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第二十話 尾を食む蛇

一日で書いた。

第二十話 尾を食む蛇




 ソーサラーズの集めた傭兵とU剣道からの協力者たちが港近くの雑居ビルを包囲していた。

 蘇土の端末は警部権限と引き換えにモニタされていて、捜査は筒抜けだ。

 U剣道からは最強車椅子こと鳴髪小夜子が、ソーサラーズからは東方天女の式典用義体が、金で買える最高の男たちと名高い砂海傭兵派遣(有)がそこに集っていた。

 ソーサラーズの指示で、地下のテナントへ突入が開始された。

 櫛田サクヤは無表情で、突入の指示の後に指揮車両にもたれかかって今日三箱目になる煙草のパッケージを開けていた。

「さて、どっちが勝ってるかしら」

 傍らの東方天女が笑みを浮かべて囁いた。

 サクヤは答えずに芝居がかった動作でくわえ煙草に火を点けた。

 銃声、悲鳴。

 無線がびりびりと掠れた音で言葉を紡ぐ。

『目標見当たりません。脅威が無いと判断し中の者は全て外に出します』

 地下へ続く階段から連行されてくるのは、半裸の男女だ。老いも若いも、それぞれが裸で楽しんでいた最中であるようだった。

「サクヤちゃん、どういうことかしら?」

「さて、蘇土の捜査をモニターしていただけで、それ以上のことはなんとも」

 ふう、と天女に向けて紫煙を吐きだしたサクヤは、薄笑いでそう答えた。

「分かっててやったみたいだけど、どういうつもり?」

「黒エルフというのは、踏みつけられるのに慣れておりますよ。慣れているからといって我慢できるというものではありませんが」

 東方天女の目が細められた。

 儀式用の刀に手が伸びる。

 サクヤもまた、懐のリボルバーに手を伸ばした。

 どうしようかな、と二人が逡巡した時、サクヤの端末からメールの着信音が響く。

「確認しても?」

「どうぞ、その後でも問題ないわ」

 サクヤは内心で胸を撫で下ろす。そして、端末を開けば蘇土からだった。

「ああ、座標の特定ができたみたいですよ。今から行きますか?」

「あなた、部下にしたくないタイプね」

「よく言われます」

 なんにしても、恥をかかされたのは天女だ。

 これだけの人員で変態の秘密パーティーを検挙したというのは、後処理で大いに問題視されるだろう。



◆◆◆


 美耶子は絹江を見つめている。

 注射器は素人でも扱える銃形状のもので、首筋に当てて使用するものだ。

 絹江は麻衣と注射器を交互に見やって、大量の汗をかいていた。

 美耶子にとって、絹江は絶対に勝てない相手であった。社会的な地位にしても、その美貌にしても。

「しぃちゃんは、とても立派な人だと信じてるわ。あなたが生きていればたくさんの人を救えるかもしれない。あなたの子供を助けるために死ぬんなら、あなたはとても神聖な母性を備えた人よ。だから、それだときっと、私の負けよね」

 どっちに転んでも自分の負けだと美耶子は言う。

 美耶子はさらに続けた。

「命欲しさに子供を殺す? 赤ちゃんの時にさらったから、育ての母は私だけど、遺伝子はあなたの娘であるのは間違いないわ。私はね、ずぅっと人の顔色を見て生きてきたから分かるわ。あなたが自分の命のためだけにやったら、私の勝ち。私は間違ってないし私は報われるわ。あなたが善悪の彼岸を踏み越えているのだとしたら、私に与えられた苦痛は正しいものなの」

 長く、考えていたことがある。

 私が悪いから、彼女はそうするのだ。これは倫理の問題ではなく世界の問題だ。世界とか神様とかそういったものがそれらを決めていて、取るにたらない蟲と同じように、自身がそうされるのは当然だとしたら、それはもう仕方がないことだ。

 その真偽をここで求める。

「どちらもできないなら、どちらにも価値が無いわね。そうしたら、私がどっちも斬っていいってことになる」

 平等な存在なら、これは正しいとかそれ以前のことになる。と、美耶子は考える。

 なんにしても、絹江は選ばされる。

 自分か、娘か、それとも無理を承知で立ち向かうか。



◆◆◆



 拘束具だけを指定して取りに来た客がいた。

 個人配送業者なのか、女性のドライバーが大型トラックで引き取りに来たのだという。

 拘束用の椅子が三つと壁付けの拘束具、それだけの小口注文だ。

 蘇土はその当時の防犯カメラのデータからナンバーを特定し、カトーが走査したところ、スエント兄弟の使う移動用トラックだということが分かった。

 武器商人がこんな表で趣味の道具を買うとは思えないし、日付からしても片方はとっくに殺された後だ。

 トラックの現在位置をカトーが割り出すのに時間はかからなかった。

 このようにして、蘇土はフォーシエット市東部の工業区にいた。

 落下現象の始まる以前から町工場の多くあった地域で、トラック用の貸駐車場も多くある土地だった。

 伊藤の車でそこまで送ってもらい、別れ際に今度酒でも飲みに行こうという話をしてから別れた。最近はよく友達ができる。



 手には籠手形状の防刃グローブ、腹には防刃ベスト。

 駐車してある大型トラックは、背部に観音開きのドアがあるタイプだ。

 スエント兄弟は荷台を居住空間として利用し、商品自体はプロの運び屋に輸送させるタイプの密売人だ。自分の専門以外はその道のプロに頼むという堅実な手法である。

 蘇土は背部ドアの電子ロックに対してカトーから買ったハッキングツールを噛ませた。カードキーにケーブルと機械の繋がったオートハッカーと呼ばれるものだ。

 カリカリと機械が作動する音が響くが、ロックは解除されない。

 よくよく考えれば、一流の武器密売人が対策をしていないはずがないのだ。

「隠密とかって向いてねえんだよな」

 だから、蘇土は銃を取り出した。

 リボルバー形状だが異様に大きなものだ。だが、蘇土の巨体には丁度いいサイズである。特殊合金でもぶち破る威力を誇るゲステック社製プレデターだ。

 AP弾がドア接合部に撃ちこまれ、物理的に鍵を破壊した。

 歪んだドアを蹴り開けて中に入れば、そこはマンションの一室のような居住空間で、美耶子と清柳院絹江、そしてアルマがテーブルを囲んでいた。

「タイミングの悪い人ね」

 椅子に座る美耶子の後ろ姿だけで、蘇土は躍りかかろうとした足を止めた。

 勘、というヤツだ。

 油断なく銃を構えているが、恐ろしいまでの威圧感があった。

「藤野さん、投降してくれませんか」

「しぃちゃん、あと七分よ。蘇土さんは二分で片付けるから、ボーナスタイムになるのかしら?」

 美耶子は椅子を蘇土に向けて蹴り飛ばした。あまりに一瞬の出来事だったが、咄嗟に椅子を払いのければ、目の前にはアゾイタイト合金刀が。

 持っていた銃で受け止められたのは奇跡に近い。

 上段から振り下ろされた刀は、大型弾を放つために強度の高いマグロイド鋼製のプレデターの銃身に食い込む。

「マジかよ」

 銃を捨てて後ろに下がる。

「あら、アレをかわしちゃう?」

「アルマ、逃げられるかっ」

「無理ですっ」

「無視されるのって嫌いなのよね」

 蘇土は腰を落として空手で言う猫立ちのような姿勢を取り、動こうとした美耶子に向けて前蹴りを放った。が、上体を逸らして避けた美耶子の刃が横凪ぎに蘇土の頭を狙う。

 チャンスは一瞬。

 狙い通り前蹴りに見せかけた足を床に叩きつけた。

 右手の防刃グローブと自慢の太い骨を信じるのみ。

「だあらっ」

 自分でも意味の分からない気合と共に、左手の正拳が美耶子の腹に突き刺さり、そのまま後方に飛ばす。が、同時に刀を止めるはずの右手が手首の少し下で切断される。

 アルマに何か言おうとした時、顔に巻いた素顔を隠すための包帯がぱらりと落ちた。先ほどの一撃はギリギリで、タイミングがズレていたら脳がうどん玉のごとく零れ落ちていただろう。慌てて顔に手を当てて、醜い相貌を隠す。

「ああ、いたた、蘇土さんのことちょっと舐めてたわ」

「虎でも一発と思ってたんだけどな」

 これはまともではない。あの一撃で平然と喋れる人間がいるはずない。

「うふふ、私も本気出しちゃおうかなぁ?」

 蘇土は、顔を隠す手の隙間から美耶子を見た。

 立ち上がった美耶子は、上着を脱いで、スカートのボタンを外していた。

四十近いとは思えぬ美しい裸身だった。体中の傷痕すらも、鍛錬と戦いのそれはどこか崇高なものにさえ見える。

 蘇土は懐からナイフを取り出し、テーブルに向けて放った。

「そこのアンタ、それでアルマと麻衣ちゃんの拘束を解いてくれ。俺はちょっと本気出すから、自力で逃げてくれよ」

 残った左手で、蘇土は額に刺し込まれている制御ボルトを引き抜いた。

 脳が活性化し、普段は眠っている父親の遺伝子によるそれが機能する。

 景色が色を無くしていくような感覚がある。いつも、後々になってその感覚に怖気を覚えるが、今はそれがただ当たり前のことのように感じた。

 対する美耶子もまた、体内のバイオウエアを活性化させていた。

「蘇土さんは、私と同じようなものなのね」

「……」

 美耶子の肉体が膨れ上がった。

 額を割って角のように見える生体センサーが現れ、肉体は人工筋肉により膨れ上がる。

 美耶子の顔には防御用の硬化筋肉が発現していて、角とあいまったそれは『般若』そっくりの貌になっていた。

「瘴気を取り込んでいるな」

 蘇土が爬虫類の瞳で美耶子を見据えて言った。そして、斬り落とされた腕を拾って切断面に合わせる。傷口から粘液が分泌されて、それは繋がっていく。

「再生できるの? 化け物ね」

「クゥアアアアア」

 蘇土が啼いた。

 露わになった顔は、それはそれはおぞましいもので、この世界、いや、地球の生物とは思えぬ異常さがあった。

 獣のように突進した蘇土に対して、般若と化した美耶子は変わらず刀で相対する。

 瘴気からのエネルギー生成器官が活性化した蘇土は、美耶子の振るう刀の一撃を手で受け止めて反撃する。が、美耶子もまた蘇土の一撃に耐えて反撃を繰り出す。

 怪物二匹の闘争が幕を開けた。

 アルマは息を呑んでそれを見続ける。自身が笑みを浮かべていることに気づいてはいなかった。



 絹江は蘇土の放ったナイフでアルマの拘束具を切った。

「は、はやく、逃げなきゃっ」

「こっちは体がちゃんと動かないんで、先に麻衣ちゃんを連れて行って下さい」

 アルマは自由になった体で立ち上がるが、この姿勢で二日も拘束されていたため、自由に体を動かせないでいた。

 手にきつく巻かれていた拘束用のゴムバンドを外せば、アルマの右手には薬指と小指が無い。

「あのシチューに入ってたのは僕の指です。麻衣ちゃんは傷一つありませんから、早く、逃げて下さい」

 アルマは言いながらも美耶子と蘇土の戦いを見つめていた。

 美耶子は怪物のようになっているが、その剣の冴えは衰えていない。部屋に飛び散る血はほとんどが蘇土のものだ。

「凄い、こっちに来ないように誘導して戦ってる」

 怪物、美耶子よりもずっと怪物に相応しい様で咆哮を上げて襲い来る蘇土を、美耶子はコントロールしながら戦っているのだ。アルマに、麻衣に、そして絹江を傷つけないために。

「うああっ」

 故に、麻衣を引きずって逃げようとした絹江の足元に美耶子の放った含み針が突き刺さる。美耶子はこうなっていても絹江と麻衣を逃す気はないのだ。

 アルマは痛む指のことも忘れて、美耶子のあまりにも次元の違う剣に見惚れていた。

 一方、絹江は足の針を呻きながらも抜いていた。人の肉体にあるとされる経絡を寸分狂わず射抜いた針は、彼女の足から自由を奪っていた。

 混乱の中で絹江は見つけた。

 美耶子の脱ぎ捨てた衣服にある黒光りする拳銃に。

 這いずって、這いずって、それに手を伸ばす。

 美耶子の口元に笑みが浮かんでいた。




 この女は異質だ。

 瘴気の使い方が違う。

 体内の器官で瘴気を生成する『蘇土隆明』とは違う。

 この女は生体瘴気生成器官も無いのにどうやって瘴気を作っているのか。

 『蘇土隆明』の脳に書き込まれた宇宙の知識にもそれを行える存在はS●#★e◆$屍%や一部の眷属にしかいない。

 こちら側の武装でどうして『蘇土隆明』を致命的に傷つけることができるのか。あの青い金属はあちら側に対して干渉できる稀有なものだが、それだけではない。

 理解不能。

 脅威を取り除かなくてはいけない。

 『蘇土隆明』がうるさい。



 美耶子の袈裟切りをまともに受けた蘇土は、たたらを踏んでなんとかそこに踏みとどまった。

 美耶子は追撃しようとしたが、蘇土にただならぬものを感じて足を止めた。

 口を開けて、今となってはどのような生物からも遠い異常な瞳になった目で美耶子を見つめる。

「お前は何だ?」

 と、蘇土は抑揚の無い声で言った。

「……意味がよく分からないけど、そうね、きっと人間以下なんでしょうね」

 蘇土が何事か囁いていた。

 それは、人の脳では認識すら放棄したくなるような、異様な言語だ。

 瞬時に駆けた美耶子は蘇土の眼前で、

「Q、A――――――――――――!!」

 と、人に出せるとは思えない絶叫を吐いた。

 蘇土には理解不能であった。それの起こした結果が。

 その大声は蘇土の三半規管に致命的な損傷を与え、『蘇土隆明』のやろうとした何がしかの驚異的な攻撃を封じたのだ。

「これでおしまい。あなた、そこにいるんでしょう?」

 蘇土の額に空いた穴、制御ボルトの刺さっていた穴に美耶子は刀を突きいれて、ぐるりと抉ったのである。

 蘇土は膝から崩れ折れて、その場に倒れてしまった。

 美耶子は息をついて、刀に突いた脳漿と血を払う。

「蘇土さん、そんなことする前の方が強かったわよ。獣の相手の方がよほど楽だったわ」

 バイオウエアの活性を止めた美耶子の肉体は徐々に元の姿へと戻っていく。

 絹江に向き直った瞬間、銃声が響いた。

 床に倒れながらも、麻衣の隣で銃を構えている絹江がいた。

「あ、これは困ったわ。利き手に銃が当たってしまって、刀を使えないじゃない」

 美耶子は口元に力を入れて、努めて無表情に言う。

 あと十五秒。

 完全にバイオウエアの活性が解除された美耶子は、元のままの裸身である。右の肩口には銃弾による傷が。流れ落ちる血をそのままに、絹江と対峙している。

「麻衣っ、おはようの時間よ」

「ん、おはよ、えっ、なに?」

 薬剤というのは、正しい使い方さえすれば効果をコントロールできる。

 今までどれほど努力しただろうか。

 全てはこの時のためにあった。

 麻衣の体調を管理して、確実に時間の通り覚醒するように準備した。

 銃をわざと見せてやった。蘇土のおかげで予定は狂ったが、これで帳尻はあった。

「露子、お母さんよ」

 まぶしいほどの笑顔で、美耶子は麻衣に、いや、絹江にその言葉を吐いた。

「お前がぁっ、お前が呼ぶなあぁ」

 これで何もかも終わる。

 ホローポイント弾を銃には装填してある。この近距離なら確実に当たるだろう。筋肉の力を抜いて、確実に死ぬように、一歩一歩ゆっくりと前に。

 絹江の筋肉の動きで引き金に力を入れているのが分かった。

 十年間、麻衣を育てた。

 全てはこの時のために、心も体も健やかなよい子になるように、愛情をもって育てた。

 絹江は娘の前で母を殺すのだ。

 真実が明らかになったとしても、麻衣、露子と絹江の関係が母娘になることはない。そして、どれほどの恨みに打ち震えて復讐を願っても、美耶子はここで死ぬからもういない。

 長かった。

 恨みと憎しみに心を炙られ続けるのがどれほど苦しいことか。恨みなど捨てたいと幾度願ったことか。

 できない。

 どれほど馬鹿なことと頭で思っていても、感情が、過去がそれを許さない。

 過去は未来を呪い続ける。

 折り合いなどつけさせない。

 忘れようとしても、過去はいつまでも背中に付きまとう。

「愛してるわ、麻衣」

 銃声が響いた。


◆◆◆


 櫛田サクヤと東方天女は後処理に追われていた。

 事件は解決したが、マスコミへの情報の漏えいが痛かった。

 東方天女が直々に会見を開く運びになり、ソーサラーズ本社スタッフがその原稿や資料を忙しく作成している。

 サクヤと天女は会見用の衣装を合わせている所だった。

「このスーツ、私の年収より高いんじゃないですか?」

「あげるわよ、それ。個人的ボーナスと思ってちょうだいな」

 天女は伝統的なドウ術使いの衣装を着付けしている所で、神秘的かつ現代的なイメージで会見に臨むようだ。

「ありがとうございます。それで、蘇土にどうして御執心だったので?」

「嫌味な言い方ね、それ。まあいいけど。アレの父親は私と同じでちょっと違う生物なのよ。それがどんな反応をするか見たかったの」

「よく分からないですよ、あいつはバケモノですが、そんなに特別ですか」

「藤野美耶子も、蘇土隆明も、特別な存在なのよ。私と同じでね」

 サクヤは煙に巻かれたかな、と天女の表情を見やるが、大真面目に見えた。

「分からなくてもいいけど、あなたたちエルフ種にとっても、百年かそこら先には他人事じゃあなくなるわ」

「種の保存がどうたらこうたらですか」

「その通り。人間、人類と呼ばれる最強種族の行く末というやつよ。詳しく知りたい?」

「いいえ、黒エルフは他のエルフが大嫌いなので、人間が繁栄するのはむしろ好ましいですし、難しいことを考えるのは七十年も前に止めています」

「ほんとに、あなたは変わり者ね」

「それは初めて言われましたよ」

 物怖じしないサクヤに、天女はどうやって出世させようかと考える。

 彼女のような人物に権限を与えれば、組織が淀むのを抑えられるかもしれない。

「天女、あなたはどっちが勝ったと思うのですか?」

「……ああ、この下らない事件のことね。そりゃあもちろん、藤野美耶子でしょ」

「はじめて意見が合いましたね」

「よくそれだけ言える。気に入らないわ」

 と、天女は言ったが、サクヤを出世させることを決めた。

 櫛田サクヤは一か月後に捜査課に栄転することになる。

 サクヤはこの時、そんなことも知らずに蘇土にどう報いようか考えていた。男が沈んでいる姿にきゅんと来るタイプなのだ。



◆◆◆


 おはよう、で目覚めたのは久しぶりのことだ。

 ずきずきと痛む頭で、何が起こっているのか理解するのに時間がかかった。

 意識する前に体が動く。

 傭兵稼業をしてこの街に住んでいれば、それは染み付いた癖のようなものだ。

 銃を持ってるヤツは問答無用。

 蘇土は起き上がって、引き金を引く寸前の絹江に躍りかかった。



 銃声が幾度も響き、体に強烈な痛みが走って頭がようやくはっきりした。

 ホローポイント弾が蘇土の腹にぶち込まれている。

 銃声が止んでも、弾が尽きても絹江は引き金を引き続けていた。

「あ、ヤバ」

 振り返った瞬間、怒りの形相の美耶子に殴られる。人間とは思えぬ重い一撃で、またしても膝をつくことになった。

「なんでっ、どうしてっ、邪魔をっ、なんでよおぉぉぉ」

 美耶子は泣いていた。

 蘇土に馬乗りになって、拳を叩きつける。

 関節を取ろうとするより先に、あまりに悲痛な、泣きじゃくる美耶子の姿に戸惑いを覚えた。恐ろしいパンチを叩き込まれているが、脅威を感じない。あの恐るべき殺気がそこには無い。それよりも、哀れにさえ思える痛ましい絶望があった。

「あんた、どうして」

「うわあああ」

 蘇土は美耶子の意識を刈り取るべく側頭部を殴りつけた。

 腕を振り回すような、子供じみた動きの美耶子にそうするのは簡単なものだった。

「畜生、どうなってんだ。アルマ、無事なら拘束を手伝え」

「は、はい」

 起き上がろうとしたが、足に力が入らない。それに出血が酷い。

 蘇土はコートに入れてある予備の脳制御ボルトを傷口に挿しこみ、治療用のキットを広げて傷の手当を行う。

 この時、ふらりと動いたのは絹江だった。

 アルマの拘束を解いたナイフを握りしめて、倒れている美耶子に向かう。

 蘇土は最初から絹江はノーマークで、アルマも縛るものを捜していてそれに気づかなかった。

「許さない、この悪魔め」

 奇しくも、その憎しみに染まる顔は美耶子のものに瓜二つだ。

 ナイフを振り下ろそうとする絹江をアルマと蘇土は止められない。

「やめてっ」

 止めたのは、麻衣だった。

 母に振り下ろされんとするナイフに体当たりして、ぐさりとナイフは麻衣の胸に突き刺さっている。

「アルマぁっ、早く拘束して、すぐ医者だっ」

 蘇土は絹江を美耶子と同じように殴りつけ、倒れた麻衣の傷を確かめる。

 幸い心臓は外れているが、肺には確実に刃が届いている。

 止血、いや、ナイフを抜く方が危ない。

「おじさん、おかあさん、は」

「喋るな、。いいか、寝るなよ。すぐ医者が来る」

「おかあさ、ん」

「無事だ、だから喋るなっ」

 蘇土は治療用キットを持ってはいるが、臓器が傷ついた時にできるような治療は知らない。

「突入ッ」

 と、場違いな声が響き、入口から銃を持った傭兵たちが雪崩れ込んで来た。

 サクヤたちがようやく到着したようだ。

「くそっ、子供が重態だっ、医者を、早く医者を連れてこいっ」




◆◆◆



あれから数日が経った。

 夕暮れの街を蘇土は歩いている。

 今から高野とユーリス主催の『ヤクザに勝利しておめでとう会』である。

 アルマは入院していて、ソーサラーズに対する色々は全てカトーに丸投げした。カトーはきっと金を中抜きするだろうが、今はそんなことはしたくない気分だった。

 夏のカブキ町はひどく暑くて、汗を拭きながらようやくのことで馴染の屋台にまでたどり着くことができた。

 傷は痛むが、寝ていたらいらないことを考えるだろう。

 それに、今は一人ではいたくなかった。


 屋台に入れば宴はすでに始まっていた。

「よお、こないだぶりだな」

「あら、蘇土さん到着。ここ入って、ここ」

 良太郎が尻を開けて作った席は、ユーリスの隣だ。

 助け船を期待して高野を見たが、高野はちらりと蘇土を見てから目の前の酒を煽った。そして、つまみの枝豆を口に運ぶだけだ。

「蘇土さま、こちらですわ」

「あ、ああ、行くよ」

 ユーリスの隣の席につけば、風呂上がりの石鹸の匂いがした。

 何やら、仕事終わりに銭湯に行ってから来たのだとか。

 少し、緊張する。

「イエーイ、大人は駆け付け三ばーい」

 良太郎が慣れた手つきでウイスキーをグラスに注いだ。

 今は酒を飲みたい気分だ。丁度いい。一気に飲み干すこと三度、傷が少しだけ痛む。酒は苦くて、あまり好きではない。

「おっとこまえっ、やるわねえ」

「もう、リョウさん、そういうのはいけませんわ。お酒はそのようにするものではありません」

「いや、いいさ。飲みたい気分だったんだ。マスター、甘いカクテルをくれ」

 アバウトすぎる注文に店主は「イッ」と短く返事を返す。

「あら、蘇土さま、またお仕事でお怪我を」

「かすり傷さ」

 ユーリスは蘇土の包帯に包まれた顔を覗き込んで、手首の、美耶子に切断されてつなげた箇所に手を当てた。

「……なにか、辛いことが」

「いや、そんなことは」

「でも、なんだか」

「煙草が吸えなくてな、それで、さ」

「まあ、禁煙ですか。ここはあまりパイプに理解の無い所ですものね。こちらに来て驚いたことの一つです」

 ユーリスは聞かれたくないことを察して、唐突に話題を変えた。

 アレが美味しいと言って料理を勧めてくれたり、銭湯はとても良いものだと語ったり。

 甘いカクテルが一番美味しい。酒は苦くて嫌いだ。同じなら甘いのがいい。

 ちらりと他の面子を見れば、高野と良太郎とルーミーがアンジェリカに酒を飲ませて潰そうとしていた。なぜかしてやったりという顔で皆、ウインクで返してくる。

 だから、違うって。

「蘇土さま」

「あ、ああ、なんだ」

「今日の蘇土さまは、とても寂しそうですわ」

「……仕事で、ちょっとな」

 ユーリスは上気した顔で蘇土を見つめた。

 あ、可愛い顔してるな。

 今までどんな種族の女にも思わなかったことが頭に浮かんで、気まずくなって目を逸らす。すると、ユーリスが両手に持つグラスに目がいった。それは、高野が戯れに頼んだロングアイランドアイスティーである。

「お、おい酒は」

「殿方は卑怯です。お父様もそうでした。どれだけ、どれだけこちらが心配しても応えて下さらないもの。わたくしは、辺境の女はそういう殿方にいたく傷つくのです」

「あ、いや、ユーちゃん、ちょいと飲みすぎだぜ」

「紅茶はいくら飲んでも大丈夫ですっ」

 それは紅茶っぽいだけで酒だ。

「そうじゃなくてな、おいっ水もってきてくれ」

「蘇土様も、お父様と同じで、誰かの前で泣けないのですね」

「男はそういうものさ」

 と、探偵小説と映画で学んだ。

「お母様は、お父様の涙を受け止めるのも女の務めだと仰っておられました。殿方は本当に辛くて辛くて仕方ない時ほど涙を零さずに哭くのだとも」

「俺は、泣いていたか」

「はい、わたくしにはそう見えます」

 不意に手を握られて、見つめあうことになった。

 小さくて、暖かい、吸い付くような手だった。

「ありがとう」

「受け取ります、あなたのありがとうを」

 どうしていいか分からなくて酒を呷るのと、拘束をふりほどいたアンジェリカが飛びかかってくるのは同時だった。

 じゃれあい、軽口、冷やかし、友達が増えた。

 宴はこうやって夜半まで続いた。




◆◆◆


 アルマは失った指を機械に変えることになった。

 ソーサラーズの手配した病院には、姉のサンドラも入院しているのだが、命に別状は無いとのことだ。

 藤野美耶子は強すぎた。

 サンドラもアルマも、それ自体は認めている。

 蘇土も強いが、美耶子の強さはそんなものでなかった。

 あの人がどうしてそうなったかは分からない。復讐とはそれほどに狂おしいものなのか、ある意味では幸せに生きてきたアルマにはどれだけ考えても分からなかった。

 機械の指を見て、自身の浅ましさにため息をつく。

 あの時、絹江を逃がすのはまず不可能だった。だからこそ、アルマの行動は正解だったはずだ。

 理屈は分かっていても、美耶子の強さの一端を知り得るために悪事を見逃したのは事実だ。

 病室の窓から外を見やれば、空は快晴で、夏の青空が広がっていた。

「邪魔するぜ」

「あ、蘇土さん」

 お見舞いのフルーツを抱えた蘇土である。

 あれから会っていなかったが、気落ちしている風ではない。大人は切り替えが早くなるものなのだろうか。

「新しい指はどうだ?」

「まだ感覚が慣れませんね」

「そうか、あれからのことだが……」

 労災だとか事後処理だとかソーサラーズの責任だとか、仕事の面の話をすることになった。

 アルマは知らぬことだが、カトーの働きで相応以上の金額が二人には入ることになっている。カトーはきっと、それ以上に儲けているのだろう。

「蘇土さん、実は」

 話が一段落して、アルマはあの時のことを語った。そして、間違っているのではないのか、とも。

「ほんとに、お前は素直ないい子だよ」

「茶化さないで下さい」

「あのな、別にいいんだよ、そんなことは。黙ってたら分かんねえし、あんな強いのに向かっていって自殺する必要はないさ。誰だって自分の命が一番だ、仕方ないだろうよ」

「軽蔑、しませんか」

「アルマ、真面目すぎるぜ。お前はちゃんとやったさ。それにな、上手く言えないが、多分な、それは別に悪いことじゃあない。悪かったとしても、俺は許すさ」

「……、なんか、蘇土さんが言うと、変ですね」

「んなことで男が泣くな」

「泣いて、ま、せん」

 泣いている。

 自分が正しくないのなんて分かっている。ただ、そうだね正しいね。と肯定してほしかっただけだ。

 今まで、そういうことをしてくれたのは両親だけだったと、アルマは思った。

「ま、アレだな、契約は満了だが、フォーシエットに来たら連絡くらいはくれ」

「あ、……そうでしたよね」

「楽しかったぜ。最後はえらく大変だったが」

「僕も、うん、よかったと思います」

 別れの言葉を口にしようとした時、蘇土の端末に着信が響いた。

「ああ、もしもし。ユーちゃんか、どうした? ああ、昨日のことか、謝ることないさ。ん、ははは、大丈夫、ああ、うん、そっか。そんなに言うことはないさ。ああ、それで、来週の。スケジュールは空いてるから、行くよ。ああ、ははは、分かった。それじゃあまた」

 何やら漏れ聞こえてくる感じだと、相手は女性のようである。アルマは知らず眉間にしわを寄せていた。

「お友達ですか?」

「ああ、最近知り合った連中さ。来週釣りに行くことになってな」

「あ、そうですか」

「昨日も酒を飲みにいっててな。ほら、こんな感じだ」

 蘇土は携帯端末を操作して昨日のものだという画像を見せてくれた。

 何やらまとまりのない一団の写真、つまりは『ヤクザに勝利しておめでとう会』の参加者のスナップショットだ。

 蘇土の隣のお姫様っぽい女の子が、いやに気になった。

「あのう、それ、僕も行っていいですか」

「あ、ああ別にいいと思うが。近場だし」

 それからしばし雑談して、蘇土は帰ることになった。

「蘇土さん、それじゃあまた」

「ああ、また来週な」

 さよならは言わない。

 ふと一人になって、「あれ、なんか変だな」とアルマは思うのだけど、ついぞその理由は分からなかった。



◆◆◆


 藤野美耶子は赤沼刑務所に拘禁されることになった。

 脱走を警戒して特殊拘束具に全身を包まれている。



 清柳院絹江と麻衣、いや、露子の母娘は二人とも一命を取り留めた。

 露子の傷は深かったが、すぐに医者に診せれたことが幸いして、再生治療でひと月もたたぬ内に治るという。

 親子としての傷は癒える兆しを見せていなかった。

 当初、露子はこの事件の全容を信じることすらできず、絹江を見て悲鳴を上げる有様だった。

 今は、病院でカウンセラーと共に少しずつ起こったことを理解していく段階にいるという。



 藤野美耶子はその後、マスコミのインタビューに応じて身勝手に復讐を正当化するような発言を繰り返した。

 それは、裁判においても同様で、視聴者の怒りを買った。

 何度も精神鑑定を希望し、グダグダの裁判を繰り広げたが、半年後に死刑判決が下された。

 赤沼刑務所で彼女は死刑の執行を待っている。



 絹江は自室で恨みに心を焦がしていた。

 幾日も泣き喚き、焦燥の中にいたのだが、それから一つの意思にたどり着く。

 復讐だ。

 あの女と同じになっても構わない。

 刑務所に殺し屋を送ろう。

 苦しめて苦しめて、何もかもを奪ってやる。

 ここにまた、手負蛇が産まれた。


◆◆◆



「ええ、復讐ですか。ここで考えていて、プランBにすることに決めたんです。あはは、プランBって今考えたんですけど、私ね、心神喪失状態ってヤツだったと思うんです。なにしてたかイマイチ覚えてなくて、まるで夢の中にいたみたい。ふざけるな? 何もふざけてなんていませんよ。うふふ、もう何年も恨み辛みでよく分からなくて、え、裁判ですか、弁護士の先生を。はい、そりゃあ呼びますよ、権利でしょう。悪いと思わないかって? 実感とかが薄くて、本当に私がこんなことしたんですか。うふふ、私って心の病気かも。ああ、本当に恐ろしいことをしたんですね、私は。しぃちゃんにお詫びの手紙を書こうかしら」

 生きよう。

 生きている間中、しぃちゃんは私と同じ苦しみを味わう。

 しぃちゃん、私を撃とうとしたしぃちゃん。

 あなたは理解してくれる?

 あなたがテレビで好き勝手吐いていたように、私も演じよう。マスコミの取材にも応じよう。あなたが怒り狂うように、私がそうだったように、自分に罪はないかのように語ろう。

 ああ、しぃちゃんはなんて言うだろう。

 やって良かった。

 何もかもが報われた気がする。

 苦しめよう、しぃちゃんが恨みと憎しみで身を焦がすように。

 きっと、しぃちゃんもこの苦しみを理解してくれる。



 藤野美耶子を名乗る女は、死刑の執行を待っている。


仕事が忙しいので三月まで更新できないと思います。

目途がついたら活動報告でお知らせしますが、しばらくお休みします。

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