同じようなものが五本ほど刺さっていた。
『緊急呼出です。緊急呼出です』
高野のスーツから電子音声が響いた。携帯端末を取ると緊急通話着信が入っている。
「もしもし、状況は?」
『タグリ・ハーバーだ。そちらのお姫様の侍女が脱走した。ソーサラーズの請負刑事が走ってるぞ』
「請負って、そんなに緊急ですか」
『大人の事情だよ。緊急じゃァないが、速やかに保護することになった。荒っぽいことになる前に帰ってこい』
「了解。予定は切り上げて帰りますけど、あ、ヤバ」
目の前に、足が迫っていた。
『おいっどうしたっ』
咄嗟に高野は右腕でガードしたが、強烈な勢いの蹴りに後ろに転がされてしまう。
ジャージ姿のアンジェリカ・タウローズが放った蹴りは今まで食らった蹴りの中でも相当に威力のある部類であった。レンチで殴られた時と同じくらい痛む。となれば、あの時と同じくへし折れているかもしれない。
「姫様から離れろ、下郎が」
「いって、マジでいって。おいっ、暴力はよせ」
高野は尻もちをついたまま言った。腰につけてある警棒を取ろうとしたら、何やら焼き鳥の串のようなものを向けられている。
「よせよせ、尖ってるもんは危ない」
「動かず術を解け、妖術師め」
「そんなんじゃないって、ユーリスさんからもなんとか言ってくれよ」
腕は痺れて激痛が走っている。折れてはいないと思うが、隙を見て絞め落とすなんてのはできそうにない。
突然のバイオレンスな状況に口元を手で覆っていたユーリスだが、名前を呼ばれて弾かれたように声を上げた。
「アンジェリカ、何をしているのです」
「姫様、ここは妖術師共の造ったまやかしです」
ユーリスは言葉を失った。アンジェリカは何を言っているのか。妖術師がこんなことをして何になる。
「アンジェリカ、落ち着いて聞きなさい。妖術師などおりません。いたとしても、こんなことをするのは理に適わないでしょう。ミスタタカノに非礼を詫びて」
「姫様は、ドナイタシス家に必要なお方でございます。かような妖術師の言葉に惑わされてはなりません」
腹の中に焼けた鉄を刺し込まれるような不快感があった。いや、そんなことをされたら死んでしまうのだけれど、殺されるような不快感であることに相違ない。
「アンジェリカ、この街を見て、我らに饗されるもの見て、分からないのですか」
「何を仰って」
「控えなさいッ」
ユーリス自身が驚くほど、鋭い声が出た。
喧嘩見物の人々、ましてや荒事に慣れた高野ですらがびくりと動きを止めるほどの一喝である。
「神の試練か、はたまた魔の業か、センターの皆様の仰る『落下』か、どれであっても我らは遠く異国の地にいるのです。帰りようのない遠い場所にいるのです。アンジェリカ、わたくしたちは帰れないのです」
絶叫のような、嗚咽のような、悲しい声音であった。
声に出して分かることがある。ここから先、今までのものは何一つ通用しない。算術、世の理、何もかもをユーリスは知らない。
魔法のような数字の理は数学として。大地が回ることの証明は科学として。物事を何一つ知らない子供以下の存在として、この地でゼロから始めなければならない。
何より、ドナイタシス伯爵家の威光はこれだけ遠い地には届かない。闇の中を自分の足だけで歩かねばならない。
「お家を捨てると申されるか」
侍女とはいえ、アンジェリカ・タウローズはドナイタシスの家臣である。
「ドナイタシスの血はわたくしにあります。捨てるのではありませんが、この地では我らは平民として、生きねばならぬのです」
「なれば、あなた様は、貴種足りえぬではないですかっ。やめて下さいっ、そんな言葉は、そんな言葉は」
ジャージの胸元に輝く銀の首飾りにプラーナ術の淡い光が灯る。アンジェリカはそれに手を添えて、自らの脳に打ち込まれたプラーナ針の命令に抵抗を試みた。
「そのお言葉、背反と受け取り候」
抵抗は無意味だ。
アンジェリカの手がユーリスに伸びる。その瞳に彼女の意思は無い。ドナイタシスの家臣としてやるべきことをやらねばならない。たとえ、幼いころから仕えた主人であっても。
「アンジェリカ?」
「あぶねえっ」
なんとか立ち上がった高野がアンジェリカに体当たりを仕掛けるが、それはいとも簡単に避けられて、固まっているユーリスの喉元に向かって串が突き入れられる。
「おっとぉ、間一髪だな」
いやに大きな指が、器用に串の中ほどを摘まんで止めていた。
アンジェリカは浴びせかけられた殺気に後ろに距離を取る。訓練された暗殺者といえど、人食い虎に己の首を差し出しはしない。
「おのれ、妖術師共の放ったオーガか」
身長は220センチ、体重は190キロの大男である。ソーサラーズのポリスジャケットを羽織った怪物は、その言葉ににやりと笑んだ。
「特異遺伝子保持人間種ってヤツだぜ、俺はよ。アンジェリカ・タウローズさんだな。捜索願いが出てる。おとなしくしてくんな」
蘇土隆明は指をつきつけて、芝居がかった動作でキメたつもりなのだが、この場の誰もそこには注目していない。
「一匹、無手で言うか」
アンジェリカは一歩前に出た。
集まってきた見物人たちの中には加勢すべきか迷っている者もいるようだ。
「お嬢ちゃん、妙な気配だな」
「シッ」
気合の声と共に蘇土の視界からアンジェリカが消えた。異様なまでの速さで右斜めの死角へ潜りこみ、蘇土の首筋に自然霊毒の塗られた串を突き刺していた。
「俺にそんなもんが効くかよっ」
傷つけないよう捕まえようとする巨躯からするりと抜けだすアンジェリカは、バックステップで歩道と道路の境界にまで下がった。背後の道路は交通量が多い上に腰までの高さの転落防止柵で区切られているため逃げ場は無い。
「俺じゃなかったら死んでるような毒じゃねえか。まあいいさ、おとなしくしてくれ」
「化け物が」
蘇土の見たことのない形で構えたアンジェリカに、内心で怒鳴りたくなった。プロの暗殺者を傷つけずに捕まえろというのは無茶だ。だが、やらねばならないのが請負の辛い所である。
「少し手荒にいくぜ」
捕まえて、拘束する。多少は刺された所で問題ない。
傍から見れば、それは見事なものだった。
間合いを詰めた蘇土に際し、捕まえようとする手をかわしながら、アンジェリカは足を払い背中に回って膝の裏を蹴りつける。
「油断したな、化け物」
アンジェリカは蘇土の背中を駆け上がり、そのまま首に足を巻きつけて体を弓なりにそらした。相手の首を支点とし、さらに体勢を崩している所へ背後から前方へとバク中の要領で回転の力を加える。
「おお、フランケンシュタイナーッ」
高野が声に出すと見守っていた見物人たちからも歓声が上がった。
蘇土は倒されていくのだが、アンジェリカの狙いはその首と『前方』にある転落防止柵にあった。
顔面を地面に叩きつける技だ。だが、その前に転落防止柵があり、蘇土は喉仏を柵にしたたかに打ち付けたのである。どれほどの化け物であれ、その巨躯に見合う重量の乗った落下エネルギーを喉に受けてはただではすまない。
「姫様、苦しまぬようにいたします」
崩れ折れる蘇土、悠然と立つアンジェリカ。事情が違えば勇者の様だ。
「アンジェリカ、わたくしを亡きものにと命じられているのですね。お父様ですか、それとも母上か、今となってはどちらも詮無きことでしたね」
「全てはお家のためとお考え下さいまし」
「それも世の倣いですか。このユーリス・ドナ・ドナイタシス、逃げも隠れも致さぬが侍女の間違いを見過ごせる女ではないわ」
とはいえ、足は震えていて今にも崩れ折れたいほどに恐怖していた。
「お覚悟ッ」
ぎゅっ、と目を瞑った。
一流の暗殺者ともなれば痛みを感じる暇もなく、という話を聞いたことがある。もう死んでしまったのかしら、とおそるおそる目を開くと、目の前には背後から首を極められたアンジェリカの姿があった。
「あんなもんで俺が死ぬかよっ。けどなあっ、久しぶりに痛かったぞ」
ユーリスは茫然とその怪物を見つめる他なかった。
蘇土は喉を強打したためか口の端から血を垂れ流しながら、暴れるアンジェリカの体をワイヤーで拘束していく。
「絞め落としてもいいがな、妙な術を解いてやらにゃァお前さんに何が起こるか分からん。ちょいと我慢して縛られとけや」
警察官資格を持つだけあって確実な拘束である。これを抜け出せるとしたら全身を粘液状に変形させられる種か生命炎種くらいしかあるまい。
見物人から拍手が上がり、蘇土は目の前のユーリスに笑みを向けた。耳まで裂けた口から覗く牙と、瘴気漂う瞳なのに、どうしてか彼が照れていることが分かった。
「たすかりました」
「なあに、このジャケットを着てる間は警察官さ」
ユーリスにその意味は分からなかったが、気が抜けてその場に座り込んでしまう。アスファルトの硬い感触がドレスを通して膝に伝わった。
「アンジェリカ、後でお話しましょう。きっと、あなたにも分かります」
動けないアンジェリカだが、ユーリスが目を合わせると泣きそうな顔になった。そして、
「逃げて、ひめさま……」
苦しげな声であった。
「え」
アンジェリカの口が大きく開いて、それが見えた。
舌の上には十本を超える短く切られた竹串が、鋭利な切っ先に毒の塗られたそれがあった。ふうっと息を吸い込む音。それは、自身のものなのかアンジェリカのものにのか、ユーリスには分からなかった。
蘇土が気づくが口を閉じさせるには遅い。
「ああっ」
暗殺術の中でも特殊な部類に入る含み針。口内に針を置いて呼気において弾丸のごとく針を発する秘術である。
「いだっ」
体を割り込ませた蘇土の顔面に竹串が突き刺さっていた。一本に至っては右目を貫いている。
「なんということ、誰か、誰か」
「いってぇっ、すげえ沁みるじゃねえかっ。いった、マジでいてぇ」
顔面に刺さった竹串を蘇土は抜いていく。瞳以外のものもなかなか深く刺さっているが、骨を貫通するほどには至らない。ましてや、この怪物の骨に届かせようとするなら竹串では不十分である。
「あ、だ、大丈夫なのですか」
「すげえ沁みる。切り傷に醤油垂らした時みてぇだ」
状況の分からないユーリスだが、高野がやって来て間に入った。
「センター保護官の高野です。ソーサラーズの方ですね、大丈夫ですか」
「ああ、問題ねえよ。普通の毒は効く体じゃねえ。沁みて痛いだけさ。とりあえず、柵ぶっ壊しちまったのはそっちで持てるかい?」
「それってセコくないですかね」
蘇土と高野は『はははは』と笑い合って結論を避けた。遠くからパトカーのサイレンが響いてくる。この場はちょっとしたケンカで手を打つとして、姫様と侍女様のケアが大変だな、と高野は先のことに思いを馳せた。
取り調べから保険会社の調査員が到着するまでは迅速に進んだ。
アンジェリカの首飾りから検出された微弱な魔力反応はセンターに非があることにするに十分なもので、転落防止柵の弁済はセンターが持つというところに落ち着くまでに二時間を要した。
その後、アンジェリカの頭部になんらかの魔術的呪いがかけられていることが判明して緊急入院措置が決まった。
その後の彼らを簡単に言うとこれだけなのだが、高野がユーリスを宿舎まで送ったら亜人種と人間種が顔をボコボコにして宴会をしているのに巻き込まれたり、何やら大金庫で盗難があったとかでゴタゴタしていたりで気が付けば深夜一時を回っていた。
「ああ、いてぇズキズキするぜ」
蘇土は深夜営業のカフェで顔を押さえてため息をついた。
カウンター席に客は高野と蘇土の二人だけだ。
「毒、ほんとに大丈夫なんですか?」
「だいたいは問題ねえよ。ホントにヤバかったら今頃倒れてるさ」
アル中みたいな物言いだ。
カウンターの奥から店主であるアンナ・ロッポンドウがブラッバーを差し出して、男二人に笑みを向けた。が、男たちは素敵な笑みよりアンナの大きなおっぱいに目が向いている。
「ブラッバー、ええと高野さんのとこだとコーヒだったかしら? おまちどお」
アンナは頭から鹿の角を生やした人間種だ。それ以外に鹿的な部分は見える所には無い。長身でモデルだと言われても納得できる彼女は独身だという噂だ。高野の勘ではちょっと年上かな、という所である。
「ああ、追加で野菜サンド頼む。蘇土さんはどうします。腹になんか入れて大丈夫そうですか」
「ケーキとかあるか?」
「お昼だったらもっと種類があるんだけど、今はチーズと豆腐とストロベリーだけよ」
「全部一個ずつ頼む」
「まいどォ」
なんだかイメージに合わないものを頼む人だ。
「蘇土さん、ファンタジー系の人にあいそうな仕事ってなんか思いつかないですかね」
「あの御嬢さんかい。侍女さんはソーサラーズが欲しがるだろうよ。仮にも俺にフランケンシュタイナーをキメやがったんだ」
「あれは強烈でしたね」
苦笑して高野は答えた。見物人の撮影した動画がすでにネットにあげられている。ソーサラーズの要請で削除されるだろうが、あと一日は晒されたままだろう。
「銃は持てない街だ、ボディガードとしちゃ最高だよ。洗脳系の術も解除は問題ないみてえだしな」
「そのためにはなんとか侍女を辞めてもらわないと」
忠義だとかそういうものが絡む落下者の就職支援は難航することが多い。ユーリスに対する忠義は社会に慣れるのを阻害するだろう。
「その辺りはあの姫様の仕事じゃねえのか。キモの太さは今日見た通りだ。なんとかなるさ」
「だといいんですけどね。蘇土さん、終わったら飲みにいきません?」
「悪いな、あと二時間したらソーサラーズで仕事だ。48時間はしっかりこき使うとよ。高野さんも寝といた方がいいだろ」
「ですよねえ」
この街の夜景はいつだって最高なのに、楽しい夜とは縁が無い。
男同士でケーキの味見をするのは外聞が悪いのだが、アンナの生暖かい視線は無視しておく。
明日と明後日も仕事で、その後の休日はなんとなく潰れる気がしている。そして、だいたいそんな時の勘は当たるのだ。