男の子だとばかり思っていた幼馴染に七十年ぶりに再会したらババアだった。
この小説に影響を受けて書きました↓
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男の子だとばかり思っていた幼馴染に数年ぶりに再会したら催眠種付けおじさんだった
山間から覗く青い空、沸き立つように上る入道雲。
暑いな。この年になると本当に暑さが堪える。
ああ、でも久しぶりに幼馴染のあいつに会えると思ったら気分が高揚してきた。うだるように暑い田舎の、一応舗装はされている、程度の道を歩いていると掘っ立て小屋みたいなバス停が見えてきた。
ああ、そうだ。このバス停の中できっと幼馴染みのあいつが待っているはず。
「あら、遅かったわね。随分待ったわよ」
しゃがれた声で待ち人はそう話しかけてきた。
俺の記憶の中の人物とは随分と変わっているけれど、曲がった腰に白い髪、深く刻み込まれた年輪のようなしわ。
「ってババアやないかいッ!!」
「失礼ね。あんたもジジイでしょうが」
まあ、そりゃそうだ。
確かにそうだ。
あの時もこんな風に暑くて大きな太陽の下だったような気がする。こいつと初めて会った日。確か十歳くらいの時か。もう七十年も昔の出来事だ。二人とも信じられないくらい若くって、はじけそうなくらい元気だった。
走り回って、木に登って、虫を捕まえて。もうその感覚は思い出せない。それどころか、自分に本当にそんな時期があったのかという気すらしてくるくらい、今とは何もかもが違う。
夏の太陽に真っ黒に日焼けして、髪も短かったこいつの事を俺は男の子だとばかり思っていたんだが……まさか七十年ぶりに再会してみたら実は女だった、なんてそんな事があるのか。
「八十歳にもなったらジジイもババアもたいして変わんないわよ」
まあ、それもそうだ。
これが十代二十代の若者だったらここから始まるロマンスもあったもんかもしれんが、いかんせん再会が遅すぎる。七十年て。
再会が遅すぎるわ。
その頃生まれた子供がジジイになるほどの時間だよ。ていうかその頃子供だった俺がジジイだよ。そしてお前はババアだよ。
……いや、待てよ? 七十年?
ホントにそうか? 七十年も俺はこいつと会ってなかったか?
「何言ってるのよあなた。ボケちゃったの? あたしとあんたはずっと一緒にいたじゃないの」
そうか。
そうだ。言われてみればそうだ。
なんで俺はこんな大事なことを忘れてたんだ。
八十も過ぎると仕方ないもんなのかもしれないが、最近本当に物忘れが酷いからな。いやもう物忘れってレベルじゃないぞ。ちょっとマジでボケが来てるかもしれん。
子供の頃の事ははっきり覚えているのに、最近の事になるととんとダメだ。特に平成になってからは全然あかんわ。手塚治虫ってまだ生きてるっけ?
彼女は左手の甲をこちらに向けて指を見せる。
その薬指には輝くリング。
そうだ。俺は……見てみれば、俺の左手にも同じデザインの指輪。
本格的にヤバいな。完全にボケてるじゃねえか。俺は、コイツと結婚してたんだった。そうだ。何十年も、ずっと一緒に過ごして……いや、そうか? ずっと一緒だったか?
俺は妻の顔を見る。
子供の頃の勝ち気で男っぽい雰囲気はない。穏やかで静かな表情で、俺の方を静かに見つめていた。その顔を見つめて、俺は涙が出そうになる。
「そうだ、五年前、お前は急にいなくなって……どこを探しても、いなくって。家の中を探しても、外に出ても、どこにもいなくて。もしかしたらこのバス停で待ってるんじゃないかって、俺はいつもいつも探し回ったんだ。その度になんか知らん若い奴らに連れ戻されて……」
会っていなかったのは七十年じゃない。ほんの五年の間だった。
それでも俺には、永遠とも思えるほどに長く、辛い時間だった。
「どこに、行ってたんだよ、お前……」
俺は妻の手を取り、大切なものを包み込むように両手で握る。若い頃のようなすべすべした手触りじゃない。たるんで、ぶよぶよとした、不思議な手触り。きっと俺の手もそうなんだろうな。
でも不思議と心が落ち着く。
この五年間、ずっと恋焦がれた手だ。
「あの時、あなた言ってくれたわね」
あの時? 何の話だったか。俺は何を言ったっけ?
「私がいなくなる前。『生まれ変わってもまた結婚したい』って。あたし、凄く嬉しかったのよ? 忘れちゃったの?」
言ったような気もするが、思い出せない。「あの時」とはいったい何の時だったか。
「だからあたし、ずっとここで待ってたのよ」
そうだ。
俺もそう思ったんだ。でも、いつこのバス停に探しに来ても、お前はいなかったぞ。
それでもお前なら、きっと待っていてくれると。
……だから、恐くなかった。
体中が痛くても、食事をとることができなくて胃ろうの生活になっても、呼吸すらろくにできなくなって人工呼吸器を付けられた時だってだ。
痛くて、苦しくて、辛かった。
でも不思議と怖くはなかった。
きっとこの先にお前がいると思っていたから。
遠くから、けたたましいディーゼルエンジンの音を響かせながら、バスが走ってくる。
ところどころ外板の錆びたボンネットバスだ。まさか令和の世の中にこんな骨董品が走ってるなんて。行き先も全く書いていない不思議なバス。俺はこのバスを待っていたのか?
「さっ、行きましょうか」
そう言って彼女は俺の手を取って立ち上がる。
行く? どこへ? もうちょっとここでだらだら話をしていたっていいじゃないか。
「ここはいつまでもいる場所じゃないわ。いつまでもこんな場所に居たら家族も心配するしね」
家族が心配する? どういうことだ? このバスはどこに行くんだ?
「どこに行くかは知らないわ。あたしも初めて乗るバスだから」
何言ってるんだ。そんなどこに行くか分からないバスになんか乗れないぞ。もう帰らなきゃ。家族が心配するだろう。
「もう戻ることは出来ないわ。ここからは、どこへも帰れない」
恐ろし気なセリフを吐く彼女だが、不思議と俺は怖くはなかった。お前と一緒なら。俺は妻に手を引かれてバスに乗り込む。
ぎしぎしと音を立てて軋む木造のバスの床。俺と妻は一番後ろの席に座った。他に乗客はいない。
「ねえ」
妻が少し上目遣いで俺の方を見る。こんな媚びるような表情を見せるのは珍しいな。
「また、生まれ変わっても、同じようにあたしと結婚してくれる?」
「いや……」
人間ってのは欲深いもんだ。
もしまたお前に会えるなら、死んでもいいって思ってたのに、生まれ変わったら、また一緒になりたい、って思ってたのに。
「次生まれ変わるなら、もっと早くお前に会って、結婚したい」
ババアは、目を伏せて優しく笑う。
「今度は、男の子と間違えないでよ」
どこまでも続く青い空の下、バスは走っていく。
空には太陽、道には老人を乗せたバス。
どこまでもどこまでも、バスは走っていく。