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4-7

 



 思い出すのは美しく冷たく整えられた故郷の館ではなく、あの物の饐えた甘酸っぱい湿った臭い、暗くじめじめした道、狭い間隔で建つ家々の壁、そこに渡されたロープに吊るされた洗濯物がなびいていることである。子供の喚声の合間に鳴き声、怒鳴り声。騒がしくごちゃごちゃと雑多なものが入り混じっている。


 セフェリノの家は代々、魔法を伝えていく家だった。古くから続く一族はいつしかバルケネンデの貴族に血族から嫁を出し、取り込まれた。生き延びるためにそうする他なかったのだろう。今や、魔法使いの系譜は今や途切れ、魔法はおとぎ話の中にしか登場しなくなって久しい。


 セフェリノの一族は辿れば、伝説の魔導士の弟子に行きつく。名門であるという自負は一族の継承者に苛酷を強いた。

 複雑な魔法陣や詠唱を幼少から叩き込まれる。覚えられなければ食事抜きや折檻が待っている。

 そうして才能の片りんを見せた者にはより過酷な現実が待ち受けていた。


 魔法陣を身に宿すのだ。


 刻紋、灼紋であり、身に刻み付ける際は焼け付くような痛みを伴って定着する。その時に命を落とす者も少なからずいた。だからこそ、才能を持つ者を多く育てる必要があるのだ。せめてひとりは生き残らなければ、次代に繋いでいかなければ、と一族の子供たちに魔法を教え込んだ。


 セフェリノは元々、活発な少年だった。魔法の勉強からなんとか逃げ出そうとしていつも叱られてばかりだった。

「あいつはしようのない人間だ」

「あんな人間に魔法を扱える筈はない」

 けれど、そんなセフェリノに才能の片りんが現れたのは皮肉としか言いようがない。そして、セフェリノは一族が皮肉を言ったように、魔法を扱うに相応しくはなかった。目の前の暴力を防ごうとしたら、より大きな災厄を引き寄せてしまったのだから。魔法を使うのには冷静沈着でなければならない。冷酷になれと言い続けられてきた。

 でも、セフェリノには無理だった。


 バルケネンデのデルクス男爵家から逃げ出し、隣国アランバルリに逃げ込んだ。しかし、幸運が導いてくれたのはそこまでだった。

 幼い子供が生計を立てるのは生半ではない。気が付けば、下町で浮浪児として生きていた。

 人攫いに捕まりそうになったり、誰かの縄張りと知らずに入り込んで殴る蹴るの暴力を受けたりもした。


 セフェリノがねぐらとする場所、細民街を歩いていると、そこここに立つ女性に、通行人の男がこめかみに指を当てて挨拶する、という光景を見かけることがある。

 これは、街上の売笑婦を買いたいと呼び止める一種の常法である。

 次いで、ズボンのポケットに手を突っ込み、貨幣を鳴らして支払い能力があることを示して見せる。

 そうして女性と交渉を済ました後、そこらの暗い路地で事を始める。女性は自ら地面に横たわって脚を広げる。慣れたことであり、さっさと済ませたい仕事なのだ。

 逃げ出してたどり着いた街ではそんなことが横行していた。


 浮浪児となったセフェリノに硬いパンをくれたのはそういう仕事をする者だった。

「あんた、親はいないの? ろくに喋られないのね。いいわ、おいで。うちには小さい弟と妹がいるのよ。ひとり増えたって同じだわ」

 そう言って、セフェリノにこの街で生きる術を教えてくれた。


 新しく姉となった人は汚れたエプロン姿で他人の家の軒下で仕事を行い、その後に殺された。犯人はこの街でも鼻つまみ者だった。セフェリノは残された汚れた前掛けを茫然と握りしめるしかなかった。その日、姉は笑ってセフェリノの顔の汚れを拭った。だから汚れた。後で重点的に洗い落とそうと思っていた。


 でも、そのままぼんやりしているわけにはいかない。すぐ傍には泣き叫ぶ弟妹がいるのだ。今度は、セフェリノが彼らを守らなければならない。姉がセフェリノにそうしてくれたように。


 あんなに嫌がっていたというのに、魔法使いであるという矜持はセフェリノのどこかに植え付けられていた。だから、軽く考えていた。力を持つ者は忌避されると同時に、それを欲する者から便利遣いされるのだということに思い至らなかった。一族が貴族を頼り同化してなお綿々と伝え続けたかび臭い掟だの教えだのは、真理の一面を持っていた。他者に容易に利用されないように、正しい使い方をできるように。


 一つの極端は別の極端を生み出す。

 セフェリノは弟妹を助けるために人を殺さなければならなかった。自分の身体が痛んでも、いや、その方が良い。相手も苦しいのだ。自分だけが無事だというのは間尺に合わない。


 貴族が考えることは良く分からない。

 男爵家を出て、隣国に移って来て下町で暮らすうち、すっかり貴族という意識を手放していた。

 女の格好をして占い師として振る舞うように言われた。

 初めはすぐに偽物だと露見すると思っていた。それがあちこちで良く当たる占い師だともてはやされる。気後れして腰が引けそうになるのを見て、人々はか弱く繊細だと言った。


 セフェリノにそれを強いるアランバルリの高位貴族であるアゴスト侯は子供のような人間だった。無邪気なのではなく、無分別であり、唐突に物事を思いついてはすぐさま実行に移らなければ癇癪を起す。

 彼の指示でセフェリノはすっかり評判の占い師に仕立て上げられた。


 そして、本丸に近づく。

 そうしなければ、弟妹がひどい目に遭う。それだけは避けなければならなかった。


 ふと、デルクス男爵家にいたころを思い出す。自分に逃げろと言ってくれた者がいた。実際に逃亡の手助けをしてくれた。

 彼は剃り上げた後頭部、耳の後ろからうなじにかけて刺青が浮き上がる。うっすらと紋章が刻印されていた。

 先祖代々、魔法に順応性の高い子供に灼紋を行った。順応はしても成長過程であり、身体は脆い。彼は珍しく長生きしていた。


 セフェリノは多分、駄目だろう。きっと、長くは生きられない。だったら、せめて、弟妹を救い出した後に死にたい。誰かを幸せにしてみたい。

 セフェリノのささやかな望みであった。



 アゴスト侯はカブレラ子爵と連絡が取れなくなって苛立ちの中に焦りを混じらせた。

「良いではないですか、我らは既に強力な武器を手に入れた。もはやあの者の領地に援助をしてやる必要もなくなったとみなせます」

「うむ、そうだな。不要な出費が減ったと思えば良いか」


 アゴスト侯は下町から見出した子供に言い含め、稀有な力を発揮するのを目の当たりにした。子供は始めしらを切ったが、自分たちは抜かりはない。共に暮らす弟妹の面倒を見てやると請け負うと青くなって言うことを聞いた。初手からそうしていれば良いのに、ふてぶてしいものである。高貴さのなんたるかを知らないのだから、それも致し方がないことなのかもしれない。


 アゴスト侯はこの少年を使ってルシエンテス侯爵を追いつめることを画策した。まずは評判を取り返す。なにかと噂されている社交界の話題を、自分たちのことで染めるのだ。なにが良いかと思案した結果、占い師に仕立てあげることにした。貴族たちは占いを好む。


 自分の策の妙味は年少であることを逆手にとって女装させたところだ。それによって神秘的な雰囲気を出すことが叶った。


「上手くいっているな」

「はい、我らが占い師の評判は上々」

「では、次はどうする?」

 アゴスト侯はバルデム伯の手の者に尋ねた。カブレラ子爵よりも一枚も二枚も劣るが、恭しく、無礼な素振りは欠片も見せない。


 上手くいかないものだと思う。有能かつ見目うるわしく主である自分に傾倒する部下が欲しいものだ。そうすれば、十全に重用するものを。バルケネンデの貴族にはそういった使用人がいるだろうか。話せば、有能な人材を送ってくるだろうか。まずは手紙を送ってみよう。向こうが良いようにしてくれるだろう。


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