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子供の頃から、私は優秀な子として育てられた。実際に優秀どうかは関係なく、そうである前提の教育を両親から享受していた。幼稚園の頃から、塾に通っていたし、ヴァイオリンだって習っていた。習字のコンクールで金賞を取ったこともある。親戚から「お嬢様」なんて冗談交じりに呼ばれるくらいには、上手く「優秀な子」を演じられていたと思う。あの頃の私は、背伸びをするのがとても上手かった。
実に陳腐な「親のレールに敷かれた可哀想な子」みたいな人生を送っていた私だが、そんな暮らしを苦痛に感じていた訳では無い。「優秀な子」ごっこを頑張っていれば、本を沢山買ってもらえたから、寧ろ進んで演じられていた。
漫画やゲームみたいな、今風の娯楽が有害であると信じ込んでいた両親が唯一許したものが、読書だった。小学生まで
読書以外の娯楽を知らなかったくらいには制限されていた生活の中で、本は私にとってのオアシスだった。本の中の世界こそが本物で、それ以外のものはすべておまけなんだって、幼い私は無意識ながらに感じていた。そんな幻想は、背が伸びて、それと反比例して下がっていく成績によって打ち砕かれることになった。
中学生までは上手く演じられてたと思う。幼稚園児の頃から志望して、勉強していた私立の中学校の受験に成績トップで合格。在学中もトップをキープし続けて、高校受験もすんなり成功させた。人生なんてちょろいもんだぜ、なんてその当時の私は調子に乗っていた。
高校生になってすぐ、私は馬脚を露わにした。なんというか、背伸びしすぎて目標を喪ってしまったのだ。確固たる目標がないのにモチベーションなんて維持できるわけもない。そもそも、今まで私の目標だと思っていたものは親の目標に過ぎず、私自身が何をしたいかなんて、そんなもの持っていなかった。
「高校からはあなたのしたいようにしなさい」
高校受験の結果が出た時に、父から言われた台詞。きっと、それは父からすれば赦免の言葉だったんだろうけど、私からすれば地図もないのに大海に放り出されたようなものだ。私のしたいことなんて知らない。大人になってやりたいことなんて、解らない。そんなの、習ってないから。
したいようにしなさいと言うから、私はとりあえず本の世界に没頭することにした。一年生の頃はそれまでの貯金のおかげで定期テストも模試も難なく乗り越えることが出来たが、学年を重ねるにつれて成績はメキメキ落ちていった。比例するように両親からの信頼も失墜していった。
二年生の定期テストの結果を鑑みて両親は私を塾に通わせるようにした。子供への投資と管理が足りなかったのだと、判断したのだろう。CMで見た事あるような有名な講師たちは口を揃えてこう言った。「いま頑張らないと一生後悔するぞ」と。未来のビジョンなんて持ってない私からすれば、その後悔が一体どんなものなのか想像なんて出来るはずもない。結局、そんなこと知ったことかと私は勉強するフリばかり上手くなって行った。
真里亞と出会ったのは、そんな折である。二年生の夏休み、勉強合宿なるものが開催された。一週間、山奥にある宿泊施設にて志望校合格のために勉学に励む。両親から半強制的に参加させられた私は、どうやってサボってやろうかなどと考えていた。情報端末は一律的に持ち込み禁止だったが、本しか娯楽を知らない私には意味の無い縛りだ。参考書の束の中に十冊ほどの文庫本を紛れ込ませ、勉強合宿を読書合宿にしてやろうと目論んだ私は、計画通りに勉強時間のほとんどを読書に費やした。
参考書を盾に本を読む。ペンは動かしてはいるが、描くのは意味を持たない数式か英単語。しっかりと観察すれば簡単にわかるようなサボり方だが、そもそも勉強合宿に参加するような生徒は基本的に意識が高い者ばかりなので、見回りをする先生たちもそんなアホなサボ方をしている生徒がいるなど、想定外なのだ。私は内心で高笑いしながら、文庫本のページを着々と進めていく。最早私を止めることが出来る者など、存在しない。と思っていた。
「楽しそうだね、なに読んでるの?」そんな隣の生徒から発せられた一言で私の至福の時間は崩れ去った。私は直ぐに本を隠し、声のした方に素早く顔を向けた。
「今更隠しても遅いと思うけど」隣の席の彼女は呆れたように笑った。見たことがない。多分、違うクラスの子だ。
「……勉強の邪魔しないでくれます?」私は必死に声を絞り出してそう言った。また、彼女は笑った。今度はくつくつと心の底から可笑しそうに。
暫く、そうやって笑った後に、彼女は私の目を見てこう言った。
「よかったら私にも一冊、貸してよ」
「……何を?」
「しらばっくれても無駄だよ。 もし貸してくれないんなら先生に密告しちゃうけど」
「私のオススメです。 どうぞ」私は素直に本を差し出した。彼女はまた笑った。
「私、真里亞。 よろしく」
それが私と真里亞の初めての邂逅だ。それから一週間は私と真里亞は勉強を少しもせずにずっと本を読んで過ごした。
真里亞のサボり術も中々のもので、この時に真里亞から授かったサボりの教えは後々まで読書の時間を稼ぐのに大いに役立つことになったがそれはまた別の話である。
勉強合宿を終えても、私と真里亞の馬鹿みたいな関係は続いた。私が本を貸して、その見返りに定期テストで出そうな所を教えてもらう。真里亞はなんでか、全く勉強しているような気配がないのにずっと学年でトップの成績を保持し続けていた。そのおかげで、範囲がある程度絞られる定期テストでは、彼女の予言めいたヤマを張る能力のおかげでそこそこを維持することが出来ていた。まぁ、基礎知識はその間も下がり続けていたのだが。
私はサボりの一環で、執筆活動を始めてみた。処女作はまぁ、今読むとクソみたいな出来だったが、その時の自分にとっては自身が天才だと思えるくらいには手応えのある作品だった。真里亞に試しに見せてみるとやはり褒め称えられたので、次は出版社の新人賞に出してみることにした。そしてなんと佳作ではあるが、受賞。
受賞した短編の他に何本か書き下ろしの短編を付け足して本を出してみることになった。あんまり業績は振るわなかったらしく、増版されることもなかったが。
そんな調子で高校の三年間は平穏、というよりも波打つことの無い不穏の中であえなく終わりを迎えた。そして迎えた入試。まぁ結論から言えば、志望校どころか滑り止めすら落ちた。
一斉にやってきた不合格通知はただでさえ良くなかった両親と私の仲を完全に引き裂いた。怒鳴られたり、突き放されたわけではない。ただ、私に対して両親は何も期待しなくなった。それから二ヶ月は私は部屋に引きこもった。家族と会うのが恐ろしくなったのだ。二ヶ月経つと、私は家にいることすら恐ろしくなり、寝る時以外は外出するようになっていた。その時は予備校に行く、と嘘をついて金を貰い、それを食費に宛てていた。とにかく、家に居ることが苦痛でしょうがなかったのだ。
両親の期待などはなから欲していないなんて自認していたのに、両親から見放さたことは私に甚大なダメージを与えた。結局、私のアイデンティティの根源はずっと両親からの期待だったのだ。一瞬にしてアイデンティティが崩れ去った私は、一体誰なのだろう。それから一年は何をしていたか覚えていない。
ただ、浪人生活最後の日ははっきりと思い出せる。いや、正確に言えば先程思い出した。センター試験を一週間前に控えた頃、図書館でいつもの様に勉強という名の読書をしていた私は、ふと思ったのだ。
――――そろそろ、死んでもいいかなぁ
なんて、完全に死んでいた心の中で呟いた。もしかしたら口に出ていたかもしれない。思い立ったが吉日ということで、私は白い跨線橋まで休憩がてらに散歩するかのような軽い足並みで向かった。跨線橋には屋根がなかったので、簡単に手摺の上に乗っかることが出来た。電車が警笛を鳴らしながら下を通る。風が気持ちいい。
高さからして、飛び降りるだけでもきっと死ねるだろう。でもそれだけだと何か物足りない。やっぱり駅で死ぬのだから、電車に跳ね飛ばされて死にたい。そう思った私は自分の下を通過する電車がやってくるまでしばらく、待った。どれくらい待ったかは覚えていない。
騒ぎになったという記憶はないから、多分そんなに手摺の上にいた訳では無いと思う。いくら、利用客が少ない時間帯とは言え、駅員は普通に働いている。そんな長い間、手摺の上で立っていれば簡単に見つかって騒ぎになっていただろう。だから、時間としては五分も経っていなかったと思う。
待っていたが、一向に電車が来ることは無かった。路線のインターバル的に考えれば数十分は最低でも待たないといけないので当然の話である。結局、めんどくさくなった私は飛び降り自殺で妥協することにした。さぁ、いざと足に力を入れた刹那、強い力で後ろに引っ張られた。
「うわ」背後に引っ張られた私は地面と激突することなく、誰かに抱え込まれた。何が起きたかわからずに、私はその誰かを見上げる。
その誰かは、真里亞だった。卒業式以来、顔を合していなかったが、一瞥しただけでわかった。友達が少なかったのもあると思う。
「あっ、久しぶり真里亞」返事はない。真里亞は今まで見た事もない表情で私を見ていた。今にも泣き出しそうな、そんな必死の形相。
「何してんの?」
「……それ、は、私のセリフだよ…」真里亞はそう言うと私を強く抱き締めた。私はよくわからず、されるがまま呆けることしか出来なかった。
それからしばらくは真里亞の家に泊めてもらうようになった。真里亞は本人の意向で百目鬼市内で一人暮らしをしているようだった。実家とそんなに距離はないが、箱入り娘として育てられていた真里亞は何とかして一人暮らしをしたかったらしい。結局、私という居候のせいで優雅な一人暮らし生活は終焉を迎えたのだが。
最初の一年はひたすら呆けて時間を浪費する生活を送っていた。食べて寝るだけの生活。真里亞はそんな私に、何を言うでもなくずっと家に置いてくれていた。私なんてペット以下の穀潰しだと言うのに。
ペットと言えば居候して二年目に、真里亞がどこからか子猫を持ってきた。どういう経緯で子猫を拾ったのかは、今も知らない。でも、拾った目的の中に私のメンタルケアがあったことは明白である。事実として、その子猫が家族に加わってから私の精神は多少改善されることになる。
古代ギリシア語で忘却を意味する「レーテ」から、その子猫の名前は「レテ」と決まった。名付け親は真里亞である。悲しい記憶なんて忘却しちゃおう、という意味で名付けたらしいが厨二病ズムが発揮されたと私は見ている。事実、レテの名前を考えるために真里亞は世界中の神話を徹夜で漁っていたから、私の推測は間違いない。私の対案である「みぃ」は在り来りすぎるという理由で却下されたあたりも、厨二病発症説をより補強した。
レテとの生活はそれから三年間続いた。その間に真里亞はなんかよくわからないが凄い賞を取ったらしい。電脳医学のなんたらみたいな分野らしいが詳しいことは知らない。だって私、文系だし。
ある日、真里亞の家に大きな機械が運び込まれた。CT検査に使うドーナツ型の機械に少しだけ似ていたそれは、あとから知った所によると「記憶を消すための施術」に使う物らしかった。私が無断で使ったのもこれだ。
なんでも、自宅を研究室兼診療所にするらしい。記憶を扱うという性質上、より患者の私生活に密着する必要があるので、敢えて自宅を診療所にするのだと真里亞は語っていた。私はそれを聞きながら「この家に他人が入り込んでくるのは嫌だなぁ」なんて考えたものである。実際は、患者がその家にやってくることなどついぞなかった。恐らく、真里亞が指していた患者とは私のことだったのだろう。
真里亞の治療という名の同居生活を送りながら、そこそこ楽しく過ごしていた。一日に三回くらいは死にたくなることもあったが、まぁ一人で部屋に閉じこもっていた頃に比べれば、精神はかなり安定していたと思う。
真里亞の方針で薬などは処方されなかった。眠れない夜も沢山あったので、それは少し不満だったが、そういう夜は決まってレテが私の布団に潜り込んでくるので、段々と薬を欲する気持ちも収まって行った。
そんなある日、レテが家を抜け出した。真里亞が仕事から帰ってきて、出迎えるために私が玄関を開けた瞬間のことである。いつもは外に出たがったりしないのに、その時は何故か勢いよく外へ飛び出していった。私と真里亞は少し驚きながらレテを追った。レテはすぐに見つかった。家の前の道路で横たわっていたからだ。
横たわるレテ、正確にはレテだったぺちゃんこの肉は血腥い臭いを発していた。真里亞は泣き叫びながら、肉まで駆け寄った。私はどうすることも出来ずに、その場で佇んだ。
真里亞は庭に穴を掘り、肉を埋葬した。その間も私はずっと呆けていた。全てを終えて、家に入った時、ようやく私は全てを理解して、泣き叫んだ。何日も何日も泣き続けた。
死にたいと思う回数が三回から五十回くらいに増えた。死のう死のう死のう。お呪いみたいに唱えれば少しだけ心が軽くなる。そして、命の価値もまた軽くなる。
レテが死んでから私は部屋に閉じこもった。真里亞がドアを叩いても、返事はせず、布団の中に逃げこんだ。お呪いを唱えて、命を軽くすれば現実から、真里亞の優しから目を逸らすことが出来るのだ。そんな退廃的な生活をしていた時に、とうとう真里亞が無理やり部屋に突入してきた。
「ちょっと来て」
真里亞は有無も言わさずに私の手を引っ張った。私はどうすることも出来ずに引き摺られた。抵抗しようにも、する気力など持ち合わせてはいない。
気がつけば私は件の機械に眠らされていた。何をするのか、なんて聞く暇もなく頭によく分からない器具を取り付けられた。段々と眠たくなる。真里亞が「眠いでしょ?寝てていいよ」と言うので、睡眠欲求に従い私は深い眠りに落ちた。
起きたとき、私の傍らにはレテが居た。にゃあ、とそれが当たり前のことかのように私に甘えてくる。私もなんの違和感も抱かずにレテを撫でた。
その時の私は、とんでもなく身軽だった。それまで背負っていた重荷が全部とっぱらわれたような、そんな感覚。
真里亞の手によってレテが死んだことも、私が自殺しようとしたことも、忘却の彼方に持っていかれたのだ。今ようやく、私はそれを思い出した。




