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第十三話 チョコレートケーキ・ドーナツ

時間が無い感じ。

第十三話 チョコレートケーキ・ドーナツ




 トレーニングというのは疲れるために行うものだ。

 蘇土の住むマンション。その屋上を蘇土は借りている。

 夏の青空の下、置きっぱなしの直立する鉄骨にウレタンを巻いたもの。

 蘇土は太い鉄骨を申し訳程度のウレタンで覆っただけのものに拳を叩きつける。

 カラテの型にあるような動きで殴りつけた後はシャドーボクシングのように。様々な技を鉄骨に叩きつけていく。

 痛みと内出血で拳が爛れたら、次は蹴りだ。

 同じようにカラテからキックボクシングのような動きで蹴り続ける。

 痛い、というのはある時から『ただ痛いだけ』へ変わる。そうなったら痛いと辛いは別のものになって、こういった行為の苦しみが激減するのだ。

 日に二時間もやれば肉体は維持できる。が、これは蘇土の気分の話であってトレーニングとしては全く無意味な行為だ。


 アルマは無意味であると力説したのだが、蘇土は意に介さず同じことを続けている。

 ごちんごちんと拳を痛めつける音が響く。

「蘇土さん、一手お願いできますか」

 説得を諦めた後は柔軟で体をほぐしていたアルマは、木刀を肩に置いて言った。

 引っ越しの後は近所の焼き肉店で食事をし、本日の午前は役所に警備業雇用登録だとかそういうものに費やした。

 トレーニングを始める前まではただのガキだったのに、蘇土がアルマの忠告を無視して日課をやりだすと途端に氷のような目でそんなことを言ってくる。

 ジャージにTシャツの蘇土は、アルマの様子を横目で見ながらその本気度を推測する。

 アルマは実戦剣術家らしく、ゆったりしたワークパンツに七分袖のシャツを着て足元は高機能スニーカーだ。常在戦場とでも言うのか、その身に隙は少ない。

「木刀なんかで殴られたら痛いだろ。嫌だね」

「雇い主の実力を見たいのですが」

 可愛い顔をして、その声には紛れもない闘志があった。

 無茶苦茶なトレーニングをしている大男がいて、周りは自分より強いと認めている。

 未熟なヤツだな、と蘇土は思った。

「戦うのが仕事じゃあないんだがな」

 ごっちんごっちん。

「蘇土さんのトレーニングは非合理的です。ぼくはそんなことをする人の言うことは聞けない」

「そんな無茶言われてもなあ」

 蘇土は手を止めて、用意していたタオルで汗を拭った。いつもの半分もしていない。

「ぼくは納得できない。あなたはいつも隙だらけです」

「隙の無い生き方は疲れるぞ」

「言葉に頼るのは男のすべきことではない」

「誰が言ったんだよ、それ」

 蘇土はようやくアルマに向き直った。

 ふぅと息を吐いて、カラテに似た型で構える。

「んじゃあまあ、ちょいとやってみるか」

 怪我はさせたくないんだけどなあ、と言おうか迷った。が、その隙にアルマは木刀を構えてじりりとにじり寄っていた。それも、蘇土のすぐ傍にまで。

 歩法にて距離を無視したかのように動く技術、縮地である。

「いぃえっ」

 気合と共に木刀が唸りを上げる。

 魔術の一種とされる『念法』である。金属に念を込めるのは難しいとされ、それの使い手の多くは木剣を得物とする。

 手加減の無い良い一撃だ。

 蘇土は横凪ぎにくるそれを右手で受けた。鋼鉄を凹ませるというそれを受けて、彼の腕は微動だにしない。

 アルマの目には蘇土の拳が。

「もういいだろ」

 とん、と胸を軽く突かれてアルマはたたらを踏んだ。

「あ……」

「ケンカ売る時は相手を選べよ。ま、若い内からそんなの覚えてもつまらんがな」

 倒れてやるべきだったかな、と思う。アルマの自尊心を傷つけたかもしれない。

「ありがとうございました」

 ばっと頭を下げたアルマ。すぐに顔を上げたら、きらきらと輝くような笑顔で蘇土にまとわりついてくる。

「凄いです。念をどうやって散らしたんですか。すごい、こんなに受けられたの初めて」

「いや、まあ、その、根性とか?」

「ぼくも根性をつけたいです」

 その後は質問責めにあうが、なんともくだらないことで信頼のようなものは得られたらしい。

 これだからU剣道の関係者は嫌いなのだ。


 トレーニングを終えて自室兼事務所へ戻る時、お隣の藤野母娘とばったり会った。

「あ、藤野さん、こんにちは」

「こんにちは。そちらの方は初めましてかしら?」

「はじめまして、アルマート・ローズウッドと申します。あの、U剣道の道場でお会いした気がするのですが」

 アルマの記憶ではこの女性とすれ違ったような気がする。清柳院女史と顔が似ていて記憶に残っていた。

「本日から本部道場の師範になりました。藤野美耶子です、この子は麻衣。よろしくお願いしますね」

「あ、こちらこそ。ぼくは蘇土さんの部下になりました」

 アルマの顔色の変化に美耶子はころころと笑った。そして、麻衣はアルマの顔をちらちら見ながら母親の陰に隠れている。

「あら、この子ったら恥ずかしがって」

「うーん、なんだか女の子によくそうされるんですよね。よろしく、麻衣ちゃん」

「あ、よろしくお願いします……」

 顔を赤らめてアルマに返す麻衣ちゃん。イケメンは得だ。

「ああ、藤野さんはU剣の人だったのか。しばらくアルマはここに住み込むから、よろしく頼むよ」

「ええ、お隣にこんなかわいい子がいてくれて嬉しいわ」

「からかわないで下さいよ」

 重ねて言うが、イケメンは得だ。

 麻衣の対応の差に蘇土はそう思った。蘇土にとっては生意気なガキで、アルマにとっては恥ずかしがり屋の女の子になるのだろう。人の印象なんてそんなものだ。

 藤野母娘と別れてから、アルマには事務仕事を任せた。

 商業連合簿記二級資格は大いに役立ってもらいたい。

 蘇土は仕事の打ち合わせである。



◆◆◆


 カブキ町の外れ、フォーシエット環状鉄道の高架下を南に行けば傭兵街と呼ばれる警備業とそれに付随する講習塾や警備用品専門店の並ぶ一画に出る。

 歓楽街のチンピラのいないここは、荒事を専門にしている連中が多く行き交う場所だ。もちろん、そこから堕落してカブキ町のチンピラになる者もいる。

 なにはともあれ、ここは派遣や請負の警察官であったり、保釈取りの狩人たちの町だ。

 一階が対盗聴用電子部品専門店で、二階と三階が警備会社のテナントであるビル。この二階にあるウリエル追跡事務所は保釈逃亡者を捕獲するハンターの巣だ。

 フォーシエット、商業連合法でも犯罪者の保釈は認められている。もちろん多額の保釈金を支払ってだが、その上で逃亡する馬鹿がいる。その馬鹿を捕まえたら市が没収する保釈金の一部を頂ける。

 これを仕事にしているのが『保釈取り』と呼ばれている警備員である。

 ダンドラ・ウリエルは保釈取りを生業にする竜人だ。


 事務所に入るとメープルシロップの甘い匂いが鼻についた。

 竜人ダンドラ・ウリエルは趣味のお菓子作りを暇さえあればやっている。だから、彼の事務所はいつだって甘い匂いがしているのだ。

「邪魔するぜ」

「社長なら奥ですよ。どうぞ」

 と、ダンドラの唯一の従業員であるジャック・リーが苦笑いで答えた。

 ジャックはサードアイ、額に縦に開いた瞳を持つ人間種だ。魔術が得意ということは知っているが、それ以上のことは知らない。どこにでもいそうな影の薄い三十歳くらいの男だ。

 散らかっている事務所の奥へ行けば、のれんで仕切られたキッチンで竜人がケーキの仕上げを行っているところだ。

 蘇土と同じくらいの大きな竜人がエプロンをつけてスポンジにチョコレートを塗りつけている。

「ダンドラ・ウリエル、早く来すぎたか?」

「あと少しで出来上がる。仕事の話はその後にしようではないか」

「オーケイ、あっちで煙草をやってるよ」

「喫煙所の外でやったら殺すぞ」

「分かってるよ」

 竜人とは人型に近い竜である。つまり、人より竜に近い。人間種のようなフォルムだが手足や首の太さは人外だ。尻尾もあって、まさにファンタジーな種族である。が、ダンドラ・ウリエルの故郷である第九十一世界線は宇宙進出後の文明を持つ。SF系だ。

 喫煙所で煙草を咥えるが、ライターが見つからない。

 ばたばたして煙草を吸う時間が無くて、ライターが無いことをすっかり忘れていた。

 リーは喫煙者だったはずだが、何やら少しの間に席を外してしまったようだ。

 湿った煙草をケースに戻すと、小さくため息をついた。文庫本を開いて、探偵の話の続きに目を通していく。

 探偵は何度か無駄足を踏んだ後にようやく目的の子供をみつける。が、その子供を追う別の勢力がいた。

 読み始めて八十ページ目にしてようやく戦いだ。

「蘇土、こっちてに来てくれ。ココアを入れてある」

「ああ、すぐ行くよ」

 ダンドラの声に応じて文庫本を閉じた。

 応接室で男二人が向かい合ってケーキを食べる。

『本日、清柳院絹江氏のスケジュールが発表されました。商業連合運営委員会への公開質問などについての』

 点けっぱなしのテレビからはニュースが垂れ流されている。

「ああ、アレに似てるな」

「どうしたのであるか?」

「いや、あのセイリューインとかいうのに似た人がお隣さんでな」

 世間話をしながら用意された席につく。

 チョコレートケーキは男性の嗜好にも合うように造られた所謂大人向けの味だ。ラムレーズンだとかそういうものを多用した例のアレである。

「美味いな」

 蘇土はそう言った。特に嘘は無い。

「もうちょっと感想があるであろう。今回は男向けに大幅にレシピを変えてある」

「とは言われてもな。普通に美味い。デパートの地下にあるような雰囲気だな。仕上げもシンプルでいいと思うぞ。狙いの層が成人男性なら買いやすいだろう」

「狙い過ぎではないだろうか?」

「そうかあ? 普通な感じだ」

「ううむ、しかし、名店のものとは比べられぬ」

「そりゃあ、なあ」

 蘇土は答えながら、続ける言葉を持たない。

 レシピ通り、プロの水準で様々な料理を作れる。だけど、何か足りない。だから一級の資格に何度も失敗する。

「ダンドラの作るケーキは、人の作ったもんって感じはするな」

「分からぬことを言うのであるな」

「……ん、感想だよ」

 蘇土の作る料理はどこか味気無い。まるで機械が作ったみたいに。

 ココアはインスタントで、氷に入れて注いで冷たくするタイプだ。夏場のココアはやはり美味い。

 腹がくちくなったところで仕事の話が始まった。

 保釈中の犯罪者であるリオン・シノミの捕縛だ。

 話自体は簡単で、潜伏先とだいたいの脅威も判明している。後は、今夜踏み込んで捕まえるだけの簡単な仕事だ。

「目標の親戚が多少権力のある連中である。一級警察官ならば証言能力は高いのであったな?」

「まあな。レコーダーはあるし、商業連合委員会でもなきゃ握り潰すなんてできねえよ」

「中央の役人であるが、問題は?」

「犯罪者相手にビビれってのが愚問だな」

 権力者の係累は何かとデリケートだ。蘇土が呼ばれたのも証言能力の高い人員を必要としてのことだ。

「よろしい。相手の経歴だ」

 ダンドラから受け取った書類は、目標のデータと潜伏先などの詳細だ。

 目標、リオン・シノミは性犯罪者。それも、子供を狙う性質の悪いヤツだった。

 一か月ほど前に逮捕されているが、被害者の女児は未だ入院中。余罪があるらしく私設警察マックスローニンズが現在も捜査を行っている。その状態で逃亡を企てたのだから露見すれば無期か終身刑なのかもしれない。

「こいつはとんでもないクズ野郎だな」

「犯罪者などそんなものである」

「で、傷つけずにやんねえといけないってことだな」

 裁判の際にヤツを有利にしてしまうため、痛めつけるのはNGだ。

「そういうことである。ま、吾輩とジャック・リー、それに貴君もいるのだ。問題は無い。貴君の部下は見学でもさせたまえ」

「話が分かってくれて有難いよ」

 足手まといとまでは言わないが、警備稼業はいつだって戦う訳ではない。捕まえるのがメインで、戦うのはおまけだ。ダンドラはこの道のベテランである。その動きを見せてやるだけでいい。

 契約書にサインをして事務所を後にした。

 ビルを出る時にジャックとかちあった。彼は有名なチェーン店のドーナツの紙袋を抱えていた。安っぽいコーヒーの香りも漂わせている。

「もうお帰りですか」

「ああ、ダンドラのケーキの後にドーナツまでやるのかい」

「あそこはドーナツ以外にも肉饅頭も扱っているのですよ。故郷の味に似ているんでたまに食べるんです」

「そっか。じゃあ、また今夜に」

「はい、お疲れ様です」

 地下鉄の駅に向かえば、何やらトラブルがあったらしく。一時間ほど電車が止まるとアナウンスが流れていた。

 特に急いでいる訳ではない。遠回りになるが環状鉄道を使って乗継をすることにした。

 車を買うべきか悩む。

 蘇土の図体の入る車は、あるにはあるが値段が少しお高い。買えない訳ではないのだけれど、気に入る車種が見つからないのだ。

 電車もあまり好きではない。

 いつだって、どこか非難めいた目を向けられる。

 大きすぎるというのはこういうことだ。

 蘇土はため息を一つ。

 少し前の『ユーリスちゃんバイト決まっておめでとうの会』を思い出す。会の主役であるユーリスは蘇土を恐れなかった。アンジェリカは素直に敵意を向けてきて、ラーメン屋の馬鹿娘とオカマは驚くだけで、高野とはなんとなく友人になれそうだ。あいつらは嫌いじゃない。

 普段は使わない海沿いのローカル線で降りて、ここから少し歩けば自宅に帰れる。

 田舎町の駅前には三世紀前から続くという商店街がある。が、今日は特に用は無い。

 さて歩くか、というところでぽつりぽつりと雨が降りだした。

 みるみる内に雨は激しさを増して、用の無い商店街のアーケードに逃げ込むハメになった。

 ついてないな、と思った時、煙草屋が目に付いた。老婆が店番をしている。そこにはライターが売っていた。丁度いいタイミングだ。

「あら、蘇土様じゃございませんか?」

 振り向けばワンピース姿のユーリスと、不機嫌を隠そうともしないジャージ姿のアンジェリカだ。

「あ、お、おう。久しぶりだな、ユーリスさんにジャージーデビルか」

「アンジェリカ・タウローズだ。オーガめ、変なあだ名で呼ぶな」

「アンジェリカ、淑女らしくなさいな」

「ですがお嬢様」

「もう、ユーリスでよいと言ったではありませんか」

 なんとも、意外な組み合わせに出会った。

 二人は近所にある大手服飾店の袋を持っているので、買い物帰りなのだろう。

「ああ、立ち話もなんだな。雨宿りにブラッバーでも飲むか」

 煙草屋の隣にはジャックの言っていたドーナツ屋がある。チェーン店は財布にも優しい。

「いいですわね。雨もこうですし」

 何より暑い。夏の雨は蒸し暑くなる。

「変な真似はするなよ」

「しねえよ」

 雨宿りの最中に偶然出会うなんていうのはロマンチックすぎる。と、蘇土は妙なことを考えた。


怪談欲が凄いことになっていて困る。

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