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はじまり

「お姉様。イッチ様をわたくしめにお譲りくださいませ!」


 突然の提案にも姉ウーナはおっとりと振り向いて「あらあら」と実に頼りない返事。


 彼女の薔薇の香り桜色の口紅が動いて曰く。

「でもサーニィヤ。あなたは『ドクャーチソ・ロコリン・ペリィフドア』様が13番目の妻にいますぐ欲しいと」

「気持ち悪いのです。あの方は!」


 どこからか飴玉を用意してわたくしを宥めんとする奸計、断固拒否いたします。

 わたくしもう立派なレディにて。


「はっきりいいましたね」

 ええ。いいますとも。

「でも、イッチ様だってその、子供好きですよ?」

「あきらかに意味が違います」

 彼なら愛くるしいわれらの弟ティフィリーを預けてなんの問題もないのです。

 一方、ドクャーチソ様は成人を迎えた妻は疎かにするとの評判にて。


「処女かつ未成年にしか興味のなく、男の嗜みとして少年に対する互恵的男色をも楽しまれるかたと仮にも実にもいとしい姉の婚約者を一緒にされては困ります」


「確かに」

 姉は首肯してくださいました。

「たとえ羊13頭が我が家にもたらされるとしてもわたくしはいやでございます」

「わたくしは嬉しいですけど、かわいい妹の人生と引き換えならいりませんね」


 彼女は花袋の香りを振り撒くように微笑んでくださいました。



 姉は今年で20歳。

 わたくしとは8歳のひらきがございます。


 優美に描かれた太い眉、理知的な瞳に強めのアイメイク。

 黒真珠のような玉の肌にキラキラと輝く顔料をチークに散らしてその魅力は外出用の大きな布にその身と顔と魅惑的な黒髪全てを包んでもバッチリ人目を惹きます。


 そして。

 至近距離で下から詰め寄ったわたくしの視界の大部分を塞ぐかたちのよい大きな双丘。

 柔らかそうなのにおおきくくびれたおなか周りは彼女が今なお純潔の身であることを示唆しており、大きく張り出したお尻と太ももは、彼女が母なき後に一家の母がわりとしてとても勤勉に勤めた証と言えましょう。

 水汲みは女子供老人の仕事でございますゆえ。


 もっとも最近は弟も手伝ってくれます。


「イッチから茶葉をもらったの。

 チャイでもどうかしら」

「いただきます。姉上」


 わたくしどもが『女子供の家』にてかような話題をするイッチ様は姉の婚約者にはあらせますが。


「まずイッチ様はあまり美男子と言いがたいです。故にくださいわたくしに」


「むちゃいうわね。そんなにひどいかしら。かわいいものだけど」

「いえ、別段極端に太っていたり痩せているわけでもないのです。

 あからさまな醜男ならわたくしもいやです」


 姉は少しひだりこゆび(やくそくゆび)をそっと顎に触れさせてつぶやきます。

「わたくしはあまり殿方の容姿には頓着致しませんが、イッチ様がひどい腋臭わきがならあの恋文は少し思うところがございました」

 聞かなかったことにしてという意味ですが看過しからざる内容。


「どのようなお手紙でしょう」


「乙女のひみつにて」

 姉の入れた炭によりお湯が沸いて湿り気がわたくしどもの鼻を潤し瞳を瞬かせます。

 うう。知りたい。よこせー!


「それでもなんというか。ばっとしません。

 学者を名乗ってはいるのですが、一言で言えば無職です」


「そうね。そこは我が『異国にてクルアーン(聖典)と呼ばれ己を律すべき一族』も同じ。財産は弟がお嫁を迎える程度にそこそこありますけど」

「お姉さまほどの美貌と才能、そして素晴らしい家事能力の持ち主が敢えて彼を選んだ理由が全くわからないと皆が首を傾げる程度には不自然ですよね」

 姉は否定しませんでした。


「ゆえにわたくしにください。輿入れの準備は今すぐで結構。イッチ様に馬はおろか……羊も! ヤギも! 鶏すらも用意できる甲斐性など、はなからわたくし期待しません」


「でも、彼の方は『学問は楽しいからね』と言ってくださいましたよ」


 ぐう。

 姉は好きなことをしていれば幸せなタイプです。

 女のすることがたとえ男手となることでも一切否定しない彼はある意味理想だったのかもしれません。


「で、でもですよ!」

 しかしここで屈しては学者一族クルアーン……『と言われる一族』でしたね。『神の名において神は偉大なり』。

 この国、『太陽王国』にて呼ばれし他称に見合うよう己を律し、あくまで『不敬』(クルアーン)は自称せざるべし。


 それはとにかく相手が姉とはいえ自ら挑んだ論戦に易々と論破されては我が家のものとして恥です。



「イッチさまは剣の腕前も一人前とは言い難く、頼りない印象は拭い難いですし、何かにつけてよくわからない失敗をするのに女の仕事が大好きという変わり者です」


 つまり水汲み洗濯掃除に子守です。

 村では重宝な男手ですが、それだけです。


 男の、『男の家』での仕事の一つに老人の相手もありますが、こちらも彼は好んで付き合っているらしく。


「されど、助けが来るまで狭いところに敵を誘い込んで防戦に徹してわたくしを逃がしてくださいましたね。己の弱さ心得て、敵を把握し戦場を把握し適切な時を稼ぐなら万の剣に勝ります。彼は勇敢ですよ」


 あのヘタレがそこまでするとはわたくしも予想外でした。

 しかもケガ一つしていなかったのです。



 それでも未亡人をまとめて引き取って養ってあげたり、少年たちと互恵的な関係を結んだりといった男らしさとは無縁の方でございます。


「すべてわたくしのために。ええ無力なわらわ、村の戦士たちを呼びに致し方なく、婚約者たる彼をおいて走りました。いまおもいだしても涙が……ふふーん」

 彼女は確かにおやゆびをくちびるに。


 自慢致しました! 彼女はめちゃくちゃ自慢しています! 口にだしていうのが恥ずかしいくらい自慢しています!

 己の魅力を最大限にアピールしています!


 きー!?



「何をおっしゃるお姉様。わたくしと、何より最高にかわいい我らが弟めがいました! 残念でした!」



 イッチ様は好んでかのようなことをするのに、彼が出入りする家の寡婦たちが身籠ったという話も聞きません。


 少年たち子供らがお尻の痛みなどを親に訴えたこともございません。


 イッチ様は端的にいえば、とんでもないアホか恐ろしきお人よしです。


 婚約者である姉がいるにも関わらず上記に列したようなふしだらと思われ得ることをしても姉は彼を信頼しているようで村人たちの邪推や寡婦たちの『一部主張』をまるで一顧だにしません。


 それでもいわゆる男らしさとは無縁ながら親切かつ子供を預けるに足るとして、彼は寡婦たちにはとても評判のいい人物なのでわたくしも彼を誇りに思います。



 わたくしども、お互いの目をみつめあいますが、その両手ひろげて「おいで」は反則です。


 童ではないのです。


 その胸にやわらかくだきとめられると反抗する気力が萎えてしまうのです。

 やめろまじ。



 まこと12代続く我が家の婿殿としてふさわしいとわたくし個人は思っているのですが、やはり他の女と噂になることは謹んでいただきたい。


 わたくしとても嫉妬ぶかいのです。



 長々とのろけ致しましたが、それをくちにしてしまうと『姉に相応しい男ではない』という小姑としての前提が崩れます。


「なので、お姉さま。イッチ様をわたくしめに。お姉さまならもっともっといい婿をとれますゆえ」

「あなた、イッチ様を誤解していませんか」


 していません。

 あの方にとってわたくしは村に幾人もいる愛らしい子供たちの一人に過ぎないのです。悲しいことですが事実です。



「ええ。誤解していますとも!

 めちゃくちゃ遊んでいただけます!

 髪も隠さないふしだらな姿のままで!」

 子供の特権はフル活用です!



 そしてくやしゅうことに彼は姉に対してラブラブきゅんきゅんにございます。

 手を握ることすら耳から手のひらまで赤くなる程度の情けなさです。


 でもわたくしにはそれが好感なのです。



 母代わりとなってくれたいとしい姉を預けるに充分でなくば、わたくしだって好きにはなれません。



 されどもそれら認めては姉から彼を奪えません。


 わたくし、彼に厳しい小姑こじゅうとである様を姉に言わねば『姉ほど優れた方に相応しいと思えないのでわたくしがいただきます』という論法になりえません。


 いえこの論法もかなり無理があるのですが。



「あなた、髪も隠さずいつも彼の膝の上で遊んでいるではないですか」

「いいんです! 弟にも譲りません!」


 事件の発端は姉の横でカチコチになっている彼の隣に座ったわたくしのひざを弟が引っ張り、「イッチのとなりにいたい」とアピールしたことです。


 わたくし、たいへん不本意ですが愛しい弟ののぞみにて! いたしかたなく!

 イッチ様に言われる前にその席を弟に(※内心嫌々!)譲り、『たまたま空いていた』彼の膝の上で遊んでいただけであり、童と思われる屈辱と特権を忍従しただけです。


「我らが弟は頭の上に登りだしましたけどね」

「まじころす」

 あわててやくそくゆびをくちびるに。



「でもお姉様!

 弟や赤の他人の子供たち、赤ちゃんらを宥めるイッチ様のあの才能はわたくしも認めています」


 姉は鷹揚おうようにうなずきます。


「なのでわたくしをこれほど可愛いと言って下さるなら、その子供、さらに自らの子供でもあるならそれこそ最高に可愛がりおしえさとしてくださいます。ときにはきびしくあたることも辞さないでせう。されど妹背いもせともに支え合い」


 彼女はさすがにわたくしの論理の飛躍についていけずに吹き出してしまわれました。



「理不尽すぎますね」

「理不尽なのです!」


 よこせこら。泣くぞ。

 地面に転がって洗濯の手間を増やすぞ。


 ……前に結局洗う羽目になったけど今度は予備の服と下着を縫いましたので我慢できます。



「下働きのソフィアは「一度ご自身でお服を縫いあそばせ」と洗濯を拒否したので下働き失格です」


「あらあら。そういうわけだったのね」


 いえ、泣いてソフィアに手縫いの技を習いましたが。

 おかげであちこち手を刺してしまいお姉様に甘える屈辱を。



「『やだー。やだー。お姉様におくすりぬってもらえなければいやだー』」


 誰とはもうしませぬが心に留め置きいただきたい『女の家』での出来事、あえて声真似をする姉は卑劣なり。



「とにかく。却下。

 わたくしもっと自由でいたいのです」

「なら、わたくしの自由も尊重していただけますよね」


 姉妹で譲りません。


「第一夫人はわたくしです。お姉様は医者なり異教徒のように絵なり好きにして生きればいいじゃないですか」

 わたくしどもが『聖典と呼ばれる』のはあくまで神に仕えるに足りない学者でしかない自省の結果この国での信頼を勝ち得て短く家名を呼ばれるようになったという故事によるもので、自ら名乗るわけにはいきません。

 逆にこの発言でわたくしなりに偉大なる神との距離を示したとご理解いただけますよう。



 姉は余裕でした。


 姉は「イッチ様の愛情などどうでも良い」「好きなことを言ったりしても彼はゆるしてくれる」「結婚すら待ってくれる」「ただそれだけ。わたくし自立するのが夢なのです」とわたくしにはいいますが、難しい言葉で言えば既得権益を守る知恵はあります。



「あら。もうそうしてくれるかたがわたくしにはいますのでそれは難しいかと。それとも幼馴染のスィッタにでも頼みますか? あの子はなかなか亭主関白に育ちますよ」

 むきー! 幼馴染の名前は出さなくていいです!



「なら、奪ってみせます! 5年です! 5年もすればわたくし花をも恥じらう17歳! 成人です!

 イッチ様の好みにきっと合致しています! お姉様より!」


 胸元は少し不安だけど初夜の日まで詰め物をすればなんとかなります。揺れは無理ですが。



「5年……5年ですか。どうしよっかなぁー」

 姉は挑発的に微笑みました。

 中指をくちびるにあてるのは「どちらかにする」「迷っている」「挑発している」です。



「やってみてくださいな」「やってみせますとも」



 こうして、わたくしどもの利得にまみれた、戦いは幕を切って落としたのです。わかりましたか?



 え。分が悪い? やめとけ?

 ぼくは羊が欲しい?



 弟よ。優しいあなたの小姉様といえどもつねりますよ。



 とりあえずドチャークソロリコンペドフィリア様の釣り書きはお断りします。


「主にお父様が」

「しょうあねさま。あざとい」

 ぐりぐりしますよ。

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