第1話 お前をこのパーティーから追放する
かつて“大賢者”と呼ばれた男が、自らの遺産を託すために築いたという《賢者の塔》。
その塔には、世界中から野心を抱いた若者たちが挑み続けていた。彼らは『探索者』と呼ばれていた。
塔の周囲には、自然と探索者たちを支える街が形成されていった。
装備を売る商人、秘密を囁く情報屋、疲れを癒す宿屋や酒場――今やその街は、ひとつの都市として機能している。
そして今夜も、その街の一角にある宿屋「竜の牙」では、一組の探索者パーティーが塔の探索を終え、ささやかな祝宴を開いていた。
「かんぱーい!」
「今日は調子よかったよな!」
「ほんと、いいもの手に入ったよ!」
「さて、何を食べようかな~?」
楽しげな声が飛び交い、木製のテーブルを囲んで仲間たちは思い思いに笑っている。
だがその中で、ただ一人だけ、笑顔を見せず黙り込んでいる男がいた。
――リーダーのカルミアだ。
その様子を、不思議そうに見つめる黒髪の少年がひとり。
ユーク。十三歳。年齢相応よりやや背が低く、まだあどけなさの残る顔立ちをしている。
いつもなら賑やかな会話に加わるカルミアが黙っていることに、ユークは小さな違和感を抱いていた。
やがて場の雰囲気が落ち着いたのを見計らって、カルミアが静かに口を開いた。
「……みんな、少し聞いてくれ」
その一言で、騒がしかった空気が一気に静まり返る。
料理を口に運ぼうとしていた仲間たちも、手を止めて彼の言葉に耳を傾けた。
「ユーク。……お前を、このパーティーから追放する」
ピシリ、と空気が凍りつく。
「…………は?」
ユークは耳を疑った。
追放? どうして?
「な、なんで……? 俺、ずっと一生懸命やってきたじゃないか! パーティーのために、ちゃんと役割をこなしてきたじゃないか!!」
滅多に怒ることのないユークの怒鳴り声に、仲間たちも驚きの表情を浮かべる。
「そうだな。お前は今まで、俺たちのためによくやってくれたよ」
カルミアは目を逸らさず、しかし淡々と続けた。
「だが……お前の“強化術士”としてのスキルは、強化率10%。他の強化術士と比べても、あまりにも効果が低すぎる」
“ジョブ”それは、魔族の脅威に対抗するため、神が人類に与えた力。魔族の脅威が無くなった今もなお、それは人類に多くの恩恵を与えていた。
ユークの持つジョブ『強化術士』は、仲間の能力を一時的に底上げし、攻撃に魔法属性を付与する支援職だ。
「そんなの、最初からわかってたことだろ……!」
ユークは立ち上がり、悔しさをにじませた声で言う。
「俺はその分、努力してきた! 戦闘終了後にモンスターが落とした魔石を拾い集めたり、投石技術を磨いてモンスターを怯ませたり……魔法だって、必死に頭を下げて、たくさんお金を払って……ようやく攻撃魔法も覚えたんだぞ!!」
火力も能力も足りない自分を補うため、彼はできる限りの手段を探してきた。
頭を下げ、技術を学び、必死にしがみついてきたのだ。
「いくらなんでも……酷すぎる……!」
震える拳をテーブルの上で握りしめるユーク。その目には、怒りと悔しさが宿っていた。
仲間たちも、次第に口を開き始める。
「え、ユークを追放って……それ、マジで言ってんの?」
「さすがに、それはねぇだろ……いくらなんでも冷たすぎるよ」
「ユークは、すごく頑張ってるよ!!」
だが、カルミアの声は冷静だった。
「確かに下層なら、投石も有効だったけどな……。今戦ってるモンスターに、それが通用するか?」
誰も、すぐには言い返せなかった。
「魔法もそうだ。威力が低すぎるんだよ!!」
カルミアがテーブルを叩く。
「い、今はまだ覚えたばかりだから威力が低いかもしれないけど……もっと上手くなれば、魔法の威力も上がるはずで!!」
ユークが反論する。
「いつになるんだよ、それは! 俺たちに必要なのは“今”なんだよ!!」
「っ……!」
カルミアの言葉に、ユークも黙り込んでしまった。
「……少し前から交渉してた相手から返事が来たんだ。強化率30%の強化術士が、俺たちのパーティーに入ってくれるってな」
「――30%!?」
その場の空気が一変した。
強化術士でも、強化率30%を持つ者は極めて稀だ。
「そ、そんな……」
ユークは絶句する。
「だっ、だとしても俺はこのパーティーで……」
「うるせぇ!!」
カルミアが怒鳴り、テーブルを力強く叩いた。
「塔の探索は遊びじゃねぇんだよ!」
その剣幕に、ユークは思わず口をつぐむ。
「まあ……仕方ないんじゃないか?」
「新しいパーティーで頑張ってくれよ」
「待ってよ! なんでそんなこと言うの!? 10%も30%も、そんなに変わらないでしょ!?」
そう叫んだのはセリスだった。金色の長髪が揺れ、怒りと悲しみの混じった声が場に響く。
彼女はまだ十四歳。凛とした美少女でありながら、年相応の無防備さを残していた。
身体を守るために部分鎧を身につけているが、その下から覗くインナーが、彼女の細くしなやかな身体の線を際立たせている。
「変わるんだよ!」
カルミアの声が響いた。
「30%だぞ!? こんなチャンス、二度とねぇんだ! 俺たちはもっと上に行く! だから……このパーティーから出ていってくれ。お前はもう用済みなんだよ!!」
誰も何も言えなくなった。
食事が並ぶテーブルの上に、沈黙だけが落ちる。
――終わった。
ユークは悟った。
「……分かった。出ていくよ」
もう何を言っても無駄だと悟ったユークが、冷たく言い放つ。
カルミアは軽く肩をすくめ、嬉しそうに笑った。
「そうか。そう言ってくれると助かる」
ユークは彼の表情をじっと見つめた。ほんの少しでも、すまないと言ってくれることを期待していたのかもしれない。けれど、そんなものはどこにもなかった。
それが何よりも腹立たしかった。
ユークは、最後にもう一つだけ確認する。
「カルミア……今日の分の報酬は貰えるんだよな?」
その声に、もはや感情の揺らぎはなかった。
塔で得た戦利品の換金は、いつもリーダーであるカルミアがまとめて受け取り、打ち上げの場でメンバーに分配する。それが、このパーティーのルールだった。
ユークは、そのルールを最後まで信じたかったのだ。
だが――
「悪いな、ユーク」
カルミアはあっさりと言った。
「あれはパーティーの金なんだ。お前はもうメンバーじゃないだろ? 諦めてくれ」
ユークは一瞬、言葉を失った。
……そうか。結局、そういうことか。
もはや怒る気力も湧かなかった。
彼は無言のまま立ち上がる。
椅子が床を引きずる音だけが、静かに響いていた。
カルミアは、何も言わなかった。
ユークは、振り返ることなく歩き出す。
「待って! ユークを追い出すなら、私も出ていく!」
声を上げたのは、セリスだった。
「はあ!? なんでだよ!?」
「ユークがいないパーティーなんて、もういたくない!」
「ばっか、お前! 俺たちは、これからもっと上へ行くんだぞ!? そんな時に抜けるヤツがあるか!」
セリスは黙って荷物を持ち、ユークの隣へと並ぶ。
「ああ、いいさ。もう知らねぇ!」
カルミアは怒鳴った。
「いいか! 後になって『もう一度パーティーに入れてくれ』って言っても、遅いからな!」
カルミアが捨て台詞を吐くが、それでもセリスは振り返らなかった。
そしてユークもまた、一度もカルミアを見ずに宿屋の扉を開けた。
――こうして、ユークはパーティーを追放されたのだった。