第88話 エピローグ 誘拐事件のその後
アウリンがテーブルに突っ伏し、足をぶらぶらとさせている。
片方の足には包帯が巻かれていて、見た目にも痛々しい。
彼女の服装は、淡い水色のブラウスに紺のプリーツスカートという軽装で、全体に涼やかな印象を与えている。
肩の露出が多めのブラウスには小さなフリルがあしらわれ、動くたびに柔らかな布が揺れる。
「しばらくは家で安静にしていなさいって言われちゃったの……もう、退屈で死んじゃいそうよ……」
ふてくされたように頬をふくらませながら、ぼやくように声を漏らす。
「まあまあ、入院しなくて済んだだけでも良かったじゃないっ」
軽やかな声でそう言ったのはヴィヴィアンだった。
黄緑色のワンピースを身にまとい、ピンク色の髪をひとつに束ねて肩へ流している。
「でもぉ〜、ユークに研究まで禁止されてるのよ。ちょっと足を痛めてるだけなのに……」
アウリンはもぞもぞと身じろぎながら、じっとユークの方を見つめた。
その視線には、不満の色がはっきりとにじんでいる。
「無理言わないでよ。あんなごちゃごちゃした場所に、その足で入るのは無理だろ……この前だって、転びかけたじゃないか」
ユークは肩をすくめて、あきれたように言う。
「ヴィヴィアンっ! ユークがいじわる言うの!」
アウリンはそう叫びながら、ヴィヴィアンに抱きついた。
「もうっ。しょうがないわね、アウリンちゃんは」
そう言いながらも、ヴィヴィアンはアウリンの頭を優しく撫でる。
その顔にはやわらかな笑みが浮かんでいた。
「それにしても、治療費をギルドが出してくれて助かったよ」
ユークは少し肩の力を抜くようにして、ほっとした表情を見せる。
「ごめんなさい……また私、鎧を壊しちゃって……」
ヴィヴィアンがしゅんとした声でつぶやいた。
「ううん、気にしないで。あの状況で誰も死ななかっただけで十分だって」
ユークは穏やかな口調で答える。
「うん……それに、鎧もすごく高いのを買ってもらっちゃったし……」
ヴィヴィアンの前の鎧は、前回の戦闘でボロボロになってしまっていた。
前の物は三十万ルーンだったが、今は八十万ルーンの新しい鎧を注文している。完成までは、もうしばらくかかりそうだ。
「私も、新しい槍を買ってもらっちゃったし。そんなに気にしなくていいと思うよ?」
そう言ったのはセリスだった。
白を基調とした花柄のワンピースを着て、幸せそうにお菓子をつまんでいる。
先の戦闘で、彼女の槍も穂先が欠けてしまったので、せっかくだから買い換える事にしたのだ。
以前のものは二万ルーンだったが、今回は二十万ルーンの特注品になる予定だった。
「うん、今回はまとまった報酬が手に入ったからね。そういえば、あの時のセラフィさん、かなり疲れてたけど……大丈夫だったのかな?」
ユークは報酬を受け取ったときのことを思い出しながら、ふと思い返した。
――あれは、ダンジョンから脱出してすぐのことだった。
* * *
「こちらが今回の報酬となります」
自宅のリビングにあるテーブルで、セラフィが丁寧に証明書を差し出した。
額面には、150万ルーンと記されている。金貨にしておよそ1万5千枚にあたる大金だ。
「いいんですか!? こんなに……」
驚いた声が自然と漏れた。
ギルドガードの状況が厳しいことは、ユークたちもよく知っている。だからこそ、その金額には目を疑った。
「……はい。報酬は、きちんとお支払いしないといけませんから」
セラフィはそう言って微笑もうとしたが、その顔には疲れが色濃くにじんでいた。
青白い顔に、目の下のくま。とても健康とは言えない様子だった。
「何かダメそう……。少し休んでく?」
セリスがそっと声をかける。
「ふふっ。大丈夫よ。二日ほど寝てないだけだから」
軽く笑うセラフィだったが、その笑みはどこかぎらついていた。
そして、すぐに続ける。
「今回の突入で、ギルドガードの部隊のほとんどがダンジョンの崩壊に巻き込まれたの。多くの仲間が命を落としたわ。だから、ギルド内もちょっと混乱してて……」
言葉の合間に見せる表情には、どこか怒りと悲しみが入り混じっていた。
「それから……こちらもお受け取りください」
セラフィは、もう一つの紙を差し出す。
「これは……?」
ユークは首をかしげてそれを手に取った。
そこに書かれていたのはおよそ10万ルーンほどのギルドの証明書。
「……もしかして、口止め料かしら?」
ヴィヴィアンが口を開く。
「そうなります」
セラフィが口の端を持ち上げ、わずかに笑みを作った。
今回、ユークたちは本来知らなくてよかった情報まで知ってしまった。
もちろん、口外するつもりなどなかったが、黙っていることでお金がもらえるのならありがたい話だった。
「わかりました。ありがたく……」
ユークが静かに受け取る。それは、口止めを了承したという意思表示でもあった。
そして彼は、今回の件に触れずにエウレへ爆発系魔道具の使用感をどう報告するかを考え、頭を悩ませていた――そのとき。
「今回、救出された子供たちは結局どうなったの?」
アウリンが問いかける。どうやら、ずっと気になっていたようだった。
セラフィはしばし悩み、小さくため息をついたあと、口を開く。
「彼らは検査の結果、問題なしと判明したので、全員親元に返されました」
子供たちは、博士によって魔法陣を刻まれていた。
だがそれも解除され、今は家族と共に過ごしながら、様子を見ているという。
「そっか……みんな無事だったんだ。よかった……」
アウリンの声は、どこかほっとしたように聞こえた。
「でも、本当に大丈夫なんですか? セラフィさん……目の下のクマがひどいですよ……?」
ユークが心配そうに尋ねる。
「あと数日で応援が送られてくるらしいので、それまでの辛抱なんです。ふふふ……そうすれば、寝られる……」
セラフィは遠くを見つめながらつぶやいた。
このときユークは、その言葉をたいして気にしていなかったが数日後、その意味が明らかになる。
* * *
過去の出来事を思い返しながら、ユークたちは現在の街の様子を話していた。
「でも……街の雰囲気、少し変わっちゃったよね」
ヴィヴィアンが、大通りの様子を思い浮かべながらつぶやく。
かつては、ギルドガードの兵士たちが日々街を巡回し、秩序を守っていた。
しかし今、その姿はほとんど見かけなくなり、代わって見知らぬ兵士たちが街を行き交っている。
彼らは、ゴルド王国、ルナライト帝国、アラゴナ商国――《賢者の塔》とその真下に広がる街がある土地に隣接する三つの大国から派遣されてきた者たちだ。
いずれも塔に強い関心を持ち、警備という名目でこの地への影響力を強めようとしている。
けれど、その装備や振る舞いは国によってまちまちで、街全体の雰囲気にはまとまりが感じられなかった。
かつての一体感ある警備体制とは異なり、今の街にはどこかよそよそしい空気が漂っている。
「あの人たち、後から来たくせに、元からいたギルドガードの人たちに対してやけに態度が大きくて嫌い」
セリスが、頬をふくらませた。
「ふーん……」
アウリンはつまらなそうに、指先で円を描いている。
そんな兵士たちを避けようと、人通りも減っており、街全体が息をひそめているようだった。
それでも――。
「あらためて、大変な事件だったんだなって思うよ。本当に、みんなが無事でよかった」
ユークが、しみじみと声を落とす。
「うん。誰も欠けずに帰ってこられた。それって、すごく大変なことなんだから!」
ヴィヴィアンが、やさしく微笑む。
「だからさ……しばらくは、おとなしくしてようね?」
ユークは、言い聞かせるような口調でアウリンに告げる。
「む〜……退屈で干からびそう」
不満げに頬をふくらませるアウリン。
「まったく、アウリンは……」
ユークは肩をすくめながら、小さくため息をこぼした。
そんなやりとりに、ようやく笑いが戻った。
部屋の中には、あたたかな空気が静かに流れていく。
そして、静かな日々が、もうしばらく続くことを――誰もが、心から願っていた。
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ユーク(LV.28)
性別:男
ジョブ:強化術士
スキル:リインフォース(パーティーメンバー全員の全能力を10%アップ)
備考:いろいろ不安はあるけど……今くらいは、少しゆっくりしてもいいよね。
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セリス(LV.28)
性別:女
ジョブ:槍術士
スキル:槍の才(槍の基本技術を習得し、槍の才能をわずかに向上させる)
備考:ダンジョンに行かなくても良いし、一日中ユークと一緒にいられて幸せ。
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アウリン(LV.29)
性別:女
ジョブ:炎術士
スキル:炎威力上昇(炎熱系魔法の威力をわずかに向上させる)
備考:何もすることが無いって、こんなに辛かったのね……
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ヴィヴィアン(LV.28)
性別:女
ジョブ:騎士
スキル:騎士の才(剣と盾の才能を向上させる)
備考:こんな時に、武器も鎧も本調子じゃないなんて……少し不安だわ。
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