第二十二話 星素で遊ぶ
遅くなった
第二十二話 星素で遊ぶ
夢を見ている。
「魔力を星素と呼ぶのは間違いではない。魔力とは星の影響で人の肉体に宿ったと考えるのは自然なことだ。例を挙げよう。お前たちの言うメテオストライクという邪術は、星の欠片から星素を取り出すことが本当の目的であるからだ」
先生は髑髏、されこうべだった。
人間の頭がい骨を戯画化して描いたような、攻撃性に満ちたギラギラした髑髏だ。瞳には青い光が宿っていて、古典的な魔法使いスタイルであるローブでその身を包んでいる。
「アヤ・エズリーよ、お前は魔力の流れを感じながらそれを描き出す方法に拙い。星素とは星のうねりだ。生物こそが一つが宇宙であるとするなら、その内部に満ちるものを星素と呼んでも差し支えない」
教えられた通りに魔術式を描く。
流派、技術大系、伝統術式、様々な描き方が魔術というエネルギー操作技術には存在している。
神への祈り、万物への祈り、己の精神の奥底への祈り、精霊への祈り、それらの全ては星素という千変万化するエネルギーに対する干渉だ。
「星素は生成するものだ。己の肉体の中で練り上げねばならない。なぜなら、一つの宇宙はそこで完結している。星素を取り込むというのは、宇宙の、世界線の壁を超えるに等しい。アヤ、お前はすでに式を自在に描き出せる階梯に足を踏み入れている。星素を使うのは己を理解することだ」
先生はされこうべの、白い骨のアゴをカチカチとわざとらしく鳴らした。
「アヤよ。星素とは己そのものだ。自らの思い描く形で式を描け。そうすれば、お前はお前のなりたいものになれる。ヒトの業とは、そういうものだ」
例えば、旋盤機械工でも、会計士でも、詐欺師でも、魔術師でも。それらは全てそこに行きつく。先人の教えから得られるものを反復する階梯には終わりがくる。
「お前は面白い。我は利用には対価を与えねばならぬと考える。アヤよ、お前の星素は」
ああ、わたしの星素は、きっと、ライアーローズになるために。
◆◆◆
いつもの朝。
目を覚ましたら、お母さんの朝ごはんを食べて、いつもの時間に家を出る。
◆◆◆
オークショニアという職業がある。
「そちらの紳士が一千万、それ以上ありませんか」というオークションでハンマーを持って進行する役目の職業だ。
センター職員のドクターラオは無資格でそれを行う。
鑑定士としてかなり名前の売れたゴブリン種の老爺は、軽妙な語り口でオークション参加者を笑わせたりしながら場を進め、本日も盛況の内に幕を閉じた。
オンラインでの参加者が六割だったが、センターの活動資金としては充分な額を得ていた。
由来不明の物質はなぜか高く売れる。
石ころでしかなくても、浪漫があれば売れてしまうのだ。人は性能や性質だけに金を出す訳ではない。
人気のなくなったオークション会場で、ふう、とドクターラオは息を吐いた。
金と欲を煽るのは、ひどく疲れる。心地良いと感じていたのは青年期までだ。
「小夜子ちゃん、物の警備は任せたよ」
傍らの車椅子に老爺は言った。
自走式車椅子、見様によっては大人用の乳母車だ。庇のついたそれは、異様かつ不気味であった。怪物が、そこには人の形をした怪物が乗っているのではないか。
そのように思う。
それは間違ってはいない。
「お爺ちゃん、老けたァね」
「僕も長生きしたからねえ」
「……長生きかあ。どんな感じかしら」
最強車椅子こと鳴髪小夜子は、口元に不吉な弧を描いた。引きつれのような笑みである。
艶やかな黒髪のアルビノ。全身の神経はESPの使い過ぎで焼き切れた。最新の治療で肉体的には動くはずが、精神と脳がそれを許さぬほどに焼き切れている。なのに、車椅子となった今も最強の女だ。
実年齢は三十歳近いはずだが、見た目は少女のまま十年近く変わっていない。
「なんも変わらんよね。年を重ねて、僕は若者に少しだけ偉そうに物を言えるようになっただけだよ」
「謙虚ね、お爺ちゃんは。それが師匠と違うとこかな」
「剣は握ったこともないからねえ。ゴブリンだし。じゃあ、サヨちゃんに後の搬送は任せるけどいいかな」
「運送屋の警備会社が来るまでは守り通してあげるわ、契約だもの」
ドクターラオがオークション会場のドアを開けた。
強い日差しが飛び込んできて、二人は目を細める。
大理石の通路。窓はガラス張りで、雲を見下ろせる。
浮遊要塞都市シャンバラは、空に浮かぶ天空の城だ。二百年以上前の戦争が終戦を迎えてからは、上層階級向けの都市に様変わりした。だが、今でも要塞であった名残は残っている。
「いい眺めだわ。ここには死神だって上がって来れない」
「死神なんていないよ」
都市を囲む星素変換光子砲台は、落下した時から変わらぬ悪魔めいた意匠のままだ。
ここは商業連合中枢管理塔。
シャンバラの中心で空を貫く権力者の城であった。
小夜子はちろりと舌を伸ばして、唇を舐めた。全身が上手く動かず行うそれは、死にかけた蜥蜴のようなのに、人食い虎のようでもある。
「死神はいないけど、ネズミはいるみたいよ。出ておいで、クソ野郎」
瞬間、天井が弾けた。
小さく悲鳴を上げたドクターラオが伏せるが、落ちてくる爆破された天井の破片は降り注がない。中空で静止している。
小夜子の超能力だ。
「ハハハ、なんだい、かくれんぼか」
小夜子が言えば、少し離れた天井から巨体が落ちてきた。
燕尾服にシルクハットを着た、巨体だ。
「お初にお目にかかる。最強車椅子殿、ワタクシはフロッグ」
似合わない、綺麗な声だ。アニメの声優だとしたら、美形キャラ担当だろう。
巨体はシルクハットを右手で外すと、芝居がかった動作で一礼した。その相貌は蛙のものだ。だが、見えている手は人間のものである。
「ふん、バケモノだね。いや、泥棒かしら?」
「ヒヒヒヒ、アーティファクトに惹かれて参ったのです。セキュリティカードを頂ければすぐに立ち去りますぞ」
「仕事は真面目にする主義なのよ。だからさ、おとなしくしてたら優しくしてやるよ」
「交渉決裂ですな」
「そういうのは交渉とは言わないって」
乳母車に添え付けられた刀が、超能力で抜かれた。
超能力とは手を使わずに物体を動かす力だ。テレキネシスとも言うが、超能力者の大半は肉体的欠損を持つ者が多い。
鳴髪小夜子のテレキネシスは、見えない達人が振るっているようだと言う人がいる。刀は超常の力で浮いただけなのに、すらりと達人が抜き放ったかのような雰囲気があった。
「噂に名高いPSY剣道ですな。ヒヒヒ、見えぬ達人とはこのことでありますか」
「見たヤツはだいたい死んでるから、噂が独り歩きしちゃうのよね」
乳母車じみた車椅子。
小夜子の正眼でぴたりと静止する刀。
フロッグは足を動かせなかった。小夜子には微塵の隙すら無い。
「間合いに入れば膾切りですな。ならばこう致しましょう」
フロッグは蛙そっくりの顔、その口に両手を突っ込んだ。
腹の中から抜きだされたのは粘液まみれのアサルトライフルだ。鉛弾をばら撒く、世界中で安価に使われている挽肉製造機である。
「その距離は間合いの中だよ、化物」
瞬間、フロッグの両手が肩口から切断された。血の色は人間と変わらない赤色だった。
「シン宿に伝わる鋼糸術とはっ」
「はははは、物知りだね。おとなしくしなよ、命は取らないでやる」
「この程度で勝ったとお思いか?」
「まだ勝てると思っているか?」
遠い爆音と共に、廊下が揺れた。窓からは、下階より立ち上る煙が見える。
「何をした?」
「下の来場客フロアでしょうな。セキュリティカードを渡してもらいたい」
フロッグの切断された両手から、血は既に止まっている。
「嫌いなやり方だよ。最初からアンタはこっちで足止めしたかったって?」
「最強車椅子殿とやりあって勝てるとは思っていませんよ。今なら、あなたがセキュリティを手放したとしても、保険は適用されるでしょう。なにせ、我々は人質を取っているんですから」
下の階のどこで爆発が起きたのか。警備ロボは何をしているのか。このフロアの監視は無力化されているとして、小夜子以外の腕利きの警備傭兵は何をしているのか。
考えたが、どれも些末事だ。
「やるせないな」
「分かっていただけましたか」
「クソみたいな脅しを遺言にするお前の死に方は、やるせないし退屈だよ」
宙を滑るようにして進む刀はフロッグの頭を、脳を横から切断した。
「カスがっ。人質が死のうがとうなろうが、私がやるのはコレのお守りだよ。いいか、化物、どうせまだ生きてんだろうし、教えてやる。お前らを生ゴミに変えてやったら全部解決だ」
もうもうと煙が下から上がってくる。
隠れていたドクターラオが顔を出した。
「うーん、これは本格的だね。この怪物は生きていても動くのには時間がかかりそうだけど、キミはどうするんだい?」
「んー、とりあえずここにいるかな。下には下で、色々いるし大丈夫でしょ?」
ドクターラオは、小さく息を吐いた。
この最強車椅子といれば安全だ。黒い煙を吐きだしている下階フロアだが、シャンバラの警備には悪名高い砂海傭兵団がいる。
「そういえば、ドクターラオ」
「なんだい」
「ブラッバーが飲みたいんだけど、ドトゥラ喫茶店って下にしか無いよね」
ドクターラオは小さく笑った。
「そこの自販機も味は悪くないよ」
「あーいうのキライ」
「そうだね、じゃあ買いに行こうか。多分、人質のいる階にもお店はあるよ」
「小銭無いから、貸して」
「……この場合は、僕が借りたことになるのかなあ」
オークション襲撃事件が解決するのは三十分後だ。
雇われテロリストは予定通り生ゴミにされて、「ブラッバーを買いに来て」たまたま巻き込まれた最強車椅子は、身に降りかかる火の粉を払っただけだ、と後で答えた。
フロッグを含んだ首謀者と思しき三名は捕まらなかった。
◆◆◆
センターへの出勤は地下鉄を使う。
夏の出勤は辛い。汗ばんだブラウス、地下鉄には灰色の群れ。
痴漢だっている。
この列車に乗ると、たまに触ってくるヤツがいて、小憎らしいことにその手がどこから伸びているか分からない。
逃げようにも人がいっぱいで、逃げられない。
怖いという気持ちも強い。
こんなのが嫌で魔術を覚えたのに、灰色の群れに混ざるしかなかった。みんな、自分の周り一メートルにしか興味が無い。
尻をねぶる指先。
ねえ、なんでこんな貧相な混ざりエルフの尻を撫でるの?
『悪には、それを超える悪で応じねばならぬ』
最初にそれを言ったのは誰だろうか。
暴力には、より強い暴力で応じるしかない。
星素という万能のエネルギーを丹田で練り上げる。傭兵魔術師二級資格はこれが出来ないと取得できない。最低でも、儀式や発動補助具無しで魔術を発動させるくらいできないと、すぐに死ぬ。
「ぎぎらぎぎらあずでぎよそわか」
一小節。あと一小節の行使で、痴漢の手を分解する。
「おはよーございます」
尻を撫でる手が離れた。
アヤより頭二つ分上からの声と顔。知らない顔じゃない。
痴漢の手首を極めながら、挨拶するのは無精ひげがトレードマークになりつつある高野だ。
尻を触る手は、高野ががっちりと掴んでいる。鮨詰めの車内で、無理に体を曲げるて手の先を見ると、女だ。
「次で降りようぜ、騒いでも恥かくだけだからやめときなよ」
高野は笑みを張り付けたまま、痴漢に囁く。
痴漢、この場合は痴女か。いかにも仕事のできそうな三十歳くらいの女は、顔面蒼白だ。
「高野さん、おはようございます。もう、いいですよ。次から、なければいいですから」
自分でも驚くほど平坦な声が出た。
なぜ止めた。
今更、なんで止める。
「警察には?」
「面倒ですし」
「あー、まあ、そうだな。俺ももう警官じゃないし」
言って、高野も手を放した。
痴女は次の駅で逃げるようにして降りた。
「高野さん、……ありがとうございます」
「いや、まあ、礼はいいさ」
なんで邪魔をした。
今、私は生まれ変わるチャンスだった。
駅についてから、特に会話は続かない。
高野もあまり言葉を発さなかった。寄り添う訳でもなく、二人は会社へ向かう。
「暑い、ですね」
不意に、アヤにもよく分からない言葉が出た。
「うん、ああ、夏だからなあ」
「毎年、嫌いなんですよ、夏。いつも、私だけおいてきぼりにされて、みんな、この夏で何か変わったり、ステキなことがあったり……、ハハ、馬鹿みたいですよね」
「仕事ばっかりしてるとそういう気持ちになるよなァ」
高野はハハハと乾いた笑いを漏らした。彼もセンターでは有名なワーカーホリックだ。
「高野さんは、たくさん思い出とかあるほうでしょ? 半エルフはとっても長い人生で、ネットとかだとみんな長い青春を謳歌してるんです。でも、私はお家と仕事だけで、なんの冒険もなくて……」
「俺も大した冒険はしてないさ。その場その場でカッコつけられるようにしてるから、誤解されるんだよなァ」
嘘つき。
「夏が来る度に、みんなから置いて行かれて、気づいたらおばさんになってる気がします」
「そんなことないよ」
アヤは、泣いてるのか笑っているのか、どちらともとれない顔で高野を見た。
「エズリーさん、俺は」
高野が言いよどんだ時、アヤの端末が着信音を鳴らした。会話通信アプリは、いつだって無粋だ。
「もしもし。えっ、はい、了解しました。すぐに金庫室で秘匿に切り替えて、はい、失礼します。高野さん、ありがとうございました」
アヤは金庫室へ駈け出していく。
あんなに感情を出す人だったろうか。
「……けっこう可愛いコだよなァ」
人間種の年齢換算では、食事に誘うくらいは問題無かったはずだ。
◆◆◆
「ドクターが事情聴取で拘束ってどういうことですかっ。私にはそんなの務まりませんからっ。でも、そんなのできませんっ。……そんな、契約不履行って、そんなのおかしいです。鑑定士の仕事じゃあり……ますよね。はい、もう、いいです。ごめんなさい」
フォーシエット市内で行われる落下物品オークションで、オークショニアを勤めねばならない。
魔術師としては二流。
鑑定士としても二流。
人間として、女として未熟。
周りとの速度差に、アヤはいつも泣きたくなる。
両親にずっと守ってもらえないと、まともに生きていくこともできない自分が恨めしい。子供の時に夢見た自立した生活も、自分の手にはない。
なんにも手の中に残らない。
今もそうだ。
鑑定士の仕事も、人と関わらずにできるから資格を取っただけで、センター職員になる時の契約書だって、流し読みしてサインした。今、そこにツケが回ってきた。
『エズリーさん、緊張するのは分かりますよ。私も初めてオークショニアを経験した時は不安でしたから。でも、あなたはそれくらいできますから、気を楽にもって下さい。研修の予定はメールさせて頂きます』
メールという古い言葉を、端末の向こうのオークション担当者は使った。エルフ種だろうか。エルフ種は半エルフと肌の色で憎みあうから嫌いだ。
「はい、分かりました」
何も考えたくない。
いつだって、アヤは困った時に考えるのを辞める。相手に合わせて返事をして、言われた通りにするだけだ。
すぐヤレそうな女だと、そう思われたことがあって、魔術教習塾に通っていたとき、ひどく女の子のグループにからかわれた。
だから、いつも、頭の中でそいつらを焼き殺す。
『では、目録の作成をお願いしますね』
「はい」
式を編む。
アヤの右手に紫電の輝きが宿る。光学偏光で、仕事用に使う探査術に偽装しているから警報は鳴らない。
大金庫の目を誤魔化して、左手で紫電を操る。
見た目もかっこよくて、人を生焼けにできる魔術。
通信を切って、顔が笑いをつくる。
いつも、笑って人に合わせる。
情けない笑みだ。
「こんなものこんなもの。みんなこんなもの。私だけつらくない」
アヤの魔法の呪文。
そんなに嫌なら辞めたらいいけど、お仕事辞めたらお父さんとお母さんが怒るから。
お兄ちゃんはまた、私をゴミみたいな目で見るの。
こんなに言いたいことがあって、こんなに苦しくて、いつだってそれを言ってね。ため息をついてもう喋るなと言われる。
だから、私は怒りをお腹に溜めて溜めて溜めて溜めて。もう破裂しそう。だけど、本当はそれすら怖くてできない。破裂なんてしない。そんなことすらできないくらいに、私は周りの人より劣っている。劣っているから笑われる。
手が星素をこねる。
星素より魔力と呼びたい。
だって、ライアーローズは魔力と呼ぶから。
わたしは、ライアーローズみたいになりたい。
ずっと、子供のころからそう願っている。
金庫室でぐったりと放心して、手の中で星素を弄ぶ。
『劣等感、妬み、それらは力を求めるに相応しい力となる』
今日の仕事を終わらせて、明日からの研修の準備をしなくちゃいけない。
服を買いにいかないと。
オークショニアの衣装は用意してもらってもいいけど、それだとなめられる。
見た目は重要だ。
◆◆◆
その辞令は、センター職員にすぐに広まった。
謎多きぼっちな鑑定士が、オークショニアデビュー。しかも、中央管理塔主催の上限三億円オークションだ。
「ああ、それで慌ててたのか」
高野は食堂で朝食をとりながら、携帯端末で辞令メールに目を通してつぶやく。
オークショニアとして認められたら、売り上げから少なくないインセンティブが入るという伝説がセンターには根強く残っている。
鑑定士資格を持った謎の美少女として有名なアヤ・エズリー。たまに話すことはあってもどんな人物かは知らない。だが、通勤電車で痴女に強烈な殺意を向けていたことから、只者ではないのだろう。
何かするにして、高野が止めていなかったら銃を出してもおかしくない様子だった。
「コワいんだよなァ」
サラダを口に運ぶと、ドレッシングがいやに辛い。
なんだか、色んなことが不穏だ。
昨日も、金庫室に警備員が押し入った。
捜査はソーサラーズと警備課がやっているらしいが、鑑識班や警備課に漂うムードは殺しでも追っているみたいに張りつめている。
嫌な予感がする。
高野は元警察官だ。
勘働きというものが確かにあって、しばらくしてヤクザとパイゴウ勝負をするハメになって、今感じていることは忘れてしまう。
人に助けられない人間というものがいる。
自ら救いの手をはねのけてしまう人。
誰にも気づかれない人。
アヤは後者だ。
◆◆◆
休憩時間は瞑想をする。
全身を巡る星素の流れが昨日から分かるようになった。
エルフは星素と親和性が高い。
「対象に動きは無し、か」
監視カメラの映像を見つめて、櫛田サクヤは小さくため息をついた。
毎日何回ため息をついているか分からない。
センターのタグリ・ハーバー本部長と共に、金庫室のリアルタイム映像を見ている。ここは、落下管理センター、局長室だ。
「エズリー女史は無関係では?」と、タグリ・ハーバー。
何年も人が訪れないセンター局長室。
密談の場に使用されている理由をサクヤは知らない。
「そのようですね……。しかし、どうにも気になります」
「ふむ、確かに」
昨日、何者かに操られた警備員を倒した時の映像がある。
鮮やかな手並みだ。
銃を構えた警備員を、アヤは『死霊の手』と呼ばれる星素吸引術式を用いて無力化している。
「なんにしろ、この案件は専門の捜査官が引き継ぎます。私はお話のあった別件にとりかかりますので……」
「そちらも上手くやって頂けると信じてますよ。ええと、後任の方のお名前は?」
「今データを送ります」
タグリ・ハーバーの端末に、イーストエンドソートラーズ派遣警部のデータが表示された。
「魔術師ではないのですか?」
サクヤは小さく笑った。
ソーサラーズはよく勘違いされるが、何も妖術師だけの組織ではない。
「ええ、笹原警部は優秀な捜査官ですよ」
会ったことはないが、サクヤからして目もくらむ経歴の男だ。格闘技のスペシャリストで、事務屋としても優秀らしい。
なんにしろ、特別背任罪のような案件から降りて肩の荷を降ろせるのは有難い。
サクヤはこの後、政治的な意図に巻き込まれることをこの時点では知らなかった。
研修の準備のための書類作成が終わった時点で、アヤはタイムカードを押して早退した。
まず行ったのし、センターからほど近いショッピングモールで、靴屋さんに入る。
「いらっしゃいませ」
おしゃれな売り子さんに、『フォーマルでも使えて個性的な足元』を教えてもらう。対してお金は使ってないので、値段は気にせず買う。二足買って、ついでにブーツも買った。
途中、女が野暮ったい服装のアヤを嗤った。
「そういう態度は、よくないわ」
「あ、いえ、すみません……」
指先が星素を、魔力を練る。綾取りのように、星素はその姿を変える。
「気をつけてね」
電車に乗って、カブキ街で降りる。昼間の電車は人が少なくて、このまま眠りたいくらいに気持ちいい。
次に向かったのは服屋さん。
ブティックでもいいかも知れない。
「お客様では、わたくしどもの製品は……」
ダサいやつは帰れと言われる。仕方ないので、近所のデパートに入って化粧品を買う。
『魔術を使って顔を変えればいい』
「ライアーローズは、いつも変装をするの」
きらりきらりと指輪が輝く。
化粧室の鏡に向かって、ニッコリ。
メイクを洗い落して、最初からやり直す。
『面白い。我にも手伝わせよ』
頭から水を被って、髪を上げる。
ああ、そっか、髪もなんとかしないと。
メイクを終えたら美容室へ。
イメージ通りの髪になって、もう一度ブティックへ。
買い物を終えた後で、店員に微笑みかける。
「これで、このお店でも買えるようになったでしょ?」
「えっ、あ、ああ」
「ハハハハ、ごめんなさい。冗談よ」
『ははははは。痛快だな』
紙袋を受け取って、買ったばかりのツイードハットだけは今から被る。
オークショニアになるのはいい機会なんじゃないだろうか。
『その通りだ。作法はこの世界でもそう変わらぬと見える。我が教えよう』
「ありがとう、先生」
帰りの電車に乗るころには、すっかりいつもと同じ時間になっていて、オシャレして出歩くだけで時間を忘れていた。
定時帰宅だと電車に人は少ない。
シートの端に座っていると、隣に敵意ある者が座った。
『朝の痴女だぞ。如何にする?』
焼こう。
『焼こう』
そういうことになった。
電車を降りたら、案の定、痴女が降りてくる。
人気の無い道へアヤは足早に歩を進めた。周りには自転車駐輪場しかなくて、人の気配は無い。遠くから、誰かが自転車のロックを外す音が聞こえた。
「あ、あなた」
振り返れば、痴女がいる。
「なあに?」
手には星素。
アヤは『雷神の手』と呼ばれる式で星素を練る。偏光式で偽装を同時展開。
「今朝のことは誤解なの、だからっ」
「ああ、別にいいのよ」
懐に手を入れて、女は何かを取り出す。
銃か、ナイフか。なんでもいい。早く出せ。正当防衛が成り立つ。力を行使する時が来た。私に理由を。
「これで堪忍して下さい」
出したのは封筒で、そこそこの厚さの万札が覗いている。
『焼いてしまうか?』
「もう、いい」
「あ、ありがとう。こ、これで黙ってて下さい」
「いいけど、あんなことしちゃ、ダメですよ。お金はいいんで、ご飯でも御馳走してくれませんか?」
「あ、う、うん。大丈夫、今から、いきましょう」
痴女でレズビアンであろう女はパッと花のような笑みを浮かべた。
その後、二人でお好み焼きを食べに行った。食事の後に、自宅へ執拗に誘ってくる彼女に「警察行く?」と言って黙らせて、その後は居酒屋に入った。
米酒をやりながら、痴女と話す。
痴女はレズビアンで、キャリアウーマンで、ストレスが溜まっていて、性的興奮よりストレス解消の面が大きいと言い訳していた。きっと嘘だ。
えいヒレとスルメの天ぷらで、アヤはにごり酒を飲む。女はコップ酒で辛口を。
夜の10時くらいまで飲んで、少し暴れて帰ろうということになった。
『アヤは優しいな』
「違うよ、先生。社会に馴染めない人が好きなだけ」
「アヤひゃん、誰とはなしてるのぉ」
ベロベロに酔っぱらった痴女はフラフラと歩いている。
家はそんなに遠くないようだし、タクシーでも呼ぼう。どんな酔っ払いでもお家に届けてくれるタクシー会社があったはずだ。
「ううん、なんでもない。ほら、しっかりして」
「大丈夫だってぇ。ほら、アハハハ」
走ってみせた女は通行人にぶつかった。
「気いつけろや」
「ごめ、オボエェェェ」
盛大にゲロを撒き散らした。
もちろん、ぶつかった人にだ。
素肌にZEDと刺繍の入った皮ジャンという、いかにも危なそうな男は、ゲロをかけられてブチギレの顔だ。何かあったのか、顔が腫れている。
「このクソアマっ」
どうせ、こんなヤツは人でなしだ。
『……』
アヤの手が『死霊の手』という術を放つ。
白目を剥いて、チンピラは倒れた。
「え、これ」
「いいから、帰りましょ」
「え、でも、でもぉ」
「いいから、いきましょ」
歩く。
お腹の中が熱い。
魔術を行使することに恐れが薄れている。私は、今、変わろうとしている。
『……』
「先生、どうしたの」
『このままではいかんな』
アヤの問いかけに先生は答えない。
駅前まで付き添って、痴女をタクシーに押しこめて、アヤは家に帰る。
駅前で楽しげにしている一団は、落下したばかりのオカマハンサムと、高野たちだった。どうしてあんなに、明るいところで笑えるのだろうか。
とても、羨ましい。
惨めさを感じて、酔いが醒めていく。
家に、帰りたくない。
お母さんは、怒るだろうか。
お父さんは、また、兄と比べるだろうか。
兄は、また聞こえないフリをするのだろうか。
いつものように、死にたくなって空を見上げたら、瘴気中和剤の赤い燐光が夜空をキラキラと輝かせている。
「お空、きれい」
朝になんて、ならなきゃいいのに、
ダウナー
明日朝五時起きだよ!




