第7話 鉱山の王
「この威嚇音は……まさか!」
「アメリアさん!」
円形壁を飛び越え、威嚇音の発生源――樹海の方へと決死の形相で疾走するアメリアさん。威嚇音の正体が分かったようだ。
「待って!」
大森林で鍛えられた脚力を存分に発揮するアメリアさん。彼女との距離がどんどん離れていく。
一体何が彼女を駆り立てるのか、皆目見当もつかない。だが、ここで止めなければまずいと直感した。
「氷の精霊よ!」
埒外のスピードで魔法の充填を進めるアメリアさん。なんとしてでも止めないと。
しかし、狂った馬車馬のように暴走する森の妖精を止められる者など、この場にいるはずがない。
「くっ、仕方ない。土の精霊よ」
土壁で彼女の進路を強制的に防ぐしかない。それしか思いつかなかった。
走りながら魔法を充填するなんて人生初の試みだが、こうなったらやるしかない。
「シィィィィィィィィィィィィィ――!」
空気が震えた。誇張じゃない。本当に、空気が震えた。
樹海から姿を現すと同時に、2度目となる強烈な威嚇音を発したのは、鉱山の王だった。
「ミスリル・スネーク……」
いかなる鋼鉄よりも硬い緑銀色の鱗、全長10メートルもある長躯、まるで駆けるかのように強固な地中を高速移動する掘削力、肉食獣のようにたったの数秒で最高速度に到達する加速力。
モンスターについて無知な自分でさえも知っている。あれは鉱山に棲みつき、ミスリルをはじめとする希少鉱物を平らげる鉱夫の敵――ミスリル・スネークだ。
まずい。僕が造った円形壁もいとも容易く破られてしまう。
怖い、怖い、怖い、怖い。
僕は無意識のうちに充填を中断していた。
今すぐにカッツたちを連れて、この場から逃げ出したい。
しかし……「特徴的な威嚇音を聞いたら最後、絶対に逃げられない。だから、絶対に遭遇してはならない。不用意に鉱山地帯に近づいてはならない」という言い伝えが頭をよぎる。
とても強引だが楽観的に解釈するのならば、ほんの僅かな可能性にかけて戦い鉱山の王を倒せば生き残れる。
僕たちにはもう、戦うか、潔く死を受け入れるという選択肢しか残されていない。そして、アメリアさんは前者を選んだ。
「あの惨劇を繰り返してたまるか――!」
ハッとした。思い出した。
アメリアさんは幼いとき、ミスリル・スネークに目の前で同族を大勢殺されているのだ。最終的には大きすぎる犠牲を払い、かろうじてミスリル・スネークを討伐したらしい。だが、今もアメリアさんの心に癒えることのない痛みとして残っているのは間違いないだろう。
つまり、ミスリル・スネークは彼女にとって激しい憎しみの対象だ。見目麗しいエルフを激昂させるだけの理由となり得る。
「解き放て絶対零度の刃」
「アメリアさん、一度下がって!」
相手は強敵だからこそ、手を取りあって戦わないとダメだ。一人では勝ち目がない。
「協力して戦わないと!」
あらんかぎりの声を振り絞った。だが、僕の声は届かなかった。
アメリアさんがミスリル・スネークに肉薄する。と同時に剣を構え、先ほどとは比でない量の魔力を注ぎ込んだ特大の魔法を放った。
「フローズン・ブレード!」
剣身から、白い閃光と凍てつく吹雪が飛び出した。
一瞬。
それは、ミスリル・スネークを倒すのにかかった時間を表しているのではない。
一瞬。
ミスリル・スネークが逃走を決意するのに要した時間を表しているのでもない。
一瞬。
アメリアさんの魔法がミスリル・スネークの長躯を凍りつかせたのは、一瞬だけだった。
「どう……して……」
渾身の力を注ぎ込んだ魔法が無意味だったことに、酷く落胆したアメリアさん。壊れた人形のように膝から崩れ落ちてしまった。
「シィィィィィィィィィィィィィ――!」
「逃げて! やばい、逃げろ!」
威嚇音が空気を切り裂く。と同時に、ムチのように大きく曲げられた長躯。時間が止まって。
「逃げろ――!」
僕は絶叫した。それでも、放心状態のままのアメリアさん。
ミスリル・スネークは細長い舌を出し、アメリアさんに睨みを利かせると電光石火の薙ぎ払いを放った。
「アメリアさん――!」
小柄なエルフの少女は、空中へと投げ飛ばされ、放物線を描いて砂浜へと激突した。滝のような汗が僕の全身を流れた。