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第十四話 幸せの香り 絶望の味

仕事いきたくねーなー。

第十四話 幸せの香り 絶望の味



 誰にも邪魔されずひっそりと生きたい。

 毎日の騒がしさに死にたくなる。

 仕事を終えたらいつものコースを通っていつもの食事をして、いつものテレビを見ていつもの時間に風呂に入り、決まった時間に眠る。

 ダーツォンドーナツはチェーン店で、こういう画一化された商品は大嫌いだ。

 自動ドアーが開いた時に漂ったのは故郷の香りで、ついぞ足が向いた。

 今から思えばあれは奇跡のようなものかもしれない。

 故郷でよく食べた肉饅頭が売られていて、ドーナツなんてものには微塵も興味がないので肉饅頭一つとダノリ茶というものをアイスで頼む。店内でお召し上がりになられますか、こんな店の包み紙を生活空間に持ち込むと想像するだけで吐き気がする。ゴミは出したくないので店内で召し上がることにした。

 肉饅頭のふっくら生地は素朴な甘味があって、肉の餡はジューシーで香草の爽やかさが肉のくどさを消す逸品。

 落下以前、故郷は戦争の真っただ中で、肉は塩辛くて臭いものだった。生地だって青臭くて甘味のないものだった。この肉饅頭は故郷の味でもなんでもない。だけど美味い。

 この世界に落ちて、ダンドラ・ウリエルに拾われて、故郷のことを思い出すことも減っていたが、決して忘れてはいない。

 ファーストフード店の客席というのは人が一人だけでいられる浮き島のようで落ち着いた。一人用の浮き島は、隣人は見えても誰も興味を示さない。

 タブレット端末で本を読むことにする。

 人の話声や店員の応答、店内のラジオ、どれもが雑踏の中にいるようで、静寂の中にいる不安を忘れさせてくれる。

 こうして、ドーナツ屋で時間を潰すことも日常の一部になった。

 いつもと同じことが一つ増えて、同じがたくさんになっていくのは少しだけ安心する。

 社長のお菓子作りへの情熱が冷めてくれたら、もう少し安心できるのだろうが、それは望み薄だ。



◆◆◆



 ユーリスとアンジェリカは仕事の終わりに待ち合わせて服を買いにきたのだという。

 ここからユーリスの働く洗濯屋は近いのだそうだ。

 テーブル席には蘇土のおごりでドーナツが幾つか。

 暗殺者のアンジェリカもテーブルマナーは優雅だ。さすがはファンタジー主従。

「まあ、輪になっている揚げ菓子なんてはじめて」

「ユーリスさん、手で持たれるなんて……」

 様付けで呼びそうになっているアンジェリカは、手を使って菓子を食べるユーリスをはらはらとお世話していて、なんだか面白い。

「手で食うのがマナーなんだよ」

 蘇土はジャック・リーが買っていた肉饅頭を一口で平らげていた。

 普通に美味いのが大手チェーン店の凄い所だ。これで二八〇円はお得だ。

「むう、やっぱりここの習慣には慣れない」

 アンジェリカはどうしてか蘇土には素でしゃべる。侍女としてのしゃべり口もできるはずなのだが、殴り合ったりした連中には使わないようだ。

「ジャージをそんだけ着こなせるんだ、もう慣れてんじゃねえのか」

「なんでお前たちはジャージを着ない? 汚れに強くて動きやすいなんて夢の服だぞ」

「俺には俺のセンスがあるんだよ」

 主にハードボイルドダークヒーロー系。

 どうせ怖がられるならこれくらいは徹底したい。

「アンジェリカは友達をたくさん作っているのですね」

「姫さ、じゃなくてユーリスさん、蘇土は別に友達では」

「友達でいいじゃねーか」

 暗殺者と友達なんて自慢できるだろ、と続けたかったが止めておく。

「なら、蘇土さま、わたくしともお友達になっていただけますか」

 突然のことに、一瞬言葉が見つからない。

 女友達といえば、自称秘宝ハンターの李麗華ことリーホァ、最強車椅子こと鳴髪小夜子、闇医者のサイボーグ女、だいたい友達というほど仲は良くない。よく見積もって知り合いだ。

「お、おう。俺でよかったら」

 声が上擦っていた。

「よかった。よろしくお願いしますね」

 アンジェリカが凄くいい笑顔を蘇土に向けた。その瞳はまるで銃身のような冷たさである。そして、口を開く。

「よかったね、蘇土」

「飲み物買ってくるわ。二人とも何がいい?」

 女の怒りは怖い。こういう時は何かで誤魔化すのが良いらしい。

 ユーリスはオレンヂジュースでアンジェリカはトリルベリーのソーダ。トリルベリーは定番の深い青色のソーダだ。酸味の効いたそれは、アンジェリカの心境を表しているようである。



◆◆◆


 ダーツォンドーナツは喫煙席と禁煙席に分かれていて、いつもの席は喫煙席だ。

 煙草は一日五本と決めていて、ここで吸うと帰宅してから吸う分がなくなる。が、禁煙席だと女子供の声が耳に響いて頭痛がする確率が高い。だから、いつも喫煙席に座る。

 指定席にしている浮き島は埋まっていて、この日は禁煙席に座ることになった。

 隣に低所得の家族連れなんかがやって来たら早く食べてすぐに帰ろう。

 チェーン店というのは習慣化してもこういうトラブルがあるので苦手だ。だが、肉饅頭の魅力はそれを補う。

 初めて座る禁煙席。少し居心地が悪い。

 一人用の浮き島。混雑していて、隣は女の子が一人で座っていた。

 子供は苦手だ。

 携帯端末の画面に女の子は集中していて、何かゲームでもしているのだろう。

 いつもと同じようにタブレット端末で本を読む。

 二百年も前に人気だったというファンタジー小説。半裸の女が戦うシリーズの十一冊目で、一冊目を読んでからあまりのくだらなさに十巻飛ばしてみたら政治闘争の物語に変貌していた。これは真面目に読まねばなるまい。

 本に没頭していると、視線を感じた。

 隣の女の子がじっとこちらを見ている。

「字ばっかりの本って面白い」

 心臓が変な音を立てるくらいに驚いた。きっと、顔もそうなっている。

「……、ああ、面白いよ」

 それが、初めてその子と話した日だ。

 彼女はトリルベリーのソーダを飲んでいて、その青さがやけに目に残った。



◆◆◆



 ドーナツを土産に自宅に帰りつけば、玄関に靴が多い。

 子供用のスニーカーに女物のスニーカー、それからアルマのスニーカー。蘇土だけがワークブーツだ。

 蘇土の部屋はかなり神経質に整理されていて、いつもは話し声など聞こえない。

 今は奥から談笑の声がして、なんだか自分の巣じゃないみたいだ。

「あ、おかえりなさい」

 靴を脱いで部屋に上がれば、キッチンにはエプロンをつけたアルマと藤野美耶子と麻衣の母娘がいた。

「なーにしてんだ、よ」

「お料理を手伝ってもらってたんです」

 ドーナツの土産は、この人数だと丁度いいくらいの数だ。

「こんばんわ、蘇土さん。アルマくんとお買い物の時に会って、お料理のお手伝いをすることになったんですよ」

 それはもう聞いた。

 美耶子は猫の絵柄のついたエプロンをつけて味噌汁の鍋の前にいて、麻衣はアルマと一緒にマッシュポテトを作っている。

 調理用具といったらフライパンと鍋くらいしか持ってなかったのだが、マッシュポテトには大型のボウルが使われていた。必要なものは買えと言ったが、まさかこんなものを買ってくるとは思っていなかった。

「いや、なんかウチの従業員がお世話になっちまったみたいで」

「いいんですよ、麻衣の面倒をみてもらいましたし。それに、アルマくんは同門ですから」

「え、すると藤野さんもU剣道の方で?」

「はい、先日本部道場の師範になりました」

 最強車椅子と同列。それはすごい。

 確かに、只者ではないと思っていたがまさかの展開だ。

「そいつは凄い。さいきょ、じゃなかった鳴髪さんとは前に仕事で顔を合わせたことがあったんですが、あの人と同格ですか」

「ふふ、小夜子さんは私なんかよりずっとずっと。肩書だけですよ」

 常にブレない重心に隙の無い動き。日常生活にまでしみ込んだそれは生半可なことで身に着くものではない。何かが、強い何かが無いとそこには至れない。

「いやいや、立派です。まあなんというか、メシまで作ってもらって申し訳ない」

「麻衣がお世話になってますし、たまには賑やかな食事もいいものですよ」

 ちらりと麻衣を見やる美耶子。相変わらずアルマにぴったりだ。

 アルマは蘇土から見ればまるで女の子なのだが、麻衣からすればイケメンなお兄ちゃんになるのだろう。

「それじゃあお言葉に甘えますか」

 そんなことで皆で食事をとることとなった。

 ダイニングには無意味に大きな机を置いていたのだが、初めて役に立つ日が来た。

「それじゃあ俺は」

 仕事をしておくから、と言おうとした所で美耶子がそれを制するように強引に口を挟む。

「この鶏肉、から揚げにしたいので切って頂けますか」

「あ、ああ、分かった」

 正直に言えば、こういう雰囲気は苦手で、いや、何をしたらいいか分からないし初めてのことで逃げ出そうとしていたのだ。しかし、美耶子はそれを察してここにいる理由をくれたようだ。

「あ、カラアゲ好きだから、おじさんもちゃんとやってね」

 麻衣が生意気な顔で言った。

「あのな、俺はこう見えて本職なんだぜ。まあ見とけ」

 麻衣に言い返して、蘇土はエプロンを身に着けて手を洗う。料理というのはそこからだ。

 麻衣とアルマの戯れを聴きながら、から揚げを作る。下味は醤油、酒、味醂、西青ジンジャー。冷蔵庫に入れて漬け込む時間は十五分もあればいい。

「藤野さん、揚げるの任せてもいいですか? タイマー鳴ったらやってもらって大丈夫なんで」

「はい。蘇土さんて、ほんとに職人さんみたい」

「資格は持ってますから。アルマのヤツ、なんで大根一本まるまる買ってきてんだよ」

 買い物袋には他にもネギやジャガイモにカレー粉があった。典型的な男の買い物だ。

 大根を三分割して、首に近い方を短冊に切る。ついでに大根の葉も刻む。三合炊きの炊飯器で大根飯を作ることにした。冷蔵庫を見れば、少し前に貰った乾燥小海老があったのでそれも入れる。

「あ、白ゴマがないか」

「ああ、わたしの所にあるんで大丈夫ですよ。麻衣、白ゴマ部屋から取ってきて」

「はーい」

 なんだか気分が躍った。あと七時間したら深夜のホテルに突入してクソ犯罪者を捕まえるというのに。

 大根飯を炊く時は水を少な目にするのが良い、と講師に教わった。好き好きだと思うが、教えてくれた講師はそれが最良のやり方だと信じていた。

 大葉があればいいが、それはないので我慢する。

 しばらくして出来上がり、広すぎるダイニングが埋まるほどに皿が並んだ。足りない椅子は藤野家から借りて、皆でいただきます。旧ニホン領は神ではなく物に感謝を捧げる。祈りは物質に、それを作る人々に。

「おじさん、ほんとに料理上手だったんだ」

「嘘は言わねえよ」

 こうやって嘘をつく。

「蘇土さん、作れるんだったらバナナだけの朝食とかやめましょうよ」

 一人で食べるんだったらなんでも同じさ、と言いかけてやめた。それは無粋というヤツだろう。

「みんなで食べると美味しいでしょう?」

 美耶子は麻衣に言い聞かせるように言った。麻衣は「うん」と返事をしていて、アルマが彼女の頭を撫でる。

 テレビドラマの安っぽい家族のようだ。そんな風に思ってしまうのは僻み妬みだろうか。

 そんなに好きではない酒を飲みたくなったが、それではまるでお父さんのようで、老け込むのは嫌で、やめておく。

 存外に楽しいものだった。



◆◆◆



 ダーツォンドーナツに行くと女の子の隣に座ることが多くなった。

 目が合うと笑いかけてくるので、無視するのも忍びない。

 変な犯罪者とでも思われたら嫌なのだが、会社の近く、警備業のジャケットを着ているせいか変な目で見られることはなかった。

 三回目に隣り合った時、女の子の母親が迎えに来るのにかちあった。

 地味な服の、仕事帰りだという女性だった。

 なんでも女の子はバレエ教室に通っていて、ここで母親の迎えを待っているという。

 ある時、女の子がトレイを運んでいる時にころんでしまった。ドーナツは無事だったがグラスのトリルベリーソーダがぶちまけられてしまった。

 あんまりに悲しそうな顔をするので仕方なく買ってやったことがある。

 母親だという女性はその代金を支払うと言ったが、面倒なので断った。

 次に会った時に、お礼だと言って持ち帰りのドーナツを渡された。

 豆腐の入った、女の子のよく食べたていたドーナツと、シンプルな茶色いドーナツ、ハニーミルクドーナツ、それにお持ち帰りブラッバー。

 ブラッバーはあまり好きではない。苦みが強すぎて、茶のほうが良い。

 ドーナツというものをちゃんと食べたのはいつ以来だったか。

 一人の自室で食べるのは思ったほど味気なくはなかった。

 社長の趣味のお菓子作りの試食にもたまに参加することになった。近頃は愛想がよくなったと言われる。

 腹の中のもやもやとした詰まるような感覚が薄くなっていた。


 季節が二つ巡った。

 彼女たちはよく笑う。

 夫はいないのだと、ドーナツ好きは遺伝なのだと、別れたのだと、娘はバレエに夢中で、それだけはなんとかして続けてあげさせたいのだと。

 好きなものはなに、と聞かれて肉饅頭だと答える。

 本当は好きなものは随分と前に失っていて、だから、今はこの肉饅頭が好きだ。

 世間話は十分かそこらで、肉饅頭の味の種類は三つだけ。

 母親が好きだというジャスミン茶を初めて飲んで、むせた。母娘の笑い声がして、こちらも笑った。

 後日、社長に言われて自然に笑えるようになったのだと気づく。



◆◆◆



 楽しい食事を終えて、仮眠を取った後の深夜二時。

 仕事の前は食事を抜いていたのは昔の話で、今は仕事前にナノマシン消化薬を飲んで腹の中を空にする。もちろんトイレにも行く。

 体によくないそれは警備業者じゃないと買えないようになっていて、週に二回以上は使用するな、とあるのでダイエット薬にはならない。

 アルマを伴ってウリエル事務所でダンドラとジャック・リーに合流した。

 蘇土はいつものコートとソフト帽で、アルマには防弾ジャケットを着せている。保釈取りとはいえ、用意は十全にするべきだ。

 ダンドラとジャックも同様に準備に抜かりのない様子である。ダンドラは竜人の伝統武具である六尺棒を、ジャックは腰に警棒を吊るしていた。

 ウリエル事務所の名前の入ったワゴン車で、皆は顔を突き合わせている。

 ダンドラが口を開く。

「打ち合わせの通り、俺とジャックと蘇土で突入するのである。アルマくんは車で待機して、逃がし屋が来たら警報を鳴らすのだ」

「りょ、了解です」

 緊張している様子のアルマは佩いた木刀の柄をぎゅっと握った。

「なに、アルマくんが緊張することはない。逃がし屋も我らがいると知ったらすぐに引っ込むのである」

 逃がし屋、言葉のままだ。犯罪者の逃亡を手助けする犯罪者。彼らは現金での取引以外を認めないし、暗黙の了解として実際に逃がし屋と合流してから仕事が始まるというルールがある。

「ま、そういうことだ。確保したら無線で連絡する。中はモニターもあるから俺たちの動きを見とけばいい」

 蘇土が言ってモニターを指差す。

 ダンドラとジャックのつけているゴーグルに取り付けられたカメラの映像が車載モニターには表示されていた。

 発車して、たどりついたのはカブキ町の連れ込み宿と出張型風俗店の集まる一画だ。

 目的のホテル姫花のフロントには話がついていて、203号室に目的のロリコン変態野郎のリオン・シノミはいると教えてくれた。つい一時間ほど前に女を連れ込んだそうで、逃がし屋ではなく護衛の類であろう。

「やりにくくなったな」と蘇土が言えば、

「現状維持で行く」と、ダンドラは答えた。

 チンピラ一人程度なら訳は無い。

 203号室のドアをジャックがノックしてこう言った。

「フロントですが、ご注文のお夜食をお持ちしました」

 正攻法というやつだ。

「はーい、ちょっと待ってね」

 ドアが開くと同時に刀の切っ先が突きだされた。素人め、そういう時はスタン警棒や電磁剣を使うべきだ。

 ダンドラは焦ることなく六尺棒をカウンターで合わせ、中にいた女の腹にぶち込む。存分に練られたプラーナは女を部屋に吹っ飛ばした。

「保釈中逃亡犯リオン・シノミ、裁判所から拘束令状が出ている。抵抗はするな」

 言いながらジャックは風のように駆けた。

 部屋の真ん中で立ち尽くしている男、リオン・シノミに体当たりをすると押し倒して後ろ手に拘束する。

 ダンドラは満足げにそれを確認した後、護衛らしき刀術使いの女に近づいた。

「おい、サイボーグ、抵抗しないならバラバラは勘弁してやるのである。這いつくばって両手を頭の上に乗せるのである」

 気絶したふりをしていた女は諦めたのかその指示に従った。ジャックがやって来て対サイボーグ用ワイヤーで拘束して、念のために関節部にチェーンロックをかける。素早く器用な男だ。

 蘇土は仕事が滞りなく済んで安堵の息を吐いた。

「一級警察官資格者の蘇土隆明だ。リオン・シノミ、貴様を私設警察マックス・ローニンズまで連行する」

 ジャックはリオンを立たせて入口へ誘導した。ダンドラはサイボーグ女をかつぐ。

 撤収だ、という所でジャックが振り返った。

「社長、蘇土さん、動かないで下さい。車とジャケットに蟲毒爆薬を仕掛けています」

 何を言っている。

 ダンドラもあまりのことに動けない。

 サイボーグ女の拘束がぱらりとほどけてダンドラの肩から飛び出した。そして、ジャックの隣に寄り添う。

「動いたら起令させます。すいません、社長、蘇土さん、こいつには報いを受けさせなければいけないんです」

 サイボーグ女は、隠していたらしい銃を取り出した。最新式のレーザーピストルだ。

「ジャック、妙な冗談はよすのだ」

「すいません、動かないでいてくれるだけでいい。睡眠薬を投げますんで、おとなしくこれを打って下さい」

 ジャックの手からガンカートリッジ式の薬剤が投げ渡された。




◆◆◆



 いつものように肉饅頭を食べる。

 今日は女の子はいない。

 禁煙席に座るためにいつの間にか煙草はやめてしまっていた。

 女の子がいない時は小説を読む。

 女の子はいないのに母親が迎えにやってきた。

 今日は見ていないと言ったら、慌ただしく端末で通話を入れるが、電源がきられている。

 その場で警察に通報して、知り合いの捜し屋に連絡を入れた。金などどうでもいい、何かあったら、何かあったら、どうしたらいい。

 母親と共に警察署へ。

 見つかったのは五時間後だ。

 ローニンズの婦警は痛ましい顔で、母親は泣いて、女の子は病院へ。

 どこにだって変態はいる。そんなことは知っている。

 かける言葉はなくて、元夫だという男が現れて、ここで何もできなくて、帰る。

 翌日も同じように朝がきて、同じようにダーツォンドーナツへ行き、肉饅頭を食べる。

 女の子の好きなドーナツとトリルベリーソーダを買って、病院へ行く。

 母親がいて、なんで警備業なのに助けてくれなかったのかと責められる。

 帰る。

 部屋でドーナツを食べて、トリルベリーソーダを飲む。

 酸味の効いたベリーソーダは女の子の大好きな飲み物で、飲みすぎると太るのが悩みだと言っていた。

 腹の中がねじ切れるような不快感があったけれど、女の子の大好きな味を腹に押し込む。

 数日して変態リオン・シノミが警察に捕まった。

 捜し屋と情報屋に金を支払ってリオン・シノミがどんな人物か、どんな後ろ盾があるか、全て調べた。

 犯罪被害者支援会という報復専門のカルト組織と接触した。


 女の子も母親も笑えなくなった。

 だから、俺は、笑顔を奪った変態から全てを奪うことにした。



◆◆◆



 ダンドラをちらりと見やれば、目が泳いでいる。

 息子のように接していたジャックがこうなれば無理もない。

「く、う、そんな条件は飲めぬ。よすのだジャック」

 無理だな。ダンドラは突っ込んで一気に制圧という手には出れない。半端に動いては意味が無い。

『蘇土さん、聞こえますか』

 耳元のインカムからアルマの声。

「聞こえてる。車から出るなよ。多分爆発する仕掛けになってる」

『しかし、これは』

「いいから見とけ。ダンドラのとこの問題だ。俺たちは被害者だ、おとなしくしとけ」

『りょ、了解』

 悔しそうな声だ。だが、蛮勇だけで切り抜けられる状況に、アルマは、いない。

「ジャック・リー、俺はここで寝とく。ダンドラ、あんたんとこの問題だぜ」

 蘇土は薬剤をジャックに見えるようにして左手に打った。ガンカートリッジ式であるため色のついた薬液が空になっているのが容易に確認できる。

 さて、常人なら三十秒。蘇土隆明という人造生体兵器はどれだけ持つか。

 ジャックが視線を外した瞬間に、雄叫びを上げてサイボーグ女に肉薄する。発射されたレーザーが左肩を焼く。痛いが、この程度なら平気だ。

 そのまま胸元にパンチ。細見のサイボーグ女の胸を丸太のような腕が貫く。

「シッ」

 ジャックが電磁警棒を蘇土の口に突き入れる。

 蘇土はそれを牙で噛むことで止めた。そのまま腕を振ってジャックをダンドラの方に弾き飛ばした。

 電撃にも多少の耐性があるが、効いた。

 目の前が暗くなっていく。

 ダンドラの雄叫びを聞きながら、その場に膝をついた。

 失敗していたら目覚めないだろうな、と思いながら心地よい眠りの中に落ちていく。




 ◆◆◆



 蘇土が目覚めたのは四時間後で、場所は私設警察マックス・ローニンズの医務室だ。

 看護師に水をもらうと、休む間もなく取り調べ室で調書取りに入り、あったことを言えば解放された。

 待合室で待っていたアルマと合流してとりあえず帰ることにした。

 ダンドラがどうなるかは分からない。

 犯罪者への私刑は重罪だ。ジャックは懲役を免れないだろうし、ダンドラもまた積み上げてきたものを失ったことになる。

 タクシーを拾って事務所兼自宅へ帰り着いて、心配するアルマを寝かせて、蘇土は薬のおかげでだるい体を自室のソファに沈めた。

 眠くは無い。

 ジャック・リーがなんであんなことをしたかは分からない。



 次にダンドラと会ったのは。事件が報道された四日後のことである。

 アルマには休日を与えて、蘇土は一人でダンドラと会った。

 カブキ町の喫茶店で、甘味で有名な店だ。客の八割は女で、居辛いことこの上ない。しかも平日の午後といえば暇で噂好きな御婦人の集会時間である。

「トリルベリーケーキとブラッバーを。ブラッバーは甘いヤツにしてくれ。銘柄は任せる」

 こういう店での注文ははっきりと口にするのが男らしいというものだ。

 鱗に艶をなくしたダンドラは緑茶とロールケーキを先にやっていて、すっかり老け込んでいた。

「すまなかったのである」

「違約金の振込も確認したし、いいさ。あんたが悪い訳じゃない」

 会話が途切れて、蘇土は運ばれてきたトリルベリーケーキにフォークを入れた。きつい酸味のベリーソースとスポンジの甘味が程よく調和している。

「ジャックは、息子のようなものである」

「そうかい」

「あんな真似はしてほしくなかったのだ」

「だろうな」

「大切なものを奪われたと、ジャックは言っていたのである。許せない、と」

 俺に言われても困る。と、言いたい所だがそれは言っても意味がないことだ。

「これから、どうするんだ」

「事務所は閉めることにしたのである」

「そうか」

「多少の蓄えは残っているのである。しばらくは、吾輩も考えねばならぬのだ」

「フリーになるなら連絡を頼む。いい仕事があったら一緒にやろう」

「うむ、その時は頼むのである」

 ブラッバーはあまり美味しくはない。後で知ったことだが、この店は茶が本筋でブラッバーは四段ほど落ちる味なのだそうだ。

 帰り道、露店のアイス売りからトリルベリーアイスを買った。

 ジャック・リーのニュースはどこか英雄めいて報道されている。変態の被害にあった母娘の友人が仇を取りに行ったというものだ。

 やり方は間違っているが気持ちは分かるよ、なんてインタビューを受けたグリーンスキン系オーク種の男が答えていた。テレビの中じゃあ何もかもが他人事だ。

 たとえば、高野が、アンジェリカが、ユーリスが、友達があれほど苦しめられたらどうするだろう。

 煙草を呑もうと思って懐を探るが、ライターを買いそびれていることに気づく。

 アルマには初仕事で悪いことをさせた。

 今度は何か面白いのをやらせてやらないと。



◆◆◆



 フォーシエット市赤沼拘置所でジャック・リーは刑が確定するのを静かに待っている。



◆◆◆



 社長は何度も面会に訪れた。

 三度断って、四度目に会うことになった。

 分厚いガラス越しの会話で、内容は全て記録される。

『ジャック、久しぶりである』

「社長、すみません。俺は」

 裏切ってでも復讐を遂げたかった。

『事務所は閉めることにしたのである』

「……」

『しばらくはパティシエとして修行を積むことにしたのである。竜人の寿命は三百年、吾輩は未だ一八〇歳である』

「……」

 ダンドラ・ウリエルへの言葉が出ない。何をどう言えばいいか分からない。

『ジャック・リー、お前のことを分かっておらなんだ。勝手にお前を息子のように思っておったが、何も力になってやれなんだ』

「社長……」

『懲役は長くても十年といった所であろう。模範囚でおるのだぞ。出てきたら、共にドーナツ屋でもやろうではないか』

「けど、俺は、まだヤツを許せないっ」

『あんなものを許さずとも良いのだ。吾輩は待っておる』

 憎い、悔しい、嬉しい、悲しい、色んな感情が溢れて嗚咽を漏らすことしかできない。

 どうしたらよいのか、分からない。

『ジャック・リー、お前は息子のようなものである。待っておるからな』

 ダンドラ・ウリエルは退室して、こちらも刑務官に退室を促された。

 涙は止まらなかった。



◆◆◆



 藤野美耶子は紙媒体の新聞を買って、お隣さんの関わった事件の顛末を知った。

 U剣道本部道場ビルのサロンで、復讐のために全てを捨てようとした男の記事と見つめあう。

「立派ね、あなたは」

 独り言を漏らして、美耶子はつるりとしたテーブルに映る自分の顔を見つめた。

 とても憎らしくて、とても悲しい。

「でも、中途半端よ」

 誰に向けたものか分からない独り言であった。



楽天優勝セールで服を買った。

金はなかなかたまらねえなあ。

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