1.知世と咲
少女は鏡の中に映っている自分の姿を確認した。無意識の内に溜息が出て、それが思いの他大きくビックリしてしまった。
鏡の中には高校の制服に身を包んだ自分が映っている。
彼女が今年から通うことになった高校の制服。セントウッド女学院。全国でも名立たる富豪のご令嬢が通うお嬢様学校として有名な高校だった。小さな会社で中間管理職をしている父を持つ自分には立派すぎる高校であった。
学力レベルも、かなり高めである。財力、学力を備えた超エリートしか通うことの出来ない一流高校であった。
では、何故自分がこの高校に通うことになったのか。
それは、友達との些細な口喧嘩が発端だった。
だからといって、この高校への憧れが無かったといえば嘘になるのだろう。普通の人が通うことの出来ない高校。そんな憧れから、真剣に勉学に励み見事、高校入試に合格することができた。
無理してでも学費を払ってくれる、両親には感謝している。
しかし、憧れは憧れですませておくべきだったのだのだろうか。
待っていたのは同じくセントウッド女学院に通うことになった生徒達と自分の格差だった。
彼女達は本物のご令嬢。事あるごとに住む世界の違いを痛感させられる。
そして、彼女達の世界は親の権力が全てだった。自分の親より強い権力を持つ者の娘には媚を売り、自分の親より弱い権力しか持たない者の娘は自分の取り巻きとして取り込む。
親の権力が弱い者はより強い権力の娘に取り入ろうとする。親の権力が強いものはより多くの取り巻きをつけ、勢力を拡大しようとする。
学校内で行われていたのは正に親の七光りを借りた権力争いだった。
入学説明会等、既に何度か学校に足を運んだが、3年間あの空気の中で生活するとなると気が重くならずにはいられなかった。
そして今日は入学式。
重い足を上げ高校へ向け出発する決心をした。
◇◇◇◇
入学式が終わり、それぞれのクラスごと生徒が集まる。
ここに集まったのが1年間一緒に勉強することになるクラスメートである。
教師の話が終わり、生徒達は自由に解散してもよい状態になった。
そして、教室の生徒達は一斉に1人の少女に群がった。
教室の一番後ろに陣取っていた髪の長い少女。世界屈指の財閥、花矢財閥総帥の娘である花矢知世の元へと。
恐らく、今年入学した生徒の中では一番の権力を持つであろう彼女に取り入ろうという腹なのだろう。
その様子を離れた位置で眺めていると、知世は周りの生徒に何か言って立ち上がった。そして、ゆっくりと歩み寄ってくる。
知世は目の前までやって来ると、こちらに手を伸ばし、周りの生徒には聞き取れない声で喋りかけてきた。
「一緒に帰っては、頂けないでしょうか? 貴女と帰る約束をしていると偽りを申して、あの輪の中より抜け出してきたので、協力して頂きたいのです」
知世は笑顔を作り、手を伸ばしたままこちらの出方を待っていた。
先程まで知世を囲んでいた生徒達に目をやると、凄い形相でこちらを睨んでいた。知世が自分達の誘いを断ってまで、平民の娘である自分の下へ行ったのが気に食わないのだろう。
知世の手を取った。ここでこの手を取らなければ、知世の面子を潰すことになる。
なにより、3年間の学生生活が悲惨な物になるかも知れない。そんな考えが脳裏をよぎった。
手を取ると知世は嬉しそうに微笑んだ。
これが少女、桜坂咲と花矢知世との出会いだった。
◇◇◇◇
学園の生徒はお嬢様が多数を締め、生徒の殆んどは車での登下校をしていた。学校には専用の駐車場があり、登下校の為の車はそちらに停めるルールになっている。
知世と咲は手を繋いだまま校門まで歩いて来ていた。駐車場に向かうなら別方向である。
「花矢さんは、車ではないのですか?」
気になって知世に尋ねてみる。しかし、知世は笑顔で微笑むだけだった。
校門を出た辺りで二人は自然と手を離していた。咲は手を繋いだまま歩くのに恥じらいがあったし、それは知世も同じようだった。
「せっかく一緒にいるのですから、どこかで寄り道しませんか?」
知世のいきなりの申し出であった。
咲には断る理由をもっていなかったし、何より知世の考えが分からない以上、断ると後々のことが怖いので素直に従うことにした。
知世と歩きながら彼女の事を観察する。背の低い咲よりは大きいがそれでも小柄と呼べる体格。そこから伸びる手足は細く引き締まっていた。お尻が隠れるくらいまでに伸びた長い髪に整った綺麗な顔。同じ女性である咲からみても、美しいと思ってしまう外見。
更には歩き方まで上品さが滲み出ていた。
「何で私に声をかけて下さったんですか?」
咲は気になっていた疑問を知世に投げかけた。
「貴女でしたら、良いお友達になることが出来ると思ったからです」
そう言って、知世は微笑んだ。
「でも、私は平民の娘で、あなたとは……」
「友達になるのに両親の事は殆んど関係ないと思いますが?」
知世は咲に笑顔を向け、言葉を続けた。
「私のことは知世と呼んで下さい。その代わり、貴女の事を咲って呼ばせて頂いてもよろしいでしょうか?」
咲は困りながらも小さく頷いた。
「言葉遣いも、他の友達に遣っているようなタメ口でお願いします。咲が普通に喋りかけて下さるなら、私もこんな他人行儀な喋り方を止めて普通に喋ります」
「でも……」
◇◇◇◇
帰宅後、咲は知世とのことを思い出していた。
不思議な少女だった。
お嬢様には違いないのだろう。一つひとつの立ち振る舞いに、上品さが混じっていた。
しかし、行動は破天荒だった。
クラスメートの誘いを断ってまで、咲の下へやってきた。
後から知った話しだが、迎えの車に何も言わずに徒歩で咲と帰っていたのだ。
さらに、咲に友達となって欲しい、タメ口で喋って欲しいと言ってきた。
そこで知世の迎えの者がやって来て、知世を連れて帰ってしまった。
迎えの者は知世のこういう行動には慣れているのだろう。知世を車に乗せ、咲に一礼をすると車を発進させた。
タメ口でお願いします。と言われたが、明日からどんな風に接したいいのだろうか……
◇◇◇◇
初日の授業は殆んどが教師の自己紹介と、各科目の講義内容の説明であった。
知世とは接することも無く1日も終わろうとしていた。
放課後、帰ろうとしたら知世が近づいてきた。
「本日も、一緒に帰りませんか?」
クラスメートたちは、やはり2人の方を見ていた。今日もクラスメート達の誘いを断って、咲の下へやって来たのだろう。
咲は小さく頷くと、知世と一緒に教室を出た。
「今日も迎えの車には何も言わずに帰るんですか?」
「ええ。どうせ発信機を見て追いかけて来ると思います。それに声を掛けた所で無理矢理連れて帰られるのが目に見えています」
「発信機?」
知世は楽しそうに微笑むと、その話はそこまでと言わんばかりに歩を進めた。
◇◇◇◇
人通りの多い道路にまで歩いてきたとき、知世が大きく溜息を付いた。
「どうしたんですか?」
「何でもありません」
そう微笑んだ知世の顔は何処と無く悲しげな表情に見えた。
「私には――――友達にも言えないことなんですか?」
自分から、親しい間柄を主張するのは躊躇いがあったが、意を決して言葉にしてみる。
咲の言葉に知世は凄く驚いた表情を見せた。
そして暫くの間のあと、知世は噴出すように笑い声を上げる。微笑を見せることはあってもすまし顔を絶やさなかった知世の初めての素顔のような気がした。
「そうね、咲に友達になって欲しいってお願いしたのは私だったわね」
知世は飛び跳ねるようなステップで咲の前に出るとそのまま後ろを振り向いて咲に向かった。
その動きは今までお嬢様の立ち振る舞いではなく、何処と無く子供っぽさが溢れた動きだった。
「私は花矢財閥会長の娘、花矢知世。学校でも家の中でさえもその立場を求められる。でも、ずっと演じ続けるのは正直辛い事なのよ。だから貴女なら、気を許すことが――――本当の自分で接することが出来ると思ったの」
咲には上流階級の娘であることがどういうことかなど、全く分からない。
だからこそ、知世はそんな咲と友達になりたいと考えたのだろう。
「改めて言うね。私と友達になってくれませんか?」
昨日から1日、友達となって、どう接したらいいのかなんて考えていた自分が馬鹿らしかった。
そう、目の前にいるのは1人の少女。それ以上でも以下でもない。ならば、普通に接すればいいではないか。
「うん。よろしくね。知世」
そう。普通に。頭では分かっていても口に出すと、意外なほどにぎこちない口調になってしまった。