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セブリアン伯三男のアルフレドは社交界で顔が広い。
周知のことであったが、それを実感させられる羽目に陥ったカブレラ子爵は報告書の文面で目にすることと実際に味わうことの落差を思い知らされた。
「初めまして。辣腕と名高いカブレラ子爵にお会いできて光栄です」
ティーハウスのプレオープンにホスト側に立ったアルフレドは今や誰もが知るルシエンテス侯爵の友人であり、片腕でもあると目されている。隣接する領地の者同士で、三男という立場からも、セブリアン伯としても飛ぶ鳥を落とす勢いのルシエンテス侯爵の役に立つなら、といつでも差し出すだろう。
カブレラ子爵はルシエンテス侯爵がセブリアン・ワインの危機に多大なる支援をしたことも掴んでいる。相互に助け合う美しい絆が形成されているのだなと心の中でごちる。
つまりは、自他ともに認めるルシエンテス侯爵陣営にあるアルフレドが伝手を使ってカブレラ子爵に接触して来た。
彼は人が良さそうに見えて、どうしてどうして、セブリアン伯領のワインを一大ブランドに押し上げた立役者である。その真価を正当に評価しないのは過小評価したい彼の父兄くらいなものであろう。大人物である曽祖父や祖父から可愛がられた嫉妬や、立場が上(と彼らが思いたがっている)の者として、大きく見せる必要があると考えているのだろう。
誰にでも、どの家庭にでもあることで、当のアルフレドは飄々と受け流している。
「わたしの方こそ、かの高名なセブリアン・ワインの事業責任者にお会いできる栄誉を賜りまして」
挨拶をし合う間に、しずしずと見覚えのある顔の貴婦人がやって来る。
「あら、アルフレド卿、ごきげんよう」
「おや、パメラ嬢、お久しぶりです」
「そちらはカブレラ子爵でいらっしゃいますわね。こんなところで立ち話もなんですから、ご案内いたしますわ」
やられた。
ふたりは既知であるのは当然だ。同じ陣営の者なのだから。それを隠すことなく、そしてカブレラ子爵を連れて行こうとする。ここで騒ぎ立てれば人目に付く。先日、夜会で騒動を起こした身としては、全く好ましくない。
待ち受けるのは御大だ。
本人は若々しいが、いっそ老練すら感じさせる手ごわさだ。老成を長く保つには、早くから老成する必要があるとは良く言ったものだ。
バルデム伯の指示で潜り込んだ茶会で占い師の噂をそれとなく持ち出すことに成功し、貴族連中の興味をかきたてることに成功した矢先のことで、狩りが成功した直後に油断が生じるというのは言い得ているのだなと自分の失態を妙に他人事のように捉えていた。カブレラ子爵にはこういう向きがあった。自分のことも含めて事態を俯瞰する。だからこそ、枝葉末節に惑わされることなくいられた。
どうにかして、カブレラ子爵がこの茶会に参加する情報を掴んだのだろうが、こちらはルシエンテス侯爵が来るなど聞いていない。茶会でもそんな話題は出なかった。主催者に特別に依頼したのだろうが、ルシエンテス侯爵と親交があるとは報告は上がっていない。そこまでお膳立てするにはそれなりの伝手を使うのだが———そこまで考えて、そこでアルフレドが尽力したのだと知る。アルフレドはカブレラ子爵が掴み切れていない伝手を持っているのだ。厄介な者が相手陣営で手腕をふるっているものだ。
茶会にはセブリアン・ワインは出なかったよな、と考えていると、休憩室に連れて行かれる。
「以前にもあったな」
今度はふたり掛かりか、とばかりに、後ろを固めるアルフレドにちらりと目をやる。カブレラ子爵の言葉に取り合わず、パメラは扉をノックし、中から応じる声がする。予想は的中した。外しようもないが。
「やあ、こうしてお呼び立てしてお会いするのは二度目だね」
カブレラ子爵と同じような感想を抱いた佳人は今日も艶麗な姿で微笑む。長い脚を組み、その膝の上で手袋をした両手を緩く握り合わせる。ダークブロンドの髪とエメラルドの瞳は窓から差し込む光に優美な色合いを輝かせている。全身から醸す瑞々しさに、生命の力と奇跡を感じさせる。
優雅に座すエリアスの後ろには従者が立つ。先だっては存在感がないと思ったが違う。気配を消しているのだ。必要とあらば威圧することでこちらの動きを阻害してくるだろう。
そんな風に考えつつも、促されて着席する。半ば観念していた。アルフレドは扉近くに位置し、パメラは茶を淹れる。
「今度オープンするティーハウスで出す予定の茶だ」
言って、自ら率先して口に運ぶ。ホストが先に口に付けてから客も飲食するが、この場合、毒見の意味合いが強いだろう。
「美味しいですな。しかし、茶の感想を聞きに連れてきたのではありますまい」
茶はこの周辺国ではもっぱらバルケネンデからもたらされる。そこへルシエンテス侯爵家の英知を集結して造船した高速船で斬り込んだと聞いているが、確かに味も香りも全く違う。カブレラ子爵は内心驚いていたが、それよりも本題に入った。
「もちろん、違うさ。でも、君の忌憚ない感想にも興味はあるがね」
ティーカップをソーサーに戻したルシエンテス侯爵に、ついカブレラ子爵は答えた。
「居心地よく整えられたティーハウスと伺いますが、長居をするなら茶は何杯も飲むでしょう。そうしたら口の中が渋くなるから、甘味を充実させては?」
「焼き菓子も用意しているけれど、そうだね、もっと種類を増やそうか」
意見を吟味しさらりと返され、カブレラ子爵はふと思いついたことを口にする。
「乾燥果実は如何です? あれは甘みが強い。単体では食感から忌避する場合も、茶請けなら好む者もおりましょう」
「ああ、良いね。栄養価も高いというし」
いち食品の乾燥果実についてそんな風に言う侯爵を好ましく思った。カブレラ子爵領では喉から手が出るほどに欲しい物なのだ。その理由を美点に挙げるところが好ましかった。そして、下の者———この場合は部外者であり敵陣営の者ですらある———の意見を取るに足りないとせず、受け取って吟味し、改善点を見出すことに舌を巻いた。簡単そうに見えて案外できないものだ。
「うん、君、やっぱり良いね。わたしの下で働かないか?」
ルシエンテス侯爵は形の良い唇の両端を吊り上げた。自分がそうしていたように、今のやり取りで評価されていたようだ。
「カブレラ子爵家は代々、受けた恩は極力返す方針でして」
できることなら、この有難い申し出を受けたい。あんな風に手ひどいやり口で断った自分を再度勧誘しているのだ。浮き立つ心を、なにか思惑があるに違いないと縛める。
美しい相貌から視線を逸らし、茶に視線を落とす。
「それに付け込まれた」
音がしそうなほどカブレラ子爵は顔を上げた。ルシエンテス侯爵は笑みを消し、真剣な表情を浮かべている。
「凶作に乗じてわざと困窮させた上で助けてやり、恩を売る。そして君の類まれなる能力を手に入れる。子飼いにしてからは定期的に少しばかり報酬をやれば、よく働く」
滔々と語るルシエンテス侯爵に、カブレラ子爵は息を呑んだ。誰のことを言っているか分かった。自分と前領主だった父親とアゴラス侯のことだ。
父は凶作で飢える領民を救うために奔走し、志半ばで倒れた。そして、一緒に戦う息子に後を託した。だから、カブレラ子爵はアルフレドが憎めないのだ。貴族らしくなく、肉親と共に領地内を駆けまわり、少しでも領民の生活をより良くしようという気持ちは良く分かる。そして、だからこそ、憎いのだ。向こうは大成してこちらは青息吐息だ。
けれど、そこには自分が知らない事実があった。
「仕組まれていた、と?」
ようよう出した声は自分のものとは思えないほどしゃがれていた。
「わたしの協力者たちも有能でね。隠匿されたことを調べ上げて来てくれたんだ」
言って、パメラが差し出した紙束を受け取ってテーブルに載せる。カブレラ子爵はそれが仇とばかりに睨みつけた。のろのろと手を出して持ち上げ、目を通す。この時ばかりは理解力の高い頭脳が恨めしかった。そこには証拠を伴う事象がつまびらかにされていた。ルシエンテス侯爵が言った通りのことが書かれていた。
「わたしに下れ。君の能力をもっと引き出し、上手く使おう」
傲慢な科白は、静かな涼やかな声で告げられた。しかし、カブレラ子爵にとってはまさしく、それは天雷のように心に轟いた。
「痺れるね」
うっかり作法を忘れて素が出る。
しかし、眼前の麗人は美しく笑むばかりだ。
半分がただった観念が完敗に切り替わった自身の心情の変化にカブレラ子爵は柔軟に従う。立ちあがり、恭しく礼をする。
「わたしは今までルシエンテス侯爵にしてきた失礼を謝罪し、心より忠誠を尽くす所存にございます」
「頭を上げてくれ」
言われて応じながら、まずは役に立つところを見せなければならないと考えた。元々、相手側にいたうえ、エリアスの恋人を永遠に失わせたのだ。
「では、まず最優先で行ってほしいことを言う」
「はい」
「港に船を用意している。うちで一番速いやつだ」
ルシエンテス侯爵家の高速船は近隣諸国の群を抜くと聞いている。相当速い上に、航海技術豊富な船乗りを揃えている。用意周到なことだ。だが、自身で様々に考え、周囲の者の意見を取り入れ差配する様は非常に好ましい。
「食料と日用品、医薬品を積んでいるから、急ぎカブレラ子爵領に運び込んでほしい。その後は領民に支給する指示を出すように。君がすることだから手抜かりはないだろうが、まずは老人や子供、病人を優先して、身動きできない者にも配慮すること。以上、質問は?」
カブレラ子爵は言われた言葉の意味を理解するのに珍しく時間を要した。
呆然として返答できずにいるカブレラ子爵に、エリアスはなんでもないようにああ、と付け加えた。
「そこに先ほど出た乾燥果実も入っている。子供はああいうのを好むだろう」
美味しく味わいながら栄養も摂れるのだからちょうど良い、とルシエンテス侯爵は麗しく笑う。
それは福音以外のなにものでもなかった。
どれほど祈っても、救いの手は訪れなかった。
しかし、カブレラ子爵は自身が働くことでその能力を認められ、そうして救助支援が送られたのだ。
彼はいつまでもこの日のことを忘れ得なかった。




