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※本日二回目の更新です。
ご注意ください。
エリアスは事業において代理人を通して行ってきたため、ひょんなことからとはいえ、同年代の同じ立場の者と直接言葉を交わすことの新鮮さを覚えた。
アルフレドはワインとチーズの他に加工肉も携えてきて、どれも美味しかった。そして、しばらく「次」の催促はないだろう。
執事に差し出されたコートに袖を通す。恭しく差し出される懐中時計をウエストコートのポケットに納め、鎖をボタンホールに留める。上蓋にルシエンテス侯爵家の紋章が入った代々伝わるものだ。
これからベルガミン子爵夫人の下へ出かける。
実はルシエンテス家は子爵と取引があったのだ。アルフレドと話してから、子爵の弟が余計な手出しをする前に、事実確認をする必要性を感じ、夫人に手紙を出した。爵位の継承によるどさくさに紛れて契約が相手の有利に換えられることはままある。特にエリアスのように代理人を使う際には足元を見られ、苦い思いをすることもあった。
返答の手紙を読んだエリアスは急ぎ、夫人を訪ねることにした。
ベルガミン子爵夫人の下へ出かける旨を告げると、執事はなんとはなしに嬉し気だった。主人が外出するのを喜ばしく思うのだろう。こればかりは気が向かないと実行に移す気にはなれない。
先だってアルフレドとサロンで過ごした際も使用人たちはにこやかに対応した。「旦那様の初めて同年代のお客人」への歓待だと思えば、なんだか面はゆい。
引きこもりと孤独を心配される身内のようではないかと考え、それが殆どその通りだという事実に気づき、エリアスはそれ以上考えないことにした。
馬車に揺られながら、夫人の手紙を反芻する。非常に不安定な精神状態のように思われた。夫を亡くしたばかりではそんなものかもしれない。
エリアスも両親を次々失った際、絶望を味わった。ただ、そのころには代理人を立てて事業を行うことを軌道に乗せていた。侯爵家のあらゆる力を使って変則的なやり様を確立させていた。ある程度の自立の道筋を示してみせたから、父母は息子の行く末に対して不安ばかりを抱いて逝ったのではないだろう、おそらく。
そんな父母や使用人、執事にすら話していない事柄がある。それが元でそちら方面のことを広く調べたことが違った風に役に立った。
「降霊術、か」
ベルガミン子爵夫人はエリアスが手紙に書いて寄越したことと義弟の主張することが食い違うため、夫に直接尋ねるという。
「ちょうど、高名な降霊術師が招じられた降霊会に参加できるようになった」と手紙にはあった。
それで、エリアスは急いで子爵夫人に会う必要に迫られたのだ。
降霊術は古くから伝わるもので、シャーマニズムや占術に由来するとされている。死者に会いに行くという神話もあることから、様々な条件を満たせば不可能なことではないと考えられてきた。
そして、肝心なところは死者の持つ知識は限りがないと考える者がいる一方で、幽鬼の影は生前に知り得たことのみであるという者たちもいる。
ベルガミン子爵の場合はどちらだろうと、とにかく霊魂を呼び出し話を聞き出すことができれば良いということだ。
しかし、夫人は不安定な精神状態だ。アルフレドが言っていたように、妖精犬というおとぎ話を信じ込んでいるほどだ。一旦失われた夫の声やその気配を感じ取って冷静に会話をすることができるだろうか。幽鬼の影が途切れ途切れに語る生前のできごとの上澄みを、巧く誘導させて知りたいことを聞き出すことができるだろうか。
それどころか、取り乱して夫人の不安をぶつけるだけで終わりかねない。
第一、こういった人知の及ばない範疇の事象は人の力でコントロールできるものではない。
その昔、魔法陣を描いて行使したという魔法が廃れて久しいのも、人の手に余ったからではないか。
だから、人は知識や技能、適正に合わせた分野で研鑽を積み重ね、文明を築き上げてきた。今日あるそれぞれの家族の営みの他、美食や芸術品といった嗜好の発展は人々の地に足着いた努力の上で成し遂げられてきた。
ある時代には降霊術には魔法陣と長々とした呪文、そして生贄を必要とした。
現在では、数人が明かりを消し、窓に厚手のカーテンを閉め切った部屋で、円卓の周りに座った者たちが両隣の者と手をつなぎ、召喚の呪文を唱える、というものだ。
暗闇の中でこの呪文こそが異界への扉を開く。手を握った者が明るい最中に見た者と同一人物かどうか判別がつかなくなる。それが暗がりの中だからか、あるいは異界へと通じる扉を開いたことによる影響なのかは不明だ。
術師はそんな空間で何度も呪文を唱える。時に、顔の向きを変え、召喚できるまで唱え続けるのだ。
異様である。
ベルガミン子爵邸でエリアスを応対した夫人はそんな儀式に耐えられることはなさそうな儚げな風情だった。
薄い金色の髪を緩くまとめ上げ、同色の眉は細くはんなりと眉尻を落としている。水色の瞳には長いまつげが影を落とし、やつれてなお頬を薔薇色に染めるのは、エリアスの美貌に見とれたからだという。
「わたくし、夫を失った哀しみに打ちひしがれておりましたが、ルシエンテス侯爵様の麗しさに驚き、憂いが晴らされましたわ」
夢見るようにうっとりと微笑む。
子供のような言い草、仕草に、エリアスも笑いを返す。
「自分の姿は見えませんが、そんな風に人のためになるのは嬉しい事です」
詩人に眦に恋を含むと言われた通り、あえかに香ってくる艶やかさが目元に滲んでいる。そんな眼差しを向けられた夫人はたちまち虜になった。
「ご夫君を失ってさぞお辛いでしょう。わたしも父母を続けて亡くしたことがありますので、お気持ちはお察しいたします」
「まあ、侯爵様も」
若くして爵位を継いでいるのだから、少なくとも父は亡くしている。夫人は納得した様子で、そっと手を伸ばしてエリアスの右手を握った。エリアスはかすかに身じろぎしたが振りほどくことなく、そのままにさせておいた。これが左手なら、そもそも手を取られる前に避けていただろう。
エリアスが受け入れたのを見て取って、夫人は顔を寄せてきた。
「それは労しいことですわね」
息が掛かりそうな至近距離で囁かれる。
「ありがとうございます。子爵夫人もお気持ちを確かに持ってください。今の辛さは長く続くものではありません」
「そうですわね。前を向いて生きて行かなくてはなりませんわね」
唇と唇が重なった。
「同じ境遇の侯爵様が親身になってくれてとても励まされますわ」
エリアスの美貌をうっとりと見上げながら微笑む。
エリアスは表情を取り繕いつつも、どぎまぎしていた。頭が切れることは事業を有利に運ぶ。けれど、温かく柔らかい異性の肉体に接触するのは、予想以上に不慣れさを実感させた。
経験が不足しているエリアスは、寡婦の美しさ、切なさ、したたかさに捉われつつあった。
貴族は容易に恋に落ちる。政略結婚を身近にしているからこそ、禁忌の恋というものに溺れやすいのかもしれない。
華奢で少し力を入れたら折れそうな頸、重い物など手にしたことがないだろう手指、内臓が入っているのかどうか不明なほど細い胴体、どこもかしこも触れることが憚られた。
そんなエリアスの戸惑いを、夫人は違ったように捉えた。
「焦らしておいでなの。ふふ、恋の巧者でいらっしゃるのね」
言いながら、握ったままのエリアスの右手を自分の左胸にそっと当てて上目遣いになる。
「ほら、わたくしなんて、こんなに鼓動が速いのでしてよ」
力加減が分からないエリアスは、これを好機とばかりにもみしだく真似はしない。いや、出来なかった。それをベルガミン子爵夫人は紳士的態度と受け取った。
自身の容姿に自信を持つがゆえに、容易にがっつかないルシエンテス侯爵が女慣れしていると見て取った。事実は真逆である。
エリアスは自身の秘密をひた隠しにするために動揺を外に出さないことが、この場合功を奏した。違う見方をすれば、裏目に出たとも言える。
夫人は亡くなった夫のことばかりを考えずに、新しい恋に目を向けることにした。
突然夫を失った恐ろしさのあまり混乱している風情を前面に押し出し、不安定な気持ちから、義弟の言いなりになりかねないとエリアスに危惧を抱かせることで逢瀬を重ねることに成功した。
エリアスは再度夫人に会いに出向くことになった。
夫人には子供はおらず、義弟がゆくゆくは跡目を継ぐことになるが、手続きが煩雑で時間を要する。船の難破による補てんに、多くの財産が差し押さえられるだろう。その前に、かねて取り交わした契約の履行を、と代理人を通して催促をしても言を左右にしていっかな話が進まない。ただ、お会いしたいという趣旨を長々とした言葉で綴られた手紙が届くばかりなので、業を煮やした。
顔を合わせれば儚げな未亡人に心を揺さぶられる。そして、また来てほしいと縋られては無碍にも出来なかった。どこぞの伯爵の三男とは違う応対ぶりだが、こちらも用があるのだから、と自身をごまかしつつ通う。
二度目の訪問でも夫人は積極的で、自らドレスの裾の中にエリアスの手袋をした手を導いた。茶も出ない。
「あら、邪魔になるでしょう? 茶をこぼしたり茶器を割ったら大変だわ」
つまりはじっと座っているだけではないということだ。
淑やかな筈の未亡人に、エリアスは押されっぱなしであった。