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第二十三話 没入

第二十三話 没入



 思い出はまっくろ。

 いつだって、私の空は青い。


◆◆◆



 中央管理塔。

 別名・高級市役所は、行政区の中央に坐する塔である。

 空を貫く巨大な塔には、レストランから市役所まで様々な機能がある。

 落下物品オークションも、ここ中央管理塔特別区画で行われる。

来週に控えたオークションで、オークショニアデビュー果たすことになったアヤ・エズリーは研修を受けることになった。

 十七階、職員研修区画でアヤは、研修担当官である東愛子と面談を行っていた。

「はじめまして、東愛子と申します」

「アヤ・エズリーです」

 東は白いパンツスーツを着て、左目に眼帯をした女だ。華をあしらったシルクの眼帯は、花弁の奥に宝石が配されていて、市役所の職員にはとうてい見えない。

「私は人材育成機関からの派遣ですから、硬くなる必要はありませんよ」

 東愛子はにこやかに笑う。資格一本で社会を渡り歩くタイプの女だ。相応の能力があれば、この街では食うに困らない。

「お気づかい、どうもありがとうございます」

「エズリーさんは、鑑定士としての面では何ら問題ありませんね。センターでの鑑定は年間2000件以上、品質の間違いによるクレームは一切無し。スゴいですね」

「いえ、分かるだけです」

 アヤの返答は恐るべき傲慢に満ちたものだ。

 鑑定士にはそれが許される。

 努力の量だけで一流になれるような甘い仕事ではない。持たざる者はどれほど高い志を持とうと、どれほどの研鑽を重ねようとも、一定以上の先が無い。

 職人と呼ばれる人の多くはそれを知っている。

 料理には超一流に含まれるためには才能が必要だ。芸術もそうだ。例え、世界に二人しか違いが分からないほどの高みであったとしても、一番と二番の間には天地以上の差がある。

 アヤの手は分かる。

 金のインゴットや、宝石。その表面を触るだけで、専門機器でようやく読み取れる微かな凹凸を読み取れる。

 絵画の色合いも自然に分かる。贋作と真作の、絵に閉じ込められた意志を汲み取って、その差を気づけるのだ。

「……そうですか。では、まずは実際のオークションの風景を見て頂くことと、ホロディスプレイと仮想現実プログラムでオークショニアの反応速度に慣れてもらいましょう。最悪の場合は補助マシンもありますから、気を楽にして下さい」

 補助マシン、とは言うが、機械が「奥の紳士が1万ニュー円」なんてランプを光らせて言うのは、どうにも味気ない。特に、億に近い額の出るような場でそれはいけない。

「私に、務まりますか?」

「さあ、それはやってみないとなんとも。でも、ドクターラオのように鑑定士でオークショニアも兼任できるという方はいらっしゃいますよ。最初は小さなとこからがいいんでしょうけど、これがお役所仕事なんですかね……」

 東愛子は気の毒だと言った表情を顔に張り付けて、笑った。

 あ、この人嫌いじゃないな。

 不思議とそう思った。

「目録の作成は外部に依頼しています。今日は実際に小さなネットオークションでオークショニアを務めて下さい。上限は二百万円相当です」

 お家で寝たい。

 そう思うのだけど、いつもいつも顔がいうことをきかなくて。

「はい」

 半端に高い能力で仕事をこなしてしまう。

 結果だけを言うなら、危なげなく初のオークションをこなした。評価はそこそこのところ。そして、アヤの心はまた錆びついていく。

 自分の意思を捨てて何かをする度、腹の奥で熱い何かが悲鳴を上げる。

 いつか解き放ってやろうと思いながら、三十年近くが過ぎた。

 心が錆びついてしまっているから、別に辛くもなんともない。


 だって、本当に辛かったら首でも吊っている。首を吊っていない私は、泣くほど辛いことだって、本当は辛くないから首を吊ってない。辛いとか辛くないとか、そういうのは今までテレビや漫画で覚えた人間のフリをしているから。人間はこんな時に辛かったり苦しかったりするって思っているから、そういうフリをする癖がついているだけ。本当は何も感じていない。だって、本当に辛かったら、もう生きてない。こんなに苦しい気がしているけど、本当に辛いことなんか何も無い。


 もうずっと、心は冷え切ったまま。

 ずっと昔、もっとよく笑っていたことがあるなんて、それすら嘘のように思える。



◆◆◆


 十日が過ぎた。


 夢遊病にかかっているんじゃないかな、と思うくらいに帰りの電車はあっという間に過ぎていく。

 センターに一度戻ってタイムカードを押す。

 ガチャンと打刻された時刻をみれば、一時間の超過だ。契約によれば、研修期間中でも残業代は出る。

 アヤは小さく口元に笑みを浮かべた。

 金はいつもどこかへ消えていく。

 アヤは貯蓄がほとんどない。いつもくだらないものを買ってしまう。

 夕暮れの街で、眠るまでのあと五時間、何をしようかなと迷う。

 オークショニアはやってみるとそんなに難しくはなかった。ただ、いつもの体が勝手に動いていく感覚があって、ひどく疲れるだけ。

 口元に笑みを張り付けることだって出来た。

 ネット上の仮想空間では、衣装だって自由自在だ。男物の燕尾服を着ると、なかなか評判が良かった。業務日報にはいつも、前向きなことを書くようにしていて、心にもないことだけが書き連ねられている。

 街を歩く。

 センターの近くは、非人間種が多い。

 落下現象が起きてから続いているという商店街は、いつもいい匂いがしている。食べて帰りたいけど、帰らないとお母さんがうるさい。いい歳してなんでそんなことしなきゃいけないのか。

 商店街を抜けたら、駅までもう少し。

『アヤ、何かが来ている』

 髪の毛を一本ぷちりと抜いて、誉首闘羅根明王真言で式を描く。髪の毛は虫のように姿を変えて飛んでいく。

 商店街のアーケードを、雲梯の要領で猿のように移動する何かがいる。ただの監視カメラや魔術の目では感知できまい。アレは、半ば位相がズレている。

「先生、あれは?」

『階梯を半分踏み出したという所か。死人が生きているものだよ。今のアヤでは及ばない相手だ。我に体を貸せ』

「……私じゃあ無理?」

『十回に一回くらいだな』

 十回に一回勝てる?

 逆であることはないだろう。

 これは本当に現実だろうか。

『アヤ、よせ』

「先生、防御頼みます」

 商店街の通りを抜けて横道へ。

「トオリャンセ・トオリャンセ・テンジンサマノホソミチ」

 歌唱型魔術式で、遠い世界の歌を紡ぐ。

 人通りの少ない裏通りから駐車場へ。

「アーティファクト、持っているな」

 背後にいつの間にか追いついてきていた者から、そんな言葉が発せられた。

 振り返れば、奇怪な男がいる。

 頭にはズタ袋。なのに、スーツ姿だ。シワ一つないスーツを着ているのに、頭にはズタ袋を被って首の所を荒縄で縛っている。ネタクイはブランドものだろうか。光沢のある生地が輝いている。

 ひどい、死の匂いがした。

 魔術を長くやれば、嫌でも嗅ぐ匂いだ。星素を操ろうとして失敗した時。星素が瘴気に変換される時の、魔術師にしか嗅ぎ取れない匂い。

「……これのこと?」

 左手の人さし指につけた指輪を見せると、怪人は嗤った。

「よこせ。お前にはもったいない」

「そうかしら」

 足が震えないのは何故だろうか。

 右手で描いていた魔術式を解放する。

 空気の圧縮で放たれた螺子が高速で打ち出された。

「シッ」

 怪人の小さな声。

 いつの間にか取り出したのか、両手に魔法のように握られた包丁がネジを斬り飛ばす。

 アヤは右手を突きだして二射目を放つ。が、至近距離でも怪人の包丁には同じことだ。人を遥かに超えた力で、ネジは弾かれた。

「ふるへゆらゆらとふるへ」

 アヤの影より這い出した槍が怪人の腹を貫いた。

「死なない死なない死なない。死なない死なない死なない」

『そいつは不死のなりかけだ。分が悪いぞ』

「時間は稼げました」

『……何をしている』

 アヤは懐から小さな、木剣を取り出していた。刃渡10センチ程度の小さな木のナイフ。使いこまれて飴色になった子供のおもちゃに見えるものだ。

「桃の三つとりて、打ち付けよ」

 指輪に潜む『先生』にすらその効果は未知数であった。

 怪人の頭に投じられたおもちゃの剣は、空中で三つに増えて頭、胸、下腹部に突き刺さった。

「あ、ああああ、力が、力が抜けて」

 白い煙が怪人の身体から漏れ出る。

「死なない死なない死なない死なないィィ」

 怪人の魔法の言葉は無意味だ。

 刺し込まれた木の剣は、怪人の肉体にしみ込んでいる瘴気を分解しつつある。

「桃の木で作った剣よ」

『なんと……。異界の理で帰ってきた死者を物体に戻すか』

 儀式魔術と呼ばれるものがある。

 元々この世界には存在しなかった魔術の中でも、とびきり異質なものだ。星素が全く無意味に変換されて、空気がよくなったりする。という、宗教的な儀式に基づく意味のない術とされている。が、現実には違う。星素に満ちた世界では、瘴気に触れた怪物への対処が必要だった。そのために生み出されたものこそが、儀式魔術である。

「あああ、消える、消えてしまう」

 怪人の身体から瘴気が漏れ出した。大気中の瘴気中和剤と反応して、赤い燐光を放つ。

 苦しみもだえる怪物は吠えた。

「QOIAAaaaaaaaa」

 天に何かを願うような、悲しい声音で怪人は哭く。

 叫びは、アヤを悲しくさせた。

 誰にも相談できなくて、一人で声を殺して啼いた時のあの声だ。怪人の発する音は、アヤの捨てた哀しみにひどく似ていた。

「悲しいなんて嘘なんだよ。だって、体が張り裂けそうなくらい悲しいなら、きっと張り裂けるでしょう。張り裂けずに哭いてるだけなら、それは悲しんでないんだよ。人間のフリをしているから、悲しい時は悲しい顔をしなくちゃいけないって思い込んでるだ。わたしは、それに気づいてから、大丈夫になったの」

 悲しいなんて嘘。

 苛立ちも嘘。

 本当は何も感じてない。だから、生きていられる。

 私が不出来なのも同じ理由だ。私は心なんてもうなくしてしまっていて、だから、本当は何も欲しくない。

 怪人は、全身を赤い光に包まれてなお、緩慢な動作で包丁を振り上げた。

「……ああ、凄い。こんなに本気で欲しいんだ」

 本当は死んでいるのに、欲望が勝るから死なない。

 瘴気の光に誘われた者は皆、そうだ。命よりも欲しいものがあって、そのためだけに生きている。一つの欲望のために、自分自身を変質させられる。

『アヤ、見事だが、次の手をとらねばアレは育ちきるぞ』

 アヤは小さく息を吸った。

 いつからだろう。わたしは現実がよく分からない。

 ひどく手のかかる子であるわたしは、20歳の時にお家に連れ戻されてからずっとずっと、日常が曖昧で、起きていることに現実感が無い。

 今も、命の危機を感じているのに、こんなにも、怖くない。

 ライアーローズならどうするだろうか。

私の大好きなライトノベルの主人公なら、こんな時どうするだろうか。

「ああ、アレ、なんだっけ。何か大切なことを忘れてる気がする」

 指に火を。

 星素を酸化現象へ変換する。

 どれほどの熱を出せるだろう。

 『灼熱の手』と呼ばれる基礎的な術を行使する。子供のころに倣って、そればかりやっていたから、得意な術だ。

 振り下ろされる包丁を、灼熱に包まれた手で打ち払う。怪人の首を締め上げる。

「ああああああ」

 耐え難い痛みに上げる叫びは、なんだか聞いていて不愉快になる。

 昔、こんなことがあったような。

 ああ、思い出してはいけない。だから、アヤは手を放した。

 手を見て、それから怪人を見て、地面を見る。

 あのワンピースを着ていない。あの畳の部屋じゃない。あれは、違う。ここは違う。ここはフォーシエットだから、違う。

『アヤ、落ち着け』

「あ、あああ、ごめんなさい」

 まともに考えられない。

 どうしたらいい。

 どうしたらいい。

 どうしたらいいの、お母さん助けて。

 思い出したらいけない。耳に張り付いている鳴き声が。

 小さな首。

 あの人が起きたらまた痛いことをされる。

 でもこの子は泣きやんでくれなくて、わたしは、わたしは仕方なくあの子の口に手をかぶせてそうしたら。

「あああ、わたしのあかちゃん」

「おかあさん、たすけて」

 怪人は最後にそう言って、その体を瘴気に変えた。

 赤い燐光が瞬いて、カラリと頭蓋骨が転がる。

 怪人のいた痕跡は、地面に転がる包丁と頭蓋骨だけだ。

「あ、わたし、なにしてるんだっけ」

 空には真っ青な月が輝いている。

 ああ、お空がとても綺麗で、子供のころ、兄と一緒に夏祭りにいったことを思い出す。

 わたしは綿菓子が好きで、金魚すくいを兄にせがんで、それから。

 子供のころの思い出だけは輝いていて、よく思い出す。


◆◆◆



 研修は何事もなく終わった。

 東愛子はアヤの覚えの良さを手放しで誉めた。

「意外に、できるものですね」

「あなたに才能があるからですよ」

 東愛子はアヤに温かな笑顔を向けた。つられて、アヤも笑う。卑屈な笑みになっていないだろうか。

「東さん、ありがとうございます」

 感激しているフリ。

 喜びは顔に出さないといけない。



◆◆◆



 じっとりと汗ばんでいる。

 夏は、行きかう誰もが汗をかいている。

「すいません、道を教えて欲しいのですけど」

 携帯端末の画面に表示されている地図を見せてくる男。

「はい」

 ドン、と頭を叩かれて、車に押し込まれる。

 いたいたいたいいたい。



◆◆◆◆


 目羅博士と名乗る怪人は国際警察機構に追われる世界的犯罪者だ。

 ある時は殺人悲劇王と名乗り、またある時は黒29号とも呼ばれ、百五十年以上に渡って表には出ない犯罪の世界で暗躍を続けている。

 世界各国にその手下は千とも万とも存在するとされていて、昨年の春に電基都市マガツを停電に陥らせた。テロ行為ともされているこの事件は、「アーナンダの瞳」と呼ばれる宝石を盗みだすためだけに行われた。その事実を知る者は少ない。

 イーストエンドソーサラーズの派遣警部、笹原はその事実を知って、追いかける側だ。

 夏だというのに三つ揃いのスーツ姿で、ブランド物のネクタイを締め上げている。タイピンにカフスは一流品で、スーツはオーダーメイド。メタルフレームの眼鏡をかけた細面。見ようによっては高級官僚というところか。警察官だとしても、ドサ周りの派遣警部などと誰が信じられるだろう。

「いつ来ても、汚い街だ」

 笹原がアカザ港の客船から降りて、最初に言ったのはその一言だ。

 この街はいつも混沌としている。

 ブラッバーを売る露店でアイスを頼むと、出て来たのはアイスクリームだ。

「……」

「二百円です」

 アイス、というのはフォーシエット以外では冷やしたブラッバーを指す。アイスクリームではない。

「カードで」

「はい、決済しますね」

 小銭の持ち合わせはなかった。

 マンゴー味のアイスを一口。

 甘くて上手い。夏には丁度いい酸味も効いている。

 夕暮れの港でアイスクリームを食べる。

 携帯端末で地図を確認していると、アプリの画面に亀裂が入った。そして砕け散る。そんな演出のCGが突然展開された。

「耳切ハサミです。お久しぶり」

「お前か。迎えはセンターじゃないのか?」

「センターには、私の一存であなたがくることを知らせていません。ナビゲートしますので、こちらに来て下さい」

 携帯の画面が切り替わる。

 地図アプリは目的地が固定されていて、他の機能は全てロックされていた。

 耳切ハサミは伝説的なクラッカーだ。端末システムのネットが世界中に広まってから、ずっと存在し続ける伝説的な犯罪者だ。過去に、とある独裁者の夜の秘密を世界中に発信し、またある時は電算脳固定器の設計図を公開したこともあった。

 個人ではなくアナーキストの集団ともされている。

 ナビに従って街を歩く。

 地下鉄に乗り、カブキ町東七番出口を出て、その後は入り組んだ路地を進む。

 多種多様な種族がいて、落下現象多発地なだけはあると変な感心の仕方をした。

 東奥ビルと看板のかかった雑居ビルの三階のテナントに着く。ドアノブを握る前に自動でドアが開いた。

 以前は風俗店だったようだが、今は潰れてしまっている。薄暗い店内に一歩踏み込むと、『いらっしやいませ』と電子音声が響く。

「いらっしゃいませ、ご主人様」

 メイド姿のロボット。

 鉄のフレームに人工筋肉丸見えの、作成途中のロボットだ。完成しても、セクサロイドにはなりそうにもない。

「悪趣味だな」

「まあ、そう言わないで。言葉でのコミュニケーションじゃないとあなたは納得しないでしょう。この義体はそれ用に造ったの」

 ロボットは一昔どころか、著作権の切れたボーカロイドプロトコルで滑らかにそう言った。

「で、こんな所に呼び出してどうする?」

「リーホァが動いてる。アレは乱暴な手を使うから、止めてほしいの」

 きんきんと高い声に、初期のボーカロイドプロトコル特有の奇妙な抑揚。

「犯罪者同士のことは知らん」

「今、市民が拉致されているんだけど」

 笹原は大きく息を吐いた。

 呼吸の音が変わる。

「不愉快だな」

 笹原の動きは、目にも止まらぬ速さだ。到底人間に出せるものではない速さで、メイド姿のロボットの腹部を殴りつけた。何の加工もしていない拳が、鉄のフレームを貫通する。

「地図は端末に入れろ。それから、言葉のコミュニケーションがしたいなら、その鬱陶しいアニメ声はやめろ」

「笹原くんの暴力的なとこ、キライだな……」

 


 安い仕事だと思っていた。

 素人女を一人拉致して、シティホテルの一室に転がすだけで大金が手に入る。

 リラックスして入る金をどう使おうか考えていたチンピラは、突然ドアから現れたスラリとした高級官僚然とした男に、言葉を失くした。

 セキュリティは万端のはずの電子ロックが、正規のキーを入れた時と同じように動いたのだ。声紋のロックまであったのに、それら全てが無効化されている。

「拉致監禁の現行犯だ。他にも色々つけるが、とりあえず死ね」

 銃を持った相手に、無手で笹原は言う。

 チンピラのサイボーグ男が笑った。

「お前がな」

 手に内臓されたプラズマバルカンが火を噴いた。

「いや、やっぱりお前だよ」

 プラズマバルカンに対して、回し受け。

 空手で言う所の回し受けで、プラズマは霧散した。

「ビーム攪乱幕か」

「お前みたいなヤツには分からんよ」

 笹原の一本貫手が、サイボーグ男の眉間を貫いた。

「しまった、死んだら調書が取れん」

 笹原は小さく舌打ちした。すっかり忘れていたが、一般の犯罪者相手に殺し技は御法度だ。

 背後に気配を感じて、飛ぶ。

 ナイフが首のあった所を通り過ぎていた。

「あーら久しぶりじゃないの」

 自称、秘宝ハンターのリー・リーホァである。見た目には二十代半ばの美女だが、中身は毒蛇だ。

 両手にナイフだけだが、先ほどのチンピラよりも格段に危険度は上だ。

「リーホァ、拉致監禁を指示して、……用済みになったコイツを殺したのはお前か」

「ちょ、ちょっと、そいつヤッたのアンタじゃない」

「なんのことだ?」

 捜査に不備があった場合は、犯罪者に擦り付けるのが最も手っ取り早い。派遣刑事ならだれでもやっている方法だ。

「汚いわよ」

「シャンバラで暴れただろう。あれで懲役80年は堅い。殺人が一件増えただけでも変わらんだろう」

「アタシ、殺しはやらない主義なの」

「嘘をつくな」

「嘘じゃないって」

 軽口を叩きながら、じりじりと間合いを詰める。

 リーホァのナイフは一瞬先の未来を斬る。対して、笹原の拳は一切合切に対して万能だ。

「なんで、一般人の女をさらう?」

「この子が一般人? 馬鹿言ってるわね。こっち側よ、この子」

「……瘴気は感じないが」

「この子、かなり以前に自力で人間辞めてるわ。手に嵌めてるダイヤなんて、子供の骨で造ってるし。道士タオスィーから屍解仙にでもなろうとしてるんじゃないのかしら」

 遺骨をダイヤにする技術というのはかなり以前からある。それ相応の金はかかるが、故人と共に過ごしたいという要望を叶えるものだ。多くの神秘系魔術師が、この技術で魔術的には意味の無いオカルトアイテムを造っている。

 魔術はエネルギー操作技術だが、神秘的な観念が大きくその成功率を変える。

 笹原は小さく笑った。

「まあいいさ。それは現地のソーサラーズに任せる。私の仕事は、お前と目羅博士一味を始末することだ。難しいことは上に任せる」

「あら、始末って穏やかじゃないわね」

「今更だろう。お前たちのような超人は、『生死問わず』が鉄則だ」

「へえ、笹原くんって意外に自信家ね」

 リーホァは舌先で唇を舐めた。

 ナイフの構えを変える。重心を低くして、右手に逆手に持ったナイフを上段に、左手の順手に握ったナイフは下段に。

剣歯虎拳サーベルタイガーモードか。修行不足だな、少しダイエットした方がいいぞ」

「アンタ、イヤな男ね」

「キミほどじゃない」

 リーホァは、人を辞めている。

 修行とアーティファクトとの接触で、瘴気を吸収してエネルギーに変換することに成功した『超人』もしくは『超神』と呼ばれる存在だ。

 格闘技やオカルトの無意味とも思える修行の果てにその境地に至ることもあれば、アーティファクトと呼ばれる奇怪な『落下物』に触れることで遺伝子の変質から成ることもある。

 どちらにしろ、彼らは人を踏み越えた者だ。

 リーホァは、一瞬先の未来が読める。

「カッ」

 笹原が呼気と共に繰り出した前蹴りを、リーホァは先に見ている。

 紙一重で避けながら、両手のナイフが笹原の首を狙った。交差するナイフで首を斬り落とす技だ。

「バイバイ、笹原くん」

 左右から襲い来るナイフのどちらかを止めることはできる。しかし、両方は無理だ。

 勝利を確信したリーホァの笑みが、凍りついた。

「バケモノめ」

 笹原は右手のナイフを歯で噛むことによって止めていた。そして、左に関しては両手で止めている。

 にやりと、笹原は嗤う。

 腕をへし折る鈍い音が響いた。

「こ、この、バカ、女の腕を折るなんて」

 リーホアは右手のナイフを放すと、笹原の顔面を蹴りつける。もちろんかわされるが、これは距離を取るためだ。

「バケモノにバカとは、ひどい言いようだな。この変態が」

「誰が変態だテメー」

「取調室で聞かせてやるよ。おとなしくしたら、身体検査は婦警をつけてやる」

「ぞっとするわね」

「ケツの穴まで調べるのは気が進まんよなあ」

 リーホァは、奥歯をぎりと噛んだ。

 笹原が一歩近づくにつれ、一歩下がる。じりじりと追い詰められて壁が背中に当たった。

「ねえ、そんなに怖い顔しないでよ」

「手錠をかけるぞ」

「そういうのキライ」

「なら、足をへし折るが」

「……オーケイ、言うこときいたげるつもりになったけど、うん、日ごろの行いよね。ツキはまだあるみたい」

「何を言っている」

「ほーら、後ろにいるよ」

 リーホァは地を蹴った。

 右手を抑えながらドアに向けて走る。

 手錠を投げようとした笹原は背後の気配に気づいて振り向く。窓を蹴破って入ってき巨大な影が、肉切り包丁を振り下ろしてきた。咄嗟に、アゾイタイト合金の手錠で受け止めた。

「ハハハハ、久しぶりですなぁ笹原警部」

 巨体の男だ。いやに綺麗なソプラノの声をしている。しかし、天使の声とは裏腹に、その相貌は蛙そっくりだ。そして、口には牙がびっしりと生え揃っている。

「死なずのフロッグか」

「ハハハハ、八度死に、未だ現世。ヒヒヒヒ、いつになったら死ねるのか」

「余生は刑務所で過ごせ」

 笹原の拳が、フロッグの顎を打ち抜く。常人なら骨を破壊する一撃だが、フロッグの衝撃を吸収する皮膚と骨格には効果が薄い。

「クフハハハ、この程度では九度目には遠いですなあ」

「笹原くん、後は任せたっ。またねーっ」

 リーホァの嫌がらせのような声が遠くから聞こえた。

「くそっ、お前ら逮捕する」

「やってみせろよ、クソ刑事」

 女の声と共に殺気。

 隙だらけのフロッグの脚をはらって転がすことで、無理やり体勢を入れ替えた。同時に発砲音が鳴りフロッグの背中が弾ける。

 熱水銀弾を室内で放ったアホがいる。

「全員でお出ましか」

 窓にはフライングカーペット。そして、そこにはライフル銃を構えるナース服の眼帯女に、シルクハットの怪人がいた。

「その女は貰うぞ、笹原くん」

「目羅博士か。前から疑問だったんだが、お前、博士っていうけど何の博士なんだ? ものしり博士とかじゃないだろうな?」

「安い挑発だな」

「乗ってくれはしないか」

「次の機会にな。愛子、抑えろ。今は女が先だ」

 ライフルを持った片目の女、東愛子は今にも飛びかからんばかりの顔で笹原を睨みつける。

「しかし博士。あのクソ刑事にいい様に言わせて」

「今は、アーティファクトが先だ。愛子、笹原くんには僕が相手をしよう」

 東愛子は華が咲いたような笑みを浮かべて、ベッドに寝かされているアヤを背負いあげた。そして、カーペットから降りた目羅博士は、何の表情もないつるりとした仮面で笹原を見る。

「フロッグ、下がれ」

「御意に」

 笹原は目羅と見つめ合う。

 目羅博士は、シルクハットにステッキ、そして仮面の怪人だ。くるりと、ステッキの先端を笹原に向ける。

「笹原くん。僕は、犯罪というのには美学が必要だと思っている。リーホァはその点では美意識に欠けている。そして、キミはまだ若い、若すぎる。僕の望む好敵手は、シャーロック・ホームズのような男なんだよ。その孫娘でもなければ、キミのような刑事でもないんだ」

「追い詰めたつもりか?」

「ふふふ、キミは僕の舞台に相応しくない。だが、チャンスは与えねばならないと僕は考える。人はね、美意識を持つために試練が必要なのさ」

 笹原は息を整えた。

 正面からの攻撃なら、一矢報いることができる。

 笹原をもってして、全く対応できなかった。気づくと目の前に目羅博士がいて、自分の胸にその右手を刺し込んでいる。痛みは無い。体が動かない。

「貴様、何を」

 ひどく体が重い。手足が鉛になったようだ。

「キミには分からんよ。こちら側に未だ踏み込めていないのだから。さあ、キミの心臓に、針を打ち込んだ。僕と競走しようじゃないか。中央管理塔のアーティファクトを、僕は盗み出す。予告状も送ろう。止めてみたまえ。商品は、キミの命だ」

 笹原は薄れゆく意識の中で、中指を突き立てた。

「下品な男だね、キミは」

 目羅の呆れた様子に、笹原は少しだけ満足感を覚えた。




 刑事・謎の女・怪人。

 ライアーローズの物語にいてもおかしくない。

 物語に入りたい。

 妄想の中のわたしは、強くて、キレイで、みんなに愛されている。


暗い話になるかもしれない。

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