第十五話 お料理教室
時間が取れないため短いです。
第十五話 お料理教室
アルマート・ローズウッドの朝は早い。
雇い主であり雇用者という複雑関係である蘇土は病的なまでに眠らないため、彼より少しだけ早く起きるためには早寝早起きを維持した上で幸運に恵まれなければならないからだ。
さて、本日の蘇土は眠っているようで、彼の自室からはキーボードを叩く音やヘッドフォンから漏れる落語の音色は聞こえない。
顔を洗って歯を磨き、寝癖を直す。
エプロンをつけたら朝食の準備に取り掛かろう。
黙っていたらやっかいになっている側の自分を蘇土はもてなし続ける。
掃除洗濯から始まり、料理に至っては毎日プロの手作り。
今まで一人で暮らしたことがなかったアルマであっても、その手際が異常なまでに洗練されているのは分かる。
蘇土が言うには、「俺は人間よりその辺りが器用にできている」のだそうだが、気にせず甘えている訳にもいくまい。
朝食と掃除くらいはやろうとして、蘇土に一からやり方を教わり今に至る。
ミソスープを作るために出汁がいるのも教わったことだ。他にも色々あるが、ようやく昨日から出し巻きを巻けるようになった。
「おはよう。いつも早いな」
「おはようございます」
蘇土はほとんど寝ていないはずなのに、この時だけは寝起きの空気を漂わせている。それでも、朝に弱い姉とは比べ物にならないほどに、しゃっきり、だ。
「今日は昨日と同じ。相手が動いたら確保していい。それから、ああ、トナンサーモンの塩焼きか、いいな」
グリルでいい匂いを発しているサーモンは、トナン湖という北部辺境で大量に水揚げされる淡水魚だ。北部大森林の発生後に生じた湖で、とてつもない広さを持ちニホン領の食糧事情に貢献している。
「今が旬らしいですよ、今年は豊漁だとか」
「そうか、いいなサーモン。弁当は俺が作る」
「はは、やっぱり外じゃダメですか」
「ダメだってーの」
「ですよね」
簡単で面白味があって、危険が少なくて金払いの良い仕事を引き受けたのは四日ほど前のことである。
アルマはため息を吐きたくなった。
「女の子って疲れるんですよね」
「そいつは贅沢な悩みじゃあないか」
仕事の愚痴というのはこういうことなのだなぁ、とアルマは社会人の洗礼を浴びてしみじみと感じ入った。
フォーシエット市の子供たちは、法的には十六歳で成人とされている。が、十八歳の成人式を迎えてからが成人扱いされるのが市民の通例である。
成長速度の違う種族が入り乱れるフォーシエット市では三世紀も前に義務教育は崩壊している。しかし、子を持つ親たちは子供を私塾に通わせるのが一般的だ。
義務教育の学校とは異なるが、子供たちにとっては私塾が世界そのものだ。そして、それは一般的に十五歳くらいまでの年齢である。
カトーから斡旋された仕事はボディガード。さらに、脅威となるストーカーの捜索と撃退である。
依頼主は行政区の中央管理塔に勤める高級官僚で、娘さんにつきまとっているストーカーをなんとか表ざたにしないで処理してほしいとのことだ。処理、という表現で始末するのはちょっと、とカトーと蘇土がわざとらしく言った時には慌てて否定していた。
依頼主が契約を終えて帰った後に、カトーと蘇土はげらげら笑いながら高級官僚の慌てぶりを肴にアイスココアで乾杯した時にはアルマは頭を抱えたくなった。子供のいない男というのは大きくなった子供にすぎない。
「で、今はこうしている、と」
タブレット端末に『日記のようなもの』を打ち込み終わり、アルマは行政区の私塾の前にいた。
十五歳までに一般常識二級資格と専門系の学術資格を最低でも三級まで取得させるというエグゼクティブ養成私塾だ。通うためには親の信用査定まであるというそれは、見た目には一階テナントを託児所にしているビルである。
ビルの入り口に立っている全身サイボーグに会釈すると、向こうも頭部の広角センサーの倍率を変えて会釈した。
「袁姫昌様のお迎えにあがりました。こちらがIDです」
「認証完了しました。お疲れ様です」
サイボーグは滑らかな滑舌で首筋のスピーカー音声で答える。声に関しては汎用ボーカロイドプロトコルを使用しているのだろう。聞き覚えのある声だ。
私塾の入り口はもちろんのことに子供たちが多い。
アルマは無遠慮な視線に頭が痛くなった。
ローズウッド家は長男を除いた全てが『美形』と称される顔立ちだ。三男であるアルマもその例に漏れない。しかし、それはローズウッド家の遺伝子の問題で、特殊遺伝子保持人間種であるからだ。
やりにくいな、とアルマはため息をつきそうになる。
遺伝子上の事情から、あまり女の子に見られても嬉しくはない。男から絡まれる危険性もある。イケメンはそこまで得ではない。
「お待たせしました、アルマートさん」
と、考えていた所に声がかかった。
営業用の微笑みを浮かべて振り向けば、自分とさして歳の変わらない少女がいる。黒髪を肩辺りで切り揃えた少女だ。
特徴といえば、ぽっちゃりしている。柔和な雰囲気があって、暗い感じではないが、華やかとは言えない。顔形はそんなに悪くないが、アルマと比べてはいけないだろう。
「いえ、いま来たところですのでお気になさらず。本日のご予定はこれからダンスの教室でしたね」
「はい、お願いします」
ここまで小走りにきたのか、姫昌の呼気は乱れていた。
優しげなぽっちゃり少女がストーカー被害にあう。女は見た目じゃないが、引き寄せるのはいいものだけとは限らないようだ。
「では、お車までどうぞ」
護衛のために借りた車は防弾仕様のセダンだ。エクリプスという高級車だが、警備業用の特殊車両でいくらでも傷をつけていいと言われている。
さて、相手の特定は出来ていないため危険度は未知数だ。何か分かれば蘇土から連絡が入る手はずだが、未だそれはない。
ちらちらと沢山の視線を感じる。
「三つか」
感覚を研ぎ澄ます。
「え、何か仰いましたか?」
「いえ、なんでもありません。さ、姫昌様、どうぞ」
駐車していたエクリプスのドアーを開けて、彼女を先に車内へ。
悪意の視線に対して目を向ければ、私塾ビルの四階からこちらを見つめる女の子と目が合った。アルマではなく、姫昌を射抜く悪意の目であった。
「女の子ってヤだなぁ」
つぶやいて、アルマは自身の胸元を触った。
あと半年の間にどちらにするか決めないといけない。
◆◆◆
蘇土は午前の仕事を早々に切り上げた。
ストーカー対策は囮としてアルマを張ってあるし、調査といってもそれは高級官僚様がやっているはずだ。それで出てこないなら未成年者か職業犯罪者なのだが、プロの仕事ではない。と、すれば確実にストーカーとやらは姫昌に近しい未成年者だ。
アルマに勝てるようなガキはそうそういない。
姫昌お嬢様が私塾の中にいる間、蘇土はかねてから予約を入れておいた初心お料理教室へと向かったのである。
センター主催のお料理教室は、産まれてこのかた包丁なぞ人を刺す時以外に握ったことがない、とか、初めてお料理に挑む子供、とか、料理の何かが分からなくなった職人、などが集まる初心者向けの教室である。
講習であれば資格関係の講座になるのだが、教室は趣味の集まりに近い。
一世紀前に問題になったハコ物行政で造られた落下記念会館の三階で行われるそれへの参加人数は三八人。
講師である四本腕人間種の女性は、蘇土が名札を首に下げて現れたらにこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。
「有資格者の蘇土さんですね。講師はわたし一人だけなんで、手伝って下さい。みんな大好きなミートソーススパゲティです。包丁で缶詰を開けようとするクサレ、じゃなくて人がいたら気にせず叱って下さい。責任はわたしが持ちます」
女がクサレとか笑顔で言うなよなあ。
包丁も握ったことが無い素人が押し寄せてくるためか、講師は鬼気を背負っている。
調理設備のある大部屋には続々と人が集まっていて、十歳くらいの子供から初老のご婦人まで様々だ。
「はーい、皆さん名札の番号の席に座って下さい。あと五分したら開始になりまーす」
講師は拡声器も使わずに部屋全体に声を響かせる。なにげに凄い技術だ。
「みなさーん、今日は二級資格者の蘇土さんがお手伝いしてくれますんで、どんどん声をかけて下さいね。分からないのに包丁は使わないで、絶対、絶対によ」
大事なことなので二回言っているのだろう。
こうして地獄のお料理教室は始まった。
缶詰ごと加熱しようとする若い女、茹でるなと言っているのにパスタを茹でようとするガキ、タブレット端末でアレンジレシピを引っ張り出して試そうとする爺、量が足りないと言い出したグリーンスキン系ゴブリン種、なぜか泣き出すガキ。
怖がられるかと思ったが、それは杞憂に終わる。人は意外に他人のことなど気にしていない。
席の三分の一は阿鼻叫喚の素人だったが、だいたいは丸く収めることに成功していた。一時間に満たないというのにひどく疲れる。
「蘇土さん、こんにちは」
呼ばれて振り向けば、ユーリスだ。意外な所で出会う。
「お、ああ、ユーリスさんか」
「今日は、……大変そうですわね」
「まあ、見ての通りさ」
答えながら、ユーリスの班のテーブルを確認する。
できている。ほぼ完璧だ。何の問題もなく食べられるであろうデキだ。
「わたくしは初めてでしたけれど、うまく出来たと思いません?」
「ああ、素晴らしい。余計なこともしてないし、基本通りだ」
何をするにしても基本は大切だ。むしろ、それだけで大抵はなんとかなる。
「お料理は初めてで、驚くことがいっぱいでした」
「お姫様だったんだよな、そういうもんか」
「ええ、でも、今はただのユーリスですわ。洗濯もそうですけれど、自立というのは大変なのですね」
「慣れたらなんてことないよ。ま、失敗はたくさんするがね」
「ふふ、失敗はたくさん、しているところですわ」
何の気負いもなく言えるのだとしたら、それは糧になっているのだろう。
お料理教室のやらかしてくれた皆さんも、同じことはしないはずだ。だけど、それは蘇土にはよく分からない感覚だ。
「そっか、ちょいと羨ましいな」
だいたいのことは一度見れば真似ができる。
料理の失敗も無い。
失敗がない故に、そこから先への発展が無い。全てがそれで料理は特にそうだ。
その道で一流の人物に指導を願って得られたのは、正確にコピーした結果として「つまらない」と評される味である。寸分狂わず、という精度に至れば「面白い」味になるのだろうか。確かに自分の料理は味気ない。ただ技術が高いだけだ。
「蘇土様は、何か、いえ、なんでもありません」
「あ、いや、別に変なこと考えてた訳じゃあないよ」
「お気を悪くなさらないで、なんだか寂しそうに見えて」
寂しい、という言葉は意外なもので、どこか重く響いた。今まで一度も考えたことのないものだ。
「俺は、その、よく分かんねえな」
「変なことを言ってすみません。でも、なんだか、そんな気がして」
「いやあ、いいんだ。はじめて言われたんでね、なんだか戸惑っちまって」
お互いに、言葉はどうしてか見つからない。
自分を怖がらない肝の据わった不思議なお姫様と、言葉を捜して見つめあう。ええい、何をしているのかさっぱり分からない。
「ああ、そうだ、早く食べないと冷めるぜ。出来たとこから食べるようにしてるんだし、さあ、ユーリスさんの班の方もみんな食べて下さい」
彼女の班にいた数人は空気が読めるタイプで、にやにやしたりはらはらしたりしながら二人を見守っていた。なので、その空気のまま彼らは食事に移る。
『いただきます』
フォーシエットに残る旧ニホン領の挨拶を終えたら、それぞれの信仰に準じた祈りを捧げる。ユーリスも故郷の言葉で何か囁いていた。
「センセも食べていきいな、ちょい余ってんねんで」
何やらユーリスのバイト先の同僚だという西域都市訛の女性に誘われて一緒に食べることになった。
「いただきます」
なんてことのない、基本通りに手際の悪い素人が作るミートソーススパゲティ。
麺は茹ですぎ。茹で汁には塩を入れすぎていてる。缶詰のメーカーは二流所。だけど、そんなに悪くない。
「うん、普通」
班の皆からブーイングが上がったが、それなりに満足そうだ。
「普通だが、美味いよ。うん、味は普通なんだが、いいなこれ」
アルマと藤野母娘と食べた時もこんな感じがあった。カトーはこれを教えたかったのか、よく分からない。
「みんなで食べると美味しいのですよ。わたくしも最近知りました」
「俺も、今知ったよ」
以前にドーナツ屋で会った時もそうだったが、ユーリスは美味しそうに食べる。こっちが楽しくなるような、そんな顔で、食べる。
「今度、食事でもどうだ」
「ええ、よろこんで。こちらのお料理はみんな美味しいです」
さて、表情から察するに彼女はこの意味に気づいてない。
相当の勇気を振り絞った言葉で、周りの人たちはニヤニヤとしていて、らしくないことをしてしまった、と恥ずかしくなった。
後悔はしていない。
言葉を続けようとしたら、携帯端末が着信を知らせた。
「アルマか、どうした?」
『すいません、ちょっとミスりました』
「おい、どうした」
『姫昌様は御無事ですけど、相手に逃げられました』
「今すぐ行く」
『あの、僕も無事です』
そんなことを言うから、ピンチだと思ったというのに。
「どうしたよ。簡潔に説明しろ」
『相手は銃器を持っていました』
「すぐに行く。警察には?」
『蘇土さんの判断を仰いでからだと思って』
「了解、すぐに行くが、今すぐソーサラーズかローニンズに連絡しろ。俺の名前を出したら話の分かるのがくる」
『了解です。事実以外は話しません』
余計なことは言わないという意味か。いい子だ。
通話を切って、ユーリスに向き直る。すると、彼女は班の皆にからかわれているところだ。
「そ、蘇土さま、わ、わたくしはですね」
「すまない、緊急で仕事が入った。終わったら連絡する」
いい時に限って仕事が入る。
「はい、お待ちしております」
蘇土は講師に名札を返すと急いで出ていった。
フォーシエット市では銃器を使う犯罪に対しては恐ろしく重い罰が下される。
それだけに、警備業者は銃犯罪に対して責任が重いのだ。
変なことになるなよと祈ってみたが、いつだって祈りは無力だ。
来週の連休こそ休むと決めたが、いつだってその決意は裏切られる。
社畜はそんなものなのです。




