3.テストと知世
知世に会ってからというもの、咲は周りの出来事を理解するのに時間が掛ることばかりだった。虎男にオシッコを掛けられ、翌日にはその虎男を只のお嬢様だと思っていた少女が退治してしまったのだ。
知世が電話を掛けると、数分後にはトラックがやってきて虎男を運んで行った。それとは別に、車がやってきて咲を家まで送ってくれた。
その間、知世とは言葉を交わさなかった。
知世は同じ車には乗らなかったし、あの混乱状態で何か言葉を掛られたとしても何も理解は出来なかっただろう。
そして1日が経過した今、その少女、知世は咲の目の前に座っている。休日の喫茶店。一番奥の席に2人で座っていた。知世からの電話での呼び出しだった。学校とその登下校以外で会うのは初めてだった。
別れた際には地面で体を擦ったり、壁に突撃したせいでボロボロになった服も、乱れきった髪の毛も、今は綺麗にセットされてる。
先日の出来事の説明。それが今回の用件。しかし、2人の間には会話は無く、静かに時間は流れていた。
知世は何から説明すべきかを悩んでいるようであった。
「あの虎は――――彩羽はどうなったんですか?」
「とある施設で目が覚めるまで保護し、目が覚めた後は故郷に送り帰しました」
「無事だったんですね」
あれは死んでもおかしくは無いのではないだろうかと思えるほどの血が噴出していた。
知世は笑顔を絶やさないものの、どこか悲しげで寂しげな表情をつくった。
「咲の前で殺したりなんかしませんよ」
私の前では。それでは自分がいなければどうだと言うのだろうか?
咲はその質問を胸の中にしまった。その質問をしてしまったら、かろうじて友達として繋がっている関係が完全に壊れてしまうような気がした。
「じゃあ、虎姫って言うのは何ですか?」
「虎姫。私の通り名です。向こうの世界、咲が言うところの魔法の世界では、私はちょっとした有名人なんですよ」
「英雄様。彩羽はそう呼んでいませんでしたか?」
そう言われた知世の表情は暗い影を落とす。
「知世は、自分のことを話すの嫌?」
話しを進める度に暗い表情になっていく知世に尋ねてみる。
「本当のことを知って、咲が私を嫌いになってしまうのが嫌。でも、巻き込んでしまった以上は、私には話す義務があると思う」
知世が真っ直ぐと咲の方を見る。
真っ直ぐと視線が交わり、咲の方が気まずくなり視線を逸らしてしまう。
全部を知っても嫌いにはならない。
そう断言する勇気は咲には無かった。
「じゃぁ、いいや。聞かないことにするよ」
「え?」
咲の言葉に知世は素っ頓狂な声を上げる。
「彩羽は知世を狙って私に近づいてきた。知世はその彩羽を懲らしめた。それだけの話しなんでしょ? 話したくないことまで話す必要は無いよ」
咲は笑顔を作ると、テーブルの上に置かれていた知世の手を握った。
「心配しなくても、これからも友達だよ」
その言葉を聞いて知世はいつもの笑顔を作った。
「でも、1つだけ聞かせて」
「何ですか?」
知世は意表を付かれたかのか、驚いた顔を作った。
「マーキングって何?」
知世の話しをまとめると、マーキングとは魔法世界の虎一族の習性の1つで臭い付けだそうだ。自分の獲物等に付けることで、その臭いを追って何処にいても追跡できるそうだ。
又、自分以外の虎に自分の獲物だとアピールする目的もある。自分以外の虎が襲わないよう、他の虎には凄い悪臭に感じられる成分が含まれているらしい。
「その臭いって知世にも分かるの」
知世は困った表情で頷いた。
「つまりは、今知世は私を臭く感じるんだ?」
自分の臭いを嗅いでみても、全く気にならない程度まで臭いは落ちていた。
しかし、知世は無言で肯定した。
「そんな事言うなんてひどい!」
冗談で言うが、そう言われた知世は困った表情をした。その表情を見て、咲は思わず噴出していた。
臭いの話しのおかげか、場の空気は軽いものとなった。
咲は知世に冗談をいい、知世はいつもの咲に対する口調に戻っていた。
「今日は咲と話せてスッキリした」
「私も知世と話せて頭の中の整理が出来たよ」
「これで、来週のテストに向けてゆっくりと勉強が出来るわ」
「・・・・・・」
来週のテスト………
一瞬、思考が停止する。
そして、思い出す。来週はからテスト期間。
咲が猛勉強して受かった高校。それが今の高校。咲の学力では必死に勉強をしなければ、授業にすら追いついていけない。
色々なことが有り過ぎて勉強など忘れていた。
そんな咲が今から勉強して、テストで赤点を免れるのだろうか………
「やばいよ!!」
◇◇◇◇
大豪邸。そんな、言葉が似合う豪華な建物が目の前にそびえ立っていた。門をくぐってから歩いて10分。
車を使って移動をすることを前提として作られた庭を通り抜け、やっと玄関に辿り着いた。
「知世、勉強する前に疲れたんだけど……」
横にいる親友に声をかける。家柄の差。それは理解していた心算だったが、こうも現実を突き付けられるとショックを隠せなかった。
玄関を潜って建物に入ると無数の執事やメイドといった人間が並んで出迎えてくれる。
いつものことなのだろうか、知世は驚くそぶりも見せず、廊下を進んで行く。
咲は場違い感を隠せないまま、知世についていく。
知世に案内されたのはシンプルなつくりの部屋。
木目調の床と壁に机が1つ。その周りには3種類のクッション座布団が置いてあった。
「この部屋なら集中して勉強が出来ると思うんだけど、どうかな?」
知世が聞いてくる。
そもそも、今日の目的は知世に勉強を教えて貰うこと。あまりの建物の豪華さに目的すら忘れかけていた。
よくよく見ると、部屋には机と座布団だけ。集中を乱すような余計な物は一切見られなかった。
「この部屋はもともと遊ぶときに使ってたんだけど、私の親友たちが勉強中、どうしても集中力を切らすんで、余計なものは一切排除した結果、こんなレイアウトになったの」
知世には2人の親友がいて、昔からよく勉強を教えていたのだという。
3種類の座布団はそれぞれ、知世と親友2人の物だという。
知世は一旦部屋を出ると、勉強道具とお茶、それに咲用に座布団を1枚持ってきた。あくまで、部屋に置いてあるクッション座布団は親友の物で咲には使って欲しくはないようだった。
勉強は集中してすることが出来た。教師としての知世は思いの他優秀で、咲が理解し難い場所を噛み砕いて説明してくれた。
その説明はとても分かりやすく、授業の内容が難しいと思っていたのが不思議なくらい、すらすらと頭に入っていった。
「知世。教えるの上手だね」
そう言われた知世はどこか照れくさそうな表情をしていた。
「親友に勉強を教えていたときに苦労しましたから。四苦八苦しながら理解させていましたから」
「知世の親友って……」
「えぇ。すごく馬鹿です」
知世はあっけらかんと笑いながら言う。
「でも、すごく優しくていい子なんですよ」
親友の話しをしてる知世の顔はすごく穏やかで幸せそうな顔をしていた。
◇◇◇◇
数日が経ち、テストは無事終了した。知世のおかげか、咲はかなりの手ごたえを感じていた。
テストが終わったことを記念して知世と2人で遊びに来ていた。
「君たち、2人?」
ブティック街を歩いていると後ろから男性に声を掛けられた。
後ろを振り返ると、軽薄そうな表情の男子学生が立っていた。いわゆる、ナンパというやつだ。
「俺たちも丁度2人なんだよね。一緒にどっか遊びに行かない?」
そう言って男は少し向こうで退屈そうに立っている少年を親指で示した。
少年2人は同じ制服に身を包んでいる。
名門男子高校、虎竜高校の制服だ。
咲は困ったように知世に目配せをした。
知世は指された少年の方を見ると、少し驚いた表情を見せた。
そして、声を掛けてきた少年と咲を見比べると了承の意を少年に伝える。
「ごめんね、咲。ちょっとだけ付き合って」
知世は咲に耳打ちすると声を掛けてきた少年に付いて、待っている少年の方へと歩いて行った。
知世は確かに待っている少年の顔を見た際に驚いた表情をした。咲は少年の顔を確かめる。
咲にもどこかで見た記憶があると思い、記憶を辿りながら、2人の後ろに付いて歩き出した。
そして少年の顔を思い出す。
坂田竜。坂田財閥の御曹司。
坂田財閥といえば、花矢財閥とはライバル関係にある一大財閥である。
クラスでもよく話題に上がる名前であるし、知世が知らない訳は無い。
二大財閥の御曹司とご令嬢。
知世がどういう考えで付いて行ったのか、咲には全く分からなかった。
◇◇◇◇
4人はカラオケルームの1室にやって来ていた。
咲の横には知世。その隣に声をかけてきた少年。更にその隣に竜が座っていた。
先ずは声を掛けてきた少年が自分と竜の自己紹介を行った。
男の名は、鑑圭介というらしい。
それを受けて知世が、自分と咲の2人の自己紹介を行った。
「2人はセントウッド女学院の生徒だよね」
そう言って、圭介が知世の肩に手を回した。
「珍しいですか?」
知世が圭介に聞き返す。どことなく、知世の声に不機嫌な色が聞いて取れた。
「珍しいと思うよ。特に制服のまま遊んでいるなんてんね」
相変わらず軽薄そうな表情で圭介がいう。
「今日は竜に女のよさを教えてあげてよ。全然興味示さないんだぜ」
そう言って、圭介は竜を指で示す。3人の視線が竜に集まる。
「別に女に興味が無いって訳じゃない」
ぶっきらぼうに告げると竜は圭介の前に手を伸ばすと知世の手を掴む。そして、知世の腕を引いて立たせると、自分の横に座らせた。
腕の中から知世を奪われた圭介は、知世に回していた腕を宙でさまよわせたまま呆気に取られていた。
「不機嫌そうだな」
竜は知世にそう告げながら知世の腰に手を回す。知世は竜を睨みつけるが、竜は気に留めもしなかった。
「不機嫌にもなります。自分の彼氏にナンパされるとは夢にも思いませんでした」
「いや。ナンパしたの俺じゃないし」
そんな会話を2人で繰り広げる。
「「えぇ!」」
咲は圭介と声を合わせて驚きの声を上げていた。
「彼氏いたの!」
「彼女いたのかよ!」
2人の声がハモる。
「「聞かれなかったし」」
知世と竜が声をそろえて言ってくる。
「そりゃあ、あんなに可愛い彼女がいたら他の女には興味を示さないよな」
圭介は本気で竜の為にナンパしていたらしく、ひたすら咲に愚痴を言っていた。
当の竜と知世は至近距離でひたすら言い争いをしていた。
それでも、竜は知世の腰に手を回したままだったし、知世は竜に体を預けた状態、喧嘩というより、いちゃついているようにしか見えなかった。
「ああぁ、つまんねいな。俺、帰るわ」
そう言って、圭介は席を立つ。
「そんなら、俺らも出るか?」
圭介の反応を見て、竜が咲に尋ねる。
正直なところ、歌を歌う気分でもなかったので頷き部屋を退出することにした。
竜が家まで送ろうかと尋ねてきたが、知世といちゃついているところをこれ以上見せられたくなかったので断り、1人帰路に着いた。