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プロローグ

10年ほど前に書いていたもののリメイクです。

世界観をほぼ同一としますが、続編ではありません。

初めての方はあまり気にせずご覧になって下さい。


プロローグ



 無数の世界が存在している。

 その中の一つに色々と物騒な世界がある。そこは力が支配する、とまではいかないがおおむねそんな感じになっている場所だ。

 文化レベルは二十一世紀初頭程度。

 ここでは戦争が百年以上続いている。いや、長い歴史から見れば数百年というのが正しいだろう。

 まだ科学技術が原子力程度の時代、世界は戦乱の真っ只中だった。そのせいか、文化は停滞した。技術と戦乱の時代にあったころ、彼らが訪れた。

 世界というものに裂け目などは本来生じないが、無理にこじ開けるというのは不可能ではないようだ。

 未知の何者かが、無数の別世界線とこの世界に歪な門を作ってしまったのだ。

 ここには定期的に落ちてくる者がいる。

 自分を魔法使いと名乗る者だったり、コウコウセイだと名乗る若者だったり、ミュータントの超能力者だと言い、会社員だといい、アンドロイドだという者、大きな人型兵器、妖怪、色んな者がいた。

 別の世界線へ出ることはできても、どの世界線につながるかは分からない。帰りようのなくなった彼らは、未だここにいる。

 この世界は平和になれない。別の世界線の技術を使って支配者になろうと目論む者もいれば、特定の世界線へ戻る研究を進める者もいれば、ここで一攫千金を狙い新たな人生を始める者もいる。

 結局、ここはいつでも小競り合いと戦争と平和と混乱と、そんなものが入り混じる世界線になっていた。

 世界に幾つかある落下多発地域の一つ、七大陸通商商業連合系独立行政都市フォーシエット。

 これは、そこに住まう人々の物語である。




 本日の落下案件は五件と今月に入り最多。

 二百五十年間のデータベースに照らし合わせても時期による発生件数の一致は見られない。

 第一人類カテゴリに分類される二件に対しては、高野サトシ保護管理官を担当とする。


 第32世界線、東京、日本、アメリカ、中国、などの国が存在する『地球』のある世界線である。

十六歳の少年は、同郷ということもあり事情説明にさして時間はかからなかった。


 第87世界線、剣と少しばかりの魔法の世界。

 お姫様と侍女の二名。データベースには載っていないが、由緒ある侯爵家の姫君で、乗っていた馬車ごと落下。

 悪い魔法使いではない、ということを理解させるのに一日を要した。



第128世界線、超超越科学技術発展世界。

 自称、脳科学者の女性。

 該当世界線からの落下物品は乏しく、その使用方法と使用目的の定かでないものが多いため、中央管理塔へ担当を移管。本日はセンターで身柄を預かることとなった。

 非常に理解力が高く自身の現在を正確に把握している。ではあるが、ソーニャ・サブレ女史には幾つか不審な点があるため中央へ注意されたしと伝達。




 世界線不明、物品のみ。

 幾つかの希少秘金属で構成され魔術的封印のなされた棺らしきもの。

 都市条例により一時的にセンターの保管庫に搬入済。アヤ・エズリー魔術鑑定管理官により鑑定中。㈱イーストエンドソーサラーズの警備員も到着し、引き継ぎ済。



 コーヒーに似た飲み物、ここではブラッバーという名前のそれを飲み干して、報告書の作成に戻った高野は大きくため息をついた。

 時計の針は午前一時を指していて、夜勤の連中が「おはようございます」なんて出勤してくる中、高野は昨夜から家にも帰れず仕事を続けている。

 落下管理センター、正式名称は他世界転移現象被害物管理センター。

 業務内容は、異世界から迷い込んできた物品、動物、人間、その他を管理して保護することの全般である。

 第三十二世界線、日本やアメリカのある『地球』出身。魔術なんてものは存在しない世界で警察官であった高野は、この仕事にそれなりに満足している。だけど、人員不足からの超超過労働には辟易としていた。

 ファンタジー系(隠語、文明の遅れた世界線に対する侮蔑を意味)世界線の落下者を担当する場合は、ファンタジー研修(前述同様に隠語)を履修した者が望ましい、なんて言われているのに人がいなければ勤務歴三年の高野にだってお鉢が回ってくる。

 夜勤組に引き継ぎをしたら、仮眠室へ。シャワーはやめて朝一番の銭湯へ行くことにしよう。

 ぐったりとしたいつもの眠り。落下したての初めての夜、担当する彼らと同じ境遇だった三年前、あの夜の気持ちは全く思い出せない。

 据え置き端末の立体投射モニターに最後の一行を打ち込み、愛しの仮眠室へ。

 夜勤の人型吸血種に引継ぎをすませたら、タイムカードを押す前に事務のリザードマン女子にチョコレートを貰った。そういえば、今日はバレンタインデーだ。

 窓からは、満月と消えない都市の光に照らされたフォーシエット市の夜景が見えた。本日も中央管理塔はきらびやかに雲を貫いている。鉄筋コンクリートの三階建ての管理センターオフィスから見上げるそれは、なんともせつない。

 内燃機関で走る高野の知る自動車と、空を飛ぶ獣にまたがった空中交通警察官、瘴気中和塔の煙突からゆらゆらと漂う赤く燐光を放つ排煙。

 フォーシエットの夜景だけは、いつだって美しく見える。



 あ、夢じゃねえし。

 これは、松戸良太郎が目覚めて最初に思ったことだ。

 落下管理センターの落下者用宿舎は未来風のビジネスホテルみたいなもので、壁は薄いが住めば都というヤツである。

 場所は異世界のフォーシエット市、高野というオッサンによれば『異世界からの落下者と落下物』が毎日見つかる都市であるとのこと。

 他に言われたことは、『絶対帰れない』『学校はない』『未来風の世界だけど魔法みたいなものもある』ということだ。

 一週間もすれば慣れたもので、良太郎は講習と呼ばれるこの世界の一般常識やら何やらの学習を昨日終えた所だ。

 身支度を整えたら朝飯である。

 宿舎からセンターの食堂へ向かえば、いやに広いそこは様々な人種の坩堝と化していた。それもいつもの風景であるのだが、未だ良太郎はそれに慣れない。

「あー、混んでるわね」

 と、独り言をつぶやいたら、隣をすれ違ったトレイに和風朝定食を乗せた長耳人型種に怪訝な顔で見られた。愛想笑いをしたら露骨に顔を背けられる。エルフにも良太郎オネエ言葉は受けがよくないようだ。

 松戸良太郎は第32世界線、東京、日本、アメリカ、中国、などの国が存在する『地球』のある世界線出身者だ。どこにでもいるちょいと男前な16歳の少年なのだけれど、スカジャンを年中着ている上にオネエ言葉の美形ときたら、どこにいたって個性が強すぎて妙な顔をされてしまう。

「おはよう、もお慣れたか?」

 と、声をかけられて振り向けば、良太郎とは正反対の男らしい男前、高野サトシ職員である。

「なんとか慣れたってとこかしら? あ、一緒に食べましょうよ」

 一人で食うのは味気ないものだ。

「ああ、いいぜ。それはそうと、なんでスカジャン?」

 良太郎は朝っぱらから弁財天図柄のスカジャンを羽織っている。しかも、肩を入れないという筋金入りのスタイルだ。

「え、かっこいいっしょ?」

「お、おう」

 ちらりちらりと、ドゥルガー種と呼ばれる腕が四本から六本ある人間種がスカジャンに目をやっている。なんというか、文化的に相性がいいのかもしれない。

 本日の日替わり朝定食はアツミキシ貝のスープとライス。サラダはサービスで、パン食ならバターロールと白菜ベーコンスープ。どちらも安くて粗末で美味しいのがウリだ。

 直立する蛙人間とトカゲ人間はサラダを山盛りにしていて、何やら蛇人間への文句を言い合っていた。また、無数の触手を一本に絡ませて床を滑るようにして移動している一つ目の怪物はスープだけで済ませるようである。

「相当色々だけど、みんな言葉通じるのよねえ」

 と、良太郎は適当な長テーブルに陣取りつつ食堂を見回す。未だ、見慣れぬ連中が闊歩していて面白い。こういう態度はよくないのだが、首から下げている『一か月未満』の照明IDカードで誰も文句は言ってこない。

 フォーシエット市民は喧嘩好きなので、メンチ切っただガンをつけたでよくよく踏んだり蹴ったりする連中が少なくない。

「ん、脳みそのある種族なら言語野インプラントがほとんどあるしなあ。増設脳とか翻訳魔術機もあるから、言葉が通じないヤツのが珍しいぜ」

 高野は早速バターロールにかぶりついていて、日本で食ったヤツのが美味い、と何度目になるか分からない感想を胸の中で漏らしていた。

「すンげえのね」

 立体投射式のテレビでは多目型人間種の天候魔術師が天気予報の解説をしている。額の縦に開いたサードアイがいやになまめかしい。

 最初の一か月くらいは俺もこうだったな、と高野は思う。同郷の少年にかける良い言葉は思いつかなかった。

「とりあえずな、松戸良太郎くんの担当は俺になったから。能力試験の結果は今日の十時に端末に送信されるから確認しといてくれ」

「アホの巣窟みたいな学校いってた高一のガキの能力なんてたかがしれてるでしょ」

 肩をすくめて流し目で笑ってみせる良太郎は、どう見ても普通の高校生には見えない。

「若けりゃァなんでもできるさ。なんかなりたいもんでもあったか?」

 良太郎は少し考えてから、ガキには似合わないシニカルで見ていられなような卑屈な笑みを浮かべた。

「それを諦めてたんだけどさ、ここでぽんと与えられたのよねえ」

「よし、午前中の仕事終わったら話は聞くぜ」

 高野がなんでもないことのように言うと、良太郎は目をぱちくりとさせて驚いた顔をした。

「いや、そんな大したことない話だし」

 良太郎はおかしいくらいに動揺していて、自身でも分からない拒絶の言葉を吐いた。

「ガキが生意気言ってんじゃねえよ。まあなんだ、同郷のよしみってやつさ」

 そこまで踏み込むのはセンター職員の職分ではない気がするが、言ってしまったものは仕方ない。だいたいにおいて、男というものはこの仕方ないで自分で自分の首を絞めていくのだ。

「あ、ありがと」

「男同士で遠慮すんじゃねえって」

 こういうのは女には通じないが、男にだけは通じてしまうのが辛いところだ。



 天然の煙草に天然の食物。

 カルト宗教とカルト科学者が否定したり肯定したりするものが、この世界には溢れている。

 青い髪の女は両太ももの銃らしき形をした精密な刺青を見せつけるように足を組み替えた。とびきりの均整に至る肉体は外部インプラントで生成された俗にいうサイボークのものである。

 惑星が鉄に覆われることもなく、人間種の歴史が2000年近く続いているというおとぎ話のような世界に『落下』したという説明は、なかなかソーニャ・サブレの琴線に触れるものだった。リリカルなのが良い。

 旧時代の遺跡のような室内で、旧時代とも彼女のいた時代とも違う奇怪な眺め。地上三階という超低層建築の応接室もまたデキの悪いホロシネマのようだ。

 ふかふかのソファには煙草の匂いがしみ込んでいて、身を預ければ抜けきらない雑多な汗臭さが鼻についた。

 マイルドガスという銘柄の天然煙草は、ソーニャ・サブレにとって高級麻薬に等しい。この世界ではこんなものが僅かな小銭で手に入る。

「オーケイ、状況は理解してる。ここは鉄に浸食された惑星でもないし、バイオ教団の造った脳髄連結式理想郷作成装置の中でもないってことね」

 小粋なジョークのつもりで言ったソーニャだが、相手は理解してくれない。異世界人なのだから当たり前か。

 異世界人、とは言うものの、ここはきっと移動可能な異世界の類ではない。ソーニャ・サブレの故郷である第128世界線は惑星が鉄に変化する奇怪な病の侵攻する世界だ。故郷の人類は幾度か異世界への脱出を試みたが、移動可能な異世界は空気中の物質全てが猛毒であったり、低位高次元存在の巣窟、悪の想念により形作られる思念生命体とそれを信仰する修道士だけでいっぱいの小さな世界など、いずれも人類移住の叶いようのない環境の規定的現実と区切られた異界でしかなかった。

 この世界は、そういった異界の類ではない。ソーニャの増設脳と圧縮脳型汎用肉端末が採取した情報から判断してもそれは確実だろう。で、あれば、彼女にとってこれは幸せな奇跡の結果と言えるかもしれない。

「ご理解頂いているならば結構。あなたの持つ技術は高く評価されています。詳しいことは中央管理塔の職員が説明しますが、概要としては」

 と、ソーニャが煙を吐きだすタイミングを待って発言したのは直立するスーツ姿の蛙であった。バリトンで響く美声は、雨蛙のような蛙人間のイメージに合わない。

「あたしのスカウトはオークション方式で、取り分は全てあなたたちのお財布へ。で、あたしは気に入らなかったらそれを蹴ってもいい、でしょ?」

 落ちてくる技術、物品、それらは商業連合に参入している国家と企業にオークション形式でセリにかけられる。所謂スカウト権だが、その恩恵を落下者は受けない。都市の総取りである。

「有体に言えばその通り」

「法的にも商業連合法の適用内による落下者保護法であたしの権利は守られるけど、義務もけっこうたくさんみたいね。嫌だったらスカンピンでその辺りで暮らせってことよねえ」

「あなたがそう解釈されるのなら。なんにしろサブレ女史であれば破格の待遇で迎えられるでしょう」

「タグリ・ハーバーさん、もうちょっとリリカルにしてほしいんだけど」

 蛙人間、タグリ・ハーバーは落下現象管理センター落下者保護管理事業部部長という肩書を持つ。彼自身は落下者の二世である。

「お役所仕事でしてね、中央に引き継いだ後にならシニカルな会話にも付き合えますが」

 と、内情を吐く。本社と支社、中央と地方、庁舎と市役所、色々と上手くいかない対立が二世紀近く続いている。

「あなたが人間種だったらもっと素敵だったのに」

 タグリ・ハーバー部長は古い映画の俳優がよくやるように大げさに肩をすくめてみせた。

 ソーニャ・サブレも芝居がかった動作でソファから立ち上がると、窓から見えるフォーシエット市の街並みを見やる。

 石油燃料で走る車、謎のエネルギー操作で空を飛ぶ獣、行きかう人々は緑色の怪物から純人間にロボットまで、誰もが忙しそうにしているように見えた。

「わくわくする景色ね。何か始まりそうな、うん、そんな感じの」

「見慣れれば普通ですよ」

「あなたは見慣れることができそうにないわ」

「長い付き合いにはなりませんよ。そろそろ中央のお迎えの時間ですが」

「ねえ、ミスタハーバー?」

「何か」

 両生人類の目から人間種が感情を読み取るのは相当の訓練が必要とされる。

「筋肉の動かし方、特に目の辺りのパターンで分かるんだけど、中央とやらはあたしがゴネたら落下者管理センターに文句を言う訳ね。それであたしに『センターの態度わるくて無能。中央は有能で大好き』って言わせたいのかしら」

 両生人類タグリ・ハーバーは小さく笑った。グコグコ鳴くのが彼らの笑いだ。

「いやはや怖い人だ。『センターの方が親切で優秀』なんて言われるよりはそういう反応をしてもらうのが百倍良い。脳の研究でしたか、我々のようなものもあなたの世界線に存在しているのですか?」

「サイノウの研究よ。この手品はあなたたち風には超超越技術による探査装置の活用、でいいのかしらね? ニホン語だっけ、難しい言語だわ」

 言語野インプラントにウェルニッケ野限定増築ナノマシンであっても、慣れるまでには少しかかる。

「住めば都というやつですよ、サブレ女史。できるだけ、暴れないで頂きたいが」

 蛙男は突然に斬りこんでくる。

 ソーニャ・サブレは落下にあう以前、元世界線における賞金首である。もちろん、そんなことはタグリ・ハーバーにもセンターとやらにも言っていない。

 半月のように笑みを刻んだソーニャは、すっかり短くなった煙草を灰皿に押し潰す。

「善処してあげるわ」

 こわいこわい。

 落下者は、落下した時点で元世界線における罪科を消失したものと見做す。

 落下者の危険度を肌で感じて釘を刺せるようになれば、一人前のセンター職員である。だが、大抵において一人前の職員はとんでもないトラブルに見舞われるものだ。

 タグリ・ハーバーの確信めいた予感はこれより半年ほど後に間違っていないことが証明されるのであった。



 ごとごと馬車に揺られていたらなんだか妙な感覚があって、そうしたら馬車が止まって恐ろしい場所にいた。

 見たこともない四角い鉄の何か。高い塔がそこかしこにあって、叙事詩における邪悪な怪物と異国の人々が奇怪な言葉で何事か叫びながらこちらを指差していた。

 見たこともない奇怪な服に身を包んだ怪物たちがやって来て、アンジェリカが短剣を抜いて、その後はよく覚えていない。

 気が付いたら白い部屋にいて、そこは広大な城塞の一部屋で、わたしは、白い服を着せられて、小さいけれど天上のごとく心地良い寝台に寝かされていた。

 異国の魔法使いのような男、高野サトシと名乗る男に何があったか説明を受けて、それを理解しようとしている時に、自身が初めて聞いたはずの奇怪な言語を理解し、あまつさえそれで話していると気づいて、わたしは悲鳴を上げた気がする。

 アンジェリカを呼んでも、彼女は来ない。あなたはわたしの侍女なのに。

 気を失ったり怖くなって泣いたりして三日を過ごしたら、泣きすぎて頭が重くなったけれどなんだかすっきりして、高野の話を落ち着いて聞くことができた。

 妖精にでも惑わされて、別の世界線とやらに転移したという。カウマン・ギューロードの英雄伝説のような話だけれど、携帯端末だとかナノマシンだとか、平民でも使える魔法を見せられれば黙るしかなかった。

 故郷の言葉と同じようにこの国の言葉を読み書きしているのも、ナノマシンというもののおかげであるそうだ。けれど、それはどうしてか恐ろしいことのように思える。


「音読はおよしになって」

 と、ユーリス・ドナ・ドナイタシスは冷たい声音で言った。

 彼女の力作である手記を音読する高野を無視したユーリスは、傍らのティーカップを優雅な仕草で手に取り、紅茶の香りを楽しんでから、これもまた優雅に一口啜った。

 御年十五歳のドナイタシス伯爵令嬢は、落下管理センター食堂に足をお運びになられて会食に臨まれている。

 雑多な人々で溢れかえる食堂でドレスを着ているのは彼女だけだ。

「良いレポートだと思って、ね。現状の理解とドナイタシスさんの人柄がよく分かる」

「お褒め預かり光栄ですわね」

 ユーリスの冷笑は令嬢然としたものであった。気品というものは、血と環境と教育から形成される。ただ美しいだけの者が真似たところで気品は真似できない。ここからは余談であるが、真に優れた役者は気品すら纏わせる演技力を身に着けている。この矛盾は、血筋や伝統、様々に積み上げたものを才能はいとも無慈悲に凌駕するという例であろう。

「紅茶のお代わりはどうだい」

「いただくわ。紅いお茶なんて初めて見たわ」

「肝心のお味は?」

「あなたの慣れない手つきからして、本当はもっと美味しくできるものなのでしょうけど、殿方にそれ以上は望まないわ」

 中世ファンタジー的世界線の文化レベルというものは大抵にして高くは無い。特に魔術魔法理術の類いの発展が遅ければ遅いほど食文化も遅れていると見るべきだ。不思議なことに、冒険者というよく分からない職業が認知されている世界線では、文明レベルとはちくはぐに異様に食文化が発展していることが多いので例外もある。

「気に入ってくれたと思っておくよ。とりあえずは、街を見て回ってから、それから今後のことを相談しようか」

「殿方と、ですか」

「人手不足でね、これでもそこそこの信用はあるんだ」

 担当落下者との恋愛なんて、男と女のことだけはどんな世界でも止められない。センター職員の場合、落下直後の落下者をコマすと商業連合法により犯罪者と見做される。

 少し思案したようだが、ユーリスはぽつりと漏らす。

「よしなに」

「そいつはよかった。あと一人お姫様と同じくらいの年齢のガキ連れていきますんで、まあよしなに頼みます」

 言葉の遣い方に気をつけよ、と叱責を加えそうになるのをユーリスは必死にこらえた。

 何より、ドナイタシス伯爵令嬢という立場と責任はここでは無意味だ。

 ユーリスは、自害していない自身をどうしてか不思議に思い、冷笑を浮かべてティーカップを口に運んだ。これほど死にたいのに紅茶は素晴らしく美味しい。



 落下してきた物品は管理センターか、フォーシエット市から警察業務を委託されている私設警察業を認可された警備業及び民間軍事業法人により回収され、センターの大金庫に搬送される。

 価値がないものはセンターに据え置かれてそれぞれに処分され、価値が一定水準を超えているものに関しては中央管理塔へ移されることとなるのが通例だ。

 センターの大金庫には様々なものが搬入されるため、鑑定士資格を持つ職員が常駐するこが義務付けられており、アヤ・エズリーもそんな鑑定士資格を持つ者の一人だ。とは言っても、保管部鑑定課にはアヤと上司のエン・ラオ特級超越技術鑑定官の二人が所属するのみである。

 ドクターラオは中央に出張。

 アヤは厳重な封印の施された大金庫内の事務机で少し早い昼食を取っているところだ。

 お弁当は早起きして作る。

 お茶は水筒に入れて持ってくる。

 手早く食べたら事務机の鍵付きの引き出しから文庫本を取り出して読む。

「ふふ、ふふ」

 と、彼女以外誰もいなくて、監視カメラが回っている室内で小さく笑みを漏らす。

 地下三階と四階は大金庫となっており、内部には自販機から仮眠室までが取りそろえられていて、鑑定士の詰める最奥には警備員であっても立ち入ることができない。

「そう、189ページが一番素敵」

 地味な服装だとよく言われ、眼鏡も野暮ったいと言われる。

 通常成長速度の人間種であるアヤは29歳。ハーフエルフであるため24歳のころに老化進行速度が極端に落ちた。ハーフエルフは長命種の純エルフ種に比べて寿命は短く120年ほどで、老化は80歳辺りからだといわれている。

「うん、やっぱり新装版はダメ。イラストはラーラマリア先生じゃないと」

 カリマ牛の革で作られたブックカバー。そこに収められている本のタイトルは『怪盗ライアーローズの冒険 第二巻』である。

 十五年も前に出た少女向け小説で、十五年間ずっと読み続けているアヤの愛読書である。

 ライアーローズと共にいる時にだけ、安らぎがある。

 黄金と神秘金属ヒヒイロカネにより造られた世界線不明の棺のような落下物、魔術的な防壁がなされているため内部の魔術透視は不可能だが、エックス線検査で白骨らしきものが収められていることだけは分かっている。

 アヤが仕事熱心であれば自身の手で魔術防壁の解除を上申したであろう。が、彼女は仕事が大嫌いだ。だから、こうして中央へ引継ぎが済むまで『危険なので手出しできませんでした』というポーズを取っている。午後からは据え置き端末を操作して仕事しているフリがまた始まる。

 ライアーローズは導師級の魔術師だけれど無実の罪から一族を追放されて、汚名を灌ぐため世界をまたにかける怪盗になったのだ。

 謀略のトゥーゴネンタル海峡、空中移動要塞シャンバラ、電基都市マガツ、死の大地の地下に埋もれた兵器開発塔、実在の都市を飛び回る彼女はアヤの憧れで、その落差にいつも泣きたくなる。

『面白いな、お前』

 と、彼女なら言ってくれるだろうか。いや、それはあるまい。背景に溶け込んで、いるかいないか分からないだけのアヤ。今も昔も何もできないアヤ。

 こんなに惨めなのに、唇は笑みを刻んでいて、きっとそれは、優しそうな地味な女の笑みであるのだろう。

 棺の中の何者かが、そんなアヤを注意深く見ていた。



統合的プロローグです。次回からの一話目はユーリス様のお話になります。

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