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アゴラス候はバルケネンデ貴族にアランバルリの領地を売り渡そうとしていたことが判明した。しかも、それはカブレラ子爵領であり、配下とはいえ他家の領地であり、契約書のサインを偽造している。不法行為であり、売国行為でもある。他国との取引きをしようとしていただけだ、子爵には伝えたと言い逃れしようとするのを、当の本人であるカブレラ子爵が揃えた証拠が物を言う。
アランバルリ侵略の足掛かりにしようとしていたバルケネンデの貴族はアンシンク公、エトホーフト子爵、デルクス男爵とそうそうたる名前が挙がっている。エリアスはバルケネンデの商人クライフが脱税や賄賂といった犯罪を暴くことから彼らの罪を追求しようとする。こちらはアランバルリの当局と連携を取る必要がある。カブレラ子爵の帰還が待ち遠しい。
「アンシンク公とその一派はアゴスト侯の口車に乗る振りをして我がアランバルリに市場に食い込もうとしたのだな」
ルシエンテス侯爵家のサロンでアルフレドがガラス製のティーポットの中で湯を注がれた花茶が開いていくのを物珍しそうに眺めながら言う。
「ああ。黄金が口をはさめば、雄弁も形無し。今は雄弁、ましてや流血よりも金銭や権利が物を言う」
ティーハウスのオープンをアゴラス侯の陰謀によって邪魔された被害者のルシエンテス侯爵、というのが巷での評価であり、同情票が集まって他のティーハウスのオープンの集客は見込めそうだとアルフレドは告げる。水没したティーハウスはアラゴス侯が難癖をつけていたことを大勢の客が見ていたのだ。どうしたのかは分からないが、それをした者ははっきりしている、と。
「それは重畳」
水浸しになったティーハウスは別の物件で新しくオープンする予定だ。損害賠償はもちろん、アゴラス侯が負う。各種捜査や裁判などでいつになるかは分からないが、ルシエンテス侯爵家の財力からしてみれば些細な出費だ。
「少年は目を覚ましたのか?」
「ああ。大分体調は良くなっている。食事もできるし、弟妹が無事だと知ると素直に話してくれたよ。彼はセフェリノという名前だそうだ」
話し合い、彼の弟妹を雇うことにしたと語るとアルフレドは目に見えて安堵した。
「しかし、デルクス男爵家の出というが、今回の件に関与したバルケネンデの貴族ではないか」
「そう。まさか、こんな風につながるとはね」
世の中の縁とは異なものだ。
「セフェリノはとても聡明だ。だから、ゆくゆくはわたしの後継にしたいと思っている」
特に気負うことなく言うと、アルフレドが目を限界まで見開いた。
「大胆だな」
「あの境遇で腐らず懸命に生きていた。中身がすこぶる良いからね。たとえ才能に乏しくても、自分にない部分は他者に頼れば良い。けれど、当人の資質が腐っていたら、どうしようもないから」
バルケネンデのデルクス男爵家が適合する者に魔方陣を焼き付けさせたというのは、適合者が出るまで次々に犠牲者が出たということだと知り、アルフレドは苦い顔をした。
「生きた刻紋か。それを実行させる者こそが、まさしく化け物だな」
「そんなものを飼いならそうとは」
エリアスは珍しく蓮っ葉な仕草でふんと、鼻を鳴らして笑った。にもかかわらず、その笑みは麗々しい。
「しかし、後継者候補とは。惚れっぽいのに結婚は諦めたのか?」
「家柄がどうのと考えなくて済む方法を見つけただけさ。化け物が化け物を育てるんだ。相当強い代物ができるんじゃないか?」
「人間の方がよほど恐ろしいこともある。気が合うんなら良いんじゃないか?」
そんなアルフレドのあっけらかんとした言葉で受け流した。
エリアスはついでとばかりにカブレラ子爵に隣国へ行ってデルクス男爵家からひとりの老人を連れてくるように依頼したと話した。
「どういった人物なんだ?」
「セエリノの親類縁者で、師匠に当たる者だ」
なんの師匠かは聞かなくても察したアルフレドは眉をしかめた。
「それは、」
「難しい? バルケネンデは国王の血筋に繋がる者の醜聞でてんやわんやだ。その隙に乗じたらできなくはないだろう?」
デルクス男爵家はこの一件に関与した当事者である。だからこそ、失踪者がいても気に掛ける余力はない。刻紋を持つ者の逃亡は厳しく管理されているとすれば、今がまたとない機会であるという。
「こき使う気、満々だな」
カブレラ子爵の手腕ならば、と言外に微笑むエリアスに、アルフレドが同情を禁じ得ないとばかりの表情を浮かべる。
「ああ、そうだ。君も伝手を持っていそうだ。彼に協力してやってほしい」
「まあ、君の後継者候補の憂いを払うのならば」
自分もこき使われるのだな、と思いつつも、蚊帳の外にされれば味気ない。こうやって、力を貸すにやぶさかでないと思わせるカリスマの持ち主なのだから、仕方がない。なにしろ、アルフレドは似たような人間を肉親に持ち、長らく付き合って来た。慣れたものである。
「心強いね」
麗しく笑む佳人はけれど誰よりも優れた才能を持つ。そんな者に頼られれば悪い気はしないし、自分の力量を認めてくれるのならばそれを示そうと思わせしめる。なにより、相応のものを返そうとしてくれるのだ。
一方、エリアスとアルフレドの対話の俎上に上ったカブレラ子爵はなんだかんだ言いつつ、難解な任務を遂行してのけた。そうして、アランバルリに帰還した後、自領を見回った後、すぐにエリアスの要請でバルケネンデの貴族の追及を当局と連動して行う。
「やれやれ、人使いが荒い」
ぼやいてみせても、それだけに能力を買われているという喜びの方が大きい。そして、それ以上の恩を受けている。
「報酬分は働くさ」
一生かかっても返せない恩がある。カブレラ子爵家は受けた恩は返す主義なのだ。ならば、自分の世代で少しでも返しておきたい。
しかも、エリアスはあの子供を後継者候補として考えているという。
子供を助け、彼の憂いを晴らすことができた。自分はようやく正しいことができた。ルシエンテス侯爵家の陣営に属し力を発揮することでそうすることができた。更には、自分の思惑よりも一歩も二歩も先んじている者がいる。
胸がすく。
「俺なんて、まだまだだな」
ならば、力の限り、尽くそうと思う。
アゴスト侯はよりによってカブレラ子爵領をバルケネンデに売り渡そうとしていた。エリアスに言われなくても当局と共闘して余すところなくその罪を暴いてやろう。
そんなカブレラ子爵の執念が実り、アゴスト侯の罪は芋づる式に明るみに出た。領地の一部が没収され、当主は強制的に挿げ替えられた。爵位を没収されるよりは、と侯爵家で迅速に動いた。無論、頑迷な抵抗にあった。
「わしは悪いことをしていない! 全てはアゴスト侯爵家を富ませるためだ! なのに、なんだ、お前たちは! 旨い汁を吸うだけ吸う恩知らずめ!」
「侯爵家とはいえど、美徳がなければ、氏素性も値打ちがないと申します」
「まず金を握れ、徳はあとから来ると言うではないか! 長年アゴスト侯爵家のために働いてきたからこそ、酸いも甘いも噛み分けたわしに向かってなんたる物言い!」
「若い時は多くのまがい物を信じ込み、歳をとると多くの真実に疑念をはさむと言います。諦めて下さい」
丁々発止のやり取りがあったが、アゴスト侯爵家当主交代は覆すことができない事柄だった。そして、ロランドの時と違い、この場合は慣例通り、当主の死をもって新アゴスト侯爵の誕生と相成った。
バルケネンデのデルクス男爵家は代々血縁で適合する者に魔方陣を焼き付けさせた。そうして、魔法の継承を行って来た。セフェリノの前の継承者は老境にある。セフェリノの師匠で弟子を隣国アランバルリに逃がした。
「厳しい人です。今思い返せば、それは魔法という不可思議な力を使うのに必要なものでした」
寝台に上半身を起こしたセフェリノが途切れ途切れに語った。隣国であるから言語は似通っているとはいえ、現地人とそん色がないように使いこなせるよう教え込まれたという。早々に逃がすことが師の頭にあったのかもしれない。
「別れ際、幸せになれと言ってくれました」
誰にともなく、セフェリノは呟いた。
あそこで唯一、セフェリノ個人を見てくれ、幸せを願ってくれた人だ。
セフェリノは故郷を離れて師と再会することが叶った。
後に、諸々が落ち着いてからセフェリノの師は暇にあかせてセフェリノの弟妹の教育を行った。それを見た他の使用人たちも願い出て、学ぶ機会が設けられ、ルシエンテス侯爵家の使用人の学識向上に貢献することとなる。
「次期ルシエンテス侯爵の師だから折り紙付きの教師だな」
セフェリノ自身は既に全て教えたと言われ、他のことを学ばないかとエリアスに持ち掛けられた。
「本当にわたしを後継に据える気ですか?」
セフェリノは初手からエリアスが好意的であることに戸惑っていた。彼に向けて魔法を放ったというのにだ。
「カブレラ子爵が見た最初の君の魔法は炎だった。でも、わたしを襲った時は使わなかった。室内だから、影響が広範囲に渡ることを恐れたのだろう? 水ならば、まだ避難もしやすい」
これが突風ならば逃げる方向が判別しにくい。
非常に頭がよく臨機応変に対応できる。しかも、倫理観が高い。
「君がどうしても嫌だというなら考え直すけれど」
「そういうわけでは」
「すぐに決めなくても良い。でも、わたしの事業を手伝ってくれないか? 君の師が教えてくれたこととは別のことを学ぶ機会を得たと思えば良い」
エリアスは学問に秀でていた。その大切さ、学ぶことの楽しさを教えてやれる。魔法という不可思議な、そして暴力的なものを身に付けることは苦痛を伴っただろう。
「まずはひと通り広く学んで興味を持ったもの、適性があるものを掘り下げて行こう。自分で考えて物事を進める。成果が出たら楽しいぞ」
エリアスはセフェリノをライブラリーに連れて行き、書架からあれこれと本を抜き出す。楽し気な様子を、セフェリノはじっと見つめた。
「どうして、そこまでしてくださるのですか?」
「わたしは君の辛さを知っている。一緒により良い途を探そう」
自分の時は両親や使用人たちが手を差し伸べてくれた。成人し、爵位を継いだ後、人目を避けて生きていた。そうするしかないと思っていたのに、様々な出会いを得て、自然と外の世界へ出て行く気持ちになった。僥倖だったと思う。
次は、エリアスが手を差し伸べる番がきた。セフェリノは勇気を出してその手を取った。
「若くして成功すると敵が多い。ああ、そんなに簡単にやられてやるつもりはないから、安心すると良い。そんなことより、君は長生きすることを考えろ。うっかりわたしより先に死ぬんじゃないぞ」
「縁起でもないことを言わないでください」
くしゃりと顔をゆがめたセフェリノに、後日、隣国から逃げてきた時に世話になった者が殺されたという話を聞いて、そういった冗談口は言わなくなった。
アランバルリで上位に位置する大貴族が起こした不祥事に国は大いに揺れた。多くの関係者が奔走し、噂は矢のように飛び交った。
そんな中、エリアスはパメラの調査報告に片眉を跳ね上げた。
「新しい銃の技術が流出した可能性がある、と?」
「はい。アゴスト侯はそれでもってして、バルケネンデの大物たちを動かすことができたのですわ」
のらくらと新型の銃という切り札をちらつかせて協力を引き出していたのだという。エリアスを襲撃し、アルフレドが負傷した暗殺者が用いたものだ。アゴスト侯は報復に用いるだけではなく、強い札として用いていたのだ。
「厄介だな」
おいそれと設計図や技術者を渡すことはしなかっただろう。だが———。
「厄介なことはもうひとつございましてよ」
鼠がうろついているのだという。
「どうも、バルケネンデの鼠だけではないようですわ」
「パメラ、君の能力はすばらしい。けれど、荒事には向いていない」
「うまくやりますわ」
とはいえ、この先も従者はエリアスの側を離れることは拒否するだろう。早急に手段を講じる必要があった。
解決策は意外なところからもたらされた。
セフェリノの師匠の伝手で傭兵を雇い入れることになったのだ。
「まあまあ、むさくるしいこと。よろしくて? あなたがたのような目立つ者は間諜としては役に立ちませんわ。しっかり躾けてあげてよ?」
口調は呆れたものだが、中々のやる気を見せたパメラであるから、上手く使いこなすだろう。




