第36話 カルミアの転落
夜になり、探索者たちで賑わう食堂の片隅に、ひとつだけ重苦しい雰囲気のテーブルがある。
そこに座っているのは、この日ユークとの決闘騒ぎを起こし、探索停止処分を受けたカルミアをリーダーとするパーティーの面々だった。
誰も口を開かない沈黙の中で、ようやくカルミアが小さく呟く。
「……すまねぇ」
その声は、賑わいの中にすっかりかき消されそうなほど小さかったが、隣に座るベリルの耳には、はっきりと届いていた。
「謝って済むことじゃねぇだろ」
苛立ちを隠すことなく、ベリルが吐き捨てるように言った。視線はカルミアから外さないまま、怒りを押し殺したような声だった。
その向かいで、ジルは拳を強く握りしめたまま、一言も発さず黙り込んでいる。
「……なんで、あんな事したんだよ?」
再び口を開いたベリルの問いかけは、決して怒鳴り声ではなかった。むしろ淡々としていた。だからこそ、その言葉は鋭く、カルミアの胸を深く抉った。
カルミアは俯いたまま、唇を噛んだ。
しばらくの沈黙の後、かすれるような声で呟く。
「……わかんねぇ。ただ……アイツが、どうしてもムカついちまって……」
酒の勢いだったなどとは言えない。そんな言い訳は通じない。
カルミアの声には、後悔とも怒りともつかない濁った感情が滲んでいた。
その時、沈黙を貫いていたジルが、低く静かな声で言った。
「……終わったことは、もういい。問題はこれからだ」
カルミアが顔を上げると、ジルの目が真っ直ぐにこちらを見据えていた。
「半年だ。半年しのげば、探索停止の処分は解除される」
「は? 半年って……どうするつもりだよ!」
ベリルが机を叩かんばかりの勢いで声を上げる。
「そんな金、俺たちには――」
「処分は……俺だけだ」
カルミアは言葉をかぶせるように続けた。
「お前らは、一旦パーティーを抜けろ。そうすりゃ探索もマッチングもできる。半年だけだ。半年だけ、頼む……耐えてくれ」
焦燥を押し殺した声だった。彼の言葉には、懇願のような響きが宿っていた。
「そんなこと言ってもよ……俺、盾もなくなっちまってんだ」
ベリルが苦しげに漏らす。仲間を守るための唯一の装備を失ったその声には、どうしようもない無力感が滲んでいた。
「それは俺が出す。……五百ルーンもあれば足りるはずだ。……頼む」
カルミアの声には、妙に力がこもっていた。
「……カルミア、本当に半年もしのげるのか?」
ジルが眉をひそめ、問いかける。
「俺は博打も女もやってこなかった。……そのおかげで、ギルドに預けてある金が1万ルーン近く残ってる。ギリギリだが、それで半年は食いつなげるはずだ」
ジルは無謀だと言いかけたが、カルミアの顔を見てその言葉を飲み込んだ。
「半年後だ。……半年後、またここで集まろう。安心しろ、俺は……大丈夫だ」
そう言って浮かべたカルミアの笑顔は、どこか痛々しく感じられた。
ベリルとジルは、その顔を見ることができず、ずっと俯いたままだった。
半年――それはカルミアにとって地獄のように長く、過酷な時間だった。
鍛錬の機会もないまま、時間とともに錆びついていく剣の感覚。
それを感じながら、彼はただひたすらに日々を耐えた。
「……はぁ、たまには肉が食いてぇな」
ぼそりと漏らしながら、安宿の味の薄いスープを流し込む。
今の彼に残されたのは、ユークへのどうしようもない恨みと、自分の軽率な判断を呪う怒りだけ。
貯蓄が減っていく恐怖と、未来の見えない日々。
それでもカルミアは歯を食いしばり、一日一日を生き延びていった。
そして半年後――約束の日がやってくる。
別れた時と同じ食堂の一角に、三人が再び顔を合わせていた。
「おい! 久しぶりじゃねぇか!」
カルミアは心の底からの笑顔を浮かべ、ベリルとジルに手を振った。
顔はやつれ、体も痩せ細ってかつての筋肉は消え失せていたが、それでも目だけは異様な光を放っている。
しかし、ベリルもジルも顔を伏せたまま、言葉を発さない。
異様な雰囲気のまま、長い沈黙が続く。
「おい! なんとか言えよ!」
そんな沈黙に、ついに堪えきれなくなったカルミアが怒鳴る。
するとまず口を開いたのは、ジルだった。
「……すまん。俺は、探索者を辞める」
「は……?」
カルミアの顔から、笑みが消える。
「辞めてどうすんだよ……?」
脅すような低い声でジルをにらみつける。
「田舎に帰って、用心棒でもやるさ。……レベルは多少あるし、あっちならそれでも十分やっていける」
「てめぇ……」
カルミアの拳が震えた。
「俺は!」
そんな時。ベリルが、意を決したように声を上げる。
「なんだ……?」
こんどはベリルをにらみつけるカルミア。
「俺は、今のPTを裏切れない。だから……お前と一緒には行けない」
決意をもって言い切ったベリル。
「お前……今のPTって……」
絶句するカルミア。
「……すまん」
ベリルは申しわけなさそうに、言葉を絞り出すように告げた。
「だったら……だったら! 金を返せ! 俺が……!」
カルミアが怒鳴ったその瞬間、ベリルは黙って袋をテーブルに置いた。
「これは……?」
不思議そうに袋をにらみつけるカルミア。
「借りた。いろんな奴に頭を下げてな」
そう言いながら、ベリルは袋を押し出す。
「お前に、そう言われるかもしれねぇって思ってたよ。だから、用意しておいたんだ。……もう俺たちは、これで終わりだ。じゃあな!」
ベリルは迷いも未練もない顔で席を立った。
「その……お前も、故郷に帰ったほうがいいんじゃねぇか?」
ジルも椅子を引きながら、静かに言い残して去っていく。
それが、カルミアに向けられた最後の言葉だった。
男たちの背が扉の向こうに消えていく。
カルミアは、ただ呆然と、その背中を見送る事しか出来なかった。
「くそっ……!」
カルミアが拳を振り下ろしてテーブルを叩いた。
重たい音が酒場の空気を震わせ、その勢いで木のコップが倒れ、中身の酒がテーブルの上に広がる。
甘い香りのする液体は、まるで彼の苛立ちを代弁するかのように、無残に広がっていった。
半年――それはあまりにも長い時間だった。
仲間の心が離れるには、それで十分すぎたのだ。
「おやおや、兄ちゃんずいぶん荒れてんなぁ」
やけに馴れ馴れしい様子で、一人の男がカルミアの横に腰を下ろす。
よく見ると、男の顔の右側には痛々しい火傷の跡があり、目元にはどこか陰を帯びた光が宿っていた。
「……なんだよ、オッサン。俺になにか用か? 今の俺は機嫌が最悪なんだ。痛い目見たくなきゃ、黙ってどっか行けよ」
カルミアは男を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
しかし男は、まるで気にも留めない様子で木製のコップを傾けながら、低く呟く。
「見てたぜ。仲間に見捨てられたみてぇだな」
その一言が、カルミアの心を鋭く抉った。
「……あ゛あ゛?」
怒りが再びこみ上げ、カルミアの声に苛立ちが混じる。
「アイツら……お前さんの“真の仲間”じゃなかったんだろう」
男の声は静かだった。しかし、その言葉はまっすぐにカルミアの胸へと突き刺さる。
「……は? “真の仲間”? なに言ってやがる」
訝しむように眉をひそめながらも、カルミアは無意識にその言葉の続きを待っていた。
「ああ。リーダーの命令には迷わず従い、リーダーを決して裏切らず、リーダーのためなら命さえ張れる――それが、本物の仲間ってもんだ」
「……本物の、仲間……」
馬鹿げた理屈だった。だが、今のカルミアにはその言葉がどうしようもなく魅力的に響いた。
自分の信じた仲間たちに裏切られた今だからこそ、その幻想めいた言葉にすがりたくなったのだ。
男は、そんなカルミアの心の揺らぎを見透かしたように、ゆっくりと口を開く。
「……つらかったろ? 裏切られる痛みってのは、何よりもキツい。俺にも、わかるさ」
わざとらしいほど優しい声音。それでも、その言葉はカルミアの胸の奥に静かに沁み込んでいく。
「なぁ、俺と一緒に来ないか?」
男が胸に手を当て、不敵に微笑む。
「アンタが、俺の“真の仲間”にでもなってくれるってのかよ」
皮肉まじりにそう言いながらも、カルミアの声にはそうなって欲しい、という願望が混じっていた。
「俺じゃない。だが……お前の力を必要としている奴らがいるんだ。そいつらなら、きっとお前の“仲間”になってくれる」
男が真剣な表情でカルミアを見つめる。
「ま、選ぶのはお前だ。地べたで這いつくばるか――それとも、もう一度這い上がるか」
男は口の端を吊り上げて笑う。その笑みは、どこか底知れぬ闇を孕んでいた。
男はゆっくりと手を差し出す。その手は、カルミアにはまるで救いのように思えた。
「……勘違いすんなよ。アンタを信じたわけじゃねぇからな」
ぶっきらぼうに言い放ちながらも、カルミアはその手をしっかりと握った。
それは、何かが終わり、そして何かが始まる合図だった。
この日を境に、“カルミア”という名の探索者は、一度、街の表舞台から姿を消すこととなる。
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カルミア(LV.13)
性別:男
ジョブ:上級剣士
スキル:剣の才(剣の基本技術を習得し、剣の才能を向上させる)
備考:半年で貯蓄の大半を使い切った。
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ベリル(LV.12)
性別:男
ジョブ:盾剣士
スキル:盾の才(盾の基本技術を習得し、盾の才能をわずかに向上させる)
備考:半年で信頼できる仲間を見つけた。
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ジル(LV.12)
性別:男
ジョブ:大剣士
スキル:大剣の才(大剣の基本技術を習得し、大剣の才能をわずかに向上させる)
備考:半年で自分の限界を知った。
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