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第十一話 蘇土隆明という男

第十一話 蘇土隆明という男


 夢を最後に見たのはいつだったか。

 物心がついた後のことのように思う。

 俺は夢を見ない。


 泥に浸かった鉛のような気だるい目覚めは、ごく小さな騒音がきっかけだった。

 台車の車輪がきしむ音、重いものを運んでいると思しき複数の足音、子供特有の賑やかな弾むような足音、それらの混じった騒音だ。

 蘇土隆明はキングサイズのベッドから這い出して、カーテンを開いた。

 夏の明るい陽射しに目を細めながらベランダに出ると、むせ返る草いきれが鼻を刺した。

 海沿い丘の上にある十五階建てマンションの八階。よく晴れた空の下、アカザ浜を見下ろせる素晴らしい眺めは新築時の売り文句で、現在はアカザ浜以外にも急ピッチで建設の進む湾岸ショッピングモールが見下ろせる。

 エアコンの室外機の上に置いたままの煙草をくわえると、夜気のおかげで湿気たフィルターがやけに重い。

 ライターが見つからない。

 ポケット、胸ポケット、エアコンの室外機、いつもはどこかしらに落ちているはずのライターが見当たらない。

 不意に、ピンポン、と古めかしいひび割れた来客ベルが鳴って、くわえ煙草のままドアーへ向かった。

「はいはい、今いきますよ」

 できるだけ天井の高い物件が良い。

 三十年も前に作られた中産階級向けマンションは格安で条件に見合った。前の住人がリビングで首を吊っていなかったらもう少しお高い家賃だったかも知れない。

 ドアーを開くと、誰もいない。

「わっ」

 下からの驚声に視線を向ければ、小柄な十歳くらいの少女がいる。

「悲鳴を上げないだけマシだったぜ、お嬢ちゃん」

 鍛え抜かれた巨躯が蘇土隆明である。

 悲鳴を上げられる要素としてバカデカい身体以外には、耳まで裂けた口と爬虫類じみた瞳以外を包帯で覆い隠している所くらいか。

「あ、あ、お、お、お母さんっ」

 混乱して叫ぶ少女のツインテールが揺れる。子供特有の乳臭い匂いがした。

「オーケイ、基本的にガキは嫌いだが俺を見て泣かないガキは嫌いじゃない」

 蘇土の皮肉屋な口調は些か芝居がかったもので、その口ぶりで日常の物事を考えられるほどに染み付いた癖である。

「麻衣、勝手にいっちゃダメって……」

 軽やかな足取りでやって来たのは、ナチュラルメイクでジーンズにシャツいう飾り気の無い格好だというのに美しさを隠せない女性だ。麻衣、というのがこの少女だとして、母親か姉か、きっと母親だろう。蘇土のガタイの大きさに呆然としている。

「おっきい、この人おっきいっ」

 混乱している少女が蘇土を指差す。人を指差すなって躾られてないのか?

「そいつは十年後で言うと効果的なセリフだ。お嬢ちゃんにはまだ早い」

 蘇土の大きさに目を奪われて呆けてしまった美人さんも口を開く。

「あらまあ大きい」

 度が過ぎてデカいっていうのは怖がられたり怒鳴られたりするものだが、この二人はどちらもしなかった。こんな簡単なことで好感を持ってしまう。

「二人きりで言われたい言葉だね、奥さん」

「あら、ええと、じゃなくて、隣に引っ越してきました藤野といいます。この子は娘の麻衣。ほら、挨拶して」

 混乱気味な美人すぎる母親は名前までは教えてくれない。

「こんにちは藤野麻衣です。よろしくお願いします」

 麻衣ちゃんは早口に言うと、ぎゅっと母親の腰にしがみつく。そんな麻衣ちゃんの頭を撫でてやりながら微笑んでいる奥さんの様子に、女より母親を感じた。

 蘇土は咥えている湿気た煙草をキャッチャーグローブほど大きな手で握りこんだ。

「よろしくな、麻衣ちゃん。あと奥さんも。俺は蘇土隆明、男の一人暮らしってヤツでね、口うるさくはないから安心してくれ」

「いえ、夫はいなくて……。私は美耶子と申します。あ、ちょっと待っててもらえますか」

 くるりと振り返って引越し業者が出入りしている新居へ小走り。背中でまとめた髪が揺れて、活動的な仕草がよく似合っていた。

「ね、おじさん」

「せめてお兄さんって呼んでくれ。麻衣ちゃん」

「お嬢ちゃんって言わないのね」

 麻衣は母親に似て将来美しくなるであろうと予想させられる少女だ。

「せっかくのお隣さんだ。藤野美耶子さんのためにもフレンドリーにね」

「下心丸見え」

 子供は口の利き方を知らない。

「そういうつもりじゃないんだが」

 化物でも愛を語る資格はある。

「わたしも女性なんだけど」

「こいつは失礼。小さなレディ」

「キモいんですけど」

「俺の良さが分かるのはもう少し成長してからだな」

 頭を撫でてやったら、麻衣ちゃんはにこりと微笑んだ。ガキの考えは分からない。キモいは傷つく。

 麻衣ちゃんが何か言おうとした時、美耶子が戻ってきた。

「まあ、もう仲良くなったのね。あの、つまらないものですが」

 と、紙袋が差し出される。

「ん、こいつは一体」

 有名な和食チェーンの紙袋で、中身は蕎麦の乾麺だ。

「引越し蕎麦です。……若い人は知らないですか」

 近年廃れているが、引越し時に蕎麦を食べるという意味不明な伝統がこの世界にはあった。当時の人々の大半もその意味を理解していなかったが、実の所はエド時代が発祥の習慣である。蕎麦は傍に通じ蕎麦の麺のように長く付き合って下さい、という意味を込めて安価であった蕎麦を隣近所に振舞ったというものだ。

「ありがたく頂くよ」

 蘇土がそんなことを知るはずも無いが、気持ちを無碍にするようなことはしない。美人のお隣さんに毒殺されたらどうしようか、と無駄な考えが頭を過ぎった。

「これから、よろしくお願いしますね」

 藤野さん、麻衣ちゃんのお母さん、美耶子さん、どれで呼ぶが悩む。気まずくなるのは避けたい。

「こちらこそよろしく。見かけたら気軽に声でもかけてくれ」

 引越し作業で忙しい親子は部屋に戻っていった。

 なんとなしにその背中を見ていると、麻衣ちゃんが振り返って手を振る。キモいとか言わなかったら可愛いガキかもしれない。

 部屋に戻って、シャワーを浴びた。

 冷蔵庫を開けるとミネラルウオーターだけが大量に詰まっている。一本取って買い置きのカートンから一本補充。

 隣から響く幸せな物音に耳をそばだてる。並外れた聴覚が笑い声を拾う。家族というのは良いものだ。なぜか不安を感じて口元に歪んだ笑みが浮いた。

 バナナ二房のブランチを終えたら、仕事着に着替える。

 耳まで裂けた口に並ぶ鋭い牙のお手入れに時間を食う。ブラッシングの後は糸ようじ。細かな手入れが嚙付きの極意だ。

 忘れ物がないことを確認してからソーサラーズのジャケットを羽織った。

「俺は超カッコイイ化物だ」

 鏡の前で右斜め四十五度。一番凶暴な角度。

 蘇土は自画自賛のポージングを姿見の前でしばらく続けた。

 顔の包帯を入念に巻き直して、ソフト帽を被ると外に出る。

 隣家では荷物の搬入が終わった所のようだ。

 どうしてか、音を立てないように注意して幸せの詰まったドアを足早に通り抜けた。






 カブキ町の一角にカトーの喫茶店はある。

一階にメイド風俗のテナント、二階が喫茶店で三階から上は何をしているか分からない触手生物型人間種のマーケットだ。

 客引きの不機嫌そうなメイドに頭を下げて二階への狭い階段を上る。巨体を折り曲げるようにして急な階段を進み、踊場で頭を打ちそうになりながら小さな木製のドアーを開けると、耳元でドアに取り付けられたアンティークベルの澄んだ音が響いた。

 落ち着いた調度品と薄暗い照明の、洋酒喫茶風の造りである。オペラのトリスタンとイゾルテが天井のどこかに埋め込まれたスピーカーから紡がれていた。

 キャッシャーに併設されたカウンター席に座る。蘇土が座ると二人分の席が潰れることになるが、この店が満席になるなどありえないので文句が出たことはない。

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか。いつものでよろしいですか。料金は後払いですか。ツケは利きません。お酒は十七時を過ぎてからです。地獄はあちらのドアを抜けた先です」

 学習機能の壊れたゾンビワイフのウエイトレスである。ゾンビワイフとは培養肉と人工脳を使用した敵性落下存在技術(インベーダーテクノロジー)による違法なダッチワイフだ。見た目はヒトだが、元の肉がなんなのかは分からない。

「いつものでいいぜ、ザナクちゃん。あと、店長を呼んでくれ」

「う、うけたままま。熟れたママ割り増した」

 発声が正常であることから、人工脳のウエルニッケ野に深刻なエラーが発生しているのかも知れない。モデル歩きでゾンビワイフウエイトレスのザナクは店の奥に消えていく。

 しばらく待っていると、古めかしいステンレスのトレイにコーラとカットレモンを載せて店長であるカトーがやって来た。

「お待たせ致しました。カロリーオフコーラ氷抜きにレモンです」

 シルクのシャツに黒いスラックス。男前だが生気の無い痩せぎすの体は、腐り落ちる寸前の枯れ木のようだ。

「カトーちゃん、ライター貸してくれないか」

「当店は禁煙でございます。イーストエンドソーサラーズから緊急の人捜しの依頼がある。俺のとこにはお前しかいない。実質のご指名だ」

 ゾンビワイフマニアのカトーちゃんの本業は謎に包まれている。喫茶店経営と仕事の仲介も副業であるらしい。真実があるとすれば、彼はゾンビワイフのザナクと本気で結婚生活を送っているということだけだ。

「んー、ジャケット着ろってことか?」

「管理センターで詳細は話すらしい。が、警察官資格と言ってるんだからそうだろうな」

 詳細は仲介屋にも知らされていないようだ。

 ヘマをやって始末されるというならこんな回りくどい手は使わないだろう。特にフリーの何でも屋なんて、消えたって誰も気にしない。

「今日はヒマだしな。ご指名に応えるとするよ」

 コーラにレモンを絞る。果汁が落ちていくのを眺めた後で、残りのレモンにかぶりつく。あまりの酸っぱさに涙目になった。

「ビタミンは最高だ、フフ、分かってるじゃないか。そいつはオゴりだ」

 無愛想で死人じみたカトーちゃんに気遣われた。ビタミンだけでなんでもかんでも賄える訳ねェだろ屍大好き変態野郎め。



 センターに向かえば、家出人のメイドだか侍女だかを無傷で捕まえるという拍子抜けするような内容だった。

 家出人でメイドだが侍女だかのアンジェリカ。彼女は暗殺者で仕えている女主人を害そうとしているのだとか。設定が多すぎてよく分からない。

 なにはともあれ、フォーシエット市を走り回ってアンジェリカを捕まえることには成功した。その過程で変形フランケンシュタイナーをぶち喰らわされて喉を傷めた。さらに含み針で右目を潰された。

 蘇土の肉体は特別だ。

 栄養さえ取っていれば目だって再生する。

 侍女さんを捕まえた後の処理は深夜にまでおよび、二時間の仮眠を取る。

 眠りは一瞬で、やはり夢を見ない。



 蘇土が寝ている時間もフォーシエット市と世界は動いている。

 フォーシエット市において銃火器は厳しく制限される。

 これには理由があった。

 毎日何がしか、知的生命を含む何かが『落下』する都市において、超越科学技術由来の落下は珍しくない。

 例えば、自律兵器の場合は、自身に起きた異常を解析するため信号を発する。もちろんこの街ではそれに対してのシグナルは常時発信されていて、ある程度以上の知性を有した兵器であれば理解し自らセンターに出頭するようになっている。

 このような対応は過去に幾度も舐めた辛酸から得てきた経験則から出来上がる。

 銃火器の所持に対して厳しいのは、超越科学技術を有した世界線人の多くがそれによって敵対するのを防ぐためだ。

 レーザー系兵器と銃に分類されるものの所持、それを以て敵対されるのなら所持させなければいいという論法である。

 超越科学技術の世界では、通常の刀剣などは装飾として扱われることが多いため、代替えのようにそれらの所持に対する法は緩い。

 このような事情から、フォーシエット市では警察官でも銃を持ち歩くのが難しい状況にある。そのために、武器の密売人が存在しているのだ。


 スエント兄弟といえば、フォーシエット市でも有名な武器の密売人である。

 彼らは腕の良い密輸人で、市内へ火器を持ち込むツテを持っている。それよりも彼らを有名にさせたのは、その性癖だ。

 兄であるグエン・スエントは偶像性癖を持つ。簡単に言えば、生命に対しては一切の情欲を持たず、フィギュアや石像に性的興奮を覚える奇怪な性癖である。

 弟のフーリ・スエントは兄より単純で、『母親』嗜好者だ。

 人妻とか熟女とかではなくて、経産婦で子持ちでないと興奮しない。

 スエント兄弟は腕は良いが変態である、として有名なのである。

 カブキ町のメインストリートを外れた場所にある貸しガレージが彼らの店だ。先日、仕入れを終えて新たに開店した店は、紹介者だけが入ることができる。

 スエント兄弟は予約の客を出迎えて、その場違いさにどこかしら調子を崩していた。

「ええと、故買屋の大島の爺さんの紹介状だな。ああ、うん、本物だな。さあ、見ていってくれ」

 兄のグエンは平静さを取り戻すためにいやに声を大きくして言った。体格が良くスキンヘッドのグエンは平素から声が大きい。

 客である女はにこにこと微笑んで会釈でグエンに応えた。

 年齢は三十代くらいで、地味な服装で、そこそこ綺麗な女。薄暗いこんな業界とは縁の無さそうな、子供でもいそうな女である。

「あのう、刀が見たいのですが」

「ああ、そこの棚にある」

 ガレージには銃火器や刀剣がラックに置かれているが、いつでも逃亡できるように陳列しているのは見本になるものだけだ。当然、弾は入っていない。

 女は刀剣の棚にあるレーザーブレードや超合金刀剣にじっと見入っている。

「兄貴ィ」

 先ほどから黙って客の女を見つめている弟、フーリは兄とは対照的にチビの肥満体だ。

「仕事中だぞ」

「あれ、お母さんだよねぇ」

「やめろ、お前は奥に行ってろ」

「え、い、嫌だぁ」

 弟の股間が盛り上がっていることに気づいたグエンは、舌打ちしてフーリにボディブローを見舞う。ぐぇ、と弟は声を上げた。

「客にはちゃんとしろ。いいからお前は奥にいとけ」

「う、うん」

 のそのそとガレージの奥へ行くフーリは、何度も客の女に振り返っていた。その様にグエンはため息を吐く。

 ヤツはいつだってこうだ。銃の扱いと手入れに関しては一流だというのに、あの性格と性癖がそれらを台無しにしている。

「あのう、この合金剣、刀になっているのはありますか?」

「ああ、少し待ってくれ。持ってくる」

 と、グエンが奥に行こうとしたら、フーリが笑みを浮かべて刀を抱えて客の元に向かっていた。

「え、ひえ、あの、こ、これです。アゾイタイト合金の刀で、刃渡りは兼定と同じで、作りもそれに準じてて、ちゃんと、け、剣術の人がいいって言ってて」

「あら、ありがとう」

 褒められたくて仕方ないといった様子のフーリは兄であるグエンが目を逸らしたくなるほどに醜いというのに、女は慈愛でそれに応じている。

「す、すごくいいも、もの、なんです」

「これにします。お幾らですか?」

 グエンは携帯端末を操作して金額を提示した。

「あら、お安いんですね」

「ああ、人気のあるモンじゃないんでね。フーリ、奥にいってろ」

「フーリくんというのね、ありがとう」

「え、で、へへ、褒められた」

「いいから奥へっ」

 フーリの射精でもしそうな表情にグエンが声を荒げると、弟は逃げるようにして奥へ戻っていく。

「弟がすいません。あ、その、そいつは仕入れたのはいいんですが持て余してましてね、こんだけでいい」

 円で七十万。アゾイタイト合金は正規での購入は不可能だが、盗品の銘刀より遥かに安い価格である。

 女はジーンズのポケットに突っ込んでいた財布から現金を取り出した。七十万を受け取って、刀を布でくるんで渡した。

「偽造許可証はサービスだ。またよろしく頼む」

「ええ、次があれば是非」

 女はやけに丁寧におじぎをして出ていった。

 グエンはふうと息を吐いて客が何か妙なものを残していないかチェックを始めた。囮捜査なら盗品か違法品の確認の後に突入してくる。

こちらの様子を伺う魔術と機械がないことを確認し出入り口に施錠すると、弟を叱りに奥の事務所に向かって、怒声か悲鳴か分からないものを上げた。

 弟の姿はなくて、裏口が開いている。事務机に置いてあって射出式スタンガンが消えていて、不出来な弟の行動がすぐに分かった。

 フーリの手口はシンプルで雑だ。

 好みの『母親』を見つけたら騒がれないように気絶させるか殺すかして、それから犯すのだ。

 今度一般人をやったら仕置きする、とこの街を仕切るヤクザである天蛇会からは宣告されていた。

 グエンは弟を止めるために走った。



 フーリは女が人気の無い道に入ったのを見計らって、銃のような形のスタンガンを構えた。

 ごく小さな矢を放って相手を気絶させるためのそれはもちろん違法品で、フーリの手によって出力の改造までなされたものだ。

 スコープでよく狙って引き金を引く。

 褒めてくれた優しいお母さんをの乳房を想起して息が荒くなった。この瞬間が、性器がジーンズの生地に絞めつけられるのを感じながら引き金を引く瞬間が、恐るべき満足感を与えてくれる。

 音もなく射出された小さな矢は、女のうなじに突き刺さるはずだった。

「あら、あなただったの?」

 女は振り返りざまに、さきほど購入した刀で矢を弾いていた。布にくるまれたままで抜刀していないそれで、高速で迫る小指ほどもない矢を弾いてみせたのである。

「お、え、な、なんでえっ、なんでぇっ気絶してくれないのっっ」

 地団太を踏んで癇癪を起したフーリに、女は店でみせたものと同じ微笑みを浮かべた。

「いけない子ね」

 女はその間に刀を抜いていた。

 アゾイタイト合金の青い刃が月明かりにきらりと輝く。

 それが、フーリの見た最後の光景だった。



 グエンが弟のGPSを追ってやって来た時には、そこに生きる者は誰もいなかった。

「なんだってんだよ……」

 フーリであったものがアスファルトの地面に撒き散らされていた。

 側頭部から横凪ぎに輪切りにされた頭、切断された手足、胴に何か所も滅多刺しにされた痕、背骨までもが背後から斬られていた。

 凄惨な死体である。

 グエンには分かった。

 これは何の感情も込められていない。

 試し切りだ。

 生身の人間の硬い部分をどんな手応えで斬れるか、それを試した後だ。

「う、あ、弟よ。フーリよぉォ、なんでこんなことにぃ」

 グエンは泣いて頭が半分しかなくなった弟を抱きしめた。

 この時、グエンの脳裏に『殺されても仕方ないクズで犯罪者の俺たち』という認識はなかった。

「仇は取ってやる」

 だから、グエンは何もかもを敵に回しても弟の仇を取ると決めたのだ。





 仮眠の後に向かったのは武器の密売人の手入れである。

 私設警察であるイーストエンドソーサラーズ警備保障(株)に請負として雇われた蘇土は、請負契約期間である四十八時間は警察官として上司の指示で働かねばならない。

 変態武器商人として名高いスエント兄弟のアジトに突入して身柄と証拠の押収を行う。商業連合法では押収品は裁判の後は警察のものにできるため儲けも大きい。が、ハイリターン故にリスクも大きいのだ。

 馴染の突入部隊に配された蘇土は、先陣を切って突入する損な役回りである。

「よし、突入する」

 現場指揮官にうなずいて、支給されたアーマーを信じてガレージの裏口を蹴破った。

 突入し、罠を確認し、一同は呆気にとられた。

 件のガレージは急な引っ越しの直後で、積み込めなかったらしい武器はそのままに放置されている。そして、死体があった。

「こいつはひでえ」

 なますに刻まれた死体はベッドに寝かされていて、顔には丁寧に白いハンカチが被せられていた。

 蘇土と他の突入員が調べて分かったのは、何かがあってグエンは逃亡し、フーリの死体はここにあるというだけだ。

「楽な仕事になっちまったな」

 蘇土の軽口に指揮官は嫌な顔をした。

 その後はソーサラーズでヤク中の検挙の手伝いなど、請負金額に対して少ない労働をして蘇土の契約期間はつつがなく終了したのである。



 それから一日が経ち、右目は痛むものの順調に回復していた。

 休暇の一日はトレーニングに費やした。

夕食を取るためスーパー大福へと向かう。

 スーパー大福は蘇土の住むマンションの近くにあり、安くて良いものが揃っているスーパーマーケットだ。

 蘇土は買い物カートを持ちながら煙草をやめるべきか悩んでいる間に、お惣菜コーナーの熾烈なおかず争いは集結していた。

 夜の八時から始まる半額シール貼り付け待ちのハイエナ達は、それぞれに今日のお惣菜を手に入れてコーナーから離れていく。

ぼんやりしている間に勝負にさえ参加できなかった負け犬の間抜けである蘇土は、仕方なく不人気惣菜と値引きされない惣菜が残るコーナーへ向かった。

 もう五年はスーパー大福に通いつめているが、巨体に突き刺さる奇異や恐れの視線は減ることはない。

 お買い物カートにはミネラルウオーターのカートン、徳用ゴマドレッシング、バナナ。

 お惣菜コーナーにはロクなものが残っていない。

 怪我を治す時は肉が食べたい。しかし、肉は高いし夜中にフライパンを使う気にはなれない。何より後片付けが大嫌いだ。明日片付けるなんて決めて、翌日に面倒を持ち越したら明日に対して気が重くなる。いつだって、明日というのは希望に満ちていてほしい。だいたいは不安が満ちてゆくのを感じながら一日を終えるのだけど。

 少し前に流行ったバラードが、チープな電子音のインストで店内に流れている。

「あと少し届かないよー」

 こんなキミは僕がぁ、うろ覚えの歌詞を口にしながらゴボウの甘辛揚げを手に取った。

「あら、蘇土さんですよね」

 無意識に足が猫立ち。自然に脇を締めた所で声の主が隣人の藤野美耶子であることに気づいた。

「あ、ああ、隣の藤野さんか」

 わき腹に銃を当てられて動くな、だとかのいつもの展開ではなかったことに息をつく。

 藤野さんは、とてもとてもあんなに大きな子供がいるとは思えない。だけど、母親というものが持つ柔らかさみたいなものがあった。

「ええ、いつもこの時間なんですか?」

 上目遣い、いや、頭三つは高い身長の蘇土を見上げて藤野は微笑んだ。

「いや、いつもはバラバラさ。なんにしても、スーパー大福以外は近くにないしね」

「ああ、やっぱり。ナビにもここしか表示されなかったから、困ってたんです」

「引っ越したばかりじゃあ大変だろうな。麻衣ちゃんは?」

「あの子はお留守番。あら、怪我したんですか」

 潰れた右目は目立つ。

「ま、かすり傷さ」

「男の人はいつもそう言うんですね」

「ハハ、そうだな。だいたい男はそう言うんだ」

「……それじゃあ、失礼します」

 おや、機嫌を損ねたか。

「ああ、それじゃあまた」

 買い物カートを通してから、ライターを買い忘れたことに気づいた。

 不意に、去っていく美耶子の所作が気になった。

 重心のブレない歩法は、何がしかの体術を修めていなければ持ち得ないものだ。そして、両手の手首には強化筋肉手術の痕がある。

「なんなんだろうね」

 独り言を漏らすが、その疑問に答える者はいなかった。

 人には色々事情がある。詮索はいけないことだ。

 蘇土の携帯端末がメールの着信を知らせた。

 見れば、高野からの『ユーリスちゃんバイト決まっておめでとうの会』への誘いである。

 気後れする部分はないでもないのだが、参加してみようか、という気になった。

 誰にも怖がられなかったらいいな、と蘇土は思うのであった。


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