8. 異世界への旅立ち
「じゃあ、行ってくるね!」
私は馬の手綱を引きながら、見送りに来てくれたリリーに告げる。リリーは不安げな表情で私を見る。
「ローザ、無理しないでね。
ハンスが嫌がるのなら、無理に連れて来なくていいから!」
「分かってる」
もちろん、ハンスに無理強いはしない。だけど、ハンスが戻って来てくれることを望んでいる。もっと言えば、ハンスがリリーを好きでいて欲しい。リリーはハンスに嫌われていると思っているが、そうでないことを祈るばかりだ。
リリーは明るくて強い女性だ。その強さゆえに、一人で感情を抱え込んでいるのではないか。ハンスがリリーの良い理解者になってくれれば、と思わずにはいられなかった。
太陽の光が燦々と降り注ぐ中、私はレオンと馬を走らせる。目立たない茶色の旅人の服を着て。
「ローザ。私と一緒に馬に乗れば良かったものを」
レオンはまだぼやいている。私だって前みたいにぎゅっと抱きしめられて馬に乗りたいが、せっかく乗馬の練習もしたのだ。一人で自由に駆けてみたかった。
「今度車を運転する時に、一緒に乗ろうね」
私は笑顔で答える。
「ねえ、レオン、見て見て!前の滝に虹がかかってるよ」
目の前にある岩山から流れ落ちる壮大な滝に、陽の光を浴びて大きな虹がかかっている。珍しい鳥が飛び立ち、蝶が舞っている。
「よし。馬を一休みさせてから、また先を急ごう」
グルニア帝国まで、二人で旅をするのも新鮮で楽しい。並んで野菜サンドを食べ、川の水をかけ合って笑い合う。些細な旅だが、幸せな旅だった。
こうやって二人だけの世界にいると、レオンが王太子であることなんて忘れてしまうほどだった。
この先もずっとこの幸せが続くことを祈るばかりだ。
こうして夕方……私たちは、グルニア帝国の王都に辿り着いた。ロスノック帝国の者だとバレないかビクビクしたが、誰もロスノック帝国第二王子がいるだなんて想像もしないのだろう。その前に、人々は自分の生活だけで精一杯のようだ。
レオンは目深に頭巾を被り、私の手をぎゅっと握って歩く。私も、レオンの手を離さないとでも言うように硬く握る。なんだか酷く不気味で、レオンから絶対離れないようにしようと思った。
というのも、グルニア帝国の城下町は、ロスノック帝国のそれとは全然違っていたからだ。
建物はさびれ、所々窓が割れたり穴が空いたりしている。行き交う人々の表情はどんよりと暗い。ぼろ布を纏った人や、酷く汚れた服を着ている人もいる。ドミニクたちが富を独り占めしてしまうから、この国の人々はとても貧しいのだ。
広大に広がるスラム街の横を通り、少し建物が立派になってきた頃だろうか。
「ここだろう」
レオンはとあるバーの前で立ち止まった。ヒビの入った窓に、蔦が絡まった壁。ビールの絵が描いてある、酷く変色した看板が掛かっている扉を開けた。
中は薄暗く、そして埃っぽい。ギギーッと蝶番の軋む音が響き、暗い店内に一筋の光が差し込む。店何には人がおらず、店の奥から男性の声が聞こえた。
「ただいま、営業時間外です」
「失礼した。私はR市街からやって来た、ハンスを追う者だ。
シリル研究員に用がある」
まるで暗号か何かのようだった。しばらくの沈黙の後、ギギーッとカウンターの扉が開く。そして、浮かない顔の男性が現れた。
「ようこそ、ロスノック帝国王太子殿下。
私が研究員のシリルです」
その疲れた顔で、深々と頭を下げる。
そんなシリルさんは、初老の男性だった。白髪混じりの髪に、酷く疲れた表情をしている。だが、深く刻まれたその皺を見ると、きっと優しくていい人なのだろう。
「長旅でたいそう疲れたことと存じます。
おもてなしもしたいのですが、この国には差し上げる食糧さえもなく……」
「いい、気にするな」
レオンはそう言って、持っていたパンの包みをシリルさんに渡す。すると、彼は何度も礼を言い、泣き出しそうな顔をする。よほど生活に困っているのだろう。
「殿下。ここは私の自宅兼職場です。
私は機械研究所で働いていますが、何しろ金がなく……この酒場を営んで、ようやく生活に必要な最低限の資金を手に入れています」
つまり、シリルさんは研究所で働く傍ら、バーも営んでいるということだ。そこまで身を粉にして働いても、満足な給料さえ得られないということか。ドミニクはあんなにも裕福な暮らしをしているというのに……
そもそも、グルニア帝国の機械文明が発展しているのも、研究員の人々のおかげだろう。そこを十分に評価しないなど、ドミニク一族は王族として恥ずかしくないのだろうか。
グルニア帝国は、あらゆる面でロスノック帝国とは違っている。
「募る話は後回しです。
グルニア軍が気付く前に、さっとハンスを回収して終わりましょう」
シリルさんはカウンターの奥にある階段に、私たちを促す。そして、ギシギシ音を立てる危なっかしい階段を、私たちは上った。
そして辿り着いた二階の室内を見て、私は息を呑んでいた。
この古びたバーの二階も、相変わらず古い部屋だった。窓にはヒビが入り、壁紙が黄色く変色している。こんなお世辞にも綺麗とは言えない狭い部屋の中に、たくさんの機械が置かれていた。そして色とりどりのランプが点き、部屋は無機質な機械音で溢れていた。その機械の中には、故郷で見たことのあるパソコンだってある。
古いボロ部屋と一面のこの機械は、とてもちぐはぐで似つかわしくない。
ふと隣を見ると、レオンも同じように驚いて部屋を見回していた。そして、感嘆したように告げる。
「すごいな。私はこのような機械など、見たこともない」
「えぇ。ほとんどがグルニア制ですが、一部異世界のものも混ざっています。
異世界のものは、とても性能がいいのです」
「それは車もか?」
興味津々で聞くレオンに、はいとシリルさんは頷く。
「かつてはハンスが異世界から機械を送ってくれていましたが、今は音信不通です。
どこで何をしているのか、私にも分かりません」
そう言いながら、シリルさんはレオンの耳に小さなイヤリングを付ける。その瞬間、レオンの鮮やかなブロンドヘアが、さらさらした黒髪へと変化する。
「すごいではないか。これはなんという魔法だ?」
驚くレオンに、シリルさんは告げた。
「魔法ではありません。機械の力です。
髪を黒くしておけば異世界で浮くことも少ないと、かつてハンスが言っておりました」
グルニア帝国の機械の力は、もしかしたら私の故郷よりもすごいのかもしれない。少なくとも、私の故郷には、髪の色を変える機械なんてなかったのだ。
「さあ、お二人とも急いでください。
この部屋は、見知らぬ人が五分以上滞在すると、グルニア軍に通報されるように出来ています」
「えっ!?」
「盗難防止、データ改ざん防止のためです。
そして、そのシステムは王室が管理しているため、私には止められません」
何それ。シリルさんは、そんなにも監視されているの!? グルニア帝国、恐ろしすぎるのだけど!
ハンスさんは、巨大なカプセルの中に私たちを押し込んだ。そしてそれを閉め、近くにあるキーボードを触っている。カタカタと無機質な音が鳴り響く。
「通報システムが鳴る前に、すぐにお二人を異世界へと送ります。迎えは三日後の同じ時間、同じ場所です。
迎えの時間を逃すと、私はお二人を見失って、この世界に戻すことが出来なくなります」
どうやら、ゆっくり説明を聞いている暇もないらしい。私は何の心の準備も出来ていないのだけど。
「ローザの故郷、楽しみだな」
レオンはそう言って私の手を握る。そんなレオンに思わず聞いてしまった。
「レオンは怖くないの?……戻って来れないかもしれないのに!」
すると彼は、いつもの大好きな笑顔で私に言う。
「怖くない。むしろ、ワクワクしている」
マジで!?……やっぱり頭のネジが飛んでしまっている!!
怖い私は、レオンにぎゅっとしがみついた。そして彼は私をそっと抱きしめる。
「それでは、転送します」
シリルさんの声が響き、シリルさんはレバーをぐっと上げた。すると私たちは眩しい光に包まれる。眩しすぎて、思わず目を閉じていた……ーー
いつも読んでくださって、ありがとうございます!




