第142話 一歩ずつでも、脱出へ向けて
朝の食事を終えたあと、ユークは牢の中で魔力を操る訓練を続けていた。
首につけられた魔道具のせいで声を出せず、それが大きなストレスになっていたが――それでも、やるしかなかった。
空中に浮かぶ魔力の粒。それを自分の意志で、文字の形に並べていく。
今の彼にできるのは、それだけだったからだ。
(……くそっ、また歪んだ……)
描こうとしていた線が太く膨らみ、ぐしゃりと崩れて消える。
ユークは手を止めて、深く息を吐いた。何度繰り返しても、思い通りにはいかない。
(どうして……できないんだ。いけそうな気がするのに……!)
隣の牢にいるテルルは、相変わらず無言のまま、じっとユークの様子を見ているだけだった。
(ダメだ……全然、出来ないっ!)
焦りばかりが募り、成果はほとんど出ないまま、ただ無情に時だけが過ぎていく。
(……お腹がすいたな)
ぐぅ、と。腹の奥から音が響いた。
(あれ……もう昼?)
ユークは反射的に腹に手を当てる。
腹の減り具合から時間を推測するが、扉の外は静まり返っていた。看守の足音も、食事を運ぶ気配もない。
(……そっか。お昼ごはんなんて、無いのか)
ようやく思い出す。
ここは、朝と夜に最低限の餌を与えられるだけの場所だったのだと。
空腹が、じわじわと集中力を奪っていく。
それでも、手を止めるわけにはいかなかった。
(……今やらなきゃ、何も変わらない)
仲間たちが、今もきっとユークを探してくれている。
けれど、ただ待つだけではダメだった。
ここがどこなのか分からないが、そう簡単に見つけてもらえるとは思えないからだ。
だからこそ、自分で脱出しなければならなかった。
再び空中に魔力の粒を浮かべる。
何度崩れても、繰り返し、繰り返し、形を描いていく。
(ダメだっ……次!)
やがて、時間の感覚さえも曖昧になっていった。
窓も時計もない牢の中で、ユークはひたすら練習を続ける。
「……おい、もう止めんか。夕飯が来るぞ」
奥の牢から聞こえたテルルの声に、ユークはようやく顔を上げた。
(……夕飯?)
思考が数拍遅れて動き出す。
慌てて空中に残った魔力の残滓を消すと、鉄格子の下に皿が滑り込んできた。
朝と同じパンとチーズ、そして水。
(……また、これか)
味気ない食事。だが、文句を言える立場ではない。
皿を手に取り、パンをちぎって口に運ぶ。
もう片方の手では、魔力の粒を動かし続けていた。
食べている時間すら惜しい――今の彼には、それほどの焦りと執念があった。
「ふむ、なかなか根性があるの」
テルルがぽつりと呟く。その目は、どこか興味深げにユークを見つめていた。
(もう少しなんだ……!)
あと一歩で届きそうな感覚。
それを必死に手繰り寄せながら、ユークは少しずつ、完成へと近づけていく。
そして、ついに――
(……あっ!)
手元の魔力が、今までと違い真っすぐに引かれていく。
線が繋がり、輪郭が現れる。
わずかに震えてはいるが、確かにそれは“光”の魔法文字だった。
(……できた……!)
ユークの手のひらに、小さな光が灯る。
文字が不完全だったせいか光は弱く、すぐに消えてしまう。
それでも――ユークにとっては、確かな前進だった。
かすかに目頭が熱くなる。
誰にも見られていなくても。誰にも褒められなくても。
それは、ユークにとっての間違いない「勝利」だったのだ。
「上手くいったようだな。そろそろ、次の段階に進んでもいいかもしれん……」
牢屋の奥で、テルルがにやりと笑う。
その声には気づかず、ユークはもう一度、光の文字を描き出していた。
震える指先で、ゆっくりと、丁寧に。
◆ ◆ ◆
「……やっと終わった……」
アウリンはオライトと別れた足で、そのままエウレの邸宅へ向かい、マナトレーサーを借りられるように話をつけた。
続けて、ユークの捜索に使うその魔道具を帝国の兵士たちに渡し、使い方まで丁寧に教える。
すべての準備を終えたアウリンは、自宅に戻り、ようやくひと息ついていた。
「お疲れさま」
ヴィヴィアンが、湯気の立つスープを手渡す。
「ありがと」
アウリンはそれを受け取り、口元へ運んだ。
温かさが、疲れた体にじんわりと染みこんでいく。
「これからどうするの?」
セリスが静かに問いかける。
ユークの捜索は、すでに帝国の兵士たちが動いている。
今の彼女たちにできることは、限られていた。。
「もう遅いし、夕ご飯を食べたら休みましょう。明日の朝一で、霊樹のところに行くわ」
「霊樹って……」
ヴィヴィアンが小さくつぶやく。
「ええ。まだ受け取っていなかった報酬を受け取りに行くの」
アウリンの目が、静かに光を帯びた。
「霊樹の精霊からの報酬――“大賢者の魔法書”は、きっと私の魔法を強化できる。それはユークを救出するための助けになるはずよ!」
そう言って、アウリンは小さく拳を握る。
「……私たちだけで大丈夫かな?」
セリスが不安げに漏らす。
「きっと大丈夫よ。上手くいくわ」
ヴィヴィアンが柔らかく微笑んだ。
「明日は一気に精霊のもとまで行くわよ!」
アウリンはゆっくりと、しかし力強く頷くのだった。
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ユーク(LV.33)
性別:男
ジョブ:強化術士
スキル:リインフォース(パーティーメンバー全員の全能力を10%アップ)
EXスキル:≪リミット・ブレイカー≫
備考:ようやく、わずかながら光明が見えてきた。
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テルル(LV.??)
性別:??
ジョブ:??
スキル:??
備考:たとえユークが無詠唱魔法を使えるようになっても、まだ越えるべき壁が残されている。
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セリス(LV.33)
性別:女
ジョブ:槍術士
スキル:槍の才(槍の基本技術を習得し、槍の才能をわずかに向上させる)
EXスキル:≪タクティカルサイト≫
備考:ユークがいないだけで、こんなにも不安になるなんて思っていなかった。
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アウリン(LV.34)
性別:女
ジョブ:炎術士
スキル:炎威力上昇(炎熱系魔法の威力をわずかに向上させる)
EXスキル:≪イグニス・レギス・ソリス≫
備考:無事だと信じている。でも――間に合わなかったらどうしようという不安は、どうしても消えない。
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ヴィヴィアン(LV.33)
性別:女
ジョブ:騎士
スキル:騎士の才(剣と盾の才能を向上させる)
EXスキル:≪ドミネイトアーマー≫
備考:ユークのことも気がかりだが、無理を重ねるアウリンの様子も見過ごせない。
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