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必然と偶然の解空間

作者: ゴリラ

 夜遅く家に帰り玄関に立つ時、私達は灯りを探します。壁には、生活の中で覚えた電気のスイッチの場所があります。点灯の軽い手ごたえと同時に周りが照らされると、見慣れた空間が現れます。「見えないな、困ったぞ」と思い、暗がりの中で明かりを求める気持ちは、行動とほぼ一体です。もし時間を拡大鏡に通したら、その探す気持ちはやっと捉えられるのでしょう。それは、その伸ばした手の指先辺りに、ほんの少し見えるという具合かもしれない。けれど、私達は、確かに探しながら暮らしているのです。

 一方、探すことは、冒険にもなります。幼い頃の遊びには、ある意味、宝探しのような感覚もあります。その中で、私の記憶に残る冒険は、幼稚園の芋掘り遠足でした。秋の澄んだ空の下、広い畑に放たれた園児は、運動会の服装で意気込みます。芋掘りという探し物に挑むのです。子どもたちは、先生の指示で畑の畝に一列に並んで座ります。目前は、柔らかい盛り土です。これから、紫色の薩摩芋を土中から掘り出すのです。きっと、後で、甘い薩摩芋を食べることになるのでしょう。全員がモグラのように、一斉に土を掘り返します。直ぐに、数人の収穫の喜びが叫び声となり響きました。

私もその一人に成りたいと、気は急きます。時折、顔を上げると、友達たちは、掘り出した芋をもう高々と掲げているではありませんか。

 その日、私が見つけたものは、尻尾が見えないくらい巨大なミミズと、芋と見間違えた植物の根、そして、慌てて逃げる団子虫たちです。結局、土に隠れた薩摩芋の輪郭にときめきながら掘り進むという幸運は、私の元には訪れませんでした。私は、ため息をつき、収穫できた人との格差に幼いながら呆れました。その時の写真は、今でも私を笑わせます。青色の帽子を被り、眉毛を寄せた幼子が、失意の内にしゃがんでいます。

 薩摩芋を探し続けた焦りの気持ちは、明け方に見る浅い夢の焦燥とよく似ていると思います。夢と現実は全く違う世界ですが、探すことで繋がっているような気がします。そうなると、探し物をする私は、他の時空で探し物をする誰かと交差し、偶然に出会うこともあるのでしょうか?

 ああ、それは、なんて面白いんだろう。私は何処で何を探そうか。そして、いつの日か、知らない誰かと「やあ、こんにちは」などと挨拶しているのかもしれないのです。



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