殺されたい願望の彼女と殺したい願望の俺
“人を殺すとどんな感情になるんだろう”
ある日、ふと思ったことである。
どうしようもない罪悪感と拭えない後悔に押し潰されそうになるのだろうか、残されたものに対する思いはどうなるのだろうか、浴びせられる罵声に快感を感じるのだろうか。
だけど、僕は絶対にそんなことしないと分かっている。
分かっているからこそ気になるのだ。絶対にしないししたくなることもないだろうと、ただその知的探究心は留まることを知らなかった。
高校2年、16歳の夏、人間関係にうまくいかなかった僕は誰も使ってない旧校舎の剥き出しになったコンクリートの階段でその妄想に耽る。手に持つペンとノートは殺人日記だ。
どういう方法でどのようにしたらバレないか、逆にどうやってバレるのかバレてどうなるのか、二つの自分を作って頭の中で考えさせ合うのだ。まるでルパンと銭形のようなことをさせる。
お互いを出し抜きあう、まるで将棋をしているような感覚になる。そんなことを続けて数ヶ月、殺人日記も結構な年季が入ってきた頃に僕は彼女と出会った。
“死んでしまったら、どんな感情になるんだろう”
いや、そもそも感情はないのか?
私はずっと死にたいと思っていた。
だけど、どうしようもない私の中の生存本能はそれを拒み続ける。ましてや周りに助けられて生きてきた私だからこそ、周りに迷惑をかけずに死にたい。電車に飛び降りとかは後々大変になっていると聞くから。
高校3年、17歳の夏、部活最後の試合を終えて私は死ぬ前にやりたいこと“もちろん現実的な範囲”を終えたことによりその思いは徐々に私の中なかの決して小さくないものになっているのを感じていた。
そんなことを忘れるように、毎日を生きている中で私は出会ってしまった。運命の人に。
少女漫画よろしくの運命の人というものは、白馬に乗った長身の金髪碧眼の王子様と聞いたことがある。
私にとってのそれは、そうでもなかったようだ。
かび臭いコンクリートに座ってノートを取っている死んだ魚のような目をした中肉中背の男の子だった。