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第十八話 優しさはどこに 後編

クソ忙しいのは継続確定。

第十八話 優しさはどこに 後編



 あの後も踊ることになった。

 姫昌は良太郎がすぐにステップを覚えてしまったことに驚くと共に、昏い嫉妬を覚える。

 ユーリス曰く、努力して手に入れられたのですね、と。

 良太郎曰く、天才じゃあないんだから、と。

 どちらも特別な人から出る言葉で、姫昌には遠い世界のことだ。

 二人のステップは人を惹きつけてやまない。

「あら、なにこれ」

 ふと、姫昌は隣に立つ人の言葉に振り向いた。

 その人は大人の女性で、失礼だが野暮ったいファッションの野暮ったい女性で、赤いフレームの眼鏡があまり似合わない人だ。

「……あ」

 何か言おうとして体が固まった。

 センターには不似合いなその人は、祖国の楽器を抱えていた。

 三味線によく似たシンザラという楽器で、彼女はどこか卑屈な笑みを浮かべた後で、ベンチに腰かけて弦をつま弾く。

 しゃんしゃん、ひゃんびゃん、音を調整しているのだろう。何度かそれを繰り返してから、すっと目を瞑りバチを手に取った。

 バチとはギターで言うピックのようなもので、小洒落たしゃもじのような形のものだ。

 その人は、姫昌に小さく微笑んだ。

 踊る二人に合わせるようにして、演奏が始まる。

 祖国の民俗音楽とは違う、明るい曲調で素早く刻まれるビート。

 バチが弦を時折強く叩く。演奏に合わせてユーリスと良太郎の動きも変わる。

 気が付いたら皆がそれを見ていて、慌ててかけつけてきた何人かが、てんでばらばらな楽器を持ち込んで合わせ始めた。

 フルートを吹くゼリー状生物、太鼓を叩く黒い肌の人間種、アコースティックギターを掻き鳴らすのは鴉の鳥人だ。

 センターは、いつも騒動だとか祭りだとかを楽しもうとする気概みたいなものがあって、なんにもなくなった人たち特有の明るさがあった。

 色々なものを捨てたり亡くしたりして、「命を捨てるほどじゃないな」と言えるか否かが生き方というものだ。言えても言えなくても、どちらもそんなに悪い訳じゃあない。死にたいヤツは死んだらいいと言うが、死にたいのではなくて死ぬしかないから人は死ぬ。

 ユーリスと良太郎の踊る姿は、なぜか姫昌を死にたくさせた。

 くるくる廻ってぴたっと止まり、優雅におじぎ。

 良太郎がおいでおいでをして、姫昌を呼んでいる。

 あんな所にいって、わたしはまた恥をかく。きっと、みんながわたしを嗤う。

「行かないの?」

 シンザラを弾いていたその人は、姫昌を見ずに声をかけた。

「素敵な子よ、彼。手を取らないと、二度と会えないかもしれないよ。世の中ってそういうものだから」

「で、でも」

「勇気が出ない時に、誰かが背中を押してくれる。そういうのはお話の中だけよね」

「……」

「だから、こうしてあげる」

 その人は姫昌の手を取って、良太郎の前に引きずっていく。

「良太郎くん、この子が躍りたいって」

「あれ、アヤさんなんか雰囲気違うわね」

「出張前だから特別よ」

 その人、アヤ・エズリーは彼らに背を向け、アコースティックギターの鳥人に手を振ると去っていく。

「では、一曲お願いできますか」

「は、はい、喜んで」

 互いの手が重なるのと同じくして、演奏が始まった。

 ユーリスはにやにやとしながらベンチに腰かけてアイスティーを飲んでいる。

 周りの人々も折角だからとダンスを始めていて、にわかに夏のダンスパーティーが始まっていた。

 袁姫昌がアヤ・エズリーと直に言葉を交わすのはこれが最初で最後である。



◆◆◆


 ダンスが終わり、拍手が渦巻いた。

 ユーリスたちの始めたことだが、今は興の乗った連中がそこかしこで踊っていて、あと少し騒げば警備員が駆け付けて強制的にこの小さな祭りも終わることだろう。

 拍手をする人々の中には蘇土と美耶子とアルマがいた。

 アルマにとっては服をコーディネートしてくれたオカマ、お嬢様、依頼人、薄い繋がりの人たちで、美耶子にとっては初対面だ。そして、蘇土にとっては最近仲良くなりつつある少女とそのおまけ、ということになる。

「蘇土さんに、アルマさん」と、姫昌。

「お嬢様、滞りなく仕事は終わりました。お父様には報告済で、警察には後で事情を聴かれますが、そのまま答えて頂ければ問題ありません」

 アルマは感情を感じさせないよう簡潔に言う。

 袁姫昌という人が、アルマは嫌いだ。彼女も、彼女をイジメた少女も、女の子は好きになれない。

「そう、ですか」

「はい」

 蘇土は何かいうべきか迷った。

 この仕事、警備稼業者にはアルマのような対応をする者は珍しくない。

 次に動いたのは美耶子だった。

「あなたが袁姫昌さんね。私は藤野美耶子といいます、お仕事でアルマくんとご一緒させて頂きました」

「……そう、ですか」

 美耶子はじっと姫昌を見つめた。

 蘇土が美耶子に寄り添うように一歩出た。これでいつでも止められる位置だ。しかし、美耶子を止めることが出来るとは思えない。

「イジメられてるそうね。命の危険まであったのに、どうして?」

「美耶子さんっ」

 じろり、会話を止めようとしたアルマを美耶子が一瞥する。それだけで、アルマの足は止まった。無手でも彼女の間合いだ。

「それは、私は太ってるし、それに、みんなともどんなお話をしていいか分からなくて」

 姫昌も美耶子に応えねばならないと、理屈ではなくそう思った。

「そうね、そういうのもあるかもしれない。だけど、泣き寝入りはダメよ」

「でも……、私が何か言ったら」

「あなたは不利な戦いをすることになるわ。強い相手に噛み付くのは、とても危険なことだから争いを避けるのは間違ってないわ」

「……」

「それに、ご両親が悲しむとか、この先のことに影響するとか、できない理由はたくさんあるわ。だから間違ってはないの。姫昌さんを責めてる訳じゃないから、私も何が言いたいのか、言葉がまとまらないわ」

 美耶子はその場の誰をも見ずに、何かを見つめた。

「私もね、姫昌さんくらいの時にイジメられたのよ。ふふ、私も昔はちょっとしたお嬢様だったの。それで、何もできなくて、取り返しがつかなくなったの」

「あ、え、それは」

 姫昌は何を言っていいか分からない。彼女以外の皆もそうだった。

「姫昌さん、やり返すのも必要よ。ううん、そうじゃなくて、この先の何年もあの子たちの陰に怯えて、生きるのが辛くなる。私はそうだった。大人になるまで、何をしてもあの子たちがいて、あの子から隠れるために何もできなかった。自分で自分を殺すような日々だった。年を取って、それじゃダメだって気づいて、剣と銃と他にも色々習ったのよ」

「……わたし、どうしたら」

「強くなるの。人から助けて貰えることなんてないから。助けを待ちながら何年も逃げ回って、それは凄く惨めで、辛くて、惨めなことが普通になって、卑屈になるから。それに気づいたら、もう、変な声が出て動けなくなったから」

 言葉を紡ぐのは鬼気迫る様であった。

 美耶子の声からは作った感情が消えていき、どこか楽しげに言葉を絞り出す。それは、いたたまれないものだった。

「もう、何が辛いのか分からなくなって、私は剣を習ったわ。別にそれで生き方は変わらなかったけど、今ならあの子なんて怖くないって、言えると思うの。ふふふ、でも、本当にあの子にあったら、昔みたいにびくびくして愛想笑いをして、言いなりになってしまうと思う。ふふふ、惨めでしょう。U剣道本部道場の師範なのに、ただの女が、怖くて、剣を手放せないんだから」

「……」

「ごめんなさい。姫昌さんが昔の私に似てたから、どうしても伝えたかったの。でもね、私は惨めで卑屈なままだけど、一つだけやり遂げようとしてることがあるの」

「それは、なんなのですか」

「あの子を、麻衣を守って育てていること。女手一つだと色々あったけど、修行してよかったわ。色んなことで役に立ったから。ごめんなさい、私も途中から何を言いたいか分からなくなって」

「いえ、そんなこと」

「もし強くなりたかったら私が教える。私は才能より、必要としている人に教えてあげたいから。あはは、最後は営業活動になっちゃったわね」

 弱い人間は見ていれば分かる。

 後ろめたさみたいなものを、普通に生きているだけで持っている。人から笑われることを極端に恐れていて、なんとか世界に溶け込もうとして空回りしている。

 ああ、今のこの感じ、大人になっても続くのか。

 姫昌はなんとはなしに美耶子の言いたいことが分かった。

 待っているだけでは大人になれない。どこかで動かないと、そのまま大きくなってしまう。この惨めさが変わらないまま、ずっと続く。

「いえ、そんなこと」

「んー、おばさんの言うことも分かるけどさ。助けてって言ってくれたら助けてあげるわよ、アタシは」

 良太郎は実に軽い口調で嘴を突っ込んだ。

「あなたは、ここの人よね」

「松戸良太郎っていいます。どうぞよろしく」

「よろしく、藤野美耶子です」

「んでさー、おばさんの言うことも分かるんだけど、なんでも自分だけでやるって訳にはいかないし。なんてーの? 強くなかったらなかったでさ、別に逃げてもいいし誰かに頼ってもいいんじゃない?」

「それじゃあ解決にならないわ」

「解決っていっても、結局アレでしょ。やられたらやり返さないと後悔するって言いたいんでしょ。だったらさ、自分で出来ないんなら頼ってくれたら、そうね、一緒に考えるしなんとかしてあげるわよ」

「子供らしい傲慢な考えね。それが出来ないように毎日毎日痛みを与えれた人間に、言い方が悪いわね。逆らえないように多人数に躾られた私たちを、あなたみたいな子は弱くて情けないと言って笑うくせに、よく言うわ」

「ああ、そういうこと言うヤツいるわよね。アタシは言わないわよ」

 ゆらり。殺気。

 美耶子の足が半歩前に出る。

 蘇土が美耶子の手を取った。瞬間、蘇土の視界が回転した。取ったはずの手首を支点に投げられたのだ。

「いい加減なこと言わないでよ。あなたみたいにちゃんと生きてる人間には這いつくばって生きてる者の気持ちは分からない」

「人のことなんか分かんないけどさ。辛いのに無理して笑うのは見てらんないわよ。だから、嫌いなヤツじゃなかったら助けてやろうってくらいは思うわ」

「見下して」

「そういうつもりはないんだけど」

「じゃあ、這いつくばらせてあげようかしら」

 アルマとアンジェリカは無言で互いにうなずきあった。

鬼気を発している怪物めいた女性を止めねばならない。しかし、たった二人、蘇土が立ち上がったとして三人で『これ』を止められるか。

「藤野叔母様、もうおやめになって」

 姫昌は泣き出しそうな顔で叫んだ。

「姫昌さん?」

「仰りたいことは分かります。だけど、わたしには」

 姫昌からぽろぽろと涙が零れて、美耶子の手からも力が抜けた。

「ごめんなさい、ちょっと熱くなりすぎたわ」

「藤野さん、悪いことはしないって約束したんですから勘弁して下さいよ。女性の手を断りもなく握ったってことで、今のはカウントしませんがね」

 蘇土は巨体に似合わぬ身軽さで起き上がるが、警戒は解いていない。

「ごめんなさい。色々と、使いにくいでしょう、私って」

「ええ、正直に言えばこの手の仕事に誘うのはこりごりです。単純な制圧とかなら声をかけますけどね」

 美耶子も体から力を抜いた。それでも、武術の心得のある者が見れば分かる。隙だらけに見えて、一分の隙も無い。

「あの、おばさん、なんかアタシも勝手なこと言いすぎたかも」

「良太郎くんだったわね、別にいいわ。私も、少し感情的だった。姫昌さんも、ごめんなさい」

 なんだか気まずい空気になって、それぞれは解散することになった。

 別れる際になって、良太郎は姫昌と端末のIDを交換した。

 優しい女なんていないのは分かっていても、優しそうな女に惹かれる。それは止めようがないことの一つだ。

 ユーリスは何も言わなかった。人の考えというヤツに口を挟むのが億劫だったのもあるし、別に間違ったことは言っていない。ただ、ひどく美耶子は疲れているように見えた。

 別れ際に、良太郎が美耶子に向かって言った。

「ごめんなさい、勝手なこと言いすぎたわ。でも、おばさんは強いと思うわ。自分が弱いなんて、そんなに言えることじゃないから、さ」

「あなたは、いい子ね。私にもあなたみたいな子がいたらよかったのに」

「子供さん、いい子っぽいし、アタシはいい子じゃないからさ。それに、蘇土さん投げ飛ばすなんてマジ強いし」

 美耶子は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、それから笑った。

「強い、か。そうね、そうかもしれない。ありがとう、松戸くん。なんだか私も自信がついたわ」

 どこか晴れやかな顔であった。なのに、良太郎は少しだけ後悔した。

 どうしてか、何か取り返しがつかないようなことをした気がした。

 美耶子と蘇土とアルマは連れだって家路についた。

 レンタル車両の返却を行うため蘇土だけは車と一緒に業者へ向かい、アルマと美耶子は地下鉄で帰る。


 夏の夕暮れは蒸し暑く、アイス売りの露店で土産を買うべきか悩む。

 美耶子とアルマはどう見えるだろうか、親戚と子供、もしかしたら親子か。

 美耶子の携帯端末に着信があった。

「ああ、もしもし。あら、あの時の。ええ、そうよ。でも、それはあなたの弟さんでしょう。うふふふ、いいわよ。場所はあの時の、ええ問題ないわ。じゃあ、え、なに?」

 アルマが見やれば、美耶子の顔からは表情が消えうせていた。今日の仕事に見せた顔とも違う、危険な貌だ。

「そう、麻衣を。お前、今の時点で死んだぞ」

 通話終了。

「何か、ありましたか」

「ええ、少し。剣術家同士のことでちょっと、蘇土さんには知らせないで下さい」

「麻衣ちゃんは」

「少し危険だけど、問題ないわ。じゃあ、先を急ぐからここで」

 地下鉄の入り口までさしかかっていたが、美耶子は人ごみをすり抜けてタクシー乗り場に行ってしまった。




◆◆◆


 武器密売人グエン・スエントは相当の額を支払って藤野美耶子の情報を集めた。

 ごくごく平凡な生い立ちの女性が変わるのは十年ほど前に起きた大規模テロからだ。

 商業連合本部ビルへの襲撃は市街地を戦地に変えて、無関係な多くの人々が犠牲になった。

 藤野美耶子は頭部に火傷を負いながらも産まれたばかりの我が子を病院で守り抜き、夫は失ったが今も強く生きている。ということになっている。

 グエンには勘働きがあった。

 何かが違う。

 伝説的なクラッカー、耳切ハサミに大金を積んで調査を依頼すれば、見えてきたのは『背乗り』だ。

 背乗りとは、他者の戸籍を奪ってその人物に成り代わることだ。間諜や細作が行う身元の偽装で、何がしかの国家的な闇に関わることが多い。


 弟の死した路地で、五本目の煙草を靴底で磨り潰す。

 夏の夜空に星はぼんやりと輝いていて、港湾区独特の匂いが鼻についた。

 この街の夏空は、星よりも瘴気中和剤のきらきらした赤い輝きが目に残る。


 耳切ハサミが言うには、彼女は子供を産んだ体ではない、と。

 なら、グエンの持っている大型トランクの中で眠る少女は誰なのだろうか。これを調べるのに財産のほとんどを使うことになった。

 市民登録の遺伝子情報を耳切ハサミがどのようにして得たかは分からない。そして、どうやって清柳院絹江の遺伝子情報を手に入れたのかも。

 何にせよ大金を積んで見えてきたのは恐るべき執念のようなものだ。

 過去に滅びた国の独裁者のベッドでの恥ずかしい趣味を暴露した伝説のクラッカー、耳切ハサミ。

 ネットとFMラジオの違法ジャックで二百年間活動を続ける謎のクラッカー。

 この伝説が賞賛に値すると評した怪物。

 グエンも、弟の仇であると同時に尊敬すべき人物だと思った。

 戦士には誉れあるべきだ。故に、我ら兄弟は武器を売る。相手を選ぶだけの矜持がある。

 銃をばら撒かざるを得なかったのは痛恨の極みだ。



 びゅう、と海と血の匂いのする風が吹き付けた。

 弟の死んだトラック一台分の広さの路地に、足音が響いた。

 チンピラを十人雇い、全員に銃を渡していたというのに、誰一人発砲すらさせてもらえなかったのだろう。

 現れた藤野美耶子は夏だというのにトレンチコートを纏っていた。手には、アゾイタイト合金刀の入った包みと、旅行鞄。

「待たせたかしら」

「いや、そんなでもないよ」

 グエンの瞳が、サイバーウエアの瞳が美耶子の情報を探る。脈拍体温呼吸、全て正常。十人を斬って疲労は一切無い。

「……麻衣は、そのトランクの中ね。寝ているのかしら」

「ああ、薬で眠らせた。怖い思いはしてないよ」

「そう、よかった。……あなた、随分と油臭くなったのね」

「はは、うん、まあ仕方なかったのさ。あんたとやろうと思ったら、生身じゃあキツい」

「サイバーウエアだらけね。飛び道具を卑怯と言わないけど」

「なあに、色々持ってるさ」

 グエンの頭部は人間を保っているが、ほぼ全身をサイバネパーツに変えている。この怪物と戦うために、売り物であった最新のパーツを移植したのだ。

「そう、弟さんは気の毒だったわ」

 美耶子はまず靴を脱いで、それからトレンチコートを脱ぎ捨てた。

 全裸であった。

 月明かりに青白く輝く裸身は、三十歳を過ぎた衰えは見えない。

 サイバーウエアではなくバイオウエアを入れた手術痕と様々な戦いの痕が全身に刻まれていた。

「バイオウエアを入れてるのは調べた。全て旧式だな」

「あら、私の裸に魅力は無いかしら」

「なあに、勝てない相手じゃないって分かったぜ。グエン・スエント、参る」

「く、ふふふふ、そう、あなたでもこの体はそう見えるのね。藤野美耶子、参ります」

「いざ尋常に」

「勝負」

 美耶子が刀を抜いた。

 アゾイタイト合金の刃は空気中の瘴気に反応して刀身に赤い燐光を走らせる。

 グエンの右手が伸びた。立ったままの状態から伸縮した右手首がアスファルトを砕き、掌が瞬時に七百度を超えて発熱する。

「くらえやっ」

 融解し液状化したアスファルトを美耶子に向けて投げつけた。

バイオウエア、生体改造の弱点は生物の弱味がそのまま残るという点だ。人間種の皮膚はたやすく傷つき、少しの火傷で深刻な状態に陥る。

 グエンは勝利を確信した。

 機械化しセンサーの塊と化した瞳は、先だっての一撃を回避不可能と表示している。脳加速薬剤を打ち込んだおかげで、その情報を確認しながら放ったのだ。

「ああ、痛い痛い。溶けたアスファルトだなんて、痛い痛い」

 どれほどバイオウエアを入れていようが、今の一撃はほぼ即死のはずだ。

 溶けたアスファルトの放つ煙の中で、美耶子の姿が一回り大きくなった。

「が、ああああ」

 グエンは叫びながらもう一度同じくしてアスフファルトを叩きつけ、背後に飛んだ。理屈ではない勘によるもので、己のそれは更なる追撃を指示していた。

 右手の白熱掌を維持したまま、左手のプラズマバルカンを起動させる。サイバーアイがコンマ一秒で指示した位置に左手の照準をセット。発射。

「あは、あはははは」

 左手が斬り飛ばされた。

 目の前にいるのは鬼だ。

 無垢な笑い顔の鬼。

 グエンは知らぬことだが、東方に伝わる笑い般若という妖怪の伝承がある。美耶子の顔はそれに近くて、額には角があった。

「ジャミングアンテナか」

 白熱掌を振るうがフレキシブルアームの変幻自在の動きすらも、美耶子にとっては児戯に等しい。あっさりと斬り飛ばされる。

「うふ、ふふふ、進化できるのよ。人は」

 次の一撃で両足を横一文字に切断された。

「か、怪物め」

 全身にバイオウエアを詰め込んでもここまでの怪物にはなれない。

 美耶子の全身は膨れ上がっていた。どこか柔らかさを残したままの裸身からは瘴気が立ち上り、空気中の瘴気中和剤と反応して赤い光を放っていた。

「そうね、怪物よ。私はもう、ておいへびなんだから」

 ゆっくりと上段に構えられたアゾイタイト合金刀が振り下ろされる。

 斬鉄。

 鉄で鉄を斬る。

 グエンはメイン脳と腹部に隠したバックアップ脳のどちらをも両断されて息絶えた。

 最後に見たのは、弟と同じく夏の夜空に輝く月である。

「うふ、あはは、もういいわ。私は強くなったの、だから、だからもういい」

 隠れていたアルマはじろりと美耶子に睨みつけられて、動けなくなった。

 剣を握る連中は例外なく強さが大好きだ。だから、美醜は関係ないというのに、美耶子のそれには歯の根が合わぬほどの怖気を与えられていた。

「ついてこなかったら、お隣さんのままでよかったのに。まあいいか、長くても三日くらいだから。付き合ってね、アルマくん」



◆◆◆



 ブウウウウン、という何かの機械が回る音。

 新しい部屋独特の、壁紙やフローリングの接着剤が発する匂い。

 目覚めたら手足には鎖の枷がついていて、それは壁に繋がっていた。しっかりと溶接されたそれを引きちぎるのはヒーローでないと無理な代物だった。

 前後の記憶が蘇って、講演の帰りに襲撃を受けたことを思い出す。

 護衛のサンドラは一撃でやられて、地元警備業者から派遣されていた魔術師とサイボーグも目の前で血の華を咲かせた。

 自分とよく似た顔立ち、よく似た年恰好、生き別れの妹か姉だと言われても納得するだろう顔立ちの女が目の前にいる。

「おはよう、ブラッバーを持ってきたわ。あなたの好きなキャラメル入りの甘いやつよ」

 ああ、それは昔好きだった味だ。

 少女時代によく飲んでいたが、年をとってからは体重を気にして飲まなくなったものだ。

「あ、あなた、誰、なんでこんなこと」

「うふふ、わたしはねあなたの知ってる人よ。顔は変えてしまってるから分からないでしょうけど、忘れられてたら寂しいわ。お話しをしましょう」

 清柳院絹江は、目の前に置かれたブラッバーのマグカップを手に取った。

 マグカップには懐かしいキャラクターがプリントされていて、どうしてか名前は思い出せない。

 たしか、少女のころに流行った何かのキャラクターだった気がする。テレビで人気だった、ユーモラスな動きをするキモカワイイとか呼ばれていたゆるいキャラクター。

 名前は思い出せなかった。

 そのキャラクターも、目の前の女も。


新年は別荘に入ってきます。

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