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 腹も膨れ、日も上がりきった昼過ぎ。私たちは次の目的地に向かって、また歩いていた。目指すは駅の向かいにある市立図書館だ。高校生の時や浪人生時代にはそこそこの頻度で利用していたので、懐かしさは先程の喫茶店に比べれば薄いかもしれない。


 平日の昼過ぎということもあってか、大学生と思わしき私服姿の若者が数人、退屈そうにベンチに座ってるくらいで、駅の周りには殆ど人が居なかった。二十代半ばの女二人が手荷物も無しにぶらついてるのは、傍から見るとそこそこ異様なのかもしれないな、と私は内心感じながら真里亞の隣を小走りで着いていく。

 これは今気がついたことなのだが、駅に辿り着いてから真里亞の歩調が少しだけ早くなったような気がする。というのも、さっきまでは私の歩調に合わせてくれていたのである程度、ゆっくりめに進んでいたのだが、今は私が着いていくのに必死で足を動かしているのだ。いくら運動不足と言えど、早足程度なら大した苦にもならないが、真里亞の不可解な転調はやや気になる。


「真里亞、どうかした?」私はなんとなしという風を装って尋ねてみることにした。


「ん、いや、別に?」真里亞はこちらに顔を向けずに、短くそう答えた。

 私はそんな真里亞の振る舞いを不審に思いながらも、それ以上の追求をするのも無意味に感じて「そっか」とだけ言って会話を切り上げた。

 それ以降、真里亞は口を開くことなく、歩を進めた。私も何も言わずに小走りを続ける。沈黙の中、白い大階段を登る。カツカツ、と私たちの不揃いな靴音がまるで輪唱を奏でるかのように、静かなホームに鳴り響いた。


 駅から図書館までは跨線橋を渡って行く。跨線橋の下には、六つほどの線路が引かれており、私たちが足早に橋を渡る間にも、電車の警笛音が何度か鳴り響いた。なんでかは分からないが、橋の下の音や光景に私は少しだけ忌避感を抱いた。底が見えない崖下をじっと眺めるのに似た、そんな感覚。私は出来る限り、橋の下から心を遠ざけ、橋を渡りきることに集中することにした。


 橋を渡りきり、ベンチが設置されている踊り場に辿り着いた。ベンチには野良猫が五匹くらい座っていた。昔から、この辺りには野良猫が多く居着いていた。どの猫の耳にも去勢済みを示す切れ目が入れられており、彼らが地域に受け入れられている存在であることを表している。


「猫、いっぱい」


「缶詰かなにか、買っとけばよかったね」真里亞が少し惜しそうに呟く。

 缶詰、という言葉に反応をしてか数匹の猫がこちらを見るが、私たちが手ぶらであることを確認すると、すぐに私たちから視線を外した。紛らわしいこと言うな、と言わんばかりの態度である。


「なんかふてぶてしいわね、こいつら…」


「沙凪そっくり」


「はぁ?」


 真里亞は私の威嚇を笑って躱した。「ほら、そういう所がそっくり」そう言って、真里亞は階段を降り始めた。何か言い返したかったが、ドツボに嵌りそうだし、歩調もゆっくりに戻っていたから、それ以上、何かを言うのは諦めることにした。変わりにすごく大袈裟にため息を吐いてやったが、真里亞は特に気にした風もない。仕方なく、ムッとした気持ちを出来る限り表情に出しながら、真里亞の隣まで駆け下りた。


 図書館の外観は真っ白で、豆腐を想起させる。自動ドアをくぐり、辺りを見回す。静かなのは外と変わらないが、どこか清廉とした静けさが空間を支配していた。 平日の昼間ということもあってか、やはり利用客は少なく、カウンターでは司書の女性二人が退屈そうにパソコンと睨めっこをしている。

 入口から右側には新しく入った図書が並べられていた。ふと、其方に目をやると一冊の本を見つけた。


 『甘藍畑の風景』というタイトルの、短編集。私のデビュー作だ。そして、私の今のところの最新作でもある。過去の栄光の具現化みたいな、忌まわしい代物。私の作家としての時間は、この一冊でずっと停滞していた。


「……書かないとなぁ」なんて呟いてみるが、実際のところそれによって湧くモチベーションなんて、水面(みなも)に広がった波紋のように、すぐに消える程度のものだ。


 真里亞は奥へと進む。小説コーナーを過ぎて、専門書コーナーまで歩いたところで、止まった。


「ほら」 真里亞は本棚の向こうに見えるカウンター席を指さした。


「懐かしいね」 と言う私の脳裏には、高校生時代や浪人時代にあの席で参考書を広げていた自分の姿が浮かび上がっていた。本当はあのスペースは読書以外の利用はしてはいけないのだが、そんなこと知ったことかと言うように迷惑な高校生たちはあそこでよく勉強していた。勿論、私もそんな迷惑な輩の一員だ。


「真里亞はあんまり、図書館で勉強してなかったよね」


「そりゃあ、自室ほど静かで集中出来る場所は無いからね。わざわざここに来るのも面倒だし」


「さすが優等生。 私は自分の部屋でも、ここに来ても、大して勉強に集中出来なかったな」


「少なくとも読書中毒者が勉強のために利用する施設ではないね、ここは」


「まったくね」と読者中毒者は相槌を打った。実際、受験期間中は現代文の勉強という名の、ホラー小説乱読の時間がとても多かった。そのツケはちゃんと「不合格」という結果に着いてきたのだが。その意味では、私ほど真面目に図書館を利用していた受験生は、少なくともここら辺には居ないかもしれない。みんな勉強禁止スペースでノートと睨めっこしている横で、私は小説と楽しく遊んでいたのだから。


 そんな感じで現役時代は読書が楽しくて図書館に入り浸っていた。でも、浪人時代は少し性質が違う。自宅に居るのが怖かったから、図書館に逃げ込んでいたのだ。逃避に徹していてる浪人生に待っている現実は、まぁ自業自得という言葉が似合うようなものだった。現実から逃避して、その後は両親からも逃避した。不合格通知と一通の手紙を残して家出を敢行したのだ。思えばあの頃の私はどうかしていたと思う。


―――そう言えば、なんで私はその無意味な逃避を辞めたんだっけ。


 真里亞に連れられて、図書館前のエントランスまでやってきた所で、そんなことを思った。エントランスには大きな窓があって、ここまでやってくるのに通った白い跨線橋が見えていた。

 私は何となく外の景色を眺めながら、いつから両親と会ってないんだっけ、と記憶を探った。和解した記憶は無い。というかなんなら、両親の顔と名前すら記憶から消失していた。というか、私はどういう経緯で真里亞の家に居候することになったんだっけ?

 そこまで考えて、胸がきゅうと痛む。心臓の鼓動が早くなるにつれて、身体中から汗が流れ始める。どくどくと、血の巡りが早くなる。


 「それ以上考えるな」と身体が訴えかけているようだ。気がつけば跨線橋の手摺の上に誰かが立っていた。あれは、誰だろう。


「紗凪、だめだよ」気がつけば隣に真里亞が立っていた。なんでか、酷く深刻そうな顔をしている。何がだめだというのだろう。


「だめだ」そう、真里亞は繰り返す。返事ができない。私の目は跨線橋に釘付けになっている。手摺の上の誰か(わたし)は、今にも飛び降りそうな様子だ。どくんどくん、と私の心臓は今にも破裂しそうだ。足の震えも止まらない。


「だめだ」真里亞は何度もそう言う。だが、そういう癖に私に触れてくれないのはなんでだろう。なんで、抱きしめてくれないのだろう。あの時のように。そうだ、あの時は抱きしめてくれたのだ、さっきまで忘れていたけど、あの時は。


 刹那、手摺の上にいた()()()()()が飛び降りようとする。が、駆けつけた誰かに止められた。その誰かは私の知っている人物だ。そう、唯一無二の親友で、私の恩人で、今はもう―――


「だめだ、紗凪」


――――思い出しちゃ、だめだ


 泣きそうになりながら、私にそう言った真里亞の隣には、やはり悲しそうな表情のレトが佇んでいた。


 


 

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