決して殿方には知られてはなりませんわ、理由はお分かりでしょう?
唯一の男児であり、次代の王と目されるアレンは、ここのところ何某とかいう子爵令嬢に熱い視線を注ぎ、元々の婚約者であるヴィクトリアには冷たい態度を取っている。
それを聞きつけた王妃はヴィクトリアを呼び寄せた。
「アレンの心変わりでつらい思いをさせていると聞いたわ。
でも大丈夫よ、ヴィクトリア。
そういう時のため、王侯貴族の淑女には武器があるの」
そう言って差し出されたのは一つの茶葉が入った瓶。
綺麗に密封されたそれは、二人で飲むのに適した量程度しか入っていない。
この平凡な見た目をした茶葉がなんだというのかと不思議に思ったヴィクトリアは、次に王妃が囁いた言葉に、大きく目を見開くことになる。
そうして次の日には元々の予定通り、アレンとの茶会になった。
そこで彼女は「王妃殿下からの頂き物」として昨日渡されたばかりの茶葉でお茶を入れ、まずは自らが飲んでみせた。
「さすが王妃殿下は趣味がよろしいわ。
後味の素晴らしいこと。砂糖がなくとも甘みを感じる気さえしますわ。
殿下も温かいうちにぜひどうぞ」
「ああ」
上の空のアレンが気のない返事をしながらカップを取り上げ、茶を飲む。
確かに砂糖を入れずに飲んだはずだが甘みを感じる。
後味も甘みが後を引かずに良いものだ。
しかしちょっと熱く入れすぎではないか。
文句をつけてやろうかとヴィクトリアを見た時――ふいに、胸が高鳴るのを感じた。
はて、ヴィクトリアはこんなにも美しい女性だったろうか?
艶のある髪は素晴らしく滑らかで、爽やかな風に攫われる毛先のなんと愛らしいことか。
長いまつ毛に縁どられた瞳の煌めきも、知性的で素晴らしい。
理想的な輪郭の顔のパーツはどれもバランスよく配置されていて――そうして、今、アレンのためにだろうか。茶菓子を小皿に取り分けている指先のたおやかなこと。
今視界に入る全てを美しいと感じる。
「アレン様、粉砂糖はいかがしますか?」
「あ、ああ。今日はなくても構わない」
「左様ですか。お茶が十分美味しいですものね」
そうして微笑む表情の気品。
小鳥のさえずるよりも耳に心地よい声。
上品な発音。
ああ、なぜあの令嬢に心奪われそうになっていたのか。
こんなにも素晴らしい女性が婚約者として存在しているというのに!
「すまなかった、ヴィクトリア」
「アレン様?」
「愛しているよ」
「……わたくしもですわ、アレン様」
はにかんだようにぎこちなく微笑んだ婚約者に、アレンは幸福を感じていた。
さて、急激な変化は勿論王妃に下賜された茶葉によるものである。
これは王妃となる女性に代々与えられる領地でのみ栽培され、また他の土地では育つことのない特別な樹木から作られる。
発酵のさせ方、保管の仕方は通常の茶葉と同じで構わないし、見た目だけなら普通の茶葉と同じである。
しかし、その茶葉は、人類の男性に特有の感情を誘発させる。
作り話によくあるような、惚れ薬に近い症状を引き起こすのである。
飲んだ直後に見た女性に強烈な一目惚れを起こさせ、その後何度か飲ませることで感情を定着させることが出来る。
この症状は女性には決して起こらない。
そして、抱いた感情は取り消しようがない。
故に、王妃は口外を禁じたのだ。
曰く。
地位の低い貴族と、あらゆる殿方には決して知られてはなりません、と。
ある程度の地位にある貴族女性は、適齢期に入ると同時にこの茶葉を王妃より下賜され、婚約者との茶会で提供し、夫婦関係を確立させる。
男爵や子爵程度の地位ならばともかく、基本的に結婚とは家同士の契約であり、血の交わりである。
そして血は断絶してはならず、また流出することも許されない。
そのためには夫婦関係は良好でなくてはならないのだ。
始まりがいつだったのか。
なぜ王妃の授かる領地にのみ特別な茶葉が生えたのか。
それはもう誰も知らない。
ただ何も知らない農民たちがのほほんと、王妃様の飲まれるお茶だかんなあ、と。
それはもう丁寧に世話を焼き、時がくれば収穫し、職人が茶葉へと仕上げていく。
そうして適齢期になった令嬢たちの手へと渡っていくのだ。
アレンは今現在十三歳。
十四歳になる頃にはと考えていたが、少々早熟だったなと王妃は考える。
しかし、あの茶葉を口にしたのだから、ヴィクトリアから心が離れることは最早あるまい。
あと何度か二人が茶会を重ねればそれで全てうまくいく。
領土の隣接した国々でも、夫婦仲の悪い高位貴族というものを聞かない。
ということは、いずれの国も、王妃か、それに類する高位の女性が男性を掌握する術を握っているのだろうと考えている。
そうでなくば、市井にいるという「心多き男性」によって、血は薄まり、拡散し、国はばらばらになっているだろう。
家の経営は男性がする。
しかし、血を繋ぐためには女性が必要なのだ。
そして、その女性は嫁いだ家の血を必ず次へ繋げる義務を持つ。
だからきっと、全ては必然だったのだ。
高貴なる女性の自由になる土地に、男性にのみ作用する惚れ薬のようなものが生まれ落ちたのは、きっと、国が乱れることを望まない神がいたに違いない。
王妃はそう考えている。
代々王妃に与えられる領地には、数多くの樹木があり、ある農園では茶葉が作られ、ある農園ではハーブが作られ、ある農園では――
それらすべてを手中に収める王妃は、今日もただ粛々と己の仕事をこなしている。
副作用とかないだけ全然アンゼンなクスリだね!